過日、名古屋の中級セミナーに出向く前、手に取った朝刊。ある書評が、とりわけ目を引いた。
W.リップマンの「The Phantom Public」(1925)の邦訳が、ついに出たという。
18歳選挙権・被選挙権論題。彼こそは、この論題における「否定側の守護神」である。「無責任な投票」といったようなデメリットを思いついたものの、行き詰まってしまった諸君。彼の言説に、じっくりと耳を傾けるが良い。
●リップマンは「完璧な市民」という古典的な民主主義の理想をまず手放すべきだという。つまり、市民がよく関心をもち、よく新聞を読み、よく議論すれば、公的な諸問題を十分に処理できるという市民参加モデルの否定である。確かに政治参加は望ましい理想だが、市民が公的問題に割ける時間は乏しく、議論に必要な知識を得ることは不可能だ。そのため市民の参加は二者択一に単純化され、結果への失望だけが増幅される。この政治不信から人々の目を前方に逸らすため、教育がいつも切り札とされた。だが不満を生まなかった教育改革など存在しない。とすれば、市民参加の目標をより現実的な水準に切り下げるべきである。
・・・という主張を展開するリップマンが、18歳に選挙権のみならず被選挙権を付与するなどということを聞いたら、おそらく昏倒してしまうであろう。
「生活を良くすることは個人の私的な労働による。輿論や大衆の行動によってなされることに、私は重きを置かない」とリップマン。
この論題、おそらく肯定側の重要性の議論は、建前の議論のオンパレードになる。建前であるが故に、一見反論するのに躊躇してしまうかもしれない。
しかし現実は、リップマンの考察する通り、おそらく「そうとは言えない」ことの方が多かろう。
徹底した現実主義者であり、卓越したジャーナリストであるリップマンの視点を借りて、いま一度、否定側の議論をたたき直してみてはいかがであろうか。
W.リップマンの「The Phantom Public」(1925)の邦訳が、ついに出たという。
18歳選挙権・被選挙権論題。彼こそは、この論題における「否定側の守護神」である。「無責任な投票」といったようなデメリットを思いついたものの、行き詰まってしまった諸君。彼の言説に、じっくりと耳を傾けるが良い。
●リップマンは「完璧な市民」という古典的な民主主義の理想をまず手放すべきだという。つまり、市民がよく関心をもち、よく新聞を読み、よく議論すれば、公的な諸問題を十分に処理できるという市民参加モデルの否定である。確かに政治参加は望ましい理想だが、市民が公的問題に割ける時間は乏しく、議論に必要な知識を得ることは不可能だ。そのため市民の参加は二者択一に単純化され、結果への失望だけが増幅される。この政治不信から人々の目を前方に逸らすため、教育がいつも切り札とされた。だが不満を生まなかった教育改革など存在しない。とすれば、市民参加の目標をより現実的な水準に切り下げるべきである。
・・・という主張を展開するリップマンが、18歳に選挙権のみならず被選挙権を付与するなどということを聞いたら、おそらく昏倒してしまうであろう。
「生活を良くすることは個人の私的な労働による。輿論や大衆の行動によってなされることに、私は重きを置かない」とリップマン。
この論題、おそらく肯定側の重要性の議論は、建前の議論のオンパレードになる。建前であるが故に、一見反論するのに躊躇してしまうかもしれない。
しかし現実は、リップマンの考察する通り、おそらく「そうとは言えない」ことの方が多かろう。
徹底した現実主義者であり、卓越したジャーナリストであるリップマンの視点を借りて、いま一度、否定側の議論をたたき直してみてはいかがであろうか。
リップマンからリップサービスとかリップルウッドを連想する私ですが(笑)
>市民参加の目標をより現実的な水準に切り下げるべきである。
この「現実的な水準」てどこ?
という疑問が沸いて来ます。
選挙権について今の20歳でも低すぎるので、30あるいは40歳が適正なのかも知れない(→だからと言ってカウンタープランが出せないけど)と言えるのかも知れませんね。
しかし被選挙権については
>リップマンが、18歳に選挙権のみならず被選挙権を付与するなどということを聞いたら、おそらく昏倒してしまうであろう。
リップマンが一般市民は割ける時間が少ないと論じてるとすれば、被選挙人はもはや一般市民とは言えないので、選挙権の引き下げには大いに反対するのかな?と想像しますが。
とちょっと酔いながら、コメント書いてます(笑)
7月16日の関東甲信越大会のジャッジには私も行きます。
コメント、光栄の至りでございます。
大衆の政治参加を嫌ったリップマン、
反体制の舌鋒鋭いチョムスキー。
両者の指向性に相違こそあれ、
ようやくテレビ関係者から、小泉劇場の反省として「権力の世論誘導に加担してしまっては、テレビジャーナリズムは死んだも同然だ」(鈴木哲夫「政党が操る選挙報道」)というような声が聞こえてきはじめた現在、
「合意の捏造」に対する彼らの慧眼には、恐れ入るばかりです。
社会的合意に何がしかの意味を与えんとする立場から言えば、ディベートに加えて、メディアリテラシーも合わせて教育上の課題になると強く感じています。
ふるさん>
なんといっても、リップマンは「マスの政治参加」を懐疑するがゆえに、「成熟した大人のプロの判断」を重視するひとですから。
「悪魔は年をとっている。だから、お前も早く年をとることだ」(Goete)
というわけなんですね。
アマサイさま>
そうそう首相公選and/or国民投票論題のときでしたね。「Checkmates」として出場した99年の秋のJDA、その肯定側「日の丸・君が代」ケースとともに、非常に記憶に残る大会です。早いものです。
16日には参りますので、また、その折に。