澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ミュージカル「南十字星」

2008年11月29日 00時43分16秒 | 音楽・映画
劇団四季「ミュージカル 南十字星」がNHK・TVで放送された。



これまで「キャッツ」などのミュージカルには全く興味がなかった。だが、この南十字星には、思わず引き込まれてしまった。
先の大戦に出征した経験のある人は、すでに85歳にもなっている。その子供の世代までは、戦争体験がどうにか引き継がれてきたのだが、いよいよそれも怪しげなものとなってきた。戦争体験の風化だ。

浅利慶太脚本によるこのミュージカルは、「大東亜共栄圏」の思想、実は連合国の報復に過ぎなかった東京裁判、インドネシア民衆の反応など、歴史理解の必須項目が公平にちりばめられていて、実にわかりやすい。

田母神・元航空幕僚長の「日本は侵略国家などではない」という言葉は、このミュージカルを見ただけで納得できる。人種戦争、資源戦争の側面をもったあの時代を、そもそも「平和憲法」の眼で裁こうなどというのが誤りなのだ。それは、戦後民主主義という虚妄の中で去勢された小市民が、古武士の姿をまぶしく見つめるに等しいことなのだから…。

決して右翼などではない私だが、この「南十字星」を見て、「歴史認識」の必要性を改めて感じた。それは「村山談話」のようなきれい事ではなく、今なお続く人種、民族、国家の対立抗争の生々しい歴史である。


教育委員会は無責任~都立高校入試点数改ざん問題

2008年11月28日 12時37分43秒 | 社会

神奈川県に続いて東京で高校入試の改ざん問題が明るみに出た。2006年度の出来事がなぜ今頃と思うのは、教育委員会という組織を知らないからだろう。
「教育委員」という非常勤職員をトップにいただく「教育委員会」は、構造的に責任逃れの体質から成り立っている。教育委員会の実権はその事務局(教育庁)に握られているにもかかわらず、決して責任をとろうとはしないのだ。こんな組織を解体しない限り、今回と同じようなことはまだまだ続くことだろう。

都立高が入試の点数改ざん 受験生2人を不合格に

11月28日(金) 11時16分

共同通信

 東京都教育庁は28日、06年度の入試で都立日本橋高校(中央区、八戸伸二校長)が、男子受験生2人の調査書や自己PRの点数を改ざんし不合格にしていたと発表した。2人は05年度に暴力事件など生活指導上の問題で日本橋高校を退学したが、06年度に再受験。合否判定会議で2人が合格する見込みと分かったため、当時の校長が生活指導上の問題が再発することを心配し、点数の改ざんを指示した。


関係者の処分等には触れていないが、容易に想像はできる。この事件は、学校の保護者あるいは教職員組合関係者がマスコミにリークして、公になったに違いない。それを受けた都教育庁幹部は、例のごとく自らの責任を回避し、学校現場にすべての責任を押しつけることに躍起になっているところだろう。
校長の決断は、どうにもならない生徒が再入学してくるのを阻止することにあった。だが、入学試験上、何の裁量権も与えられていないため、「点数改ざん」という緊急避難措置をとったに違いない。

当時の校長というのが、結局割を食うことになるのだろうが、こんなことばかりしているから、さらに教育の質が低下するのだ。教育委員会は、現場の実情など全くお構いなしに、都合のいいときだけ、「監察」や「指導」を繰り返すだけなのだ。

こういう組織では、権力志向でコネがある人間がトクをする。問題がある現場には近づかず、”火中の栗”を拾わないで、上手く立ち回る輩がもっとも出世するのだ。

アメリカの真似を強要されて作られた「教育委員会」。その無責任な組織形態が、次々と新しい犠牲者をつくり出してゆく…・。

 


ウェルナー・ミューラーの音楽

2008年11月28日 11時53分38秒 | 音楽・映画
Mixiで「ウェルナー・ミューラー」のコミュニティを見つけた。参加者は20名にも満たない。多分、みんなお年寄りなのだろうと思った。

ウェルナー・ミューラーは、ライト・ミュージックのバンド・リーダー、1920年ドイツ・ベルリン生まれ、1998年にドイツのケルンで死去している。日本では、リカルド・サントス(Ricardo Santos)という別の名前で有名で、「真珠採りのタンゴ」は、彼の最大のヒット曲である。



アルバムでh、「ホリディ・イン…」シリーズが世界中でヒットした。日本でも「ホリディ・イン・ジャパン」は大ヒットして、いまもなおCDがリリースさrている。




1960年代になってポリドールからデッカに移籍してからは、本名のウェルナー・ミューラーで様々なジャンルのアルバムを録音した。
上記の写真は「黒い瞳」というアルバム。日本でも人気があったロシア民謡をロック・ビートを取り入れてアレンジしたものだった。





最近、Vocalion社(英国)から次々と彼のオリジナル・アルバムが復刻されるようになった。これはうれしいニュースで、私には初めて聴くアルバムが何枚かあった。
「イージーリスニング」「ムード音楽」というと、とかく消耗品のように扱われがちだ。ウェルナー・ミューラーの音楽は、アクの強い巧みな編曲と抜群の演奏技術で楽しませてくれる。お蔵入りするのはもったいない音楽だと思うのだ。

英国でCDリリースが企画されたとき、ライナーノーツの執筆者が見つからなかったと聞く。時がすぎるほどに、こういう音楽は、忘れ去られていくのだ…。残念なことだ。




Born 2 August 1920, Berlin, Germany
Died 28 December 1998, Cologne, Germany

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Who was/is Werner Müller? Well, he contributed numerous albums to London's Phase Four label, the longest-running of the Space Age Bachelor Pad series. But thanks to London's standard approach to liner notes, although we know exactly what channelization was used and what other Phase Four records were available, we are left knowing nothing of Werner Müller.

Fortunately, we don't have to depend on London for details. European light music fans came to know Müller from his many years as director of two of the leading popular radio orchestras in Germany. From 1948 to 1967, he led the Tanzorchester for the powerful station RIAS in Berlin. Bear Family collected a number of RIAS Tanzorchester recordings from the 1950s on Blende Auf. While with RIAS, he became associated with the singer Caterina Valente, whose cover of "Malaguena" was an international success. In an odd flip-flop, several collections of French, Italian, and other national tunes Müller recorded for Decca were released in Europe under the name of "Ricardo Santos," but in the U.S. under Müller's own name, as part of a series of "Musical Holiday" albums tied-in with the travel magazine, Holiday.

In 1967, Müller moved to Cologne to take over the Tanzorchester of radio station WDR, which had an even larger audience. Müller ensured his tenure with a versatile and perfectionist approach to his material, and as a result, his recorded material can be bold or boring, based on what the contract called for. On Hawaiian Swing, for example, he plays with right-left separation and tosses in an enjoyable assortment of percussion effects to liven up the usual selection of Hawaiian standards. On Percussion in the Sky, he uses wordless vocals, sound effects, whistling, and other touches to lend an other-worldly feeling to numbers like "The Theme from The High and the Might." In contrast, on albums like Werner Müller Plays Leroy Anderson or Great Strauss Waltzes, there's not much to write home about.

"Bodybuilder," from one of Müller's later albums, The Strip Goes On, was sampled as the basis for the song "Bentley's Gonna Sort You Out" by Bentley Rhythm Ace, a big club hit in the U.K. in 1997.


管理監督者の責任とは?

2008年11月27日 18時57分29秒 | 社会

最高裁で注目すべき判決が出た。

部下のミス、課長に賠償責任なし 最高裁で原告逆転敗訴

11月27日(木) 18時14分

共同通信

 静岡県教育委員会の職員のミスで、教職員退職金の源泉所得税が納付されず、延滞税などで損害を県に与えたとして、市民らが起こした訴訟の上告審で、最高裁は27日、当時の財務課長に全額支払いを命じた2審東京高裁判決を破棄、原告逆転敗訴の判決を言い渡した。2審判決は「原因は財務課副主任のミスで、課長の過失と同一視できる」と判断したが、甲斐裁判長は重大な過失を認めなかった。


今回の最高裁判決は、組織上の管理監督者が、部下の不祥事にはずべて責任を負うべきだという2審判決を覆す画期的なものだ。

周知の通り教育委員会という組織は、行政委員会のひとつとして知事部局とは独立している。麻生首相流に言えば、「教員も教育委員会も、世間とはかけはなれた常識を持つ」世界だ。文部科学省が上意下達官庁であると言われるのと同様に、教育委員会は、「通知・通達」や「指針」を学校現場に下達するだけの役所で、決して自ら責任を問おうとはしない。その意味では、今回の裁判自体が、「非常識な人たち同士の争い」という側面は否めない。

私の知る限りでも、教育委員会が身体障害者と精神疾患者の事務職員を学校に配置しながら、その職員のミスをすべて学校長と事務長に押しつけたという事例がある。まともでない職員を押しつけられた現場では、どう対処すればいいのだろうか。

今回の静岡県の事例は、教職員の退職金計算という、極めて実務的なミスを、果たして管理監督者である課長ががチェックできるのかという基本的な問題を指摘している。
問題職員が起こしたミスをすべてチェックするには、膨大な労力と時間を要するのだが、果たして現場にそのような余力があるのだろうか。

今回の判決は、管理監督者の責任を有限とした点において、極めて現実的で妥当な判決と思われる。


歴史を知らない子供たち

2008年11月27日 14時39分50秒 | 歴史
田母神・元航空幕僚長の「日本は侵略国家などではない」という発言が、マスコミの集中砲火を浴びている。「朝日新聞」を筆頭とする”良心的な”マスコミは「村山談話」を政府の統一見解だとして、日本の近現代史を呪縛する愚を犯しているのだが、自ら反省する気配は全くない。

中韓両国は、ことあるごとに日本の「歴史認識」を問題にする。「村山談話」に呪縛された日本は、中韓の「歴史カード」には太刀打ちできず、常に「謝罪が足りない」と言われ放しだ。こんな状況がどれほど子供たちや若者たちに悪影響を与えるのか?

最近、娘に訊いてみた。
「第2次大戦前、アジアの独立国は、どのくらいあったと思う? アフリカの国が独立したのはいつ頃だと思う?」
娘からは、はっきりとした答えはなかった。特に、アフリカ諸国が独立したのが、1960年代だというとびっくりしたようだった。

第2次世界大戦前、インドは英国の植民地であり、現在のインド、パキスタン、バングラデシュを含んでいた。インド独立のときには、宗教の違いからインド各地で凄惨な虐殺が行われた。
「大東亜共栄圏」を掲げる日本が、東南アジアを植民地にしていた欧米列強(米英仏蘭)を駆逐したことによって、東南アジア各国には独立の機運が芽生えた。村山談話では「日本軍国主義がアジアの人々に多大の損害をおかけしたことを謝罪する」と言っているが、それは歴史の一断面に過ぎない。白色人種である欧米列強を駆逐した日本は、植民地化されたアジア諸国民の希望の星だったという、もうひとつの語られない側面があるのだ。

宗教や人種がどれほど歴史を動かす要素になることか、今の若者たちは教えられていない。歴史教育においては「平和」や「国際協力」などといった抽象的な概念ばかりを植え付けるばかりなのだ。
もっと極端に言うと、マイカーもコンビニもなかったつい最近の日本の姿さえも、今の子供たちには思い浮かばないのかもしれない。45年ほど前、夜の町は真っ暗で、冬にアイスクリームを食べることなど夢だったことを思い出した。隣町に行くのが”冒険”のような気分だったのも、その頃だ。

今は何もかも満ち足りて、歴史を思い至ることもない。見知らぬ世界へのあこがれもないので、地理的な座標軸での知識もない。こんな人たちが、大量に育っているのだと実感した。

ゆとり教育の弊害が指摘され、再び理数教育に力を入れようという気運が高まっているが、地理や歴史もびっしりと教えないと、この国はダメになるんじゃないか…。



小泉毅容疑者と田母神発言報道

2008年11月26日 08時11分50秒 | Weblog
元・厚生省事務次官夫妻の殺傷事件の容疑者・小泉毅については、個人の生育歴、パーソナリティ等微細にわたって報道されている。中にはどうでもいいような情報も多い。

この事件以来、マスコミは田母神・元航空幕僚長の「問題」には触れなくなった。NHKなどは、田母神氏の参考人招致をTV中継しなかったほどだから、この問題を早々に幕引きしたいのだろう。

だが、田母神氏の問題と小泉毅の事件は、決して無関係とは言えない。同根にあるのは、「官僚」を叩くことによって政治的利権を広げようとする政治屋や、マスコミの無責任な報道姿勢だ。

小泉容疑者は「高級官僚は悪」と信じていたらしいが、さいたま市の山口・元事務次官宅に押し入るとき、何か変だと思わなかったのだろうか。官僚のトップを極めた者でも、あの程度の家にしか住めないのか…私はTVを見ていてそう思った。
東大法学部を出て、厚生行政に志を抱き一生を捧げたあげく、「公務員テロ」に倒れた山口氏は、あまりに気の毒でならない。これからは、山口氏のようなエリートは、公務員を志望しないだろう。

TVのワイド・ショーでは、高級官僚の2倍も所得のあるアナウンサーが、口を極めて公務員をののしっている。決して反論をすることのない公務員は、視聴者の欲求不満の格好のはけ口なのだ。

他方、田母神氏の発言をTV中継すれば、彼の発言が多くの国民の耳に届いてしまう。これをマスコミは恐れたに違いない。こんな言論封殺を許していいのだろうか。
小泉毅にしても、マスコミの公務員攻撃に踊らされた側面も否定できない。「みのもんた」の社会保険庁攻撃はあまりにひどかったので、あれを見て社会保険庁に対する憎悪を募らせた人は多いのではないか。

「第4の権力」にあぐらをかくマスコミ。社会不安がさらに募れば、次の標的はマスコミなのが分からないのだろうか。


小泉毅容疑者「年金殺人」の向こう側

2008年11月23日 13時13分21秒 | Weblog

元・厚生省事務次官の殺傷事件で小泉毅容疑者が警視庁に出頭した。

犯人像、思想的背景、さらには事件現場の足跡まで、興味津々という感じで報道したマスコミだったが、”犯人”の出頭によって、大騒ぎもややトーンダウンしたようだ。

小泉容疑者の経歴を見ると、高校生までは優秀で、地元の佐賀大学理工学部に入学したが、8年間在学し、結局退学している。
この間に何があったかが、特に重要だと思われる。理工系のきちんとした国立大学は、少人数教育で、みっちりと専門の勉強をさせるのだが、一定率の不適応者が必ず出るのが常識だ。あるものは「自分の専門に興味がもてない」「勉強が分からない」だったり、あるいは人間関係で問題が生じたりして、結局退学を余儀なくされるのだ。

そこそこに優秀だったと思われる人は、挫折には弱い。小泉の場合、地元にいられず、転落の道を転げ落ちたのだろう。
精神疾患の疑いもあるが、小泉のような人は、世間にごろごろしている。身近にも大学を出ても半年で会社を辞め、家に引きこもる若者がいる。

これまで私が職場で接した職員のうち、少なくとも4人は精神障害者だった。営利を求めない大組織では、屑のような職員をたらい回しにしたあげく、問題を起こせばすべて現場に責任をおしつけるだが、小泉も同じような人ではなかったか。

問題は何故、彼の凶刃が厚生省の元事務次官に向かったかだ。私見では、TV報道が相当に影響を与えていると思うのだ。TVによる度を過ぎた「役人バッシング」の犠牲者が、山口夫妻だったと思うのだが、どうだろうか…・。

 


私は貝になりたいのテーマ曲

2008年11月22日 14時35分59秒 | 音楽・映画
今日公開されるという映画「私は貝になりたい」のテーマ曲をラジオで聴いた。正確に言うと、何の曲だか分からないがどこかで聴いた曲なので、「これは何だろう」と思った次第。

調べてみると、この作曲者は久石譲。次のテーマのどれかがラジオで流されたらしい。

「私は貝になりたい」オリジナル・サウンドトラック - 収録曲情報
1. プロローグ
作曲:久石譲
東宝配給映画「私は貝になりたい」O.サントラ
2. 豊松のテーマ
作曲:久石譲
東宝配給映画「私は貝になりたい」O.サントラ
3. 出会い~メインテーマ
作曲:久石譲
東宝配給映画「私は貝になりたい」O.サントラ
4. 軍人訓練
作曲:久石譲
東宝配給映画「私は貝になりたい」O.サントラ
5. B29
作曲:久石譲
東宝配給映画「私は貝になりたい」O.サントラ
6. 13 ~


実はちょっと聴いただけで「これは盗作じゃないか!」と思った。
曲想やオーケストラのアレンジは、ショスタコーヴィチの「セカンド・ワルツ」にそっくり。それと、メロディ・ラインは、1960年代末に公開されたイタリア映画「誘惑されて棄てられて」に酷似しているのだ。
久石譲がどちらの曲も知らないとは到底考えられないので、これは偶然では決してない。

「私は貝になりたい」という映画そのものの、今なぜ中居クンを主演にして制作されなければならないのか、私には理解できない。フランキー堺の演じた小市民の姿を中居クンが表現できるはずもない。戦争体験が風化し、切実なものでなくなったぶんだけ、映画もふやけた内容となっているのだろう…。(ただし、仲間由紀恵の出演部分は、許せる! ファンなので…。)

脱線したが、久石譲って国立音大卒の音楽家だったはず。ちゃんとした弁明を聞きたいものだ。

新型インフルエンザで薬剤師は犠牲になるのか?!

2008年11月21日 16時05分45秒 | 社会

東京都の「新型インフルエンザ対策会議」で気になる対策案が出た。

「新型インフルエンザ(サーズ=鳥インフルエンザ)の患者が出た場合、その患者は病院には直行せず、電話等で症状を医師に伝える。医師は、処方箋をファクスで患者に送り、患者は薬を取りに薬局に行く。」

概要はこういうことなのだが、司会者の小倉智昭がTVで「それじゃ、薬局の人はかわいそう」と言っていた。
医者への感染を防ぐために、例外的な措置を設けたつもりらしいが、もし患者自身が、調剤薬局を訪れたら、そこに勤める薬剤師や職員の防疫体制はどうするつもりなのだろうか?

開業医が税制面で極めて優遇されているのはよく知られている。年収5000万円以下は非課税だし、自家用車の取得も非課税であるなど、何重もの優遇措置が施されている。

ただ、それは金銭面のことだ。新型インフルエンザの危険に対して、職種によって対策が異なるという決定をした都庁とは、なんとも非人道的な組織であることか!
さすが、知事は一族の繁栄のみを謀る「芸能ヤクザ」
そのとりまきの局長、部課長は、すべて下に責任を押しつける屑(クズ)ばかりといわれるだけのことはある。

薬剤師会および薬局関係者は、今回の決定に異議を唱えるべきだ。

薬剤師なら代わりはいるから、何人死んでも構わないよ…東京都の報告書は、そう言っているようにも聞こえる。
多分、医者は都の幹部職員、薬剤師は現場の職員という発想なのだろうが、つい本音が出たということか…。

怒れ!薬剤師の諸君!!


津島雄二・元厚生大臣のマスコミ批判

2008年11月21日 13時18分56秒 | Weblog

津島雄二・元厚生大臣が、次のようなマスコミ批判をしたと報道された。

自民党の津島雄二元厚相は19日、元厚生次官ら連続殺傷事件に関し、厚生労働行政を批判してきた野党やマスコミの論調に原因の一端があるとの認識を示した。

津島氏は都内で記者団に「厚労省の仕事の成果をほとんど評価できないような論評ばかり行われている。
その結果、不満を爆発させ、制度構築に携わってきた人に対する理不尽な行為につながったとすれば、 本当に残念だ」と表明。

その上で「そういう風潮をつくる上でマスコミも考えてもらいたい」
「責任があるのは『あれが悪い、これが悪い』という国会の議論」などと、 野党やマスコミに問題があると指摘した。

厚労省や社会保険庁については最近でも、年金記録不備、厚生年金記録改ざんなどの 問題が野党の追及で表面化し、マスコミの批判を浴びた。津島氏はこれらの経緯には触れず 「事務方で一生懸命にやっている人に、ゆがんだ批判を向けるのは良くない」と述べた。


この発言に対し、TVを主とするメディアは、「不見識」「報道を制限するものだ」などと”反論”しているが、本当にそうなのか?
すでにこのブログでも取り上げたが、「みのもんた」の「朝 ズッバ!」(TBS系列)における社会保険庁および厚生労働省批判は、常軌を逸したものだ。

津島雄二氏の発言は、おそらくこの「みのもんた」の番組あたりを念頭に置いているのだろう。ポピュリズム(大衆迎合)に堕するマスコミを批判した、正当な発言なのだが、マスコミは「報道の自由」という建前で一斉に批判した。

今回の元厚生省事務次官の殺傷事件を見ると、「みのもんた」の”放言”に触発されたという可能性が捨てきれない。言ってみれば、TVによる「殺人教唆」だ。
津島発言に対する批判は、今度は「口封じ」のつもりか?

傲るなよ、バカ・マスコミ!!






 

 


 


筑紫哲也の亡霊

2008年11月20日 00時12分42秒 | 社会

TBS系列「News 23」の来年3月放送打ち切りが決まったようだが、相変わらずの報道姿勢にはあきれるばかりだ。


きょうはフィリピン人不法滞在者の娘が、祖国に強制送還されるというニュースを「地球市民」「人道主義」とやらの立場で取り上げた。
フィリピンに帰れば、言葉も分からず友達もいない、加えて貧困という劣悪な環境で暮らさなければならない。
この子はかわいそうではないか? 行政は冷たいのではないか。なんとかすべきだ…というのが論調だった。

だが、入局管理局が恣意的に判断を下すのならば、そもそも出入国管理などできるはずもない。強制送還の決定をかわいそうだという側面からだけ取り上げるのも不見識な話だ。

不法滞在者が増えれば、犯罪も増加し、平穏な市民社会が脅かされる。「人道主義」だけで、不法滞在を容認してしまえば、どういう社会になってしまうのか、TBSの番組制作者は考えたことがあるのだろうか。

国籍は極めて重要な概念だ。戦時においては、1枚のパスポートの有無が生死を分けることになる。「地球市民」などとたわけたことを言っていたのが故・筑紫哲也氏だが、彼の亡霊は依然としてこの番組に息づいているようだ。


厚生省OB殺人事件~マスコミは教唆していないのか?

2008年11月19日 17時38分33秒 | マスメディア

旧・厚生省OBが連続して殺傷された事件で、マスコミは警察顔負けで事件の推理をしている。この事件が視聴率を上げるには格好の「チャンス」だと思っていることは間違いない。

サラリーマン諸氏は、TBS系列「朝 ズバッ!」では、「みのもんた」が社会保険庁を攻撃し続けていることは知っているのだろうか? この番組での「みのもんた」は、口汚いというよりも、常軌を逸するような言葉で社会保険庁を罵倒している。その中には、歴代社会保険庁長官を名指して、「退職金を返せ」「懺悔しろ!」「役人は許さない!」などと過激な言葉が並ぶ。

「みのもんた」自身は、複雑な年金制度を理解しようとする気などさらさら無く、ただただ社会保険庁をつるし上げることに血道をあげているようだ。

「社会保険庁はぶっつぶせ」「皆、社会保険庁が悪い」「社会保険庁の役人はカネを返せ」などという罵倒の行き着く先は、「あいつらをぶっ殺せ」ではないのか?

TVのワイドショウが「殺人教唆」に等しい報道をしていることに、もう少し眼を向けるべきではないか。


台湾でも給付金配り

2008年11月18日 04時25分37秒 | Weblog

台湾に関する報道は、意図的に制限されている印象だが、注目すべき次のようなニュースが届いた。

 

<台湾>所得制限付き「地域振興券」交付へ 景気刺激に

11月17日20時9分配信 毎日新聞


 【台北・庄司哲也】台湾行政院(内閣)は低迷する景気の刺激策として、日本で99年に交付された地域振興券に似た商品券の導入を検討している。日本の追加経済対策の定額給付金には法律による所得制限が設けられないことになったが、台湾は所得制限を設ける見通しで、週内にも正式決定する。

 台湾の商品券は「消費券」と呼ばれている。使用できる地域に制限はなく、日本の地域振興券とほぼ同様、現金の代わりに使うことができる。

 17日付の台湾紙「聯合報」によると、商品券の額面はまだ決まっておらず、1世帯当たり1万台湾ドル(約3万5000円)か1万5000台湾ドルとみられる。使用期限は半年から1年で、来年の旧正月前の交付を目指す。

 交付対象は年収120万台湾ドル(約420万円)以下の世帯で、全体の88%に当たる約500万世帯が恩恵を受けるという。交付額が1万台湾ドルになった場合、政府の財政支出は約600億台湾ドル(2100億円)と試算される。

 ただ、台湾の専門家らの間では日本の地域振興券を前例に、「景気刺激の効果は薄い」との見方も出ている。


これを「日本の模倣」「愚策」と見る人も多いかもしれないが、私の見方は異なる。
もし、これを大陸の中国で行うとしたら、どうなるのだろうか?まともに、13億の国民に給付などできるのだろうか?

地域振興券でも現金でも、行政組織が整備されていなければ、公平に給付などできない。ならない。コネ社会で汚職が蔓延する中国では、格好のカモになることだろう。

台湾が地域振興券を給付するーこれは、台湾が、中国とは異なる民主国家であることを示すものだ。

 

 


ペテン師みのもんた

2008年11月17日 08時59分15秒 | マスメディア

TVに出ずっぱりの「みのもんた」。

この人の”発言”は、TV司会者としての責任ある発言というよりも、”放言”というべきだろう。

田母神氏(前航空幕僚長)については、「こんな人が自衛隊のトップをしていて、お国はどうなってしまうんだろう」と言いながら、舌の根も乾かぬうちに、「横田めぐみさん拉致から31年。お国はもうちょっと強く出られないんですかね」などと言い出す。

「風が吹いて桶屋が儲かる」ではないのだが、もっと早く田母神氏の主張を取り入れ、「国防」「安全保障」について真剣に取り組んでいたならば、拉致事件も起きなかったのではないかという議論も成り立つ。

定額給付金問題に関しては、今朝も「国民一律ではなく、年収300万円以下の困っている家庭にあげた方がいい」などと言っていた。法律改正の問題、給付方法の困難性があると何度も報道されているのに、こいつは何を言っているのかとあきれ果てた。

要は「みのもんた」の言っていることは、バカの一つ覚えに過ぎない。

「お国はなんとかしろ」「役所は無駄、ずるい」「民間ならこうだ…」

この3つくらいをバリエーションで毎日わめいているのに過ぎないのだ。
これは、ポピュリズム(大衆迎合)の典型ではないか。まず、政府とか役所を「仮想敵」と設定し、複雑な「世間」の出来事を単純化して、すべて「仮想敵」に責任転嫁する。
この「仮想敵」は、決して文句がでない相手でなければならない。某団体、某宗教団体、某在日団体などは、手強い相手なので、みのもんたは決して触れようとしない。

この卑劣さを助長しているのがTBSの態度だ。みのもんたの息子を「コネ入社」させ、視聴率の取れる「みのもんた」をワイドショウに迎えた。その負い目もあるのか、出演者全員がみのもんたに異様なほど気を遣っているのが、TV画面からも見て取れるのだ。

麻生首相は、漫画ばかり読んでいて、漢字も読めないことが分かった。村祭りの客寄せのような「みのもんた」も、他人任せの原稿を下敷きに、ただ思いつきでしゃべっているに過ぎない。
やはり立教や学習院出身は、バカだと思った人も多いのではないか。
「学習院や成蹊を出た人じゃ、この国は治められないよ」と大臣になる前の桝添要一が言っていたのを思い出す。
もうちょっとマシなTV司会者は、いないのだろうか?
yaやはりやはり学習院、立教出は、バカだねと思っている人も多いのでないだろうか。桝添要一が大臣になる前に「この国は、成蹊や学習院を出た人では治められないよ」と言っていたのを思い出す。

 


e-bay オークションに出したい逸品

2008年11月16日 16時08分03秒 | Weblog
先日、古レコード店で思いがけない掘り出し物を見つけた。
「ゴールデン西部劇テーマ/ビリー・ヴォーン」(DOT SWG7109)というアルバム(LP)で、ビリー・ヴォーン楽団が演奏する次の西部劇映画のテーマ曲が収録されている。

1 誇り高き男  2 OK牧場の決闘  3 シェーン  4 英馬車
5 ジャニー・ギター  6 ハイ・ヌーン  7 ライフルと愛馬
8 黄色いリボン  9 いとしのクレメンタイン 10 騎兵隊
11 帰らざる河 12 リオ・ブラボー 13 はるかなるアラモ




こんな変哲もないアルバムがと思われるかもしれないが、実はこのアルバム、日本でしかリリースされたことはないのだ。
したがって、米国や英国のコレクターにとっては、垂涎の的なのだ。
英国の知人は、これをe-bayのオークションに出せば必ず売れると知らせてくれた。
だが、いまのところ出品の仕方が分からない。購入するのは簡単なのだが、出品方法が分からないのだ。

日本のオークション(Yahooなど)では、多分、二束三文なのだが…。