澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

【飯山あかり】小池百合子氏のアラビア語力は2歳児レベル?!

2024年03月09日 20時37分57秒 | 政治

  小池百合子のアラビア語能力は、幼児並みだと、中東専門家の飯山陽(あかり)さんが断言した。これまで、小池のアラビア語能力について、公に発言する人はいなかった。東京外大か大阪外大(現・大阪大外国語学部)でアラビア語を専攻した人であれば、おおよその見当はつくはずなのに、あえて発言する人は皆無だった。

 飯山陽(あかり)さんは、来月の衆院補選で東京15区から日本保守党公認候補として立候補予定。もし、この選挙区に小池百合子が出馬すれば、「アラビア語対決」になると一部のメディアが騒ぎ出した。それを受けて、飯山さんが初めて口を開いたのが、今日のYouTubeチャンネル(下記参照)。結論的には、小池百合子のアラビア語は、日常会話でさえ間違いだらけ。ましてや、カイロ大学でアラビア語の講義を聴き、首席で卒業するなど、絶対にありえない!というもの。

 TV局は”後難”を恐れて、決してこの話は採り上げない。「女帝」という告発本も完全無視された。今日の飯山陽(あかり)さんの勇気ある発言が拡散することを願う。

 

【飯山あかり】小池百合子氏のアラビア語力は2歳児レベル?!

 

アラビア語インタビューされる小池百合子 (飯山あかりが小池のアラビア語チェックのために視聴した映像)

 

 


飯山あかり衆院補選出馬宣言!  ゆりこVSあかり、アラビア語対決?!

2024年03月08日 00時28分14秒 | 政治

 一昨日、日本保守党の記者会見が開かれ、4月の衆議院議員補欠選挙(東京15区)に飯山陽(あかり)氏が立候補を表明した。

 飯山氏は、中東研究者(イスラム思想)で麗澤大学客員教授。ハマスによるガザ地区のユダヤ人虐殺に端を発した紛争に関して、専門家としてただ一人、ハマスの非道を非難しイスラエルを支持した。日本の中東研究者の大半がハマス=パレスチナに同情的であるのはなぜか?それは、旧来からの左翼思想の影響を受けた学界においては、イスラエル支持を表明した途端、村八分にされてしまい、科研費や外務省からの研究委託が受給されなくなるからだという。

 下記に添付した飯山氏のYouTube番組には、アラビア語通訳のアルバイトをしながらイスラム思想研究を続けた話、もし東京15区に小池百合子(現都知事)が出馬したら、「アラビア語対決」になるので、小池百合子は今、憮然たる思いらしいなど、興味深いエピソードが満載。
 
 【飯山あかり】ゆりこVSあかり、アラビア語対決?!


ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」(ジュリウス・カッチェン マントヴァーニ・オーケストラ)

2024年03月03日 11時41分58秒 | 音楽・映画

 ジュリウス・カッチェン(ピアノ)とマントヴァーニ・オーケストラが共演するこのアルバムは、ガーシュイン「ピアノ協奏曲ヘ長調」とのカップリングで1955年リリースされた。ステレオレコードが市販されたのは1958年だから、もちろんこれはモノラル録音。しかも、クラシックの名ピアニストとポピュラー音楽で名を馳せたマントヴァーニ楽団との異色の組み合わせ。そのためか、CD化されたのは、数回しかないと思われる。

 マントヴァーニ楽団が伴奏するからと言って、曲そのものが「ムード音楽」風に改ざんされたりしていない。ジュリウス・カッチェンは伸び伸びとガーシュインを弾いているという感じ。ただ、マントヴァーニのカラーが加えられている個所もある。序奏の弦楽部分や11:10前後の弦の響きは、彼のトレードマークである「カスケーディング・ストリングス」の手法が用いられている。

 「ラプソディ・イン・ブルー」はクラシックとジャズの境界をつなげたような、いかにも米国製の作品。「ムード音楽」で一世を風靡したマントヴァーニがこの曲を伴奏したとしても何ら違和感はない。このアルバム発売当時は、おそらく文句をつける評論家も多かったに違いない。だが、いまになってみると、ダイナミックでウィットもあるピアノ、マントヴァーニの懸命な伴奏は一聴に値すると思う。

 

 

ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ; ジュリウス・カッチェン   オケ;マントヴァーニ・オーケストラ)


「荒城の月」(マントヴァーニ・オーケストラ)

2024年03月03日 02時44分42秒 | 音楽・映画

 1964年にリリースされたマントヴァーニ楽団のアルバム(LP)「世界の民謡集」"Folk songs aroud the world"から「荒城の月」。英国、米国、欧州諸国そしてイスラエルの民謡(愛唱歌)に並んで、日本の歌曲(荒城の月)が選ばれている。
 この年は、敗戦後19年経った時点で、高度成長経済の助走にあたり「もはや戦後ではない」と呼ばれた。東京オリンピックが開かれ、ようやく戦禍による荒廃から立ち上がり、再び世界に目を向けようという時期でもあった。

 洋楽の分野では、外国人が日本の曲を演奏するという趣向が大いに受けた。アルバム(LPレコード)は非常に高価だったが、海外旅行はさらに夢の夢という時代だったので、人々はそうした音楽に夢を求めたと言える。リカルド・サントス(ウェルナー・ミューラー)の「ホリデー・イン・ジャパン」シリーズが大ヒット。「さくらさくら」「お江戸日本橋」などの日本民謡・歌曲が、オリエンタル風のアレンジ(編曲)で演奏された。今の日本人から見れば、日本とチャイナの区別もつかない酷い編曲に呆れるだろうが、当時は結構真剣に聴かれていたように思う。当時の中国と言えば、「中共」と呼ばれる鎖国状態の謎の国だったから、普通の日本人はチャイナ風の演奏を聞かされても、実感がなかったのだろう。(NHKは大陸の中国を「中共」、台湾を「中華民国」と呼んでいた。)

 マントヴァーニは、1958年ステレオレコードの発売を契機にビッグ・ネームとなっていたので、超多忙だったのだろう。日本の曲は、この「荒城の月」と「ウナ・セラ・ディ東京」の二曲しか録音を遺していない。

 さて、この「荒城の月」もチャイナ風のアレンジ。1958年のアルバム「フィルム・アンコール」所収の「慕情」(Love is a many splendourd thing)に曲想がそっくり。日本も香港も区別がつかないということだろうか。なにはともあれ、レア音源であることは間違いなし。ぜひ、聴いてみてください。

 

「荒城の月」(マントヴァーニ・オーケストラ)


「ウナ・セラ・ディ東京」(マントヴァーニ・オーケストラ)

2024年03月01日 20時21分18秒 | 音楽・映画

  東京オリンピックの年1964年、ミルバやザ・ピーナッツが歌って大ヒットした「ウナ・セラ・ディ東京」。この曲は多くの歌手や楽団によってカバーされた。中でも出色なのが、マントヴァーニ・オーケストラによる演奏。欧米では"Kanashi I"というタイトルでEP盤(シングル盤レコード)としてリリースされた。

 この演奏は、CD集「華麗なるマントヴァーニの世界」(ユーキャン社 2008年)の中で「世界初CD化」された。実のところ、このCD集の制作にあたって、ユニバーサル・ミュージックの担当者が英国DECCA社のアーカイブを探索したところ、オリジナル音源が行方不明だったというエピソードがある。したがって、この「世界初CD化」は、市販の音源を使って行われた。しかも、モノラル録音盤を使用したので、音質はかなり劣ると言わなければならない。

 だが、今となっては、かけがえのない希少音源。ということで、ここにUPした次第。

 

「ウナ・セラ・ディ東京」(マントヴァーニ・オーケストラ)


小さな木の実(ビゼー”美しいパースの娘”よりセレナード)

2024年03月01日 01時15分40秒 | 音楽・映画

 1980年代初期にNHKの「みんなの歌」で放送されていた「小さな木の実」という曲を懐かしく思い出すことがある。この曲の原曲は、ビゼーのオペラ「美しいパースの娘」の中のセレナード。美しく感傷的なメロディが耳に残る。何年か前、この「美しいパースの娘」組曲のCDを購入して聴いてみたが、セレナードと題した曲は別のメロディだった。どうやら、このオペラには複数のセレナードがある模様で、オペラの全曲盤を聴いて確かめるしかなさそうだ。

 「小さな木の実」の歌詞の印象的な部分は次のようなもの。

♭# 坊や強く生きるんだ 広いこの世界 お前のもの ことしまた秋が来ると 木の実はささやく パパの言葉

 父親を亡くした少年を描いたこの歌詞は、十数年前、父を亡くした私にとっても何か心に迫るものがあった。父に「強く生きるんだ」と言われたことはなかったが‥。

 実は、この曲は「小さな木の実」を聴く前から、既知の曲ではあった。英国のフランク・チャックスフィールド楽団が、1958年にリリースしたアルバム(LPレコード)「学生王子のセレナード」所収のメロディであったから。ネットを検索してみたら、この楽団演奏は採り上げられていないようなので、私がアップロードしてみた。(作曲及び録音された年代を考慮すると、著作権等の問題は生じないように思われる。)

小さな木の実(ビゼー”美しいパースの娘”よりセレナード)