澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

東京医大はどうしたら合格できるのか?

2018年07月19日 08時52分52秒 | 社会

 文科省局長が”バカ息子”を裏口入学させた事件で明るみになった東京医大の実態。前回、このブログでは、10数年前、この大学を受験した親族のエピソードを紹介した。
 
 第一次の学科試験を通った私の親族は、二次試験の小論文と面接に臨んだ。面接官(教授)が開口一番言ったことは「この大学に誰か知り合いがいますか」だったそうだ。その時、親族は「誰もいません」と応えたものの、釈然としない気持ちだったと言う。

 伝え聞くところでは、文科省局長の息子は、学科試験の点数が合格点に達していなかったという。面接官はこの受験生に何を訊いたのか知りたいものだ。「この大学に誰か知り合いがいますか」と尋ねて、「ええ、父が理事長と学長を存じ上げています」とか応えたのだろうか。まさかと思うが…。

 まあ、こんなあからさまな裏口入学はともかく、新たに明らかになった「東京医大同窓会が合否優遇リスト」というニュース(下記参照)も、決して看過できない。むしろ、これこそが私立医大の病根ともいえる問題だろう。

 私立医大(医学部)の定員は、100名前後。東京医大の場合、入試の全権を握る理事長に70人以上もの受験生から「申し込み」があったというから、端的に言えば、合格者のほとんどが「この大学に知り合いがいた人」だろう。開業医が自分の子どもを後継者にさせるために、私立医大は存在すると言ったら、言い過ぎだろうか?

 東京医大に見られるような、「世襲的優先入学」の常態は、日本社会の階層移動を固定化し、さらに階層格差を固定化する、と言えるのではないか?そんなこと、今さら分かり切ったことじゃあないかと言われるかもしれないけれど、実感的エピソードがあるので、書き記した次第。ああ、暑い…。

 

東京医科大、同窓会が合格優遇リスト ◎は「絶対頼む」

朝日新聞デジタル - 7月19日(木) 7時12分

拡大写真

(朝日新聞デジタル)
 

 文部科学省の私立大学支援事業を巡る汚職事件で、前局長佐野太容疑者(58)の息子が不正合格したとされる東京医科大学の同窓会が過去に、合否判定で優遇を求める受験者のリストを作成し、同大に提出していたことが関係者の話でわかった。東京地検特捜部は複数のリストを入手しており、同窓会や大学幹部が関与した不正合格があった疑いがあるとみて、同大の臼井正彦前理事長(77)らから事情を聴いている。
 複数の関係者によると、同大では卒業生を経由して同窓会などが、合否判定での優遇を求める受験生の親族らの依頼を集約。リスト化して大学幹部に伝えていたという。同窓会の元幹部はリスト作成を認め、「同窓会関係の子どもが受験するからよろしくと大学側に伝えた」と証言した。大学幹部も「5年ほど前には、毎年大学側に同窓会からのリストが届いていた」と明かし、ある卒業生の医師は「知人の子の受験を同窓会幹部に伝えた。『入試で同点の場合は頼むよ』という意味だった」と話した。
 朝日新聞は同窓会や大学幹部が作成したとみられる数年前までのリストを複数入手。あるリストには受験者や、紹介者の名前と卒業年度とみられる記載があった。別の手書きリストには、約30人の受験者名や受験番号とみられる内容が記され、13人の名前の横に「◎」、6人に「○」、8人に「×」といった3種類の記号が書かれていた。
 ある同大関係者は取材に「合否判定ではリストの記号に従って加点された。◎は『絶対頼む』、○は『可能なら』、×は『加点不要』という意味で、臼井前理事長の指示だった」と話した。
 これに対し、今年の入試運営に関わった同大幹部は「リストは見たことがない。(同窓会の意向反映は)かつてはあったかもしれないが、今はやっていない」と話した。同大は「過去の不正合格やリストの存在は把握していない。今年度の試験の調査後、過去の入試についても調査する」としている。


文科省局長の裏口入学~私立医大の深い闇(やみ)

2018年07月05日 21時00分56秒 | 社会

 文科省局長が自分の息子を東京医大に裏口入学させていたという驚愕のニュース。辻元清美がこの件を採りあげて、安倍内閣の総辞職を要求すると言っているのには、驚きあきれた。確かに、モリカケ問題よりもずっと悪質で深刻な問題だと思うが、それが安倍首相の責任だなどとは到底思えない。

 私はこのニュースを聞いて、「やっぱり」と思ったことがある。現在三十代半ばになる私の親族が、大学受験の時、この東京医科大学を受験した。そのときのこの大学のシステムは、一次試験は学科のみ、一次の合格者が二次の面接試験に臨むという方式だった。私の親族は学科試験に合格し、二次試験を受けた。そのとき、面接官(間違いなく、東京医大教授だったはず)が親族に言ったのは開口一番、「この大学に誰か知り合いがいますか?」だったそうだ。「知り合いはいません」と正直に応えたそうだが、受験生として釈然としない気持ちだった、と親族は言う。結果は不合格で、親族は某国立大学の工学部に進んだ。

 身近な者にこのような実体験があるから、この東京医大や他の私立医大に対する胡散臭さや不信感は、今でも拭い去ることができない。今回のように、職務権限を問われる文科省の高級官僚なら刑事責任にまで発展するが、「母校OB」開業医の子弟の裏口入学など、こうした大学では日常茶飯事ではないのか。

 早大理工出身で旧・科学技術庁に入庁したという、この文科省局長。大学受験や、学歴社会の裏の裏まで「業務を通じて」知り尽くしていたのだろう。バカ息子を私立医大に入れれば、一生食いはぐれがないと考えた。これは、開業医と同じ「勝ち組」の思考様式だ。同時に、私立医大がいかに常識とかけ離れた組織であるかが、図らずも明るみに出た。

 繰り返すが、この事件は、モリカケ問題などよりずっと重大だ。入試の公平性(それも幻想かも知れないが)を揺るがすと同時に、階層が固定化しつつある、日本社会の裏面を露呈した。
 元首相の次男で、Fラン私大出身の男が、コロンビア大学大学院を修了し「政治学修士」号を取得する。これと比べれば、この度の事件など可愛いものなのかも知れないが…。

 

医大、局長への便宜依頼は理事長 学長も入試不正に関与

 文部科学省の大学支援事業をめぐり、東京医科大学(東京都新宿区)に便宜を図る見返りに、受験した息子を合格させてもらったとして受託収賄容疑で前科学技術・学術政策局長、佐野太(ふとし)容疑者(58)が逮捕された事件で、佐野容疑者に便宜を依頼したのは同大の臼井正彦理事長(77)だったことが5日、関係者への取材で分かった。鈴木衛学長(69)も関与したといい、2人はいずれも東京地検特捜部の調べに容疑を認めているという。特捜部は捜査に協力していることや高齢などを考慮し在宅で調べている。

 関係者によると、臼井理事長は昨年5月、東京医科大を私立大学支援事業の対象とするよう当時、官房長だった佐野容疑者に依頼したという。謝礼として、今年2月に入試を受験した佐野容疑者の息子の点数を加算し、不正に合格させた疑いがあるという。

 点数加算などの不正行為には、鈴木学長ら複数の幹部が関与していたという。特捜部は今後、同大での入試の経緯や文科省の支援事業の選定過程について実態解明を進める。

 今年2月の同大医学科の一般入試では3535人が受験し214人が合格。倍率は16・5倍だった。

 問題の支援事業は「私立大学研究ブランディング事業」。大学の看板となる研究の推進に必要な費用を国が助成し、施設の新築や機器の購入などに充てられるもので、東京医科大は、がんや生活習慣病の早期発見を推進するとの計画書を提出した。同事業には全体で188校が申請。同じ申請区分の65校のなかから、昨年11月に27校が選ばれた。事業期間は5年間で最大約1億5千万円が助成され、東京医科大は1年分の助成金として3500万円の交付を受けている。

 事件では、佐野容疑者の他に、受託収賄幇助(ほうじょ)容疑で会社役員、谷口浩司容疑者(47)が逮捕された。谷口容疑者は佐野容疑者を男性幹部に紹介するなどして受託収賄を手助けした疑いがある。

 文部科学省は、佐野容疑者(58)を大臣官房付に異動。戸谷一夫事務次官(61)を同局長事務取扱として兼務させた。


裏口入学は不公平」 学生憤り 東京医科大 

 逮捕された文部科学省局長の佐野太容疑者(58)が子どもを大学入試に合格させてもらう見返りに、私大支援事業で便宜を図ったとされる東京医科大(東京都新宿区)では、職員が対応に追われ、「裏口入学は不公平だ」と憤る声が学生から聞こえた。

 4日夕、大学の正門前に集まった報道陣に、大学職員が「捜査を受けていることは事実。全面的に協力する」などとするコメントを配布した。職員は「こちらで説明できることはありません」と話し、足早に学内に戻っていった。

 医学科4年の男子学生は「親の力で入れるなんてうらやましい。平等じゃない」。同学科4年の別の男子学生によると、大学側から事件に関する説明はなく「もし事実なら、さまざまな支援事業が取りやめになるなど、自分たちの教育にも影響が出るのではないか」と不安げだった。

 一方、佐野容疑者の子どもを気遣う学生も。医学科2年の男子学生は「そのことを知らずに一生懸命勉強しているとしたら、かわいそうだ」と話した。


桐朋学園オーケストラ演奏会 2018.7

2018年07月05日 11時24分44秒 | 音楽・映画

 桐朋学園オーケストラ演奏会に行く。桐朋学園大学音楽学部の学生を主体とするアマチュア・オーケストラだが、他のアマチュア・オケとは実力が全く違う。

 プログラムは次のとおり、

1 歌劇「オベロン」序曲(ウェーバー)

2 ピアノ協奏曲 イ短調 op.54 (シューマン)

3 交響曲第八番 op.88(ドヴォルザーク)

4 アンコール; スラブ舞曲第一番(ドヴォルザーク)

 ピアノ:守永由香

 指揮 :中田延亮

 オーケストラ : 桐朋学園オーケストラ

 どの曲も大熱演だったが、特にピアノ協奏曲には感銘を受けた。実は、この曲はあまり聴いたことがなかったので、エラそうな感想は書けない。だが、学内オーディションで選抜されたという、守永由香のピアノは、晴れの場という高揚も伴ってか、実に素晴らしかった。指揮者とオケの友人たちのサポートも絶妙だったと思う。弱音のオケで始まるこの曲は、結構、オケの実力も試される曲だと思うのだが、さすが桐朋学園オケだなあ、と思った次第。

 交響曲第八番は、レコード、CDでは飽きるほど、演奏会でも何度も聴いたことがある曲。第二楽章あたりのドボルザーク特有のけばけばしい(?)音響を、ウンザリさせることもなく、弾きこなし、有名な第三楽章は、抒情たっぷりに歌い上げた。とかなんとか書くと、エラそうだが、私の愛聴盤がジョージ・セル&クリーブランド管弦楽団なので、無意識に比較してしまう。桐朋の皆さん、ご容赦を。

 通常の定期演奏会ではありえないアンコール曲として、「スラブ舞曲第一番」(ドボルザーク)が最後に演奏された。これはなかなか生では聴けないので、ラッキーだった。「土俗的な香りを引き出した名演奏だった」なんて書くと叱られそうだが、実に素晴らしい演奏だった。

 この定期演奏会、実はチケットが千円均一で自由席。地元のジジババばかりが目立ち、会場は六分程度の入り。これはもったいない。次の演奏会は、2019年1月らしいので、興味がある方はぜひお奨めしたい。

 
 
 
 

 

 

Martha Argerich plays Schumann's Piano Concerto in A minor (cond. Pappano) - Rome, 19 Nov 2012


シルクロード上空を飛ぶ

2018年07月05日 10時34分54秒 | 散歩

 6月26日15時45分、仁川(インチョン)からタシケント行きの大韓航空機(KE941便)が飛び立つ。飛行時間は8時間。この航空機は、一昔前だったら考えられないような航路を飛行する。それは、ほぼ「シルクロード」の上空、タクラマカン砂漠天山山脈を沿って飛ぶ。


 フホホト(中国・内モンゴル自治区)近くでは、荒涼たる砂漠地帯の中に、灌漑の形跡が見られる。だが、さらに西に進むと、人跡など見られない砂漠が続く。タクラマカン砂漠(中国・新彊ウイグル自治区)だろう。


           フホホト南部の砂漠地帯



          天山山脈の威容

 こうしてシルクロード上空を飛んでみると、「中国」の広大さを改めて実感する。だがしかし、その「広大さ」の大部分は、モンゴル人、チベット人、ウイグル人などの少数民族が居住する領域だ。しかも、中共独裁政権は、その領域に漢族を移住させ、少数民族に「中華民族」の欺瞞を強要している。

 ウズベキスタン人のガイド氏によれば、かつてウズベキスタンは「西トルキスタン」であり、天山山脈の反対側にある「新彊」ウイグル自治区は「東トルキスタン」と呼ばれるくらいで、両者に言語的、宗教的、民族的にも大きな差異はないという。まあ、わたしでもおおよそそのことは知っていたのだが、実際に広大な「西域」を見て、ウズベキスタンに着くと、中共政権が宣伝する「偉大な中華民族」(漢族も少数民族もひとつの中華民族であるというデマゴーグ)が空虚に響いてくる。

 いずれ将来、中共政権は新疆ウイグルを手放さざるを得ない日が来るだろう。「それが「中華帝国」の崩壊の日ともなる、そんな実感が…。次の世代なら、それを見届けることができそうだが。

 


タシケントの日本人墓地~「親日国」という”神話”

2018年07月04日 23時32分14秒 | 散歩

 ウズベキスタン旅行ツアーには、ほぼ例外なく組み込まれているのが、タシケントの日本人墓地とナヴォイ劇場の参観。このエピソードについては、下記に貼付した映像(「世界ナゼそこに?日本人」(ナヴォイ劇場))などを通して、かなり広く知られるようになった。1945年夏、第二次大戦で日本が敗北した後、ソ連のスターリンは、日本人兵士を抑留し、ソ連各地に移送し、過酷な強制労働に駆り立てた。言うまでもなく、これは国際法に違反する行為で、日本人の対ソ感情も著しく悪化した。
 タシケントに送られた日本人捕虜は、オペラ・ハウスであるナヴォイ劇場の建設に従事させられた。異国での二年間にわたる強制労働の結果、命を落とすものも多かった。
   ナヴォイ劇場側面の記念碑には、日本語で次のように書かれている。

1945年から1946年にかけて、極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」

 極東というのは「満洲国」であり、「強制移送」はいわゆる「シベリア抑留」を意味する。ソ連時代には決して語られることのなかった歴史的事実が、ウズベキスタンの独立を契機に明らかにされた。これは、リトアニア独立に伴う、日本のシンドラー・杉原千畝と似た現象かも知れない。


  ウズベキスタン共和国独立後(1991年~)整備されたタシケント日本人墓地


      ナヴォイ劇場(夏の野外コンサートの準備中だった)

       ナヴォイ劇場に刻まれた日本語の碑文

 ソ連時代のウズベキスタンでは、捕虜や政治犯の強制労働は珍しいことではなかったので、日本人捕虜がいたという事実は、すぐに忘れ去られた。ところが、1966年、タシケント地震で市内の多くの建築物が崩壊するなか、ナヴォイ劇場は無傷のまま残ったことから、「日本人が建てたからだ」という噂が広まった。
 実際には、日本人捕虜がナヴォイ劇場建設に従事した時点では、設計はもとより、施工も大部分なされていたという。だから、「日本人が建てたナヴォイ劇場」というエピソードは、厳密にいえば事実ではない。上記の碑文にあるように、「…劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」というのが真実である。

 1991年、ソ連邦の崩壊に伴い、ウズベキスタン共和国が独立するに及んで、このナヴォイ劇場の物語は、イスラム・カリモフ大統領によって、ウズベキスタンと日本の友好のシンボルとして流布された。日本側でこれにシンクロしたのは中山成彬・恭子夫妻だそうだ。

 以上の話は、通訳・ガイドのフェルツ氏から聴いたもの。「親日国 ウズベキスタン」と安易に思い込む前に、それぞれの事情を知る必要がありそうだ。現在のウズベキスタン人一般にとっては、日本は遠い存在であり、特に意識する対象ではないという。確かに、街を走る車は韓国製が大半で、日本車に出会ったのは、有名なウズベキスタンホテル(タシケント)に停めてあった三台だけだった。

 とは言っても、初めて訪れたウズベキスタンは、予想以上に親しみやすい、「いい国」だと思った。遠く離れた両国が、歴史上のエピソードで共鳴するのは、悪いことではないはずだ。

世界ナゼそこに?日本人 2017年8月21日 (ナヴォイ劇場)


世界遺産の街・サマルカンドへ

2018年07月03日 09時31分55秒 | 散歩

 6月27日早朝、ウズベキスタンの首都・タシケントから「タシュケント・サマルカンド高速鉄道」に乗り、古都・サマルカンドへ。スペイン製だという「アフラシャブ号」の一等車は、2+1席というゆったりした配置で、とても快適。サマルカンドまで2時間20分の旅を楽しんだ。


              アフラシャブ号

               車窓の景色

 旅行前に調べたところでは、ウズベキスタンの空港、鉄道の駅は、厳しく旅客統制が行われていて、写真撮影はできないとされていた。だが現実には、駅構内に入る際にパスポートチェックが一回あったものの、写真撮影などに制限はなかった。

 サマルカンドでは、早速レギスタン広場へ。古都の中でも、もっとも有名な場所。イスラムの教えや科学を学ぶ神学校が並び建ち、広場では交易がおこなわれた。



 
                                レギスタン広場で記念撮影してた新婚カップル 


             レギスタン広場

    夜のレギスタン広場

 チィムール廟も有名な観光スポット。6月27日は満月の前夜(小望月)だったので、ライトアップされた廟は、ひときわ美しかった。


 
 


最新・ウズベキスタン旅行情報 2018.6

2018年07月01日 15時00分20秒 | 散歩

 JTBのLookツアーで6月26日から30日までの5日間、ウズベキスタンを旅行。参加者は私たち二人だけだったので、優秀な日本語ガイドとの丁々発止の会話の中で、多くの知見を得た。

 今年の2月にビザが不要になり、ウズベキスタン政府も日本人観光客の受け入れを積極的に進め始めた。そのため、イモトアヤコの「いってQ」(5月13日放送)をはじめとして、ウズベキスタンを紹介するTV番組が散見されるようになった。
 
 今回の旅行に際しては「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々 2017-18」を携行した。だがしかし、その記述にはすでに古くなったしまったものや、誤記も見られたので、ここに気づいた点を列挙してみた。

1 入国時の書類~ウズベキスタン税関申告書について
 同書221ページに書かれている「ウズベキスタン税関申告書」は、不要だった。「入国カード」のような書類もなかったので、入国に際してはパスポートだけでOK。ただし、現金で2000米ドル以上所持している場合は、申告が必要。

2 滞在記録の保存
 ホテルに泊まると、滞在記録を記したカード(書類)をくれるので、出国時まで保存が必要。これは「地球の歩き方」にも詳しく書かれているが……。ただし、私たちの場合、このカードの提示は求められなかった。

3 米ドルが通じる?
 米ドルは外国人が訪れる観光地の土産物店でしか通用しない。バザール(市場)やスーパーマーケットでは、ウズベキスタンの通貨スムしか通用しないので要注意。米ドルを用意していても、両替所は数少ないので、いざというときに買い物ができなくなるかも。当然のことながら、日本円は全くお呼びではない。

4 駅・空港では厳重な警戒態勢?
 ウズベキスタンを紹介したあるTV番組では、タシケント→サマルカンド間を走る「新幹線」に乗るために5回もパスポートをチェックされ、駅構内や鉄道車両は撮影禁止だと紹介していた。実際に行ってみると、拍子抜け。パスポートの提示は求められるものの、一回のみ。さらに、駅構内や鉄道車両の撮影は自由だった

5 イスラムの規律と外国人への対応
 宗教的にはイスラム圏に属するウズベキスタン。バザールで外国人(つまり私たち二人)を見た子供たちが、右手を胸に当てて、挨拶をしてくれる。当初は何かを要求されているのかと思ったが、純朴な挨拶だと知った。奇異な視線やとげとげしい空気は全く感じられず、勝手に想像していた「イスラムの国」ではなかった。ガイド氏によると、ソ連時代の宗教政策(信教の自由はあるが、布教活動は制限)の影響で、イスラム信者であっても、ごく緩い戒律しかないと言う。つまり、日本人にとっては、特に身構えることもない、普通の国という印象。

6 交通事情
 タシケントには地下鉄があり、我々も乗車した。都市計画の行き届いた近代都市なのだが、道路の横断には十分な注意が必要。歩行者用信号が少ない大通りを平然とくぐり渡る”技術”は、旅行者にはまずムリ。

7 言葉、言語表記
 ウズベク語はキリル文字で表記するが、英語の並列表記は見られないので、ほとんどちんぷんかんぷん。英語を理解する人は、極めて少ないそうなので、通訳などのガイドが必要。

 この写真が、今回の旅行の白眉かも。↓ レギスタン広場(サマルカンド)の夕