澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ある著者直筆入り本

2010年06月26日 20時55分00秒 | 

 多分、私以外の人にはどうでもいいことだけれど、「日記」だから書いてしまおう…。
 アマゾンのマーケットプレイスで注文していた本が届いた。衛藤瀋吉※「近代中国政治史研究」(東大出版会 1968年)だ。本の価格は1,100円、送料を含めても1,500円未満だが、学生時代の私にはこの本が高価(1,200円)で買えなかった。こうしてネット上で気楽に購入できるようになったのは嬉しい。
 ※ http://<WBR>ja.wiki<WBR>pedia.o<WBR>rg/wiki<WBR>/%E8%A1<WBR>%9E%E8%<WBR>97%A4%E<WBR>7%80%8B<WBR>%E5%90%<WBR>89



 ところで、この本には著者・衛藤瀋吉の自筆が書かれていた。「嘉治元郎様 著者」(上記写真)である。
 この嘉治元郎という人だが、有名な経済学者で、存命中の方であるようだ。西部邁の恩師でもあるらしい。
http://<WBR>ja.wiki<WBR>pedia.o<WBR>rg/wiki<WBR>/%E5%98<WBR>%89%E6%<WBR>B2%BB%E<WBR>5%85%83<WBR>%E9%83%<WBR>8E

 この本が刊行された当時、衛藤瀋吉と嘉治元郎両氏は、東大教養学部の同僚だった。衛藤瀋吉は政治史・国際関係論、嘉治元郎は経済学の教授だった。
 
 私がこの本を買ったのは、いまさらながら科目聴講生としてこの分野を学んでいるためだ。
 大昔、衛藤瀋吉氏の授業を聴いたこともあるので、著者のイメージははっきりと覚えている。そのため、遺された直筆を見ると、不思議な巡り合わせという感じがする。最近、ネット情報で知ったことだが、衛藤瀋吉氏は、東大紛争時、東大入試中止を首相に進言した一人だという。だとすると、思い出すだけでも、腹立たしい話だが…・。

 それにしても、嘉治元郎氏は、この本を古本屋に売ってしまって、よかったのだろうか。同僚から贈呈された著作を処分してしまったのだから、二人の関係はそれほど親密ではなかったと想像してしまう。
 まあ、私が買ったので、よかったのかな。


マントヴァーニのDVDを見る

2010年06月24日 09時06分55秒 | 音楽・映画

 イージーリスニング音楽の第一人者、マントヴァーニのDVDがリリースされた。マントヴァーニ本人は、1980年に死去しているが、その音楽はずっと世界中で聴き継がれている。

 英国ユニバーサル・ミュージックからリリースされたばかりの「Legacy of Love」を見る。

 ("Legacy of Love" by Mantovani & his Orchestra)

 このDVDの特徴は、マントヴァーニの楽団演奏を記録したものではなく、マントヴァーニの演奏(既出のデッカ・オリジナル音源)をバックに、イギリス各地の美しい風景を収録したもの。説明には「KARAOKE」という言葉も使われているが、もちろんカラオケで歌うためのDVDではない。むしろ、一時流行った「環境音楽」というジャンルに属するだろう。
 曲目は、次のとおり。

1 アマポーラ
2 Be mine tonight
3 シャルメーヌ
4 枯葉
5 Fly me to the m,oon
6 ラ・メール(Beyond the sea)
7 バラ色の人生
8 虹の彼方に
9 キサス、キサス、キサス
10 Stranger in paradise
11 テンダリー(Tenderly)
12 Together
13 アンチェインド・メロディ
14 この素晴らしき世界

 映像は特に際だつこともなく、それぞれの曲目によくとけ込んでいて、優雅に聴き流すことができる。
 マントヴァーニは、イタリア系英国人だったが、このところ、英国で彼の音楽が再評価されている。

 次の映像は、昨年、英国プール市で行われた「マントヴァーニ・コンサート」のライブ映像。「The independent Mantovani Orchestra」による演奏である。
 
 映像と共に聴くマントヴァーニもなかなかのものだ。

(HD) Moonlight Serenade - The Independent Mantovani Orchestra UK

 (HD) When You Wish Upon A Star - The Independent Mantovani Orchestra UK

(HD) Percussion on Parade - The Independent Mantovani Orchestra UK


FIFAワールド・カップ・サッカーとダラー・ブランドの世界

2010年06月19日 21時15分15秒 | 音楽・映画

 NHKアナウンサーが「NHKのサッカー中継はコマーシャルがありませんよ!」と放送中叫んだとかで、民放各局が抗議したという。仲間内の抗議にあのNHKも謝罪したようだ。

 マスメディアのバカ騒ぎはいつものことだが、これに辟易としている私は、サッカーは見ない。「暑い天候が日本人に有利」「オランダは手を抜いてくるかも知れない」等々、根拠のない妄言が関係者から飛び出すのを聴くと、私は日米戦争の開戦前夜を想起してしまう。あのとき、冷静な分析をした人は、その後冷遇され続けてきたのだろうなと…。サッカー関係者の中には、冷静に戦力分析をしている人もいるのだろうが、本心をさらけ出したら、次のお座敷に声はかからない…。そこまで考えるのは、ひねくれものだけなのだろうか…。

 いや、サッカーの話などどうでもよかった。このところ、トンデモ番組ばかり制作しているNHKが、久しぶりにまともなドキュメンタリー番組を放送するようだ。その番組は「南アフリカ 絶景を弾く ~アフロ・ジャズの神・アブドゥーラ~」※(6月26日 NHK BS2 午後8時~9時半)
   http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2010-06-26&ch=12&eid=30740

 このアブドゥラ・イブラヒム(Abdullah Ibrahim)という人、その昔、ダラー・ブランド(Dollar Brand)という名前でピアノ(ジャズ)を弾いていた人物だ。代表作は「アフリカン・ピアノ」。もう、38年も前になるだろうか、彼が来日したとき、浜松町・郵便貯金ホールでコンサートを聴いた。全感情を叩きつけるかのようなピアノ・ソロに会場は沸いた。アンコールの横笛のソロも印象に残る。

 正規の音楽教育(西洋クラシック音楽の)を受けた親族にこのアルバムを聴かせたことがあるが、「あまり聞き込むと、自分の演奏に悪影響が出る」と言われたのを今でも覚えている。彼の演奏には、それだけの何かがあったのだろう。
 アフリカの大地を謳い、アパルトヘイトに反対したダラー・ブランドは、その後長い間、亡命生活を強いられた。西洋=植民地支配と対峙せざるをえなかった彼の生き方は、必然的にイスラム教に辿り着き、その名前もムスリム風に改名する。 

 「アジアの”一等国”」などというトンデモ番組を制作したNHKだが、このダラー・ブランドのドキュメンタリーには大いに期待できる。その根拠は?といえば、外国から買い取った番組だろうから。とくに、歴史感覚の優れたBBC制作だったら、素晴らしいでしょうね。情けない話ですが…。

Abdullah Ibrahim - Mannenberg


高杉晋作「遊清五録」に見る幕末の国際認識

2010年06月19日 19時03分54秒 | 歴史

 菅直人首相が就任演説で言及した「奇兵隊」。その発案者は、幕末の志士・高杉晋作だ。彼は、江戸幕府の命で、列強に蹂躙された上海を視察し「遊清五録」として報告を遺した。

1 「西力東漸」に対する日本の危機意識
 中国史における「近代」とは、アヘン戦争から始まる。この軍事的敗北によって、伝統的東アジアの国際秩序(華夷秩序)は崩壊し、中国は「西洋の衝撃」に正面から対峙せざるを得なくなった。今や「西力東漸」は、「極東」の日本を最後の標的として、全世界を覆い尽くそうとしている。鎖国体制を採る江戸幕府は、度重なる外国船の来航や「オランダ風説書」等からの情報を通じて、この緊迫する東アジアの情勢を把握していた。
 武士政権の成立以来、日本は「華夷秩序」の呪縛からは解放されていたが、中国文化に対する尊敬・憧憬の念は広く浸透していた。「聖賢の国」であるはずの中国が西欧列強に蹂躙されるのを見て、「次は日本である」という危機感が高まった。

2 「遊清五録」に見る高杉晋作の国際認識
 1862年、高杉晋作が「支那行きの命を受」け、千歳丸に乗ったのは、アヘン戦争・アロー号戦争で敗北し、西欧列強に開港を余儀なくされた上海の状況を見るためだった。
上海港では「欧羅巴諸邦の商戦、軍艦数千艘碇泊」するのを見、太平天国の長髪族と支那人が戦う銃声を聞く。上陸すると、取り囲む支那人の臭気に驚く。さらに高杉の同行者は、上海の「濁水」を飲んで死亡する。ちなみに、シュリーマンの「日本旅行記」には、中国と比較して、日本の街の清潔さを絶賛するくだりがある。 
 高杉は「上海の形成を観るに、支那人は尽く外国人の便役と為れり…上海の地は、英仏の属地と謂ふも、又可なり」(5月21日)と記す。キリスト教の布教は、教会と病院が一体となって入り込むことを看破。また「支那の兵術は西洋の銃隊の強靱」さに及ばないと見抜き、その後英国のアームストロング砲を参観している。西洋の軍事技術を学ぶ必要を痛感したのだ。 
 「速やかに攘夷の策を為さねば、支那の二の舞になる」これが高杉の得た結論だった。そうならないためには、軍艦を配備して海防を強化し、正確な海外情報を得るべしとした。「長崎 留雑録」においても、英国が島国であるが故に強大な海軍力を持ち、世界の強国になったこと、南北戦争の渦中の米国では日本のような身分制度がないことなどを的確に記している。南北戦争からは「外乱より内乱の方が恐るべき」との教訓を引き出している。
 「阿片戦争」(陳舜臣著)は、林則徐の苦闘を描き出すと共に、科挙制度で成り立つ伝統的王朝体制が、西欧の近代システムに対し如何に無力であったかを示唆している。これに対し高杉晋作は、武士特有のプラグマチズムで目前の事象を理解し、素早く対応策を考えることができた。そうした精神こそ、明治維新という”奇跡”を成し遂げた原動力である。


「知られざる台湾 台湾独立運動家の叫び」(林景明著)を読む

2010年06月12日 20時27分30秒 | 

 「知られざる台湾 台湾独立運動家の叫び」(林景明著 三省堂新書 1970年 現在絶版)を読む。

 
(「知られざる台湾 台湾独立運動家の叫び」林景明著 三省堂新書 1970年)

 著者・林景明氏は、1929年生まれの台湾人、健在ならば81歳になる台湾の日本語世代だ。ネット上で調べてみても、林氏の最近の消息は見あたらない。台湾独立運動の闘士で、蒋介石の中国国民党独裁時代には、「白色テロ」※の対象とされた人だ。

※  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 1980年代末、李登輝総統が登場して、台湾が民主化されるまでは、台湾には言論の自由がなかった。日本のTV局が、台湾の国会で議員が乱闘しているのを面白おかしく報道しているが、台湾人が自由選挙で自らの代表者を選び、国政を議論するようになったのは、このわずか20年あまりだと考えるとき、受け狙いの映像ばかりを追いかける日本のマスメディアのバカさ加減に暗澹たる思いになる。

 その昔、私自身、この林景明氏の著作を知ってはいたが、読もうとはしなかった。それにはふたつ理由があった。まず、当時、私たちの観念には、二つの中国が存在した。「中華人民共和国」と「中華民国」だ。前者は「社会主義中国」「新中国」であり「毛沢東の中国」で「歴史の進歩」を具現化したかのような存在だった。後者は、「蒋介石の中国」であり「反動の旧中国」でもあった。いまから考えれば、何と単純な二元論。海外旅行も稀で、TVの衛星中継さえなかった時代だから、限られた情報の中で、それぞれの世界観を勝手に構築していた。構築と言うよりも、ある意味では「妄想」と呼ぶべきだったかも知れない。
 もうひとつは、関寛治という人(故人。当時、東京大学教授・国際政治学)から「台湾独立運動は米国CIAの陰謀である」という話を聞いたことがあり、それを半ば信じてしまったことだ。
 この関寛治は「進歩的文化人」のひとりで、中国・北朝鮮を支持してきたが、晩年、「主体思想」の考案者である黄書記が韓国に亡命したとき、ラジオのインタビューで嬉々として「黄書記と私は非常に親しく、私の娘が司法試験に受かったとき、黄氏からお祝いしてもらった仲だ」と語り、そのピントはずれの発言に驚愕した。こんな人の妄言を鵜呑みにしたのかと思うと、腹立たしい思いがした。

 こうした経緯があったので、私は、台湾と台湾人について、真剣に考えることは長らくなかった。そのきっかけとなったのは台湾映画「海角七号」との出会いと、それを見てから台湾に数週間滞在して、自分の目でこれまでの疑問を確かめた。なかでも「二二八紀念館」で蕭錦文(しょう きんぶん)さんとお会いしたのが、私が台湾に開眼する大きなきっかけとなった。
 関寛治の例で分かるように、私の世代は、政治的なイデオロギーでものごとを判断する世代だった。今から思えば、噴飯ものの「日中友好運動」「プロレタリア文革賛美論」がまかり通っていた時代でもあった。そういう時代環境では、「中華民国」に住む台湾人の苦悩に思い至ることはなかったのだ。

 林景明氏は次のように記す。
 「…”異国の丘”にこめられた日本人の、同胞愛にあふれる熱き涙が、なぜに同じく同胞と呼んでいた台湾人の上にはそそがれないのか、それどころか逆に台湾人の涙をしぼるような冷酷なことをなぜするのだろうか、と考えずにいられず、しかもソ連の日本人拘留は交戦国の捕虜と解されるが、日本政府の台湾人収容はいったいどう解釈すればいいのか。シベリヤ収容所の人たちには、どれほど苦しかろうと、帰るべき祖国がある。しかし私には国がない。あるのは外国の軍隊に占領された、しかも再びは帰れない土地があるだけだ。そして少年の私が一途に信じこんでいた祖国日本は、今現に私を監禁しているのだ。」(同書 p.183)

 蒋介石に占拠された台湾を、著者は「島獄」と呼んだ。さまざまな妨害工作を乗り越えて、日本に留学したものの、台湾独立運動を企てているとの容疑で国民党特務に追われる。「祖国日本は、…私を監禁」というのは、大村収容所に入れられた事実を指す。
 1970年代、著者を支援した日本人は、当時、「右翼」「保守派」と目された人達だった。著者が留学した拓殖大学の国際法の教授は、著者の救援に大きな役割を果たす。「岩波文化人」でも「進歩的文化人」でもない人が、台湾人の人権を守る活動に奔走していたという事実は、もっと語られるべきだろう。私たちの世界を見る眼を曇らせてきたのは、台湾人の思いを黙殺してきたのと同じ「進歩的文化人」だったのだから…。

 それにしても、著者である林景明氏は、その後どうなったのか。李登輝時代まで生き抜き、祖国・台湾に暖かく迎えられたのならば、私は何も言うことはない。私には、林氏と蕭錦文さんがどうしてもダブって見えてくる。

台湾独立建国聯盟日本本部50周年記念会2 柳文郷青年強制送還のNHK番組


 

 


蓮舫よ、台湾を裏切ることなかれ

2010年06月08日 21時36分08秒 | 台湾

 時の人・蓮舫行政改革担当大臣には、与謝野馨氏から「人間性を疑う」という厳しい批判が飛び出している。

 彼女の父親は台湾人なので、台湾のマスメディアは、彼女の大臣就任に大いに関心を寄せているようだ。陳水扁総統(当時)と会見したとき、彼女は「台湾は独立すべきだ」と語ったとされる。台湾人のアイデンティティに言及したこの発言は、多くの台湾人に支持されたと思うのだが、与謝野氏の証言によれば、彼女は「自らの権力欲を満たすためには、人間としてしてはならないことまでする」人間だという。
 保守の良識派である与謝野馨氏がそこまで言うのはよほどのことなのだが、蓮舫議員は何ひとつ応えていないようだ。与謝野氏によれば、蓮舫は「その場限りのうそを言う」人でもあるそうで、陳水扁と会ったとき、本気で台湾独立に言及したのかどうかは分からない。

 彼女が果たしてまともな政治家なのか、そうでないのかは、「外国人参政権」「東アジア共同体」についての見解を聞けば分かるだろう。これまで伝えられるところでは、蓮舫は外国人参政権付与に反対しているそうだ。大方の台湾人は、「外国人参政権」「東アジア共同体」には反対している。それはそうだろう、これらの議論は、「中国はひとつ」「台湾は中国の一部」という前提で成り立っているのだから。そこには台湾人のアイデンティティは全く無視されていて、中国に対する「媚び」があるだけだ。

  与謝野氏から「オポチュニスト」と指弾されている蓮舫だが、自らの血が半分流れる台湾・台湾人の将来については、前言を翻すことなく、初志を貫徹すべきだ。父の国・台湾を中国に売ってはならないのだ
 

蓮舫氏入閣に台湾メディアも関心 出版社には思わぬ“特需”

6月8日18時35分配信 産経新聞

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事業仕分け第二弾後半最終日、質問する蓮舫議員=5月25日午前、東京都品川区五反田・TOCビル(渡守麻衣撮影)(写真:産経新聞)
 菅内閣では最年少となる蓮舫行政刷新相の誕生で、蓮舫氏の父親の出身地である台湾のメディアや、出版業界にも歓迎ムードが広がっている。

 
[フォト]入閣が決まり、晴れやかな笑顔で記者の質問に答える蓮舫氏

 バナナの貿易商だった台湾出身の父を持つ蓮舫氏。朝から自宅前には台湾紙「中国時報」の記者ら台湾メディアの関係者が集まった。中国語で蓮舫氏に呼びかけを行うなど、関心の高さをうかがわせた。

 中国時報(電子版)は蓮舫氏が行政刷新相に内定した6日、「家族ぐるみで喜んでいる」という趣旨の記事を掲載。兄のコメントとして「昔は(蓮舫氏と)一緒に自転車に乗って吉野家に牛丼を食べにいったが、いまでは断られて悲しい」というエピソードを紹介した。

 また、PHP研究所は8日午前、18日発売の蓮舫氏の著書『一番じゃなきゃダメですか?』のうち、50ページ分を“立ち読み用”としてインターネットで無償公開。ミニブログ「ツイッター」でPRしたところ、入閣効果も相まって、予想以上の反響に。

 著書は、事業仕分けの裏話や、蓮舫氏の生い立ちを描いた作品で、出版を企画した同社の大村まりさん(24)は「事業仕分けで初めて政治に興味を持って、出版を持ちかけたが、まさか入閣するなんて」と思わぬ“特需”に喜びを隠せない様子。

 『一番じゃなきゃ…』という刺激的なタイトルについては「賛否もありましたが、蓮舫さんのことがよく表れている言葉だと思う」とし、「嫌がられるかと思ったが、『自分の発した言葉だからいいですよ』と蓮舫さんからも快諾いただきました」と内幕を明かした。

『海角七号/君想う、国境の南』ファン・イーチェン、中孝介、蓮舫
 


与謝野馨が指摘した蓮舫議員の"人間性"

2010年06月08日 08時22分44秒 | 政治

 昨晩、BSフジで放送された「プライム・ニュース」には、安倍晋三元・総理と与謝野馨・「たちあがれ日本」共同代表が出演した。
 菅政権について、安倍氏は「極左政権」であると断言した。正統保守を自認する立場からは、そう見えるのだろう。だが、安倍氏自身は”太子党”(世襲議員)の代表と目されるわけで、そうそう偉そうなことが言える立場でもない。

 一方、与謝野氏は、菅内閣の布陣について「一人は除いては、概ねいいと思う」と語った。その一人とは蓮舫議員を指す。
 
蓮舫は人間的に信用できない」(与謝野氏)

 与謝野氏は「蓮舫は人間的に信用できない」と語ったが、その理由については口を閉ざした。司会者に促されて、ようやく重い口を開いたのだが、その内容は驚くべきものだった。

 蓮舫議員は、自民党政権時代、猪口邦子・少子化問題担当大臣に対して「障害者も持たないあなたに、障害者の気持ちが分かりますか?!」と激しく噛みついたそうだ。与謝野氏はこのことを「人間的にも信用できない」「自分のためには人を人とも思わない」「人間らしさが全くない」「その場限りのウソを言う」と評したのだ。
 生放送※を見ていない人には、その緊迫感が伝わらないかも知れない。だが、このときの与謝野氏の表情は、これまでに見られないものだった。
  ※ http://www.dailymotion.com/video/xdlui3_yyyyyyy_news#from=embed?start=1


 猪口邦子氏の親族には障害者がいる。そのことを知りながら、わざわざ蓮舫議員は上記の国会質問をしたのだ…と与謝野氏は明かしたのだ。
 驚くべきこの発言だが、与謝野氏の来歴を考えれば、ウソをつくとはとても思えない。だとすれば、蓮舫という人の隠された一面を見たと思うのは私だけではないだろう。

 蓮舫議員と言えば、以前、陳水扁・台湾総統(当時)に会ったとき、「台湾は独立した方がいい」と語ったとして話題になった。台湾人の父を持つ彼女のこの言葉に対しては、多くの人がシンパシーを覚えたに違いない。だが、その後、彼女は台湾ではなく北京に「留学」して、さらにキャリア・アップを図った。
 台湾独立に言及したのも、「その場限りのウソ」ではなければいいのだが…。

  

  

 

 

 


ウーアルカイシ氏が逮捕

2010年06月05日 00時04分34秒 | 中国

 6月4日は、「第2次天安門事件」※の記念日。1989年6月4日の北京・天安門広場は、おびただしい血で染められた。

※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 この運動を率いていたウィグル族のウーアルカイシ青年は、その後米国に行き、さらに台湾に亡命したと伝えられた。ところが、21回目の記念日の今日、東京の中国大使館に入ろうとして、警備の警察官に取り押さえられ、逮捕された。
 TV映像を見る限り、逮捕されたウーアルカイシ氏には昔日の面影はない。21年の歳月を感じさせた。

 4月に中国の西北部にある西安、蘭州、敦煌を旅行したとき感じたのは、中国政府の「西部大開発」のすさまじさだった。荒涼とした砂漠の中に延々と続く最新型の風力発電風車、新彊ウィグルまで続く高速道路など、少し前の中国では、沿海部にしか見られない光景だった。
 21年の歳月は重い。ウーアルカイシ氏がその光景を見たら、どう思うだろうか。

 経済発展によって、農村や少数民族地区の住民にもある程度の恩恵がもたらされるに違いない。ウィグル族、チベット族などの少数民族は、それに甘んじてしまうのだろうか。それとも、漢民族の考える「大一統」という中華帝国の誕生に異議を唱えるのだろうか。 

 

大使館侵入容疑で逮捕、ウーアルカイシ氏か 06/04 19:22

 建造物侵入の疑いで現行犯逮捕されたのは、ウーアルカイシ氏とみられる自称、42歳の投資家の男です。

 警視庁によりますと男は4日午後2時半頃、東京・港区の中国大使館前で抗議活動を行っている際、警備にあたっていた、警察官の制止を振り切って柵を乗り越え、敷地内に侵入した疑いが持たれています。

 ウーアルカイシ氏は1989年の天安門事件で民主化運動を率いた、学生リーダーの1人で、運動が鎮圧される直前にフランスへ亡命し、中国当局から指名手配をされています。

 警視庁は、男がウーアルカイシ氏かどうか、身元の確認を急いでいます。(04日18:14)


菅直人の現実主義に期待できるのか

2010年06月04日 20時45分59秒 | 政治
 民主党代表選挙のTV中継を見ていたら、菅直人が代表に決まって20分も経たないうちに、「菅夫人の内助の功」「菅夫人は”和製ヒラリー”」などという愚かな番組が始まった。
 まだ、8ヶ月しか経っていないので、鳩山政権発足時に「鳩山首相と幸夫人の”なれそめ”」「ファースト・レディ幸夫人はこんな人!」といったTV番組があふれていたことを忘れはしない。民主党政権誕生にあたっては、マスメディアが深く関わったという印象が今では強い。
 
 いくら暇な主婦向けのワイドショウとはいえ、TV局は何故、バカのひとつ覚えのように、愚かな番組を繰り返すのか。視聴者をこれほどバカにした話があるだろうかと腹立たしい。
 安倍、麻生、鳩山という短期政権の顛末から連想すると、これから6ヶ月以内には菅直人の女性問題か政治資金問題が暴かれて、またまた政権は立ち往生する。今日、菅自身が政治資金について「私も100%完全というわけではない。99%かも知れないが最善を尽くす」という趣旨の微妙な発言をしている。
 もしかすると、現時点で、マスメディアは管のあら探しを完了しているのかも知れない。
 
 このようなマスメディアの「マッチ・ポンプ」的報道は、国民を愚弄すると同時に、本来あるべき国益を著しく損なっているに違いない。
 一党独裁の中国政治が、ある意味では暗愚な大衆を排除した「賢人政治」であることを考えると、到底、日本の政治は彼の国に太刀打ちできないと思えてくる。

 菅直人は今日の演説で、学生時代、永井陽之助氏(政治学者 当時・東工大教授)に私淑していたことを明かした。永井氏といえば、現実主義政治学者の巨頭で、進歩派文化人が跋扈する当時では異色の存在だった。学園紛争の渦中で、その当事者であった菅直人が、永井陽之助の名著「平和の代償」を読み、母校の教授であった永井氏と親しく話をしていたという事実に興味を覚えた。菅は市民運動あがりの政治家だが、単なるアジテーターではないことが、これで分かる。
 菅直人は、このように意外な面もある人物だ。そこに少しは期待できるのかも知れない。

中国の政治宣伝に加担したNHK 「クローズアップ現代」

2010年06月04日 02時25分40秒 | マスメディア

 先日のNHK「クローズアップ現代」では、来日した温家宝首相へのインタビューが放送された。インタビューしたのは、国谷裕子キャスター。
 このところ、露骨なほどに媚中報道を続けるNHKだが、今回の放送は、中国政府首脳へ独占インタビューである点が特徴。
 私がざっと見たところでは、見る気にもならない、つまらない番組という印象だった。だが、下記の報道を読むと、「つまらない」では済まされないことがよく分かった。

 

温家宝が国谷裕子キャスターを指名―政治利用されたNHK「クローズアップ現代」 (「台湾の声」より転載)


■中国と日本メディアの間に主従関係  

中国の思想・報道統制の最高責任者である李長春政治局常務委員が昨年三月来日した際、日本の主要メディア十四社のトップらを招いて懇談会を開き、「両国の圧倒的多数の民衆は今なお、主にメディアを通じて相手国や両国関係のことを理解している」と強調している。

そしてその上で「両国関係の発展の方向、主流を正しく把握し、各分野における互恵協力を積極的に促し、協力の強化にプラスとなるニュースを多く報道し、戦略的互恵関係の推進にプラスとなる情報を多く提供すること」との「重要意見」(中国側の表現)を述べたのだった。

いかにもあの国ならではの発想である。この独裁国家のメディア統制者は「戦略的互恵関係」を発展させるため、「中国を悪く報道するな」と、民主主義国家の日本のメディア各社に要求したのだ。

戦略的互恵関係とは、両国の友好、協力などを追及するものだが、これが日本の首相による靖国神社への参拝が停止されて初めて合意に達したとの経緯を忘れてはならない。

また中国が友好、協力を謳いながら、その一方で東支那海、さらには西太平洋において、軍事恫喝を含む日本への反友好、非協力的な覇権主義姿勢を強化していることも忘れてはならない。

つまり日本側が中国の影響下において、中国に反撥することなく、ただただ友好、協力に励むべしと言うのが、あの国の訴える戦略的互恵関係なのである。

李長春氏が居並ぶメディアのトップたち前で平然と報道統制を呼びかけたのは、何とも象徴的ではないか。いつの間にこうした主従関係が形成されたのか。

■温家宝首相に気に入られたNHKキャスター

さて今年二月、日中両国の有識者で作る新日中友好21世紀委員会の初会合が北京で開催された。外務省HPによると、そこでは両国の国民感情に関して話し合われ、次のような意見が出された。

「両国国民にとって、日中関係に関する情報源はメディア。国民感情が論より情で動くのは危険」

李長春氏と同じことを言っている。これがいずれの国の委員から出たものかはわからないが、少なくとも中国政府の意向を受けてのものだろう。

日本側委員の中にはメディア関係者がいた。NHKの国谷裕子キャスターだ。

報道番組「クローズアップ現代」でレギュラーを務める国谷氏だが、この報道操作に関する提案をどう受け止めたかはわからない。ただ同氏は中国の温家宝首相から気に入られた模様だ。「訪日の際には国谷氏のインタビューを受ける」と言われている。

そしてその温家宝氏が五月二十八日から近隣国への歴訪を行い、日本へも三十日から六月一日まで滞在することとなったのである。

■温家宝氏側がごり押しーNHKにかかった期待

温家宝氏の訪日に先立ち、日本駐在の中国大使館は、国谷氏が温家宝氏にインタビューをするようNHKにごり押ししている。もちろん同氏を指名したのは温家宝氏だ。

これはたっての要請だったと思われる。温家宝氏が各国へ旅立つ五月二十八日、同行する中央人民放送の記者がラジオで今回の歴訪の意義を語っているが、その中でこう話してもいるからだ。

「温総理の今回のアジアへの旅の大きな特徴は、集中的に行われる外交活動の合間に、各国一般の民衆と様々な形で親密に交流することだ。訪日期間中はNHKテレビの国谷裕子キャスターのインタビューを受ける予定だ。私が現場で膨張できるかはわからないが、いずれにせよ期待充満だ」

この記者の談話は「日本のテレビキャスターのインタビューを受ける予定」との見出しで様々なニュースサイトに転載されており、このことからも国谷氏との会見に、中国政府が「期待充満」であったことがわかる。

もちろん「期待」するのは、日本の「一般の民衆との親密な交流」、つまり日本の視聴者に中国の好印象を与える政治宣伝を行うことである。もちろんすべては、かの「戦略的互恵関係」発展のためだ。

■政治宣伝垂れ流しーこれでは中国の御用メディアだ

インタビューは温家宝氏が日本を離れる六月一日午前、宿泊先のホテルニューオータニで行われた。今回の滞在中、唯一の記者会見である。

そしてその模様は同日夜の「クローズアップ現代」が放送したのだが、この時点でNHKは、指導者の発言を人民に向けて無批判に垂れ流す、中国の御用メディア(所謂「中共の喉舌」)さながらとなってしまった。

番組のテーマは「中国 温家宝首相が語る」。世界第二位の経済大国となろうとする中国だが、国内では貧富の格差などの課題に直面し、また国際社会からは大国としての責任ある役割が求められている。果たして温家宝首相はこの大国を「どう動かそうとしているのか」を聞く内容である。国谷氏のいくつもの質問に対し、温家宝氏は中国政府の立場を語り続けた。

たとえば「韓国の哨戒艦沈没事件で中国は慎重な姿勢を採っているが」との問いには、「中国は正義を重んじる責任ある国。打算はない。日本との協力を強化したい」などと、微笑んで聞く国谷氏に説明した。そして韓国による国連安保理への提起に関しても、「安保理で中国がどう行動するかを見守ってほしい」と語った。

また経済発展の中での格差などの矛盾問題に関しては解決への意欲を示しつつ、「政治改革、民主化はどう進めるのか」との質問には、「政治改革の成功がなければ経済発展も成功しない」とし、「社会主義体制の下での民主政治の確立」「社会の公正、正義の実現」「人々の自由の拡大、全面的発展」を課題にしていると答えた。

番組の中で国谷氏は質問を発するのみで、温家宝氏への回答への批判めいた発言は一切しなかった。人民の自由の剥奪、チベット人など異民族への迫害にも言及することは避けている。しかしこれでは視聴者にあの国の社会の実態、実相などを正確には伝えられないのである。

NHKが「中共の喉舌」に堕したと言うのはこう言うことなのだ。明らかに温家宝氏の要請に従って製作した中国のイメージアップ番組でしかなかったのである。

■国谷氏は中国の脅威に関する質問をなぜためらう

肝心の日中関係に関しても、温家宝氏は多くを語っている。

「両国間には戦略的互恵関係が確立されている」として、日中関係が良好に発展していることを強調し、今回の訪日を「自信の旅」「希望の旅」と位置付けた。

そして「両国には切っても切れない経済関係がある。今後は文化と人的な交流を深めることが友好の基礎だ」とアピールした。

しかしそれだけでは中国に警戒心を抱く広範な視聴者たちは納得しないだろう。そこで国谷氏は、あたかも国民の疑問を代表するかのような質問を切り出した。

「中国の軍事費の増強、海軍力の強化が見られるが、日本では懸念の声が強まっている」と。

ただし、言いにくそうな表情でだ。「中国の脅威」に関してなど、中国政府が聞きたがらない話だからか。それとも自分自身は「まったく懸念していない」と言いたかったのか。しかしこれだけは触れないと、NHKは媚中偏向との謗りを受けてしまう。「そのー」とためらいがちに聞いていたのが印象に残る。

これに対して温家宝氏は心中で「待ってました」とつぶやいたかも知れない。なぜなら日本人から「中国の脅威」への警戒心を払拭しないかぎり、その友好と協力は十分に望めない。

そこで滔々と語り始めた。

■なぜ温家宝氏のイカサマ宣伝に疑問を呈さない

もちろん中国政府お決まりのイカサマ宣伝をである。

「中国の軍事力の発展には透明性がある」

「中国は近代史において多くの列強に侵略された。私達は平和と独立が容易ではないことをよくわかっている。中国は他の国の領土を占領したことはない」(こうした歴史捏造の発言に何と国谷氏はしきりに頷く)

「そして私たちが軍事力を発展させる唯一の目的は自衛のためだ」

「中国はこれからも平和的発展を堅持して行く。いかなる国に対しても、永遠に脅威になることはない」

「中国が他国を支配し、覇権を取ることは永遠にないのだ」

しかし中国の軍事力は明らかに不透明なままではないか。チベットを占領したではないか。台湾を支配しようとしているではないか。そして東支那海、南支那海で覇権を握ろうとしているではないか。そもそもいったいどの国の攻撃から自衛すると言うのか。実際に日本を含む近隣諸国は軍事的脅威を感じているではないか。

だが国谷氏は、こうした疑問は全く口にしなかった。

そしてその結果、多くの視聴者はこれら一連のプロパガンダを刷り込まれてしまったはず。NHKはなぜこのようなことを仕出かしたのか。

■番組はNHKが中国の統制下にある証拠となった

番組によれば、日中世論調査の結果、相手国にマイナスイメージを抱いているのは、日本が七三%で中国が六五%。そこで国谷氏は「若い世代の感情の隔たりをいかに改善するか」と聞いたところ、温家宝氏はあくまでも日本人の警戒心、不信感を取り除きたいようだ。

「歴史と現実の問題をいかに正確に認識するかが大切」とした上で、「歴史を鏡として未来に目を向けようと強調するのは、決して恨みがあるからではない」と断言した。

そして平和憲法の下で平和的発展を行い、経済発展もした戦後日本と、改革開放以降に平和的、調和的な発展を目標とする中国とは、「お互い理解し、協力し、信頼し合うことが大切だ」と述べるのだった。

軍事恫喝の一方で宥和姿勢に出るのが中国外交の欺瞞的な常套手段である。NHKは温家宝氏に、中国は平和愛好国家であるとの、日本国民に対する危険な虚構宣伝の場を提供してしまったのだ。

今回の訪日で温家宝氏は、東支那海ガス田の共同開発に向けての条約締結交渉の早期開始を首脳会談で提案した。そこでここでも「これは東支那海での協力は一歩前進した」と自画自賛し、「平和、協力、友好の海にできると確信している」と言ってのけた。

しかしその一方で会談では、同海域における中国海軍の威嚇行為などの再発防止を約束しなかった。これで「平和、協力、友好の海」が現出すると言い切れるのだろうか。

これについては温家宝氏も、国谷氏も黙して語らず。これによって視聴者からはどれほど正確な情勢判断能力を奪われたことだろう。

今回の日本訪問の上で大きなウエイトを占めていた国谷氏との会見は、中国では成功と位置付けられているらしい。すでに番組での発言の全文は、中国のニュースサイトに出回っている。

李長春氏の「協力の強化にプラスとなるニュースを多く報道し、戦略的互恵関係の推進にプラスとなる情報を多く提供すること」との「重要意見」に忠実に従ってしまったNHK。

この番組は、中国政府の報道、情報統制が日本の公共放送にまで及んでいる動かざる証拠となった。


映画『トロッコ』を見る

2010年06月02日 17時08分47秒 | 音楽・映画

 映画「トロッコ」を見に行く。
 週日の午後なので、上映館はまるで高齢者の集会か。といっても、あまり人のことは言えないのだが…。

 (子供たちは父の故郷・花蓮を訪れる)

 芥川龍之介の「トロッコ」を映画化した作品だが、川口浩文監督がトロッコのある撮影地を探した結果、最もイメージに合う場所が台湾の花蓮だったため、物語の舞台も台湾に移してしまったという。
 花蓮は、台湾の太平洋側(東台湾)にあり、原住民が多く住む辺鄙な街だった。そこを開発(近代化)したのは日本統治時代の日本人で、花蓮では今なお日本人街などの史跡がきちんと保全されている。中華世界的な雰囲気が強い台湾海峡側(西台湾)より、日本人が親近感を覚えるのは、そのためでもある。私自身も2回訪れたが、海岸線まで迫る中央山脈の威容と親切な人たちが印象に残っている。

 映画の冒頭には、矢野夕美子という女性が携帯電話をかけて、8歳と6歳の息子がTVゲームに熱中する場面がある。日本で新聞記者をしていた台湾人の夫が亡くなり、これから3人でその遺骨を生まれ故郷の花蓮に届けようとするのだ。
 やがて、場面は亜熱帯の緑がまばゆい花連へ。誰もいない「南平」という駅を降りると、3人は車で祖父の住む村へ。そこには、年老いた白髭の老人が待っている。遺骨を見た老人は、台湾のしきたりどおり、先に逝ってしまった息子の”親不孝”を嘆き、杖で遺骨を叩く。

 (三人が降り立った台東線の「南平」駅。最近まで、日本統治時代の駅名である「林田」駅という名称が使われていた。)

 (二人はトロッコに乗せてもらうが…)

 やがて、分かってくるのは、祖父は、戦前、2年間日本兵として戦地に行ったが、日本政府の恩給は「外国人であるから」という理由で拒否される。祖父は、「金が欲しいのではない。…日本と向き合っていたいのだ」と慟哭する。このあたりは、ドキュメンタリー映画「台湾人生」(酒井充子監督)に登場する蕭錦文(しょう きんぶん)氏の境遇と重ね合わせているようだ。だが、「向き合う」などというふやけた言葉を日本語世代が使うはずもない。この一言は興ざめだった。
 子供たちがトロッコに乗って山奥に行くと、日本語世代の老人が日本語で挨拶する。「私の日本名は中村光夫です」と。これは、小野田寛郎さんのように、戦後何十年も経って発見された元日本兵(台湾原住民)と似た名前ではなかっただろうか。

 台湾事情に疎い観客のためだろうか、あるいは川口監督自身が若く台湾の歴史を知らなかったためか、台湾には日本統治時代があり、その当時の世代(日本語世代)は、今でも日本に愛着を持っているのだということが、日本語の台詞や家の中の富士山の写真などで何度も強調される。このことに異論を唱えたりはしないが、ちょっと待てよと思ったことがある。ひとつは、年代設定があまりに不自然だということ。携帯電話やTVゲームが出てくるのだから、映画の時代設定は現代だ。日本兵として2年従軍した老人は、どう考えても81~2歳以上の年齢だ。その長男が日本人女性と結婚して、8歳と6歳の息子がいる。嫁はどうみても40歳前後である。そうなると、長男は何歳だったのかなどと気になってしまった。
 それともうひとつ、老人の日本語があまりにたどたどしい。蕭錦文さんには、台北でお会いしたことがあるが、日本語はペラペラで、私に情熱的に日本の台湾統治について話し続けた。日本語世代は小学校(公学校)から日本語教育を受け、そもそも当時は日本人として教育されたのだから、概ね日本語がペラペラなのだ。このたどたどしい日本語を喋る俳優の存在自体が、もはや映画に出演できるような日本語世代はいなくなったことを示している。花蓮の老人の家は、日本統治時代の家だといい、古く貧しいたたずまいだ。家の中には、日本の地図があり、富士山の写真が飾ってある。だが、映画「台湾人生」でも花蓮の老人が紹介されているが、実際の生活はもう少し豊かであるに違いない。いくら国民党独裁時代が悲惨だったとはいえ、経済的にはかなりの発展があったはずだから。

 先日、酒井充子監督の講演会にでかけて、映画「台湾人生」の観客動員数は1万人であると伺った。台湾で映画史上最大のヒット作となった「海角七号」の観客動員数は、なんと260万人。もちろん、娯楽映画とドキュメンタリー映画の違いはあると言っても、彼我の差異は絶望的なほど大きい。台湾人は10人にひとりが「海角七号」を見たのだが、日本人は1万人にひとりが「台湾人生」を見たに過ぎない。
 それ故、「トロッコ」の監督は、かなりの台詞を日台関係の歴史叙述に費やさざるを得なかった。これが映画の趣を薄めてしまったように感じるのだが、どうなのだろうか。

 亜熱帯の急峻な山地の美しさ、川井郁子のバイオリン、いずれも少年の心が成長していく模様を描くこの映画の最上のオードブルとなった。

映画『トロッコ』予告編