澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

教育委員会は無責任~都立高校入試点数改ざん問題

2008年11月28日 12時37分43秒 | 社会

神奈川県に続いて東京で高校入試の改ざん問題が明るみに出た。2006年度の出来事がなぜ今頃と思うのは、教育委員会という組織を知らないからだろう。
「教育委員」という非常勤職員をトップにいただく「教育委員会」は、構造的に責任逃れの体質から成り立っている。教育委員会の実権はその事務局(教育庁)に握られているにもかかわらず、決して責任をとろうとはしないのだ。こんな組織を解体しない限り、今回と同じようなことはまだまだ続くことだろう。

都立高が入試の点数改ざん 受験生2人を不合格に

11月28日(金) 11時16分

共同通信

 東京都教育庁は28日、06年度の入試で都立日本橋高校(中央区、八戸伸二校長)が、男子受験生2人の調査書や自己PRの点数を改ざんし不合格にしていたと発表した。2人は05年度に暴力事件など生活指導上の問題で日本橋高校を退学したが、06年度に再受験。合否判定会議で2人が合格する見込みと分かったため、当時の校長が生活指導上の問題が再発することを心配し、点数の改ざんを指示した。


関係者の処分等には触れていないが、容易に想像はできる。この事件は、学校の保護者あるいは教職員組合関係者がマスコミにリークして、公になったに違いない。それを受けた都教育庁幹部は、例のごとく自らの責任を回避し、学校現場にすべての責任を押しつけることに躍起になっているところだろう。
校長の決断は、どうにもならない生徒が再入学してくるのを阻止することにあった。だが、入学試験上、何の裁量権も与えられていないため、「点数改ざん」という緊急避難措置をとったに違いない。

当時の校長というのが、結局割を食うことになるのだろうが、こんなことばかりしているから、さらに教育の質が低下するのだ。教育委員会は、現場の実情など全くお構いなしに、都合のいいときだけ、「監察」や「指導」を繰り返すだけなのだ。

こういう組織では、権力志向でコネがある人間がトクをする。問題がある現場には近づかず、”火中の栗”を拾わないで、上手く立ち回る輩がもっとも出世するのだ。

アメリカの真似を強要されて作られた「教育委員会」。その無責任な組織形態が、次々と新しい犠牲者をつくり出してゆく…・。

 


ウェルナー・ミューラーの音楽

2008年11月28日 11時53分38秒 | 音楽・映画
Mixiで「ウェルナー・ミューラー」のコミュニティを見つけた。参加者は20名にも満たない。多分、みんなお年寄りなのだろうと思った。

ウェルナー・ミューラーは、ライト・ミュージックのバンド・リーダー、1920年ドイツ・ベルリン生まれ、1998年にドイツのケルンで死去している。日本では、リカルド・サントス(Ricardo Santos)という別の名前で有名で、「真珠採りのタンゴ」は、彼の最大のヒット曲である。



アルバムでh、「ホリディ・イン…」シリーズが世界中でヒットした。日本でも「ホリディ・イン・ジャパン」は大ヒットして、いまもなおCDがリリースさrている。




1960年代になってポリドールからデッカに移籍してからは、本名のウェルナー・ミューラーで様々なジャンルのアルバムを録音した。
上記の写真は「黒い瞳」というアルバム。日本でも人気があったロシア民謡をロック・ビートを取り入れてアレンジしたものだった。





最近、Vocalion社(英国)から次々と彼のオリジナル・アルバムが復刻されるようになった。これはうれしいニュースで、私には初めて聴くアルバムが何枚かあった。
「イージーリスニング」「ムード音楽」というと、とかく消耗品のように扱われがちだ。ウェルナー・ミューラーの音楽は、アクの強い巧みな編曲と抜群の演奏技術で楽しませてくれる。お蔵入りするのはもったいない音楽だと思うのだ。

英国でCDリリースが企画されたとき、ライナーノーツの執筆者が見つからなかったと聞く。時がすぎるほどに、こういう音楽は、忘れ去られていくのだ…。残念なことだ。




Born 2 August 1920, Berlin, Germany
Died 28 December 1998, Cologne, Germany

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Who was/is Werner Müller? Well, he contributed numerous albums to London's Phase Four label, the longest-running of the Space Age Bachelor Pad series. But thanks to London's standard approach to liner notes, although we know exactly what channelization was used and what other Phase Four records were available, we are left knowing nothing of Werner Müller.

Fortunately, we don't have to depend on London for details. European light music fans came to know Müller from his many years as director of two of the leading popular radio orchestras in Germany. From 1948 to 1967, he led the Tanzorchester for the powerful station RIAS in Berlin. Bear Family collected a number of RIAS Tanzorchester recordings from the 1950s on Blende Auf. While with RIAS, he became associated with the singer Caterina Valente, whose cover of "Malaguena" was an international success. In an odd flip-flop, several collections of French, Italian, and other national tunes Müller recorded for Decca were released in Europe under the name of "Ricardo Santos," but in the U.S. under Müller's own name, as part of a series of "Musical Holiday" albums tied-in with the travel magazine, Holiday.

In 1967, Müller moved to Cologne to take over the Tanzorchester of radio station WDR, which had an even larger audience. Müller ensured his tenure with a versatile and perfectionist approach to his material, and as a result, his recorded material can be bold or boring, based on what the contract called for. On Hawaiian Swing, for example, he plays with right-left separation and tosses in an enjoyable assortment of percussion effects to liven up the usual selection of Hawaiian standards. On Percussion in the Sky, he uses wordless vocals, sound effects, whistling, and other touches to lend an other-worldly feeling to numbers like "The Theme from The High and the Might." In contrast, on albums like Werner Müller Plays Leroy Anderson or Great Strauss Waltzes, there's not much to write home about.

"Bodybuilder," from one of Müller's later albums, The Strip Goes On, was sampled as the basis for the song "Bentley's Gonna Sort You Out" by Bentley Rhythm Ace, a big club hit in the U.K. in 1997.