今回の旅行の日程は、次のとおりだった。
①7/5 ハノイへ(ハノイ市内観光) ハノイ泊
②7/6 ハノイからハロン湾観光(マイクロバス) ハノイ泊
③7/7 夜、フエへ(国内航空便) フエ泊
④7/8 フエ市内観光、その後ホイアンへ(マイクロバス) ホイアン泊
⑤7/9 ミソン遺跡、ホイアン市内観光(マイクロバス) 夕方、ダナン空港 からホーチミン空港へ(国内航空便)
⑥7/10 深夜1時、ホーチミン空港から東京へ(機内泊)
ベトナムは、南北に細長く、1,600kmある。東京からの国際便は、ハノイあるいはホーチミン(サイゴン)にしか入れない。中部ベトナムのフエとホイアンに行く時は、ハノイかホーチミンのどちらかから、国内便に乗り換えなければならない。ちょうど、札幌(ハノイ)に入り、東京(フエ)と横浜(ホイアン)を訪ねて、福岡(ホーチミン)から帰国するという感じだ。
鉄道や道路事情が悪く、外国人が個人旅行するのは困難なようだ。旅行の前、昨年ハノイに留学していた姪(ベトナム語専攻)からは、「道路を横断する時は、立ち止まったり、後ずさりをしてはだめ。事故になる。」とアドバイスされた。
事実、慣れないうちは、ホテルの前の道路さえ恐くて横断できなかった。ハノイ市街を走る車の多くはバイク。自転車はほとんど走っていない。そのバイクもほとんどが2~3人乗りで、ヘルメットなし。上の写真のバイクは、一番前の女の子が漫画を読んでいて、後ろの女の子は本を読んでいる。まさに信じがたい芸術的な光景だ。
平均給与が1万円くらいで、ガソリンがリッター約90円。市内のアクセスが満員のバスだけとなれば、頼れる足はバイクということだろう。そこに、中国製の安いバイクが大量に流入しているという。
ハノイからハロン湾へ、フエからホイアン、ダナンへの移動は、すべてトヨタ・ハイ・エースで行ったが、「危ない!」と叫びたくなる瞬間に何度も出会った。4車線の国道を走っていた時、突然車が対向車線の追い越し車線に飛び出て、前の車を追い抜いたのには驚愕した。ガイドのホアン(王)さんによれば、人口4〇〇万人のハノイ市内で、毎日1.8人が交通事故死するという。これは、東京に比べると、約7倍という高い数値だと思われる。
ベトナムにはまだ高速道路がない。国内航空便もわずかなので、庶民が細長い国を旅行するには、単線の鉄道か、南北を縦貫する国道1号線のバス旅行だ。特に、中部ベトナムは、発展から取り残されている印象を受けた。
私の目的地ホイアンは、鉄道も、空港もない、ひなびた街だった。ベトナム戦争で有名になったダナンの隣町なのだが、何をするにも30kmほど離れたその隣町に行かなければならないという感じだった。でも、それ故に、旅行者の郷愁を駆り立てるのだろう。
人口の60%が「戦後生まれ」というベトナム。もちろん、戦争とはベトナム戦争のこと。ハノイの市郊外には、「パナソニック」「キャノン」「佐川急便」などの日本企業が進出していた。韓国企業の進出も目立つ。
中国がそうだったように、ベトナムはこれから急激に経済発展していくのだろう。同時に、我々旅行者が求めるものは、急速に失われていくに違いないと思った。