澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

台湾映画「KANO」を観る

2015年01月27日 23時33分07秒 | 音楽・映画

 ちょっと離れた町のシネコンに台湾映画「KANO」を見に行った。週日の昼間ということもあり、客は三分の入り、その大半は中高年だった。
 昨年の秋、私はエバー航空の機内でこの映画を見たのだが、やはり大きな画面でもう一度見たいと思っていた。

 「KANO」(嘉農)こと嘉義農林学校野球部が甲子園に出場したという史実については、今から6年前に放送された「世界ふしぎ発見 台湾縦断グルメ大紀行」で初めて知った。番組には、かつて野球部員であったというご老人達がユニフォーム姿で出演した。その当時で彼らは八十歳代半ばだったが、全く訛りのない美しい日本語を話し、番組が差し入れた白米(蓬莱米)のおにぎりを美味しそうにほおばった。今、彼らは元気でおられるのだろうか?



 この映画の内容については、ここでくどくど話したとしても、下に貼付した「予告編」と「台湾演義・嘉農」には敵わない。
 そこで、二点ほど、気になった点を記しておきたい。

 まず、終幕の少し前に、実際に甲子園に行った「KANO」部員達のその後の人生が紹介されていく。台湾人のほとんどは日本が去ったあとも、台湾の野球界、教育界、実業界でそれぞれ活躍し、輝かしい足跡を記している。日本が移植した教育、近代農学は、台湾各地で花開いたのだ。その一方で、日本人の二名は南方で戦死した。映画「アメリカン・グラフィティ」にも同じような手法が採られていたが、「KANO」のこちらは小説ではなくホンモノの人生。それだけに、歴史に翻弄された世代の人生を垣間見た思いがした。

 次に、この映画には「朝日新聞社旗」や国旗(日章旗、旭日旗)が頻繁に登場する。これだ。


 最近の韓国人が日章旗や旭日旗に対して異常なほどの敵意を示すことはよく知られている。その韓国人がこの映画を見たら、急性「火病」で卒倒してしまうことだろう。何故なら、そこには「反日」の要素など微塵もないからだ。

 「朝日新聞」は中韓両国と「歴史認識」を「共有」せよと、いつもお説教を垂れるのだが、「朝日」記者こそこの映画を刮目して見るべきだろう。台湾人がアナタの社旗を振って甲子園を讃えてくれるのに、アナタの会社は「台湾は中国の一部」であり、国ではなく「一地域」だと言い募る。だが、その台湾人は、世界中で最も日本を理解してくれる人達なのだ。さらに、この映画には八田與一が登場する。彼が設計し、完成させた嘉南大圳(ダム)は南部台湾の荒野を肥沃な農地に変えた。実は、これは八田與一の個人的業績ではなく、台湾総督府の行政実績なのだ。日本統治時代の台湾社会がいかに見事に近代化を成し遂げたかという象徴でもある。この映画をみるだけで、近代日本はアジアに災いをもたらしただけだったという「朝日」のご高説はすでに破綻しているのだと分かることだろう。

 
 この映画は「海角七号」の魏徳聖氏がプロデューサーを務めているが、嘉義農林学校野球部と八田與一という史実(実話)を正面から採り上げている点において、「海角七号」よりずっと大きなインパクトを観客に与えそうだ。

 興味のある方は、ぜひご覧になっていただきたい映画。間違いなく台湾が好きになるはずだ。





 

ハリウッド・フェスティバル・オーケストラ演奏会

2015年01月24日 11時12分59秒 | 音楽・映画
 ハリウッド・フェスティバル・オーケストラ(The Hollywood Festival Orchestra)の演奏会に行く。
 年配の音楽ファンなら、「ロンドン・フェスティバル管弦楽団」「ハリウッド・ボウル交響楽団」といった名前をご存じのはず。この二つのオーケストラを足して割ったような名前のこのオケ、実際にはどんな演奏をするのか、率直に言ってさほど期待はしていなかった。
 
 そもそも「フェスティバル」はお祭り(祝祭)なので、この名前を冠する楽団は実在するわけではなく、お祭りのために臨時的に結成される。したがって、指揮者や演奏者の資質ややる気によって、音楽の質は大きく左右されてしまう。

 演奏曲目は、次のとおり。



 上記の曲目の他、アンコール曲として、「見果てぬ夢~ラ・マンチャの男より」「レット・イット・ゴー~アナと雪の女王より」「星に願いを~ピノキオより」が加わった。

 楽団の編成は、純然たるクラシック音楽のもの。総勢が32名で、その内訳は…
【弦楽器 21】 バイオリン13 ビオラ3 チェロ4 コントラバス1
【木管・金管】  フルート、クラリネット、オーボエ、ファゴット、ホルン
         トランペット、トロンボーン、チューバ 各1
【パーカッション】 ドラム、ティンパニなど 2
【キーボード】   電子ピアノ1


 これは「一管編成」(トロンボーンの数でオケの規模を示す表示)というべき規模で、クラシックの交響楽団のミニ版という感じ。電気的な増幅(PA=Public Address)をしなくても、バランスのとれたオーケストレーションが可能な編成である。
 イージーリスニング音楽といっても、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、カラベリといったポップス系の音楽とは異なり、マントヴァーニ、パーシー・フェイスと類似点が多い。



 指揮者のステファン・シャルピエ(Stephan Charpie)は、60代、穏やかで神経質そうな、さも音楽家という風貌。とかくありがちな「ドサ周り」の音楽会だからと舐めているような素振りは全くなくて、音出しや盛り上げるところでは、きっちりと役目を果たす。
 メンバーは、ほぼ白人だけで構成。ストリングスには高齢者が多く、何処かで演奏家をしていた人なのかなと思った。弦のアンサンブルはイマイチだが、誠実に演奏しているのは見ていて分かった。対して、管楽器には若い女性もいて、特に栗毛色の長い髪をしたホルンの女性は、映画音楽には必須アイテムのホルンの音を終始目一杯出し続けた。これは賞賛に値する。フルートのラテン系美人にはちょっとどきっとした。

 曲目では、美男のコンサート・マスターをフィーチャーした「ニュー・シネマ・パラダス」「ムーン・リバー」「魅惑のワルツ」が特に心に残った。ゲストのビリー・キングという巨漢の黒人歌手が「慕情」「ゴッド・ファーザー」やアンコール曲を唄ったが、その歌唱力は素晴らしかった。ちょっと気に障ったのは、「クワイ河マーチ~戦場にかける橋より」がプログラムに入っていて、聴衆に手拍子を”強制”したこと。周知の通り、史実の評価が分かれ、かつ我々の父母、祖父母が当事者の映画であれば、脳天気に手拍子などする気分にはなれない。

 会場を見渡すと、ほぼ団塊の世代以上の聴衆ばかり。あと10年もすれば、この人達はコンサートにも来なくなるだろうし、そもそも外出して消費するような生活行動は取れなくなるだろう。そのときが、まさにこのコンサートで演奏されたような映画音楽、ムード音楽が死滅するときだろう。それは遠くない近未来だ…と実感。

 現在、マントヴァーニ楽団(The Mantovani Orchestra)が中国公演中だという。何年か前、北京の人民大会堂で演奏する「栄誉」に浴し、「世界三大オーケストラ」(中国ではポール・モーリア、ジェームス・ラスト、マントヴァーニが”三大オケ”なのだという)に祭り上げられた途端、米国で臨時編成された、この「マントヴァーニ楽団」は、日本など見向きもしなくなった。私の印象では、このハリウッド・フェスティバル・オーケストラの演奏は、件の「マントヴァーニ楽団」よりかなり優れていると思う。「パーシー・フェイス楽団」には及ばないけれども…。

 世界の人達が日本は素晴らしいと言っている…こんなTV番組の氾濫とは裏腹に、音楽の世界においても、日本外しは確実に進んでいる。そんなことまで考えたが、それはまあ、考えすぎでしょうが…。
 ともあれ、久しぶりに生(アコースティック)のオケの音に満たされて、幸せなひとときだった。この種のオーケストラ音楽がいつまでも続くことを願わずにはいられない。