BS朝日で放送された「北京~1000年の歴史」※を見る。2008年、BBCが制作した番組で、第一部「民族の興亡」、第二部「皇都の盛衰」が、昨日と今日、放送された。
※ http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/
ふんだんな再現映像を交えて、北京という都市の成り立ちと歴史を描き出す。見ているだけで、中国史の一断面を知ったような気分になる。さすがBBC制作のドキュメンタリーだと感心する。
NHKは悪名高い「アジアの”一等国”」(2009.4.5放送)で、日本という国が歩んできた近現代史を冒涜するかのような歴史観を視聴者に強要した。一方、英国はアジアで数々の侵略行為をおこない、苛烈な植民地支配を行ったにもかかわらず、BBCが自国の歴史を懺悔する番組を作ったという話は聞かない。
この「北京~1000年の歴史」を見ても、清朝末期の光緒帝の改革がさも日清戦争の敗北から始まったように描かれていて、アヘン戦争から始まる英国の中国侵略の歴史については全く触れられていない。北京という一都市の歴史なのだからそれでもいいのだ…という見解もあろうが、やはり英国の歴史的蛮行について触れることを避けたと考えるのが自然だろう。皮肉を込めて言えば、これこそ本当の「公共放送の使命」なのかも知れない。NHKはこの点でもBBCを見習うべきなのだ。
ただ、この番組を見ていて、ひとつだけ違和感を感じたことがある。周知の通り、中国は多民族国家で、歴代王朝についても漢民族や異民族の征服王朝が交互する歴史を持つ。にもかかわらず、この番組では、「モンゴル人対中国人」「満州人対中国人」という誤った概念を植え付けようとしている。例えば、満州族の征服王朝である清朝の支配に対して中国人が反抗したというナレーションが頻繁に流れるのだが、これは正確に「漢民族の反抗」というべきだろう。そうでないと、中国の王朝興亡史が全く理解できないのではないか。これは、BBCの原語では何という単語を使っているのか、知りたいところだ。意図的な誤訳であるとしたら、罪深い話だ。さすが「朝日」でも、そこまではやらないと信じたいところだが…。
これはと思うエピソードもあった。中華民国の成立以降、清朝最後の皇帝だった溥儀は、長らく紫禁城に軟禁される。だが、王政復古のクーデターが起きて、たった2週間だけ政治の場に担ぎ出される。この史実を伏線として後に「満州国皇帝溥儀」が誕生するのだ。満州国は、すべてが日本の「でっち上げ」というわけではなく、漢民族対満州族の興亡の歴史と深く関わっていることを図らずも示唆していた。
NHKはBBCから「自国の歴史に誇りを持つ」という態度を学ぶべきだろう。英国の歴史にも、振り返りたくない暗部はあるのだろうが、それをことさら強調するような番組は制作していないはずだ。英国人は、マゾヒストではないらしい。それだけは確かだ。
《第二部 皇都の盛衰》
富と権力の集まる都、北京。漢民族にとって北京の歴史は、北方からの異民族支配の長い屈辱的な歴史であった。13世紀、モンゴル民族によって一度は破壊されたが、後に元(げん)王朝のフビライ・ハンは北京を国都に定め世界に誇る都として復活させた。明(みん)王朝の時代には、壮麗な紫禁城が建造され繁栄を極めた。そして、中国最後の王朝となった清(しん)がその歴史に終止符を打った地も北京であった。
その後、中華民国の創立や王朝再興のクーデターを経て、1949年、中華人民共和国が成立するまで北京は常に政争の舞台となってきた。そんな北京に引きつけられた民族たちの栄枯盛衰の歴史をたどる。
北京の歴史は戦いの歴史である。富と権力を求める多くの者たちが、この地に引きつけられてきた。
13世紀、中国征服をたくらむモンゴル民族の王チンギス・ハンは、金(きん)王朝の都城・中都と呼ばれた北京の地を攻め落とし、焼き払った。しかし、その孫のフビライ・ハンは、焼き払われた地を元(げん)王朝の国都として7年をかけて再建、当時としては世界最大規模の都を築き上げた。
14世紀に興った明(みん)王朝は都を北京と称し、壮麗な紫禁城を建造した。さらには、モンゴル勢の報復に備えて万里の長城の修復も行っている。
しかし、明の敵は内にいた。17世紀、農民の蜂起(ほうき)を機に国内は混乱した。それに乗じて来襲した満州人に国を乗っ取られてしまう。その満州人が打ち立てた清(しん)王朝も、19世紀に入ると国内の政治腐敗が進み、混乱に乗じて海外列強につけいられ、滅亡への道をたどることになる。
中国王朝の歴史が幕を閉じ、中華民国が創立されても、王朝再興のクーデターが起きるなど政局は安定しない。そんな中、新政府に反感を持つ共産党勢力が次第に拡大し、1949年、ついに毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言する。その舞台もやはり北京であった。