澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

BBC地球伝説「北京~1000年の歴史」を見る 

2010年08月31日 20時42分48秒 | マスメディア

 BS朝日で放送された「北京~1000年の歴史」※を見る。2008年、BBCが制作した番組で、第一部「民族の興亡」、第二部「皇都の盛衰」が、昨日と今日、放送された。
※  http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/

 ふんだんな再現映像を交えて、北京という都市の成り立ちと歴史を描き出す。見ているだけで、中国史の一断面を知ったような気分になる。さすがBBC制作のドキュメンタリーだと感心する。
 NHKは悪名高い「アジアの”一等国”」(2009.4.5放送)で、日本という国が歩んできた近現代史を冒涜するかのような歴史観を視聴者に強要した。一方、英国はアジアで数々の侵略行為をおこない、苛烈な植民地支配を行ったにもかかわらず、BBCが自国の歴史を懺悔する番組を作ったという話は聞かない。

 この「北京~1000年の歴史」を見ても、清朝末期の光緒帝の改革がさも日清戦争の敗北から始まったように描かれていて、アヘン戦争から始まる英国の中国侵略の歴史については全く触れられていない。北京という一都市の歴史なのだからそれでもいいのだ…という見解もあろうが、やはり英国の歴史的蛮行について触れることを避けたと考えるのが自然だろう。皮肉を込めて言えば、これこそ本当の「公共放送の使命」なのかも知れない。NHKはこの点でもBBCを見習うべきなのだ。

 ただ、この番組を見ていて、ひとつだけ違和感を感じたことがある。周知の通り、中国は多民族国家で、歴代王朝についても漢民族や異民族の征服王朝が交互する歴史を持つ。にもかかわらず、この番組では、「モンゴル人対中国人」「満州人対中国人」という誤った概念を植え付けようとしている。例えば、満州族の征服王朝である清朝の支配に対して中国人が反抗したというナレーションが頻繁に流れるのだが、これは正確に「漢民族の反抗」というべきだろう。そうでないと、中国の王朝興亡史が全く理解できないのではないか。これは、BBCの原語では何という単語を使っているのか、知りたいところだ。意図的な誤訳であるとしたら、罪深い話だ。さすが「朝日」でも、そこまではやらないと信じたいところだが…。

 これはと思うエピソードもあった。中華民国の成立以降、清朝最後の皇帝だった溥儀は、長らく紫禁城に軟禁される。だが、王政復古のクーデターが起きて、たった2週間だけ政治の場に担ぎ出される。この史実を伏線として後に「満州国皇帝溥儀」が誕生するのだ。満州国は、すべてが日本の「でっち上げ」というわけではなく、漢民族対満州族の興亡の歴史と深く関わっていることを図らずも示唆していた。

 NHKはBBCから「自国の歴史に誇りを持つ」という態度を学ぶべきだろう。英国の歴史にも、振り返りたくない暗部はあるのだろうが、それをことさら強調するような番組は制作していないはずだ。英国人は、マゾヒストではないらしい。それだけは確かだ。
  

《第二部 皇都の盛衰》

富と権力の集まる都、北京。漢民族にとって北京の歴史は、北方からの異民族支配の長い屈辱的な歴史であった。13世紀、モンゴル民族によって一度は破壊されたが、後に元(げん)王朝のフビライ・ハンは北京を国都に定め世界に誇る都として復活させた。明(みん)王朝の時代には、壮麗な紫禁城が建造され繁栄を極めた。そして、中国最後の王朝となった清(しん)がその歴史に終止符を打った地も北京であった。
その後、中華民国の創立や王朝再興のクーデターを経て、1949年、中華人民共和国が成立するまで北京は常に政争の舞台となってきた。そんな北京に引きつけられた民族たちの栄枯盛衰の歴史をたどる。

北京の歴史は戦いの歴史である。富と権力を求める多くの者たちが、この地に引きつけられてきた。
13世紀、中国征服をたくらむモンゴル民族の王チンギス・ハンは、金(きん)王朝の都城・中都と呼ばれた北京の地を攻め落とし、焼き払った。しかし、その孫のフビライ・ハンは、焼き払われた地を元(げん)王朝の国都として7年をかけて再建、当時としては世界最大規模の都を築き上げた。
14世紀に興った明(みん)王朝は都を北京と称し、壮麗な紫禁城を建造した。さらには、モンゴル勢の報復に備えて万里の長城の修復も行っている。
しかし、明の敵は内にいた。17世紀、農民の蜂起(ほうき)を機に国内は混乱した。それに乗じて来襲した満州人に国を乗っ取られてしまう。その満州人が打ち立てた清(しん)王朝も、19世紀に入ると国内の政治腐敗が進み、混乱に乗じて海外列強につけいられ、滅亡への道をたどることになる。
中国王朝の歴史が幕を閉じ、中華民国が創立されても、王朝再興のクーデターが起きるなど政局は安定しない。そんな中、新政府に反感を持つ共産党勢力が次第に拡大し、1949年、ついに毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言する。その舞台もやはり北京であった。


186歳!が戸籍上生存の裏側を考える

2010年08月26日 19時44分17秒 | 社会

  このところ毎日、戸籍上の高齢者が次々と見つかっている。
  今日、見つかったのは何と186歳、1824年生まれだというから驚く。アヘン戦争が1840年、明治維新が1868年、戸籍法制定が1871年、日清戦争1895年、日露戦争1905年、日韓併合1910年……このように書いてくると、怠慢なお役所仕事を批判するブログだと誤解されるかも知れない。だが実は、全く別の感想を抱いている。
 
 国から委任された戸籍事務を所管する市区町村では、恣意的な判断で戸籍の登録抹消を行うことはできない。186歳の人物が戸籍上抹消されていないからと言って、それが直ちに「役所の怠慢」になるという性質のものではない。愚かなマスメディアは、またまた公務員攻撃の素材に使おうとしているようだが、見当違いも甚だしいと言っておく。

 そもそもこの戸籍制度は、世界に類を見ないものだ。戸籍があるのは、日本、台湾、韓国(及び北朝鮮)だけのはず。「大日本帝国」の版図だった地域だ。
 戸籍は、家族制度を維持し、国家が国民を管理する道具として使われたという。例えば、「戸籍って何だ―差別をつくりだすもの」(佐藤 文明著 下記参照)は、戸籍制度を批判する立場から書かれている。

 そうした批判があることを承知の上で、私が感心したことがある。それは、186歳の人であろうとも、手続きが未了であれば、きちんと戸籍に残してあったことだ。もし、他の国であれば、こんなに律儀に一貫して戸籍事務を続けられるのかどうか。例えば、米国にはもちろん戸籍などなくて、州単位の住民登録があるだけだ。186年前に生まれた市井の一人物のことなど、米国では調べようとしても調べられるはずもない。

 毀誉褒貶がある戸籍制度だが、日本という近代国家を造った礎であったことは疑いのない事実だ。東京の下町でも、地方の寒村でも、どこでも均質で公正な事務処理が行われていた。これは法治主義の原点でもある。一見些細に思える、このような当たり前の事象が、近代日本を支える力であったことを忘れてはならないだろう。


ついに186歳!文政7年生まれ「戸籍上生存」 8月26日18時18分配信 読売新聞

 高齢者の所在不明問題で、山口県防府市で26日、文政7年(1824年)に生まれた186歳の男性が戸籍上、生きていることになっていることが判明した。
 同県光市で165歳の男性、同県周防大島町で164歳男性がそれぞれ、戸籍に残っていることもわかった


プロブレムQ&A 戸籍って何だ―差別をつくりだすもの
佐藤 文明
緑風出版

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福田康夫・元首相が中国に加担する理由

2010年08月26日 14時27分28秒 | 台湾

 「台湾の声」に「福田康夫は中国の歴史捏造に加担するな~いよいよ本格化する”孫文”キャンペーン」という記事が掲載されている。
 孫文と言えば、日本との関わりも深く、中国大陸でも台湾でも共に近代中国を誕生させた政治家として高く評価されている。
 
 だが、この記事にあるように、孫文という人物は、単純には捉えがたい人物でもある。今風に言えば、ポピュリズムの政治家という側面も強く、言行不一致の人という印象も強い。
 
 福田康夫・元首相が「孫文」キャンペーンに一役買っているようだが、気づいたことがある。福田は早稲田大学政経学部卒だが、早大在学中に安藤彦太郎(故人、元政経学部教授)という中国礼賛派の教授と接点があったのではないかという点だ。
 安藤は孫文の「三民主義」の訳者であるが、学者というよりも「日中友好運動」が専門のような左翼教授だった。「中国経済論」という科目を教えていたが、実際の内容は、マルクス主義の立場に立つ中国礼賛論に過ぎなかった。「私学の雄」とか自負しながら、その教育内容は極めてお粗末であるという典型がそこにあった。
 福田康夫が「孫文」キャンペーンに加担する背景のひとつには、こういう早大人脈があることはほぼ間違いない。 
 
 中国人に最もよく知られた日本の大学は、東京大学ではなく早稲田大学だそうだ。温家宝首相も早稲田大学を訪れたことがあるように、まさに「日中友好」の拠点大学だ。「野党精神」なるものが「日中友好」の夢想と結びつくとき、トンデモない政治行動にでることを、福田の事例は示しているようだ。
 

ブログ「台湾は日本の生命!」より
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1264.html

福田康夫は中国の歴史捏造の陰謀に加担するなーいよいよ本格化する「孫文」キャンペーン


■日本人にも指摘したい中国近代史の大嘘  

来る二〇一二年は清国を滅ぼした辛亥革命から百周年であり、この革命による中華民国建国から百周年でもある。最近は「中華民国」と言われてもわからない人が多いので説明すると、中華人民共和国が成立する前の中国の国名が中華民国である。
国共内戦で中共に滅ぼされたわけだが、その後政権は台湾へ亡命し、「中華民国」の看板は今でもそこで健在だ。
もっとも「百年」と言われても、一般の日本人には関心外かも知れない。ただ実は日本の安全保障にも深く関わってくることなので、やはり取り上げなければならない。
つまり中国人による歴史捏造についてだ。

■上海万博・日本館での企画展に問題あり

長崎新聞(八月二十日)によると、上海万博・日本館イベントスペースでは八月二十四~二十九日まで、「孫文と梅屋庄吉展」が開催される。梅屋庄吉とは長崎出身の実業家で、孫文の革命事業を支援した人物。この二人の盟友関係を紹介する企画展で、「来年は辛亥革命100年。企画展は梅屋のひ孫で、東京・日比谷松本楼の常務、小坂文乃さん(42)を中心に、両国の関係者が協力して実現を図った」とか。

「松本楼」と言えば孫文と梅屋庄吉が好んだレストラン。孫文はここで宋慶齢と挙式するなど、二人とはとてもゆかりが深い。
それから、長崎県も「全国自治体で唯一、企画展に協賛した」らしい。
ところで記事には「辛亥革命(1911年)により清朝の皇帝支配に終止符を打ち、『中国革命の父』と称される孫文」とある。

実はこの孫文が「辛亥革命により清朝の皇帝支配に終止符を打った」と言うのが、今から問題にしたい歴史捏造なのである。

日本でも台湾でも辛亥革命を指導したのが孫文だと信じられているが、それが間違いなのだ。
以下に中国人が語らず、そして日本人が知らない歴史真実を簡単に記そう。

■孫文は革命政権を敵の袁世凱に譲っていた

たしかに孫文は日本人の強力な支援の下、一九〇五年に東京で革命派の中国人留学生を糾合して中国同盟会を結成、その総理に就任している。しかし広東省などで革命の狼煙を上げる「辺境革命」路線に固執し、揚子江流域での蜂起を狙う「長江革命」路線の宋教仁らと対立。しかも金銭面、人徳面で問題があり、中国人同志から嫌われて事実上追放の身で米国へ渡った。

一九一一年十月十一日、まさに「長江革命」のシナリオに基づき、反孫文の勢力が武昌での蜂起に成功した。米国にいた孫文がそのことを知ったのはそれから二日後。たまたま手にした新聞によってだった。

やがて革命の波は各省へ広がり、革命政権の樹立となるのだが、元首には外国からの支援を受けることもできる著名人であることが求められた。そこで最も知られた孫文に白羽の矢が立ち、一二年一月一日、南京での中華民国臨時政府の発足に伴い、臨時大総統に就任した。

ところがその政治制度は米国式大統領制を目指す宋教仁が導入したもので、軍事独裁を主張する孫文には気に入らなかった。かくてやる気のない孫文は三月、袁世凱に臨時大総統の地位を譲る。

驚くなかれこの袁世凱とは、清国軍の司令官である。武器も資金も不足する革命軍は、この最大の敵への抵抗をあきらめ、政権を譲ったのだ。当時孫文を支援していた日本人は、こうした自己利益のためなら信念も捨て去る中国流がどうしても理解できず、中国人不信に陥り、多くが支援から手を引いた。

このようにして袁世凱は臨時政府を、自分の影響下にある北京へと持って行ってしまった。
そして皇帝に退位を強要し、清国を終焉させた。一三年十月には正式に初代の中華民国大総統に就任している。

これでも孫文は「辛亥革命により清朝の皇帝支配に終止符を打った」と言えるだろうか。皇帝支配を覆したのは袁世凱である。これは彼にしかできないことだった。

■「孫文神話」はこうして作り上げられた

さて孫文だが、よほど革命戦争が好きだったからとしか思えない。一度政権を放り投げた後、なおも第二革命を戦い、第三革命にも関与し、さらには広東で勝手に「中華民国」と言う名の政府の樹立を繰り返し、内戦を引き起こすなどしたが、二五年に死去する。その革命闘争を受け継いだのが手下の蒋介石だった。二八年、北伐戦争の末に北京政府を倒し、ついに南京で新たな中華民国国民政府を樹立した。

このとき中華民国の国旗がそれまでの五色旗から青天白日満地紅旗(一九年成立の中国国民党の党旗)に変わったのは、名は同じ「中華民国」であれ、別の国家が生まれたと言う事実を象徴している。だから今も続く中華民国は成立からまだ八三年なのだ(一九四九年滅亡との事実を受け入れなければ)。

さてその蒋介石は三七年、日本を支那事変に引きずり込んだ結果、重慶への遷都を余儀なくされたのは自業自得と言えたが、政権ナンバー2で孫文の側近だった汪兆銘が重慶を脱し、日本と和平を結んで南京で中華民国政府を再興した。これに慌てた蒋介石は同年、重慶政府を中華民国の正統なる政権と宣伝するため、孫文を「中華民国の国父」と規定した。かくして孫文は神格化され、「辛亥革命の指導者」との嘘も強調された。

戦後は台湾でも国父崇拝の政治教育が進められた。中華民国亡命政権が台湾支配を正当化するため、そうした「神話教育」で台湾人を従属させようとしたのだ。

■中共は孫文を利用し台湾、日本を籠絡

一方中共もまた孫文を「中国近代革命の父」などと持ち上げている。「帝国主義の侵略、封建制度の圧迫の下での抗争のなかでの傑出した代表的人物」(胡錦濤)と位置づけられ、今では中華民族主義のシンボルの一人だ。中共の「中華振興」のスローガンを最初に叫んだのは孫文だとも強調されている。

そして国民党からも神格化される孫文は、国共両党共通の「偉人」であり、「中国統一」をアピールするにも格好の材料なのである。

中共の民族主義政策のスローガン「振興中華」は孫文の言葉だと強調されている

それから中共にとり、日本とゆかりの深い孫文は日本人籠絡のための題材でもある。

さて上海万博での「孫文と梅屋庄吉展」だが、「二人の盟友関係を紹介する」目的は「日中友好」を宣伝することなのだろう。日本人の反中感情が高まる中、中国側も、日本の日中友好派も、こうした雰囲気作りに必死であるが、初日のセレモニーでは「日中近代史の埋もれた秘話が表舞台に登場する」(長崎新聞)らしい。

「埋もれた秘話」とは、「孫文は辛亥革命では脇役」「真の中華民国の国父は袁世凱」と言った「秘話」だろうか。あるいは「孫文は満洲譲渡を日本人に約束していた」との「秘話」だろうか。

■日本人が孫文に従属―中国人好みの友好秘話

実は孫文の革命運動を大勢の日本人が支援した理由の一つに、孫文が革命支援の見返りとして「満洲人の地である満洲は漢民族のものではなく、革命達成後はここを日本に譲渡する」との約束(所謂「孫文公約」)を繰り返していたからである。

もっともこうした「秘話」はご法度だろう。「孫文は反革命の袁世凱以上に反革命だった」「愛国主義者であるはずの孫文は日本に媚びて領土を割譲しようとした売国奴だった」等々が暴露されれば、孫文の宣伝利用もできなくなろう。

だいたい中共は孫文を反帝国主義闘争のシンボルとしているが、実は孫文は革命達成のため、日本、米国、英国など帝国主義国家の支援を求め続けていた人物なのだ。しかし各国からはあまり相手にされず、ついにはソ連に擦り寄ってしまったわけだ。

「埋もれた秘話」と言うのは、梅屋庄吉など日本人が孫文に忠誠を尽くしたと言う話なのだろう。日本人が中国人を信頼し、それに従属したなど、まさに孫文を巡ってよくある中国人好みの「日中友好秘話」である。

だがこれは当時、日中共同でアジアを防衛することを目指し、中国革命の指導、支援に奔走した多くの日本人への侮辱とも言える歴史の見方だ。

さて、こうした「日中友好」史観に基づく企画展のセレモニーでテープカットを行うのは長崎県の藤井健副知事、そして福田康夫元首相なのだそうだ。

日本の首相経験者が、このような舞台に立つのはあまりに不見識であり、国の恥と言うものではないか。

そもそも福田氏は孫文といかなる関わりがあるのだろうか。

■孫文顕彰で立ち上がった福田康夫元首相

福田氏が〇八年に来日した胡錦濤主席との晩餐会場として使ったのが松本楼だった。あの日、松本楼がある日比谷公園周辺は、チベット侵略など中国の残虐な政策に反対する人々抗議に殺到したものだが、福田氏がここを選んだのは、父親の結婚披露宴が行われたと言う理由だけではなかった。やはりこの建物が孫文ゆかりであり「日中友好」のシンボルと見えたのだ。

とにかく「中国の嫌がることはしない」がこの人物の信条だ。中国が喜ぶなら、孫文の顕彰でも何でもやるのだろう。

福田氏は七月二十八日に発足した「辛亥革命100周年記念事業日本実行委員会」の委員長にも就任している。

この委員会は「『辛亥革命』から来年で100年を迎えるのを前に、革命に影響を与えた孫文と日本とのつながりを伝える催しなどを開く」もので、「政界や学術関係者ら43人が委員となり、8~11月に上海や北京、神戸市、東京などで開く展示会やシンポジウムなど計5回を支援する」と言う(東京新聞、七月二十八日)。

このような馬鹿げた委員会に「政界や学術関係者ら43人」もが加わっているのか。もっとも歴史捏造を受け入れてこその「日中友好」であり、今の日本では何の不思議もない。

■中国人の陰謀を打ち破るには「歴史の真実」

さて先に、「辛亥革命」や「中華民国」の「百周年」が日本の安全保障にも関わってくると書いた。それはこれから中国や台湾で行われるであろう百周年の宣伝行事が、台湾併呑を目的とするものだからだ。

台湾政府は来年、三十二億元の予算を注ぎ込み「中華民国建国百年」の祝賀活動を展開するが、百年目の「革命」であれ「建国」であれ、すべては中国での話である(当時の台湾は日本領土だった)。おそらく中華文化、中華民族の素晴らしさを宣伝し、内外に「台湾は中国の一部」と強調するのだろう。

いまどき孫文を崇拝する台湾人が多いとは思えないが、しかし蒋介石と違って台湾人虐殺に手を染めていない孫文への拒否感情は希薄だ。歴史捏造の洗脳教育・宣伝により、「中国統一」への抵抗心理が弱められることも懸念される。

少なくとも国民党政権は、そのようにして国民の同党への共感を獲得しようとしているに違いない。

ちなみに毎日新聞(八月二十一日)によると、「馬英九政権が来年の『中華民国建国100年慶祝活動』の一環で製作を進めている近代中国の革命家、孫文の記録映画に関し、人物像の描き方で激論が起きている」そうだ。

何でも「映画製作を主管する建国100年基金会の製作顧問で女性作家の平路氏は、台湾メディアに対して孫文を『レーニンに笑われた天真らんまんな無知』『情熱的だが抽象的な思考に欠ける』と分析」し、「映画で孫文を多元的、人間的に描く考えを示した」のに対し、「孫文研究の専門家、胡仏・台湾大学名誉教授と弟子の周陽山・監察委員が『軽佻な分析で、孫文を侮蔑している』と批判。公的資金で製作する映画としては『妥当でない』と指摘した」とか。

「今回の映画製作では孫文の神格化を警戒する意見は多い」と言うが、中国人(国民党)は、やはりいつの時代も洗脳教育が好みらしい。

このようにつねに悪質な歴史捏造工作を繰り返すのが中国人だが、そうしたものについつい加担してしまうのが日本人なのだ。

歴史の真実など調べればすぐにわかることだ。台湾人も日本人も早くそれに気付き、中国人の政治宣伝の嘘を見抜くことが大切である。なぜなら中国人の陰謀の力は嘘が見破られることで、大きく減退するからだ。

そうした状況の中で気になるのが、あの元首相の存在なのだ。福田康夫氏はいつまで中国に従属し、中国の対日陰謀を助長し続けるのか。


白苦瓜を収穫!!

2010年08月23日 17時53分41秒 | hobby

 5月の連休明けに種を蒔いた「白苦瓜」がようやく実った。百回以上台湾を訪れたというTさんからいただいたもの。これまで栽培してきたのは、通常の苦瓜(緑色)なので、「白苦瓜」は今回が初めてだ。
 当初、2種類の苦瓜を別々のプランターで育てていたが、路地に移植したとたん、どれが白色なのか緑色か全く分からなくなってしまった。
 
 7月中旬、この夏は猛暑だという報道が続いていたが、苦瓜の生育状況を見る限りでは、「この夏は短い」という予想だった。というのは、どの苦瓜も比較的小さなままで、早々に種を残そうとしているかのようにしていたからだ。これまでの経験からそう考えたのだが、予想は見事に外れた。

 「白苦瓜」は、緑色の苦瓜とは異なり、種を採るのが難しい。完熟して黄色くなったものでも、種はまだ未熟なまま。
 調理方法だが、ゴーヤチャンプル、天麩羅などで試してみた。苦みが少なく、食べやすい。台湾では、肉詰めなどにして食べるようだ。いずれ、試してみるつもり。


 

 
 


李登輝氏の講演記録

2010年08月22日 09時29分25秒 | 台湾

 先月、李登輝氏が講演した内容をまとめた資料が、「台湾の声」に掲載された。
 分かりやすくまとめられているので、ここに転載させていただく。 

 

 李登輝元台湾総統講演資料
「台湾と日本百年来の歴史及び今後の関係」

一、はしがき

台湾と日本は西太平洋に位置する島国で、最も近い近隣であり、人的交
流はもちろん、経済関係に至っては非常に密接な関係にあります。しかし
共に内在的精神の了解に欠け、今日台湾と日本の文化交流における大き
な問題となっています。今日は、台湾の立場に立ち、この百年来の両国の
歴史発展を中心に政治と文化について、①日本植民地時代(1895年~19
45年)、②国民党統治時代(1945年~1990年)、③1990年から現在迄~の
三段階に分けてご説明します。


二、日本統治下の台湾は近代社会に邁進

日本は台湾を1895年から1945年迄50年間統治し、台湾を伝統的な農業
社会から近代社会へ大きく変化させました。また、日本は台湾に近代工業
資本主義の経営観念を導入しました。

台湾製糖株式会社の設立は、台湾の工業化の基礎となり、台湾銀行の設
立によって近代金融経済が採り入れられました。また、度量衡と貨幣を統
一して、台湾各地の流通を早めました。1908年の縦貫鉄道の開通により、
南北の距離は著しく短縮され、灌漑水路水力発電所の完成は農業生産力
を高め、工業化に大きく一歩踏み出すことが出来ました。

行政面では、全島に統一した政府組織が出来上がり、公平な司法制度
が敷かれました。これら有形の建設は台湾人の生活習慣と観念を一新さ
せ、台湾は新しい社会に踏み入ることが出来ました。

また、日本は台湾に新しい教育を導入しました。台湾人は公学校を通し
て新しい知識である博物・数学・地理・社会・物理・化学・体育・音楽等を吸
収し、伝統の儒家や科挙の束縛から抜け出し、近代的な国民意識が培わ
れました。1925年には台北高等学校、1928年に台北帝国大学が創立され、
台湾人は大学に入る機会を得ました。ある者は直接、内地である日本の
大学に進学しました。これによって台湾のエリートはますます増え、台湾の
社会変化は、日を追って早くなりました。近代観念が台湾に導入された後、
時間を守る、法を遵守する、更に、金融・貨幣・衛生、そして、新型の経営
観念が徐々に新台湾人を作り上げていきました。


三、台湾意識の台頭

台湾人は新しい教育を受け、徐々に世界新思潮と新観念を抱くようになり、
台湾人の地位が日本人に比べて低い事に気が付き、台湾意識が芽生えま
した。1920年頃、台湾人は西側の新思潮の影響を受けて、様々な社会団体
を作り、選挙・自決独立など様々な主張をし、日本は台湾人に当然の権利
を与えるべきだと要求しました。こうした台湾人の政治運動と主張は、日本
の制圧によって成功しませんでしたが、台湾は台湾人の台湾であるという考
えが生まれました。これが戦後国民党に対抗する理念と力になったのです。
同じ頃、文学、美術、歌劇など台湾人意識を主体とする台湾文化が続々と
生まれました。


四、戦後、国民党は「日本化」を抹殺し、「中国化」を導入

1945年国民政府が台湾を接収し、「日本化抹殺」の政策のもと、台湾人に
対し、日本語をしゃべるべからず、書くべからずを強要しました。日本語の
雑誌、映画なども制限し、「日本化」を消し去ると同時に、国民党は中国人
の観点による歴史文化を注入し、台湾人を中国人に変えようとしました。

台湾と日本の関係は1945年以後、急速に変わり、国民党の反日政策のた
め、台湾の若者は徐々に日本離れし、日本を知らなくなりました。日本が台
湾を統治した歴史は、教科書には載らず、歴史学者も研究しなくなりました。
日本教育を受けた先輩たちがおおっぴらに日本を語らないのは、国民党を
恐れていたからです。

国民党の大中華思想の教育のもとで、台湾人の気質にも変化が表れまし
た。法の遵守・勤勉・清廉、責任感などの美徳は失われ、反対に中国人の
投機性、法を破る、善悪転倒、賄賂特権の習性が強くなり、台湾人精神も失
われていきました。


五、戒厳令体制と台湾民主運動

1945年10月、国民党政府は台湾を接収した後、政治は腐敗、物価は高騰
し、社会秩序は混乱を招き、1947年2月には二・二八事件が起こりました。
国民党は中国大陸から兵を送り込んで鎮圧にあたり、台湾のエリート、民
衆を数万人惨殺し、台湾人を恐怖の底に陥れ、台湾人の政治に関わる勇
気を喪失させました。

1949年5月、国民党政府は台湾に戒厳令を布き、暫くして中国大陸の内
戦に敗れて台湾に退いて来ました。そして自らの政権を堅固なものにする
ため、多数の反対分子を逮捕しました。これが所謂1950年来の、「白色テ
ロ」と呼ばれるものです。国民党は更に「反攻大陸」を国策とし、独裁体制
を作り上げました。戒厳令は38年間続き、1987年になってようやく解除され
ました。台湾人が如何に言論思想や結社の自由を剥奪されていたか、不安
と恐怖の中での生活だったか、皆さんも想像できるでしょう。

戒厳体制を打ち破るため、台湾のエリートたちは長い時間をかけ、多数
の犠牲者を出し、倒れてもやまず、絶えず奮闘した結果、国民党も遂に譲
歩せざるを得ませんでした。私、李登輝が台湾人として、初めての総統に
就任してからの12年間は、台湾の人民の期待に沿うことが出来るよう、「民
主化」と「台湾本土化」の政策を実行しました。先ずは、いわゆる万年国会
を解散、終結させ、中央民意代表(国会議員)を全面改選しました。さらに、
1996年には歴史上初めての人民による総統直接選挙を実行しました。そ
の結果、「主権在民」の観念を徐々に定着させる事ができ、台湾人民は国
民党の統制から離れて台湾主体の観念を持てるようになりました。


六、1990年後は台湾に新国家建立の潮流現る

民衆の力こそ台湾を変える原動力です。この力は、台湾内部の政治構
造を変えただけでなく、中国との関係も、過去の内戦型対立状態から国と
国の関係に変えました。台湾は平等互恵の立場で中国と平和互恵の関係
を樹立したいと思っております。

多くの日本人が、中国の宣伝や脅しに乗って、「台湾は中国の一部であり、
台湾は独立の条件が整っていない」と思っておられるようです。しかし、一度
台湾に来られて台湾人の考えを聞き、活気溢れる台湾の社会を見て、台湾
の自由民主を感じた方ならば、台湾人が何故、新国家を建設するのか、自
ずと分かっていただけると思います。

台湾は海峡を挟んで中国と向き合っていますが、それでも「台湾正名」(台
湾の国名を正しくする)運動、「国民投票による憲法制定」、「新国家建設の
主張」などを敢えて唱える活力を有しています。これらは台湾精神から来て
います。台湾人は、質実剛健・実践能力・勇敢・挑戦的な天性の気質に加
えて、日本統治時代に養われた法を守る、責任を負う、仕事を忠実に行う
などの精神を備えています。これが台湾人の長所であり、窮すればするほ
ど強くなり、権威統治のもとでも、台湾人としての主体意識を確立することの
出来る最高の精神なのです。


七、日本が台湾新国家建設の動力を理解してこそ、両国の未来関係が構
築できる

日本の若い世代は外敵もなく、内乱もない安定した社会で育ちました。生
活は豊かで保障されています。その反面、危機意識がなく、改革意識も失
われているようです。中国に対しては何も言えず、不公平や不義に対して胸
を張って正す事が出来ないようです。昔の日本人が持っていた公に尽くし、
責任を負い、忠誠を尽くして職を守る日本精神はどこへ消えてしまったので
しょう。これは日本の社会の最大危機です。

この百年、日本統治時代と国民党時代を経て台湾人の主張は圧迫され続
け、一度として台湾人が主人公となったことはありません。しかし、台湾人が
長期にわたって犠牲を払った結果、1990年以後台湾は主体性観念を持つこ
とが社会の主流となりました。日本の方には、この勢力が台湾の社会を変え
る力であることを認識していただきたいと思います。

両国間の将来は台湾と日本の平等互恵関係の上に成り立ちます。台湾を
中国の一部であると見てはなりません。日本と台湾は生命共同体なのです。
即ち台湾なくして、日本はありえない。と同様に、台湾も日本なくしては存在し
えないことを、じっくりと考えていただきたいのです。


日韓併合条約は無効だったのか?

2010年08月22日 03時34分20秒 | 歴史

 民主党政権がこれほどまでに「歴史」をないがしろにするとは思わなかった。
 菅政権は、日韓併合100周年にあたって、日韓併合条約が「当時は有効」であったとする従来の見解を「封印」するという。「封印」とは曖昧な言い方だが、要するに韓国の見解に擦り寄り、日本の近現代史そのものを「否定」し「反省」するということなのだろう。
 
 西洋列強が非西欧世界に押しつけた不平等条約の数々は、欧米の世界支配を法的に担保するものであった。だが、欧米各国が当該条約そのものが「無効」であると認めて、相手国に謝罪した例など皆無だ。
 「歴史と向き合う」とは民主党政権やNHKなどのマスメディアの常套句だが、それは「史実をなかったことにして、相手に謝罪する」ことではない。韓国の主張を受け入れて、「当時は有効だった日韓併合条約」を「初めから無効だった」とするかのような民主党政権の態度は、まさに「売国」と言わざるをえない。
 
 原因ははっきりしている。日本が第2次世界大戦に敗北したという事実が、今なおあらゆる局面で影を落としているということ。さらに、われわれが近現代史にあまりに無頓着で、そこから何も学んでいないという点だ。
 中韓朝三国はおぞましいほどの「反日教育」を続け、国民に反日感情を植え付けている。民主党政権が「日韓併合条約は、日本が強制的に押しつけたものだから、無効である」とすれば、彼らの「反日教育」「反日感情」をさらに煽るだけだ。

 こんな自明なことを平然と行う民主党政権。菅首相と仙石幹事長の頭の中は、全共闘時代のままなのではないかと疑う。一国の命運を担う責任感などひとかけらも感じられない。世襲議員ばかりの自民党政権を見ていて、「こりゃあダメだ」と思ったのも束の間、今度は日本という国家そのものを「憎悪」する首相が現れたのだから、これを「売国」と言わずして何と言うのか? 
 

 

日韓併合条約、菅政権は見解封印 「当時は有効」に触れず

8月22日(日) 2時2分

共同通信

 菅政権は、韓国の統治権を日本に譲与するとした1910年の日韓併合条約締結に関し「当時の国際法に照らし、有効だった」とする従来の政府見解に言及せず封印する方針を固めた。政府関係者が21日、明らかにした。「強制的に結ばされた条約で無効だ」と主張する韓国への配慮が必要と判断したため。政府見解見直しについては「国交正常化以来の日本の主張を覆すことになる」(外務省幹部)として応じない。


「地方主権」なんて要らない!?

2010年08月20日 22時22分31秒 | 社会

 もし民主党が唱える「地方主権」が実現したら、地方はどうなるのかを示唆する事例がある。
 民主党は、「地方のことは地方に」などとキレイごとを言っているが、中央の権限を地方に委ねた場合、下記の鹿児島県阿久根市や東京都中野区のような事例が日常的に起きるのではないだろうか。
 この二つの事例は、地方の政治家、公務員には、トンデモない人がたくさんいることを教えてくれる。

 東京都中野区の場合、田中大輔区長が癌で入院した友人の出勤簿を代わって押印していたという、前代未聞の事件だ。当該職員は全く勤務をしていないのに、出勤扱いとなり、給与もボーナスも満額支給されていた。この区長が誰に対してもこのように「優しく親切」「温情あふれる」わけではない。それどころか、意見を異にする幹部職員はことごとく左遷して、側近を「お友達」職員で固めてきた。もちろん、癌になった幹部職員は、区長の「お友達」というわけだ。この区長は、日ごろ高邁な「地方自治」の理念を口にしているが、実態は専制君主そのものではないか。公私混同、不正行為、給与の不正支出等々、刑事事件にもなりうる犯罪行為を行いながら、それに関わった「お友達」は、それぞれ副区長、教育長に栄転したというのだから、真面目に働く一般職員は、たまったものではない。
 たかが出勤簿押印のことで…というのは間違っている。どんな言い訳もできないはずのこの行為を、田中区長は裁判を続けることで強引に正当化してしまった。こんなあからさまな不正をする人が、地方行政のトップにいるなどと信じられるだろうか。

 出勤簿押印を一緒に行った副区長は、出身地である千葉県の市長選に立候補するつもりらしい。東京で培った行政能力とやらを売り物にするそうだが、こういう人が田舎の市長になったら、その市行政がどうなるか日の目をみるより明らかだ。 

 東京のど真ん中にありながら、田舎芝居のようなこの事件。「地方主権」なるものが実現したら、地方行政の私物化がさらに進むのではないかという格好の見本だ。 


東京都中野区中野区役所内で起きた事件

区参事の無断欠勤に対し、石神正義総務部長(当時)と田辺裕子総務課長(当時)が、本人の職員カードを使用して出勤簿に打刻、出勤を装って給与の支給・昇給させた事件。

監査委員会より違法な処理として、中野区長に対し損害額(支払済給与)の補填と、関係者の処分・再発防止が勧告したが、田中大輔区長は、不服として東京地方裁判所(東京地裁)に提訴したが平成18年11月2日東京地方裁判所において区が敗訴した。しかし、その日のうちに臨時の部長会議が招聘され、「主張が入れられず認めがたい」と東京高等裁判所(東京高裁)に控訴平成20年6月26日敗訴した。さらに、最高裁判所(最高裁)に上告したが平成21年7月10日不受理決定それにより原告住民側全面勝訴となった。

尚、石神正義総務部長は現在、副区長に就任。また田辺裕子総務課長現在教育長に就任と二人とも特別職となり、田中区長と共に中野区行政の中心を担っている。

 

阿久根市議会:25、26日開催 専決処分巡り紛糾必至 /鹿児島

 阿久根市の竹原信一市長が招集しないため開かれなかった市議会が、25、26日の2日間、臨時会として開催されることが18日決まった。2月22日開会の3月定例会以来、半年ぶりとなる議会。市長が専決処分した副市長選任など19件の承認を求める市執行部と、職員らの賞与半減条例を元に戻す改正案など3件を提案する反市長派議員らの隔たりは大きく、紛糾は必至だ。

 議会運営委員会で臨時会会期を2日間と決めた後、記者会見した櫁柑幸雄委員長は「市長が今まで議会を開かなかったことが問題。専決処分の件数が多いが、2日間で十分に審議したい」と語った。また、議会を開催しない市長への対抗策として、「議長にも臨時会の招集権を与えるべきだ」という意見書が臨時会で提案される可能性も明らかにした。

 市議会(定数16)のうち12人と多数を占める反市長派議員らは、専決処分の違法性を追及する方針を変えていない。「違法に行われたものは無効だ」と、専決処分19件のうち国の制度改正関連5件を除く14件は承認しない考えを示している。

 特に、仙波敏郎氏を副市長に選任した専決処分を巡る攻防が、最大の焦点とみられる。反市長派議員は、仙波氏の件が「副市町村長は議会の同意を得て選任する」と定めた地方自治法を無視して強行されたとして、その違法性を指摘。市長の責任を追及する構え。

 一方の仙波氏は、副市長選任を「違法かどうか最終的には司法が判断すること」と、専決処分は妥当だと主張。さらに議会が同意しない場合も「自ら辞めることはない」と続投する意思を明らかにしている。【馬場茂】


「パーティ・フェイス・オーケストラ」を作ってしまった飯森範親

2010年08月18日 08時29分07秒 | 音楽・映画

 夏になると、BGMでよく聴かれるのが「夏の日の恋」(Theme from A Summer Place)という曲。曲名を知らなくても、聞き覚えのあるメロディだ。この「夏の日の恋」を演奏しているのが、パーシー・フェイス・オーケストラだ。下記の映像を見ていただきたい。

 パーシー・フェイス・オーケストラ(Percy Faith & his orchestra)※は、1950-70年代にかけて、ポピュラー音楽シーンをリードしたオーケストラ。指揮者・編曲者であるパーシー・フェイスは、CBSのディレクターとしてドリス・デイ、トニー・ベネット、ジョニー・マティスなどのアルバムを制作している。
※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B9

 古くからのポピュラー音楽ファンなら、パーシー・フェイスの名前を知らない人はいないだろう
 だが最近、TBSーTV「音旅」という番組を見て驚いたことがある。この番組には、日本人女性11人で構成された弦楽オーケストラが出演する。このオケの名前が、何と「パーティ・フェイス・オーケストラ」(Party Faith Orchestra)※なのだ。

※ http://bs-tbs.ototabi.jp/ototabi/index.html

 この名前を付けたのが指揮者・飯森範親だ。彼は自分のブログの中で次のように記している。

パーティフェイスオーケストラのメンバー…テーマ:ブログ

指揮者 飯森 範親 オフィシャルブログ 「マエストロ、出番ですよ」-SN3J0884.jpg

指揮者 飯森範親
「東証一部上場企業で平澤創さんが社長を務める株式会社フェイス…平澤さんは友人でもあり東京交響楽団の理事でもあり…また、彼は携帯の着メロのシステムを発明した張本人です。その彼と共に、ビジュアル系というだけでなく、演奏技術がしっかりした女性だけの弦楽器のアンサンブルをプロデュースすることになりました…名付けて『パーティー フェイス オーケストラ』!クラシック音楽のレパートリーを、幅広い層の皆さんに気軽にクラシック音楽のレパートリーを楽しんで頂こうというコンセプトです…約100名の女性の応募者を審査させて頂いて今は11名のメンバーで活動が始まっています。BS-TBS毎週土曜日夜7時半からフェイス提供『音旅』という番組が始まっています。そこで彼女たちをご覧頂けますので、今週末は17時25分からの僕が出演させて頂きますラジオ日本をお聴き頂き、その後は是非パーティー フェイス オーケストラを楽しんでくださいね!男性のアンサンブルは?と言う声が聞こえてきそうですが、イケメンの男性だけのアンサンブルも募集過程です…『イケメンのオーケストラ』名付けて『オケメン』です…(笑) 」

http://ameblo.jp/iimori-norichika/entry-10551579237.html

 飯森は、1963年生まれの47歳なのだから、たとえ興味は無くても、パーシー・フェイスの名前を聴いたことはあるはず。それなのに、自分の関わる楽団を「パーティフェイス・オーケストラ」と名付けるとは、無神経にもほどがある。著作権の問題が生じるとは、考えていないのだろうか。米国には「パーシー・フェイス財団」があり、今も彼の音源をCD化したり、著作権を管理したりしているのだから。
 
 パーシー・フェイス楽団は、パーシー・フェイス本人が亡き後も、何度も来日している。もし、今後、来日公演が実現したら、紛らわしい名前の楽団の存在は、きっと問題になることだろう。中国では、ディズニーランドそっくりの遊園地が造られたり、ブランドもののニセモノがまかり通っている。パーシー・フェイスの著作権を管理するパーシー・フェイス財団から見れば、日本も中国も極東のニセモノ天国に見えることだろう。中国人を嗤っている場合ではないのだ。

 たぶん飯森範親は、パトロンが経営する「フェイス」(Faith=信仰)という名をもじって、パーティフェイスと付けたのだろう。パーシー・フェイスの名前をもじった駄洒落というつもりだろうが、とんでもない神経の持ち主だ。このパーティフェイス・オーケストラには早期解散してもらうほかはない。

Theme From A Summer Place (1960)
パーシー・フェイス・オーケストラ「夏の日の恋」


「ザ・ノンフィクション~台湾に消えた父の秘密」は素晴らしかった

2010年08月15日 16時10分40秒 | マスメディア

 今日は終戦記念日。ここまで、TV各局はさまざまな戦争回顧の番組を放送してきた。かなりの番組をビデオに録り貯めたものの、ほとんど見ていないのが実のところだ。
 昨晩は、ドラマ「帰國」が放送された。鳴り物入りの番組だったので、深夜、再生してみたが、私個人の趣味として、こういうドラマは好きではない。それで、早送りにして見たことにした。
 だが、今日、フジテレビ系列で放送された「ザ・ノンフィクション 台湾に消えた父の秘密※は、類似の番組の中では傑出して面白かった。具体的な史実は下記の番組紹介の中に書かれているが、私が気に入ったのは、歴史の多義性、多面性を教えてくれたところだ。
※ http://www.excite.co.jp/News/tv/20100813/Dogatch_10130810556.html

 1945年8月、ソ連軍は「日ソ不可侵条約」を一方的に破り、満州へ侵攻した。それだけでも、重大な国際法違反なのだが、さらにソ連は武装解除した日本軍将兵をシベリアに送り、死に至る強制労働を科した。終戦時、内モンゴルにも多数の日本人、日本軍兵士がいた。内モンゴルの軍司令官・根本博中将は、軍を武装解除させず、蒋介石との交渉に持ち込んだ。その結果、内モンゴルの日本人はソ連軍の魔手から逃れることができた。
 このとき、根本博は蒋介石に恩義を感じたのだろう。戦後、GHQの統制下にある日本から、ある日突然、「釣りに行く」と言い残して、台湾に密航する。それを手助けしたのが明石台湾総督の長男だった。

 (根本博・元陸軍中将)
 
 1949年、根本博・元中将は、廈門(アモイ)の対岸にある金門、馬祖にいて、侵攻してきた中共(=中国共産党)軍と戦っていた。もちろん、国共内戦の一部であるから、根本の活動は中国国民党の公式の戦史に残っていない。
 だが、昨年10月、金門島の「古寧頭戦役60周年」式典で、明石台湾総督の孫が馬英九総統と対面する。馬総統は「台湾へようこそ」と日本語で話しかけたという。

 この金門、馬祖の戦役に参加したのは、大陸から逃れてきた中国国民党の兵士ばかりだ。1947年、この国民党軍は、無抵抗の台湾人二万人を虐殺する「二二八事件」を引き起こした。その後、彼らは台湾の占領者として君臨し、48年間もの間、独裁政治を続けた。ちなみに、民主的選挙で選ばれた馬英九総統本人も、中国国民党に属し、外省人の一人である。
 それ故、日本統治時代を経験した台湾人(本省人)から見れば、根本・元中将の行動は、賞賛すべき事績とは言えないのかも知れない。だがもし、国共内戦で中共が台湾まで制圧していれば、現在の民主化した台湾は、絶対に存在しないはずだ。根本の行動は、間接的に台湾人にも影響を及ぼしたことになる。現在、台湾(国府)軍の公式出版物に根本・元中将の活動が写真入りで記録されるようになった。

 考えてみれば、旧・満州国においても、根本と蒋介石のような奇遇があったに違いない。しかし、中共の歴史抹殺によって、すべては闇に葬られてしまった。中国共産党に不都合な歴史は、人民に教えられることはない。封印された「偽満州国」公文書には、思いがけない史実が記されているに違いない。

 多分、戦後、根本・元中将と同じような行動をとった人がまだ何人もいるのだろう。彼らは、戦後においてもなお、アジアの解放を夢見ていたのだろうか。最も有名なのは辻政信※だが、彼は1961年、東南アジアに休暇旅行をすると言って行方不明になった。
※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%94%BF%E4%BF%A1

 根本博は、台湾に密航するとき、家族には「釣りに行く」と言い、釣り竿を持って出かけた。その後、何年も経って、彼はその釣り竿を片手に台湾から帰国した。家族にさえ、真の目的を話さず、黙って戦乱の地に赴く。そして、蒋介石の「恩」に報いた後、また黙って帰国する。こういう気骨ある日本人は、もう絶え果ててしまったのだろうか。

台湾・金門島の人々から"戦神"と呼ばれる日本人とは...

8月15日(日)14時から放送のザ・ノンフィクション『父は、なぜ海を渡ったのか』では、台湾・金門島で今も"戦神"として語り継がれるひとりの日本人の生き方に迫る!

太平洋戦争の末期、当時、蒙古軍司令官だった根本博・陸軍中将は、終戦を迎えた後も武装解除命令にそむき、攻めてくるソ連軍に対し、あらゆる手を尽くして戦う。その結果、内蒙古在住の日本人居留民4万人は、ほとんど無傷で日本に帰国することができた。このときに協力したのが国民党の蒋介石だったといわれている。

昭和24年、蒋介石への恩義に報いるべく根本は、毛沢東の中共軍と戦い敗走を続ける国民党軍を助けるために、宮崎・延岡から釣り人に変装して台湾に密航。台湾国民党軍の軍事顧問として台湾の金門島で3万人の人民解放軍を迎え撃つ作戦を立案し、1万の兵力で撃退する。根本は、「中共軍が上陸して古寧頭村を占領した場合は村ごと焼き払ってしまおう」という国民党軍の作戦案に対し、「それでは村人が犠牲になってしまう」と主張し、村の北側から沿岸に向かう一カ所を開け、そこへ中共軍をおびき出して、海岸沿いまで移動させ陸と海から挟み撃ちにするという作戦を提案する。その結果、村人も救いながら中共軍を降伏させた。

昨年10月に行われた「古寧頭戦没60周年記念式典」には、根本中将の渡台計画にかかわった人物の家族も出席。これまで根本の存在を否定し続けてきた台湾政府が、初めて根本が金門島の戦いに関与していた事実を認めた。フジテレビのカメラは、この歴史的な瞬間を撮影した。番組では、ジャーナリストの門田隆将氏とともに、当時を知る軍関係者や村人を探し出し、証言をもとに根本中将の人物像に迫った。また、当時、根本中将とともに戦った戦友たちが遺族に残した貴重な資料から、日本と台湾の封印された知られざる歴史をひもといていく。

演出を担当した森憲一は「古寧頭戦役60周年という節目の年に、歴史が動いた瞬間を目の当たりにしました。「戦争の真実」は、記録だけがすべてではないということも同時に実感することができた取材でした。今の東アジア情勢を見て、根本博元陸軍中将ならきっと「国を超えてやるべきことがある」と言うだろうと思います」と語る。

ザ・ノンフィクション『父は、なぜ海を渡ったのか』
2010年8月15日(日)14:00~(フジテレビ系)
 

「101歳 神の医師」の映像

2010年08月14日 15時36分04秒 | マスメディア

 先日、「報道ステーション」で採り上げられた「101歳 神の医師」の映像が、YouTube上にUPされた。
 
 ネット上では、この旧日本兵の存在について、「感動した」という感想が多く書き込まれている。一方、戦争体験者をはじめとして、この「美談」に批判的な意見も上がっている。
 たまたま昨日、暑気払いの席上でこの話になり、私がテレビ朝日の報道姿勢に疑問を呈したところ、意見はまっぷたつに分かれた。「存在は意識を決定する」という言葉どおり、人それぞれ、社会的「立ち位置」によって異なるようだ。
  インテリの極致である丸山真男センセイの分類に従えば、私などは場末の街を徘徊する、うらぶれた学歴も教養もない勤め人。私のような存在は「日本軍国主義を底辺で支える階層」と分類されるのだから、私ごときがテレビ朝日の「良心的番組」を批判することなど到底許されないということなのだろう。(苦笑)

 だが、私にはどうしてもこの番組の制作姿勢が気になる。「報道ステーション」の映像の下(した)に中国側の映像も貼り付けたが、そちらは「反日教育」の教材そのものだ。本来、テレビ朝日は、この人物を「神の医師」と持ち上げる前に、きちんと検証をすべきことがたくさんあったはずだ。だが、その痕跡は全く見られない。

 この「医師」が脱走兵であるという問題や、戦後、中共(=中国共産党)による暴政の中をどう生き延びたのかという点、一体中国の医師制度はどうなっているのかという疑問など、重要な点がすべてスルーされているのだ。はじめから「美談」づくりを目的にしているとしか思えない。これは、報道のイロハをわきまえない制作態度だと言っておく。
 どう受け取るかはもちろん自由。だが、YouTubeの映像は、早晩テレビ朝日によって削除されるのではないか。なぜなら、テレ朝としても、自信満々に残しておける映像ではないはずだから…。というわけで、どうかお早めにご確認を。


《報道ステーション 101歳 神の医師》 古舘サンが絶賛するような美談なのかどうか…!?
「神の医師」101歳の戦後 旧日本兵が中国で貫く"志"#1#
「神の医師」101歳の戦後 旧日本兵が中国で貫く"志"#2#


《中国側映像 中国で贖罪する100歳の日本老兵》
A 100 years old Japanese ex soldier's atonement Epd 1 百?日本老兵在??罪70年拒回国


「マット安川のずばり勝負」で李登輝氏インタビューを聴く

2010年08月13日 14時12分41秒 | マスメディア

 多分、首都圏でしか放送されていない「マット安川のずばり勝負」※を聴く機会があった。

※ http://www.jorf.co.jp/PROGRAM/mickey.php

 この番組は、マット安川の父親であるミッキー安川が、「ラジオ日本」で「ミッキー安川のずばり勝負」として続けてきたもの。最近、ミッキー安川が亡くなって、その息子・マットが番組を続けている。民放番組の「世襲」とは前代未聞だが、自民党の世襲議員の例のごとく、残念ながらこのマット安川も父親には到底及ばない人物である。ミッキー安川は、まさに破天荒な芸人だったが、その人間的魅力故に多くのファンがいた。だが、このマットという男は、父親のコピーに過ぎず、単なる 栄養食品の売人でしかない。

 だが、先日、この番組で李登輝氏のインタビューが放送された。あの独特な訛りの強い日本語で語る肉声を聴いて、李登輝氏の健在を知ると共に、あるいらだちも感じた。いま季節柄、「戦争回顧」「平和賛美」番組が花盛りだが、NHKを筆頭とする大手メディアは何故、李登輝氏にインタビューして、歴史記録として遺さないのだろうかと…。
 戦前の日本、日本統治下の台湾、そして戦後の台湾史を生きた希有の著名人として、李登輝氏にインタビューするのは当然ではないか
。中国からのクレームを恐れて、二の足を踏んでいるのだろうが、その間に時はどんどん過ぎ去っていく。

 知識人を自認する人、市民派の方々などは、「マット安川のずばり勝負」で李登輝氏インタビューを放送しても、誰も耳を傾けない。「ラジオ日本」など、「右翼」の放送局だと思っている人が多いためだ。李登輝氏インタビューもこれではあまり意味がない。
 「戦争に向き合う」とはNHKの常套句だが、実は、戦争の核心部分を突かないで、曖昧にしているのもNHKだ。「何故、あの戦争は起きたのか」「何故、ソ連は不可侵条約を破って、満州に侵攻したのか」「シベリア抑留を許せるのか」「米国は何故原爆を日本に落としたのか」…このような核心部分について、的確な説明をした番組を私は寡聞にして知らない。

 「右翼」の番組だとして耳を傾けない人たちは、ぜひ、一度だけ聴いてみてほしい。たとえ番組ホストが無知・無能でも、李登輝氏インタビューまで聴ける番組は、他にはありえない。それだけでも、聴く価値があるのだから…。


「ミッキー安川のずばり勝負」で「君が代」斉唱を拒否した菅直人首相 
菅直人「じゃあ国歌を歌わなかった証拠を出せよ」→「でてきましたw」


 

 


 


 


終戦から65年

2010年08月12日 08時58分12秒 | 歴史

 今日、「産経新聞」の「正論」欄に井上寿一・学習院大学教授(日本政治外交史)が、「終戦から65年」と題する興味深い一文を寄せている。 
 「歴史認識論争の当事者にとって真の「論敵」は、立場のちがいを超えて、このような無関心層だった。透明な、実感することのできない、無関心層が多数を占める日本において、歴史を問うことはむずかしい。日韓併合100年も朝鮮戦争60年もやり過ごされるだろう。今後、周年イベントが注目されることはないかもしれない今、話題となっている本にマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』がある。同書は言う。「われわれが個人として、みずからの選択と行動にしか責任がないと言い張れば、自国の歴史と伝統に誇りを持ちにくくなる。…愛国心からの誇りを持つためには、時代を超えたコミュニティーへの帰属意識が必要だ」

 「産経新聞」「正論」と聞いただけで、その内容を読もうともしない知識人(?)の方々も多いのだが、ちょっと待ってほしい。このところ、NHKが毎日放送する数多の「戦争回顧」番組を見て、本当に戦争の本質を知ることができたのかと。NHKは「兵士の声」「市民の声」など戦争体験の記録を集めた番組を放送しているが、「戦争の悲惨さ」「戦争をしてはならない」というメッセージは伝わってくるものの、何故、「戦争が起きたのか」「これから戦争が起きるとすれば、どうそれを防止できるのか」といった視点は全く明示しない。 「何故、米国は日本に原爆を落としたのか?」という最大の疑問さえ、全く解明しようとは試みていない。NHKさえもこうなのだから、民放はもうどうしようもない。

 私は、数多の「戦争回顧」「戦争反省」番組を見るよりも、この一文のほうがずっといい。日本社会を溶解させかねない感傷的な懺悔は、もういいではないか。「敗戦国」としての屈辱を未来永劫受けなければならないのであれば、未来ある若い日本人は、ある日突然、「懺悔の屈辱」に目覚めるかもしれない。その日は意外にも近いのかも知れない。
 

【正論】終戦から65年 学習院大学教授・井上寿一

 ■自国の歴史と伝統に誇り抱く時
 …(省略) 戦後、忘却の彼方(かなた)へと追いやられた戦争の記憶が蘇るのは1990年代になってのことである。戦争の記憶の解凍は米ソ冷戦の終結後から始まる。これは偶然の一致ではない。米ソ冷戦は戦後日本の平和と繁栄の国際的な前提だった。日本は米ソ冷戦の受益国である。その国際的な前提が失われる。米ソ冷戦下で凍結されていた戦争の記憶が解凍される。ここに歴史認識論争が展開される。

 ◆冷戦崩壊で戦争の記憶が解凍
 1990年代の歴史認識論争は、「従軍慰安婦」論争や歴史教科書論争、あるいは首相の靖国神社参拝の是非などをめぐって、国内対立を激化させる一方で国際問題となった。国際問題にまで発展した歴史認識論争は、体制を異にする大陸中国だけではなく、米ソ冷戦下、同じ陣営に属していた韓国との間でも激しくなった。同盟国のアメリカとの間でさえ、原爆投下問題をめぐって、外交関係が緊張した。米ソ冷戦の終結によって、パンドラの箱を開けたかのように、つぎつぎと戦争の記憶が飛び出してきた。
 歴史認識をめぐる国内論争は、双方が一歩も譲らず、原理的な立場からの批判の応酬によって、高進していく一方だった。なぜ対立が激しくなったか。おそらく米ソ冷戦の終結にもかかわらず、東アジアでは冷戦構造が残存していたからだろう。
 別の言い方をすれば、戦争の記憶をめぐる対立は、東アジアの冷戦と対応する国内冷戦として、エスカレートした。この国内冷戦は戦後60年の首相の靖国神社参拝問題で頂点に達する。
 その後はどうなったか。対立が収束することはなかった。同じ陣営内においてすら対立が起きた。歴史認識論争をめぐる主要な政治勢力は四分五裂した。
 論争の荒廃ののちに訪れたのは、思考停止社会である。問い「『南京大虐殺』はあったのか?」答え「どっちだっていいです」。「それはないだろう」。「だって関係ないですから」。この問答が今の日本の心象風景を表現している。日本は「無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の」(三島由紀夫)国になった。

 ◆時代超えて結びつけるもの
 歴史認識論争の当事者にとって真の「論敵」は、立場のちがいを超えて、このような無関心層だった。透明な、実感することのできない、無関心層が多数を占める日本において、歴史を問うことはむずかしい。日韓併合100年も朝鮮戦争60年もやり過ごされるだろう。今後、周年イベントが注目されることはないかもしれない。
 どこかに希望を見いだすことはできるのか。今、話題となっている本にマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』がある。同書は言う。「われわれが個人として、みずからの選択と行動にしか責任がないと言い張れば、自国の歴史と伝統に誇りを持ちにくくなる。…愛国心からの誇りを持つためには、時代を超えたコミュニティーへの帰属意識が必要だ」
 この一節を読み飛ばすことなく、日本に引きつけて考える人が一人でも多くなることを願う。
 あるいはもっと直接的に、たとえば浅田次郎『終わらざる夏』を読み、戦争とは何か、思いをめぐらせたい。同書の一節は言う。「平和と幸福を求めて生きる人間が、誰ひとりとして好まぬ戦をし、まるで聖なる儀式のように死と親和する」。これが戦争の真実の姿にちがいない。
 この物語をとおして、過去の日本と現在の日本とを結びつけることができれば、「時代を超えたコミュニティーへの帰属意識」が生まれるだろう。その時、私たちは「自国の歴史と伝統に誇り」を抱くことになる。
 このままだと、遠くない将来、8月15日が何の日か、すぐには思いだせなくなるかもしれない。そうならないように、せめて1年に1度、戦後何年になろうとも、この日だけは、戦争の記憶を掘り起こし、過去とのつながりのなかで、未来の日本を考えたい。(いのうえ としかず)


韓国のサーバー攻撃でmixiがダウン!?

2010年08月11日 23時05分14秒 | マスメディア

 昨日からmixiが変調をきたしている。使用できなくなったり、復旧したりの繰り返しだ。これまでなかったことだが、何が起きたのか?
 
 現在、mixiはこのような表示を出している。
 「ただいまアクセスしにくい状況です。現在復旧作業を行っておりますが、ご迷惑をおかけしておりますことを、深くお詫び申し上げます。なお、本アクセス障害による、ユーザーの皆さまのデータに影響はございません。申し訳ございませんが、しばらく時間をおいてから再度アクセスをお試しください。 」
 このように、ダウンの原因については全く触れられていない。

 Yahoo Newsで伝えられたのは、韓国からのサーバー攻撃説。昨日、菅首相が「日韓併合百年」に関する「謝罪談話」を発表した直後にMixiが利用できなくなったので、その絶妙のタイミングから、韓国攻撃説が浮上した。
 
 日本では、韓流ドラマが夜のゴールデンタイムに進出するまでになって、対韓感情は好転したと言われている。だが、日本で放送される韓国ドラマは、韓国で放送されているもののごく一部にすぎない。韓国のドラマには、憎悪に満ちた対日感情、対日歴史観を描いたものが多く、それらはとても日本人には見せられないのだ。つまり、韓国人の反日感情は、学校での「反日教育」に止まらず、日夜、TVドラマ等のメディアを通じて再生産されているのだが、脳天気な日本人はこのことを知らない。

 今回のmixiダウンについては、韓国攻撃説も十分考えられる。隣国の反日感情を誇張するのはよくないが、その内実を知ることは必要だろう。相手の気に入るように譲歩ばかりしていれば、真の友好関係など築けないからだ。もし韓国攻撃説が事実だとしたら、このやっかいな隣人にもっと警戒心を持つべきだろう。 

 

「ミクシィ」ダウンに韓国攻撃説 「2ちゃん」の代わりに狙われた?

8月11日19時32分配信 J-CASTニュース

 SNS「ミクシィ」(mixi)が2010年8月11日正午ごろから再び利用できなくなった。詳しい原因をミクシィが説明しないため、様々な憶測がネットに氾濫。中には韓国からのサーバー攻撃のせいではというものも出ている。

 韓国からの攻撃説が唱えられている背景には過去に何度も「2ちゃんねる」が韓国から攻撃を受けている事実がある。2010年3月1日にも大規模な攻撃を仕掛けられサーバーがダウンした。韓国の仕掛け人は「勝利宣言」をしたが、「2ちゃん」のサーバーは米国内にあり、FBIが捜査に乗り出す騒ぎになった。そのため攻撃目標を「ミクシィ」に変更したのではないか、というものだ。

■首相の謝罪談話発表の日で「ダウン」

 「ミクシィ」は8月10日の午後5時20分頃からアクセス障害が発生、利用不可能になった。同日の午後11時30分頃に利用可能になったが不安定な状態が続き、翌日の午前11時20分頃から再び利用が出来なくなった。
 「ミクシィ」はこの事態について「原因は調査中」とだけ答えている。2100万人とされるユーザーはネットの掲示板やブログに、「早く復旧させろ!」といった怒りの声が出ている。
 なぜ使えなくなってしまったのか。ネット内の憶測で目を引くのは韓国からのサイバー攻撃。2010年3月1日には大規模な攻撃により「2ちゃん」のサーバーが全面的にダウン。きっかけは「2ちゃん」内にフィギュアスケートのキム・ヨナ選手の演技の採点を「八百長」などとする書き込みがあったこと。

 ただし、「2ちゃん」のサーバはアメリカにあり、サーバー提供会社が250万ドル(約2億2000万円)もの損害が出たとして、FBIが国際犯罪として捜査に乗り出す騒ぎになった。韓国サイト「dcinside.com」の掲示板では、日韓併合100周年にあたる記念日の10年8月15日、再び「2ちゃん」を攻撃しようと呼び掛けが出ているが、前回FBIが出てきたこともあって、攻撃に否定的な意見も出ている。

■サービスやアプリ増加がサーバーに負担?

 そうした中で起こった今回の「ミクシィ」アクセス障害。ターゲットを「2ちゃん」から「ミクシィ」に変えたのではないか、という憶測が出回った。「日韓併合」100年を迎える10日は、菅直人首相が日本の植民地支配を謝罪する首相談話が発表された日でもあった。
 「2ちゃんねる」など掲示板やブログには
  「2chの対象がmixiに移ったのかな?って事ね」
  「このタイミングでシステム障害って韓国F5関係してないって思えないんだが」
  「忌わしき100周年。またも嫌がらせアタックかけてきやがったか…」
といった書き込みが出ている。

 もちろん攻撃などではなく、システムのトラブルで起こったものだろうという見方もある。このところ「ミクシィ」では新機能の追加を進めていて、6月には同じ会社の友人をみつけ繋がりを深める「mixi同僚ネットワーク」などの新サービスを始めた。またゲームや、複数のユーザーで交流ができるアプリケーションも豊富になっていて、これらの負荷が何かしらシステムに影響を与えてしまったのではないか、と見ている人も多い。
 なぜアクセス障害が起こったのか。J-CASTニュースが11日午後3時頃に問い合わせたところ、
  「データーベースをキャッシュするサーバーの不具合、ということだけはわかりました」と同社広報は話した。現在話せるのがそれだけで、調査を進めている最中なのだという。サイバー攻撃があったかどうかについても調査中だとしている。


菅首相「韓国併合100年談話」にはこんなウラが?!

2010年08月10日 19時32分00秒 | 歴史

 菅直人首相の「日韓歴史談話」について、安倍・元首相は「歴史に無知で、日本の国益を害する」と批判した。

 菅首相は「歴史に残る首相」となることを目指しているそうだが、今日の歴史談話でその可能性が出てきた。「夕刊フジ」などは、それを「菅首相の売国外交」だと批判している。
 そう、菅首相は、日本の国益を外国に売り渡した首相として「歴史に名を残す」かもしれないのだ。

 日本国内では無視されたかたちだが、台湾のTVでは「菅首相と韓国女性との私生児スキャンダル」を報道している。真偽は定かではないが、もし事実だとすれば、今回の「謝罪」が何故行われたかという疑問は、これで氷解する。菅直人サンは、韓国に公私共々負い目があったというワケだ。

  菅首相に痛撃 韓国人情婦との私生児を韓国で養育か?


「日韓併合百年に関する首相談話」を検証する

2010年08月10日 12時13分26秒 | 歴史

 「日韓併合百年に関する首相談話」が、下記のとおり発表された。「産経新聞」のよれば、菅内閣の中でも玄葉大臣などは、この談話の内容に対して異議を唱えたようだ。
 
 「菅談話をめぐっては、これまで与野党から異論が続出していた。民主党国会対策委笠浩頭副委員長と松原仁副委員長らは「与党の政策調査会できちんと議論すべきだ」と仙谷由人官房長官に申し入れた。民主党国対でも首相談話への反対論が相次いだ。玄葉政調会長も「補償の話が蒸し返されてはならない」と慎重論を唱えていたのに残念だ。。」(「産経新聞」8月10日)

 インタビューで松原仁議員は、「内閣が替わるたびに、謝罪の表示をすることは、日本の国益にそぐわない」と述べていた。民主党の中にさえ、このような反対意見があったのに、なぜ菅総理は「謝罪」を強行したのか。
 よく言われることだが、村山・元首相、菅首相には、「市民」を持ち上げ、「国家」を蔑む、あるいは、まるで人ごとにように自国を貶すという共通点がある。GHQ作成の日本国憲法を従順に学んだ二人は、「国益」という言葉さえも遠慮がちに使う首相となってしまった
 
 菅首相は、次のように言う。
 
「本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。」

 この表現は、日本側の一方的懺悔のように聞こえる。しかし、「…政治的・軍事的背景の下…」と言う言葉でぼやかされているものの内実こそが、問われなければならない。
当時、まさにロシアは朝鮮半島を植民地化しようと虎視眈々と狙っていた。朝鮮内部の政治状況も、四分五裂の状態で国家の態を為していなかった。西欧列強による「中国分割」(Cutting the China)が進む中で、次は朝鮮半島だという緊迫した政治状況があったことを確認しておかなければならない。そうでなければ、100対ゼロで日本は間違っていた、日本はその存在そのものが「邪悪」なのだという結論にいたってしまう。
 要するに、この談話は、不正確な内容に過ぎず、日本の国益にとってプラスになることは皆無などころか、将来的に禍根を遺すことになるのは間違いない

 また、お詫びの文言にも不適切な表現がある。菅首相は、こう謝罪する。

 「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」

 「歴史に対して誠実に向き合いたい」「歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みるこちに率直でありたい」という表現は、極めて情緒的で危険な言い方だ。日本人にとって、歴史は謝罪すべき対象であるかのような表現ではないか。あたかも神の如き「歴史」なるものがあり、ことあるごとに、それを正しく「認識」できない邪悪な民族として日本人は永遠に蔑まれ続ける…極論すれば、そういうことになりはしないか。

 また、「日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います」として、韓国に文化財を返却するとしている。これだけでは、日本側の不法行為を謝罪するような印象を与えるが、これは歴史的に見て事実ではない。
 朝鮮総督府が適正に管理していたが故に、現在まできちんと保管されてきたのである。そうでなければ、きっと朝鮮戦争で焼かれていただろう…とまではさすがに言うつもりはないが…。
 あたかも「盗品」を本来の持ち主に返還するというような言い方はいかがなものか。このことで、韓国がさらに新たな賠償請求を言い出すかも知れないのに…・。朝鮮総督府は、朝鮮の近代化に大きな役割を果たした。それは決して全面否定されるべき筋合いのもではない。

 次回の謝罪では、「竹島」の領有権放棄文書をプレゼントして、友好関係を築きましょうなどと言うのだろうか。際限ない謝罪と足元を見た賠償請求の連鎖。民主党政権がこれほど愚かだったとは…。世襲議員ばかりの自民党と五十歩百歩ということなのか。

 

【日韓併合首相談話】全文「韓国は誇り傷付けられた」…

 政府は10日午前、日韓併合100年に併せた首相談話を閣議決定し発表した。首相談話では、日本による韓国の植民地支配に対し「多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と明記した。談話の全文は以下の通り。

               ◇

 本年は、

閣議に臨む菅直人首相=10日午前、首相官邸(酒巻俊介撮影)閣議に臨む菅直人首相=10日午前、首相官邸(酒巻俊介撮影)

日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。

 私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。

 このような認識の下、これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます。また、これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます。さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。

 日本と韓国は、二千年来の活発な文化の交流や人の往来を通じ、世界に誇る素晴らしい文化と伝統を深く共有しています。さらに、今日の両国の交流は極めて重層的かつ広範多岐にわたり、両国の国民が互いに抱く親近感と友情はかつてないほど強くなっております。また、両国の経済関係や人的交流の規模は国交正常化以来飛躍的に拡大し、互いに切磋琢磨しながら、その結び付きは極めて強固なものとなっています。

 日韓両国は、今この二十一世紀において、民主主義や自由、市場経済といった価値を共有する最も重要で緊密な隣国同士となっています。それは、二国間関係にとどまらず、将来の東アジア共同体の構築をも念頭に置いたこの地域の平和と安定、世界経済の成長と発展、そして、核軍縮や気候変動、貧困や平和構築といった地球規模の課題まで、幅広く地域と世界の平和と繁栄のために協力してリーダーシップを発揮するパートナーの関係です。

 私は、この大きな歴史の節目に、日韓両国の絆がより深く、より固いものとなることを強く希求するとともに、両国間の未来をひらくために不断の努力を惜しまない決意を表明いたします。

 

菅“売国外交”に批判噴出 支持派もソッポで代表選ピンチ


左傾化路線を突き進む菅首相だが、党内支持基盤は大きく揺らぎ始めた【拡大】

 菅直人首相(63)は10日、日韓併合100年を迎えるに当たり、韓国の植民地支配などへの「反省とおわび」を盛り込んだ首相談話を発表したが、朝鮮学校の無償化問題など、ここ一連の左傾化路線が9月の民主党代表選に大きな影響を与えそうな気配となってきた。菅首相と距離を置く、小沢一郎前幹事長(68)と鳩山由紀夫前首相(63)のグループ連合に着々と外堀を埋められつつあるが、菅支持を打ち出しているグループからも離反者が出かねない事態となっているのだ。

 政府は10日午前の閣議で、首相談話を決定。談話は1995年の「村山首相談話」を踏襲し、「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明する」と明記。朝鮮王朝時代の祭礼や主要行事を絵や文で記録した書物「朝鮮王室儀軌」を近く引き渡すと表明した。

 菅首相は閣議決定後、韓国の李明博大統領と電話会談し、談話を伝達。大統領は謝意を表明した。

 文化財引き渡しに関しては、日本の旧朝鮮総督府から宮内庁に直接移管された文物が対象となる。1965年の日韓基本条約締結時に結んだ関連協定に基づき、日韓双方は財産・請求権を互いに放棄しており、実現すれば事実上の返還に相当する特例措置。仙谷由人官房長官(64)は同日午前の会見で、「速やかに手続きを進めたい。長くかかる話ではない」と述べた。

 ただ、今回の談話発表に関し、自民党内はもとより民主党内からも「謝罪外交だ」「韓国内で補償問題が再燃する」と懸念する声が噴出している。

 鳩山グループに属する松原仁議員(54)が、「内閣が代わる度に談話を出すのはいかがなものか。党内手続きもきちんと経ておらず、(戦後補償は)法律的に解決済みなので、談話を出す必要はない。国益に反する」と反対論をブチ上げれば、玄葉光一郎公務員制度改革担当相(46、党政調会長)も10日午前の閣議後の閣僚懇談会で、「党内にはさまざまな意見がある。準備の早い段階で政調会長に相談があってしかるべきではなかったか」と述べ、菅首相と仙谷氏に不満を表明。さらに、「今回は(閣議で)サインするが、今後はもっと早く相談してほしい」とまで述べたのだ。

 玄葉氏は反小沢色が強い「民主党七奉行」の1人で、代表選での菅首相の再選支持を打ち出している野田佳彦財務相(53)のグループに所属しているだけに、この姿勢は看過できない。

 実際、菅首相はリベラル色が強いが、今回の首相談話を主導したのは、「影の宰相」と呼ばれる仙谷氏であるのは間違いない。

 仙谷氏は同日午前の記者会見で反対派に配慮するためか、首相談話について「日韓基本条約で確認されているように個人補償、請求権の問題は解決済みという前提だ」と述べた。

 しかし、これに先立つ7日の会見では、韓国への戦後処理に対する日本政府の対応は不十分だったという認識を披露。政府として新たに個人補償を検討していく考えを示唆しているのだ。

 さらに、菅内閣の左傾化には、北朝鮮問題も絡む。

 現在、北朝鮮の指導下にある「朝鮮学校」を、高校無償化法に基づく就学支援金の支給対象に含めるか否かについて、文科省が専門家会議を設置して検討しているが、ここに来て、朝鮮学校を支給対象にする方向に傾きつつあるという。

 これにも党内から批判が噴出しており、小沢グループの重鎮でもある中井洽拉致問題担当相(68)は文科省に対し、「無償化の対象から除外するように」と強く要請。保守系中堅も「無償化は北朝鮮礼賛の教育内容の容認で耐えられない」と吐き捨てる。

 この背景にも、やはり仙谷氏の影響力が指摘されている。

 民主党の国会議員は衆参413人。現時点で、小沢グループ(約150人)と鳩山グループ(約50人)の合計は、菅首相の再選を支持する菅グループ(約30人)、前原誠司国交相(48)のグループ(約30人)、野田グループ(約30人)の合計を上回る。

 野田、前原両グループは「反小沢」色が強いが保守系議員が多く、菅内閣の左傾化は、両グループからの離反者を呼び、代表選でのマイナスになりかねない。

 政治評論家の小林吉弥氏は「菅首相が何をしたいのかが分からない。こんな首相は初めてだ」とあきれ、こう続ける。

 「朝鮮学校も難題だが、首相談話の方が影響は大きい。村山談話より踏み込まないと出す意味がないが、反対派の保守系議員は猛批判するのは必至。よほど慎重にやらないと、政権がひっくり返りかねない。代表選に向けて幅広い支持を集めるべき時に、批判勢力を勢いづかせ、支持派に亀裂を生んでどうするのか。世論調査では、国民が菅内閣に求めているのはデフレ脱却などの経済対策。国民の気持ちが分からないようでは、代表選で勝つのは簡単ではない」 (「夕刊フジ」2010.8.10)