澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「愛国・親中の精神」って何?

2010年07月31日 23時48分14秒 | 政治

  丹羽・中国大使が、奇妙な言葉を使った。「愛国・親中の精神で頑張りたい」と就任の抱負を語ったという。
 唐突に思い出したのは、日中国交回復交渉のとき、周恩来首相が外務省・法眼審議官に向かって言ったとされる、「あなたは法匪だ」という言葉。周恩来は、国際法(条約、国際慣例など)を掲げて中国側と粘り強く交渉する法眼審議官に対して、半ば賞賛の意味を込めてこの言葉を使ったと伝えられる。
 
 時は移り、民間活力の導入事例(?)かどうか知らないが、民間人の丹羽氏が中国大使になった。その開口一番が「愛国・親中」というお言葉。国家を代表し、国益を守るべき人物が、軽々しく「親中」などと言っていいのだろうか、と疑問に思った。

 法眼氏の例のように、立派な外交官とは、交渉相手から一目置かれる存在でなければならない。それなのに、丹羽氏は、就任早々、相手国に足元を見られるような発言をしてしまった。

 丹羽氏の言動を見ていると、「中華帝国」に参上する朝貢貿易の使節を連想してしまう。中国は「1000年も2000年も付き合う相手」だと言っているが、それほどの歴史感覚があるのなら、何故、中華人民共和国が中共(=中国共産党)による独裁国家であり、「反日教育」を国是としているの国家であることに思い至らないのか。残念ながら丹羽氏には、ひとかけらの歴史哲学、政治哲学も見られない。さすが、カネ儲け一筋の人生を歩んできた人だとしか思えない。

 こんな人を中国大使に任命した民主党政権の責任は重大だ。外務官僚を叩くために、わざわざこんな人事をしたのなら、まさに媚中・売国行為だと言われても仕方ない。現在、求められているのは、むしろ法眼氏のような外交官なのに…。

  (花蓮上空を飛ぶ台湾空軍戦闘機)

愛国・親中の精神で頑張る」丹羽大使、中国に着任2010.7.31 18:41

 【北京=矢板明夫】戦後初めて民間から中国大使に起用された丹羽宇一郎氏(元伊藤忠商事社長)が31日午後、北京に着任し、「愛国・親中の精神で頑張りたい」と記者団に抱負を語った。

 丹羽大使は中国との交流について、「これから1000年、2000年もつきあわなければならない隣国として、日中の国民の相互理解が何よりも大事だ」と指摘、「スポーツ、文化などの草の根の交流の推進に力を入れる」と表明した。また、「中国と一緒に成長しなければ日本の発展は難しい」と述べ、「できるだけ中国との自由貿易協(FTA)の協議を推進していきたい」との考えを改めて示した。

 大使館の業務については、「民間人から見れば改革すべきことはたくさんあると思う。これから少しずつ推進していきたい」と改革への意欲を示した。


池上彰の学べるニュース そうだったのか!中国と台湾

2010年07月29日 13時37分06秒 | マスメディア

 昨日、テレビ朝日系列で「池上彰の学べるニュース そうだったのか! 中国と台湾」が放送された。

http://www.tv-asahi.co.jp/manaberu/bk/cur/index.html

 この番組のHPでは、次のように紹介されている。

【そうだったのか!中国と台湾】
長年対立を続けてきた、中国と台湾。そんな中国と台湾が、先日経済での関係を深める、ECFA・経済協力枠組協定を結び、大きな話題となっています。
一体中国と台湾はなぜこれまで対立をしてきたのか、そしてなぜいま歩み寄りを見せてきたのか、そして日本への影響は・・・?などなど、池上彰がイチからスッキリ解説します。

 台湾を巡るTV報道は、「中国はひとつ」という前提の自主規制が行われている。旅行番組や美食番組ではしばしば台湾が登場するが、政治、社会、歴史に関わる番組となると決して多くはない。その意味で、この番組が放送されたことは歓迎できる。
 内容についても、25分のバラエティ番組という制約条件のなかでは、なかなかのものだった.。
中国共産党、中国国民党が作り上げた、「中国はひとつ」※というフィクションを肯定しなかったこと、李登輝、陳水扁という元・前総統を採り上げて、「台湾独立」に言及したことは、高く評価できる。

※ http://blog.goo.ne.jp/torumonty_2007/e/27d19e1e8a1e730da33bd26070ed39a4
 
 台湾に詳しい団体では、この番組をあまり評価していないようだ。(下記参照)
 だが、一般の視聴者がこの番組を見て、「台湾は中国とは違うんだぁ」と思うのならば、放送された意味は十分にあるはずだ。厳密な批判や検証も必要だが、一般的視聴者の印象もまた大事なことだから…。
 
 物足りないと思ったのは、日本統治時代の台湾について全く触れなかったこと。清国から日本への台湾割譲は、国際法に照らして何ら疑義がなかったこと、日本統治時代に台湾は急速な経済発展を遂げ、日本は台湾の近代化に大きく寄与したことを説明すべきだった。また、「二二八事件」(1947年)を採り上げれば、蒋介石の国民政府と台湾人との関係性が明らかになり、1990年代の李登輝氏による台湾民主化への歴史の流れが、容易に理解できたはずだ。
 
 文句を言えばキリはないのだが、私としては、NHK「アジアの”一等国”」よりは遙かにまともな番組に思えた。そして、楽しめたとも言える。早速、台湾人の友人に送って見てもらおうと思っている。

(「二二八事件」(1947年)で無抵抗の台湾人を虐殺する国府軍兵士=「二二八紀念館」展示より。中華民国政権(中国国民党政権)は、二万人ともいわれる台湾人の知識・指導層を虐殺し、その後40年間、外省人(=大陸から逃亡してきた中国人)が台湾人を支配するという独裁政治をおこなった。)


【日本李登輝友の会愛知県支部ブログ~媚中に見えたが、池上彰は何者】

昨夜、愛知李登輝友の会幹事から「今、テレビが見られる状態?池上さんが、台湾と中国のことをやってるわよ」という電話。
 そこで、苦手なテレビのリモコンを操作(結局、妻が操作してくれた)してみたら、テレビ朝日の「そうだったのか!池上彰の学べるニュース」と言う番組。観ていて「そうだったのか!」は「うそだったのか!」に番組名を変えるべきだと感じたのは私だけであろうか。

 で、今回のタイトルは
引用始―【そうだったのか!中国と台湾】長年対立を続けてきた、中国と台湾。そんな中国と台湾が、先日経済での関係を深める、ECFA・経済協力枠組協定を結び、大きな話題となっています。
一体中国と台湾はなぜこれまで対立をしてきたのか、そしてなぜいま歩み寄りを見せてきたのか、そして日本への影響は・・・?などなど、池上彰がイチからスッキリ解説します。―引用終
 彼の解説は、歴史の一面しか語っておらず、誤解を招く恐れが多分にある。

 日清戦争により、清は日本へ台湾を割譲した。中華民国が清の領土を主張するなら、国際法では、その時点で台湾は中華民国の領土にならない。ついでに言えば、清は中国ではない。元と同様で漢人が、他民族に制圧された歴史だ。そして、日本は、日露戦争で満州の租借権を得た。台湾も満州も合法的であり、その後に誕生した中華民国は、清から漢民族が解放されたものだ。

 池上氏は、この背景を分るように説明しておらず、孫文も出てこなかった。いきなり、蒋介石と毛沢東との争いに日本が中国大陸に入り込み、日本を相手に国共合作が行われたという、かなり乱暴な説明であり、これでは、台湾が元々中国であった印象を与え、日本が、日清戦争で得た台湾を中国が取り返したような印象を与えかねない。

 また、国共合作も上っ面の話であり、共産党が、ソ連の支援を受けたのは確かだが、日中戦争においては、共産党は、国民党の消耗が狙いであり、真面目に日本と戦っていない。
 敗戦により、日本は台湾を放棄するが、中国に返還などしていない。この部分を紹介せず、日中共同声明での「台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを日本は十分理解し、尊重する。」という文言を紹介している。
 これもまた、「台湾が中国の一部」という印象を与えかねない。

 その後、李登輝総統の誕生により民主化され、陳水偏により独立を唱えるようになり、馬英九が、中国との摩擦を避け、経済で取り残されないように訴え、圧勝した・・・と、これまた上っ面のみ言うので、ECFA・経済協力枠組協定が持つ、意味が軽視されている。

 独立か?統一か?そんな単純なことではなく、中国との摩擦を避けるため、原状でよいと言う人も多くいる。と淡々と言うが、これは、本当なら「独立」と言う意味である。

 中台接近がもたらす、日本への影響も淡々と経済面でさらりと語ったが、安全保障について全く触れていない。

 池上氏の説明で、一番問題なのは、台湾人の立場での話が出ていないことである。蒋介石と毛沢東の対立が主体だが、台湾人にとっては、どちらも迷惑千万な中国人である。台湾と中国が長年対立してきたのは、むしろ、逃げ込んできた中国人と台湾人の対立であり、蒋介石も毛沢東も台湾人からすれば、五十歩百歩の話だ。

 李登輝さんは、総統時代に「国と国との特殊な関係」と述べたように、本来、中華人民共和国が台湾領有を主張する根拠は無い。当然、法的には中華民国の領有でもない。中華民国が実効支配した事実はあるが、その国も消失した。ただ、中華民国憲法が存在し、そこに清朝時代の領土が記されていることが、中共が言いがかりをつけるのに好都合な根拠になっており、台湾人が憲法改正をしようとしたのを妨げたのは、他ならぬ中国に配慮した、日本と米国である。その姿勢が、台湾人に「原状維持」と言わざるを得ない状況を作ったのである。

 池上さんよ。私は、あなたが何者か知らないが、人に何かを教える立場なら、必要な材料を提供するべきであり、それを知りながら、このような番組作りをしたならば、「媚中」と呼ばれても仕方あるまい。

「中国はひとつ」というウソ~平野聡「大清帝国と中華の混迷」を読む

2010年07月28日 08時53分57秒 | 

 「大清帝国と中華の混迷」(平野聡著 講談社「興亡の世界史17」 2007年)を読む。いわゆる通史の本なので、読者はその叙述の根拠となる史料にいちいち当たってみるわけにはいかない。したがって、著者の専門領域や経歴を確認する必要がある。この著者は、東洋史(文学部)の出身ではなく、東大法学部で「アジア政治外交史」を講ずる政治学者だ。
 
 (平野聡「大清帝国と中華の混迷」)

 この本の特徴は、中国近代史を斬新な切り口で叙述していること。それは、次の目次を見ただけでも分かる。

序章 「東アジア」を疑う
第一章 華夷思想から明帝国へ
第二章 内陸アジアの帝国
第三章 盛世の闇
第四章 さまよえる儒学者と聖なる武力
第五章 円明園の黙示録
第六章 春帆楼への茨の道
終章 未完の清末新政

 著者は、政治学・政治思想史的な視角で、中国近代史を読み解く。類書の多くは、経済史的な実証やイデオロギー的な観点から書かれたことが多かったので、そのユニークさが際だつ。
 
 最も興味深かったのは、「中国はひとつ」というイデオロギーの起源が、この本を読むことでよく分かることだ。
 
(「清の領域主権」 p.299)

 
上記の「清の領域主権」には「乾隆帝の遺産であるチベット、モンゴルを含む版図を、近代国家の枠組みで認識しはじめた」と書かれている。これがまさに「中国はひとつ」というイデオロギーの起源なのだ。
 伝統的東アジア世界は、上の図で示されるような「華夷秩序」で保たれていた。明朝は漢民族の王朝であったので、満州、チベット、モンゴル、ウィグルは夷
狄(いてき)と位置づけられた。続く清王朝は、満州族による征服王朝だったので、狄である地域も王朝の版図に組み入れられた。ここに至って清朝は、中国史上最大の版図を持つ王朝となった。
 清朝を打倒して樹立された「中華民国」(1911~)は、当時の「中国分割」といわれる状況の中で、チベット、モンゴル、ウィグルの放棄を余儀なくされた。だが、清朝が残した史上最大の版図を、中国国民党、中国共産党は今もなお、中国の領土だと主張している。ここに問題がある。この清朝の版図は、伝統的な冊封制度に基づく緩やかな統治によって保たれていた。それは西欧が持ち込んだ「近代国民国家」とは、全く異なる原理の統治システムだった。ところが、中国国民党・共産党は、この事実を無視して
、冊封制度に基づく支配・版図=近代国民国家の支配・版図読み替えてしまった上記の「乾隆帝の遺産であるチベット、モンゴルを含む版図を、近代国家の枠組みで認識しはじめた」とはこのことを指している。

 
1947年、蒋介石の国民政府軍は、「二二八事件」で2万人も台湾人を虐殺した。1949年、国共内戦に勝利した中共直属の中国人民解放軍は、チベットを「武力解放」して、ダライ・ラマ政権を崩壊させた。これらの悲劇はどれも、「ひとつの中国」を標榜する漢民族の政治権力によって引き起こされた。
 今日、新彊ウィグル、チベット、台湾問題を考えるとき、上記のポイントは極めて重要だ。現在の近代国民国家が形成されて以来、新彊ウィグル、チベット、内モンゴル、台湾をひとつに包括した「中国」など一度もなかったという点だ。かつて故・衛藤瀋吉氏(東大名誉教授)は北京で「中国が歴史上ひとつであったことは一度もない」と語って、中国当局の激怒を買ったことがある。それは、歴史の核心をつく言葉であったからに他ならない。

 「中国はひとつ」というイデオロギーが、今や歴史の必然、錦の御旗であるかのようにまかり通っている。それは、何の根拠もないのだということをこの本は教えてくれる。
 

 

 

 

 


「日本・1945年の視点」(三輪公忠著)を読む

2010年07月19日 08時56分13秒 | 

 「日本・1945年の視点」(三輪公忠著 東大UP選書 1986年)を読む。この本は絶版になっているので、ネット通販で古書を購入した。

 (「日本・1945年の視点」三輪公忠著)※ http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%BB1945%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%A6%96%E7%82%B9-UP%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E4%B8%89%E8%BC%AA-%E5%85%AC%E5%BF%A0/dp/toc/413002051X

 この著者は、1929年生まれ、今年で81歳になる。旧制松本中学、旧制松本高校を経て、上智大学英文科に入り、そこを中退してジョージタウン大学に進学、1955年に卒業している。その後、上智大学で英語の講師を務め、1967年にプリンストン大学でPh.D(歴史学)を取得している。上智大学の内部では、カトリックの神父達のお眼鏡に適った典型的な”エリート”と言えるだろう。戦争の記憶が生々しく残る時代に、かつての軍国少年がカトリックの男子校(上智大学)に通い、さらに米国まで留学したのだから、当時としては稀少な体験をしたことになる。この世代の留学経験は、祖国が敗戦国であるという現実を思い知らされ、同時にアジア人に対する人種差別を体験して、かえって愛国心を持つ人が多かったようだ。この著者もその一人のようで、プリンストン大学では日本史を専攻して、英文で論文を発表している。「松岡洋右~その人と外交」(中公新書 1971年)は、一般的に知られている唯一の著作であるが、松岡洋右を採り上げること自体から、ある種の著者の思いが伝わってくるようだ。

 だが、この人の著作を通じて、触発されたり、感動したりしたことは一度もない。大昔、「地方主義を欠落させた日本近代」という論文を読んだとき、これは実証に基づく論文ではなく、かなり随筆に近い内容だと思ったことがある。この論文が入っている「思想の冒険」という本が「朝日」の読書欄で採り上げられたことがあるが、確かこの論文だけは「論旨が空回りしている」と指摘されていた。
 では何故、そんな著者の本をわざわざ取り寄せたのか。それは、来週、テストがあるというので、日本の戦争をテーマにした本を何冊も集めたからだ。私としては、加藤陽子(東大教授)の著作が最も気に入った。

 ところで、本書の目次は、次のようなものだ。
第1章 1945年の視点
 1 国家と戦争
 2 戦争目的の日本的設定
 3 新渡戸稲造と矢内原忠雄
 4 検閲制度下に自由を感じるとき
 5 追放図書の行方

第2章 戦争と国民国家の形成
第3章 大正の青年と明治神宮の森
第4章  アジア的新秩序の理念と現実
第5章 地域的普遍主義から地球的普遍主義へ
第6章 国家の連続性と戦争協力

 目次を見る限りでは、かなり食指を動かされるのだが、実際に読んでみると、失望また失望という連続だった。要するに、この著者は、まっとうに歴史を勉強をしていないという印象なのだ。日本の大学では英語を学び、米国の大学では日本史を学び、英文で論文を書く。この経験がうまく生かされれば、他の人にはできない学問的業績も残せたかも知れない。しかし、現実はどちらも中途半端という印象だ。国際関係史という当時では目新しい科目を教えていたはずだが、日本史の部分では、先行研究の引用が多く、自説の根拠とするものは、特定の思想家、学者などの「精神史的研究」と称するものに過ぎない。つまり、膨大な歴史資料と格闘するわけでもなく、新渡戸稲造などの論文の都合のよいところをつぎはぎして論文としていることが多い。米国人向けの英文論文ならそれでもOKとなるのだろうが、とても日本国内で通用する内容とは思えない。
 また、中国史の部分については、ほとんど知識がないのではないかと疑わせる部分も多い。具体的には、伝統的中国の冊封制度については、西嶋定生氏の言説をそのまま書き連ねているだけだ。それはいいとしても、「中国」と「清国」をごちゃごちゃに使用するという体たらくで、とても東洋史に造詣が深いなどとは思われない。

 こういう人が「母校出身者」を代表する教授だったという上智大学の学問水準の低さには今さらながら呆れるばかりだ。この人の後継者は、この本の「あとがき」に出てくる高橋久志(当時・防衛研修所)という人だが、この人もまた上智の英語科を出て、三輪を継ぎ「国際関係史」の教授になった。こういう凡庸な師弟関係、そのレベルは推して知るべしだろう。
 三輪公忠という人が、敵国であった米国に対する感情、心の奥に秘めた祖国への愛国心をもっと吐露すれば、少しはまともな歴史学者になれたのかも知れない。でも、そうすればカトリックの世界観への反抗と見なされて、神父達の反発を招き、「母校」の教授にはなれなかったはずだ。宗教系の大学にはよくあることだ。そういえば、往時の三輪教授は、キザなスーツを決めて、キザな発音の英語を話す、見かけ優先の「英語屋」という印象だった。いつだったか、「POTATO」の複数が「POTATOS」か「POTATOES」か分からなくなって、赤面していたこともあったが。

 昔話を思い出しただけで、この本は結局、試験の準備には何の役にも立たなかった…。この古書には、「90-5856 柳川純一」という名前が書き込まれていた。1990年に上智大学に入学した学生だろう。この人は、この本を読んでどう感じたのだろうか。  

 蛇足だが、この三輪公忠は、高齢であるにも関わらず、5月にエッセイ集を刊行した。「ハラキリと男根開示~男とは何か?男性性で読み解く日米の戦争と平和 (歴史から学ぶ)」※という何とも怪しげなタイトルの本で、しかも巨勢逆という奇怪なペンネームを使ってだ。キッチュの匂いが漂う異様な本だ。もしかしたら、この本の中に、これまで語られることのなかった、老カトリック留学生の”過去”が告解(告白)されているのかも知れない。それにしても、誰が買うのかこんな本。

 ※ http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-1535-6.html

 (ハラキリと男根開示)

 


李登輝氏が靖国神社に奉納

2010年07月16日 08時06分19秒 | 台湾

  台湾の李登輝・元総統が靖国神社に奉納したというニュースが、今朝の「産経新聞」に載っている。
 こういう記事は、決して「朝日新聞」には載らないし、NHKで放送されることもない。だが、李登輝氏という一国の大統領(=中華民国総統)だった人が、このような感情を持っているという事実は、無視されるべきでも、忘れ去られるべきでもない。
 李登輝氏の想いは、台湾の日本語世代に共通するものだ。戦争の記憶がますます遠ざかる中で、何故、李登輝氏が靖国神社に奉納するのかという疑問から、歴史を振り返ることも必要だろう。
 「平和」「人権」「共生」などというきれいごとでは済まされない、歴史の実相を李登輝氏から知ることができるに違いない。

2010.7.16  産経新聞
 
台湾の李登輝・元総統が揮毫雪洞を靖国神社の「みたままつり」に奉納 



靖国神社(東京都千代田区)で16日まで開かれている「みたままつり」に、台湾の李登輝元総統が「揮(き)毫(ごう)雪(ぼん)洞(ぼり)」を奉納している。戦死した李氏の実兄ら祭られている英霊を悼んでのもので、参拝者の目を引いている。

 みたままつりには、著名人らが揮毫した雪洞が奉納されている。李氏の方形の白地の雪洞には、好きな言葉という「誠実自然」という文字が浮かび上がり、人として誠実かつ自然に生きたいという李氏の思いがこめられているようだ。

 靖国神社には、約2万8000人の台湾出身の軍人・軍属が祭られ、李氏の亡兄の李登欽氏も「岩里武則」の日本名で合(ごう)祀(し)されている。李氏は2007年6月7日に靖国神社を初参拝した際、「62年ぶりに兄に会え、涙が出ました」と感激した面持ちで話していた。李氏の靖国参拝をめぐっては中国が批判するなどしたが、李氏は「(戦争で)亡くなった人を祭ることは当たり前」と反論した。

 靖国神社の広報担当の宮沢佳広さんは「李さんの雪洞を見て、お兄さんをはじめ英霊も喜んでいると思う」と話している。


「歴史は眠らない 沖縄・日本 400年」のトンデモ内容

2010年07月13日 06時24分27秒 | マスメディア

 たまたまNHK TV「歴史は眠らない 沖縄・日本 400年 琉球王国から沖縄県へ」※を見た。

※ http://<WBR>www.nhk<WBR>.or.jp/<WBR>etv22/t<WBR>ue/

 第2回「琉球王国から沖縄県へ」は、番組HPによれば、次のような内容だった。

「 在日米軍基地の移設問題に代表されるように、様々な苦しみを抱える沖縄。しかし沖縄の人々の想いと苦しみは、400年の歴史を遡らなければ見えてこない。
江戸時代、幕府の威を借りた薩摩藩が武力によって琉球王国を攻略したことから、今日に続く琉球(沖縄)と日本の関係は始まる。薩摩は琉球を明との交流の道具として利用しようとする一方、「異国」として「江戸上り」を強要する。琉球は中国と日本に服属する不思議な「日本の中の異国」となるのである。その後、日本は近代国家になる際に琉球処分を行い、沖縄県を設置し琉球王朝は解体された。
番組では、沖縄が苦しい歴史を背負うに至ったのはなぜか。何が出発点で、どのように今に受け継がれてきたのかを、琉球沖縄と日本の関わりの中から
みていく。 」

 小森陽一・東大教授(日本文学)が関わっている番組だが、奇妙なことに次回の番組は延期となったという。その理由が番組HPには、次のように書かれている。

「「沖縄・日本400年」の第3・4回の放送は延期します。
第3・4回では、明治時代から沖縄返還に至るまでの近現代の沖縄史をとりあげる予定でした。
しかし、取材を進めていくうちに、資料の検証に相当な時間がかかることが分かり、放送日を延期して、さらに取材を深める必要があると考えました。
予定通り放送ができなくなったことを深くお詫び申し上げます。
秋以降、なるべく早い時期の放送をめざしています。放送時期が決まりましたら、テキストや番組ホームページで事前にお伝えします。 」

 また、この小森教授の経歴については、番組HPで次のように紹介されている。

小森陽一(東京大学大学院教授)
1953年、東京都生まれ。国文学者。専門は近代日本文学。小中学校時代の数年間を、日本共産党員だった父親の仕事の関係で、チェコスロバキアのプラハで過ごした経験を持つ。北海道大学文学部卒業、同大学院修了。夏目漱石研究、ポストコロニアル研究、また、憲法9条の改正に反対する「九条の会」の事務局長としての活動も知られている。」

 第2回を見る限りでは、琉球国からの視座で、清国との朝貢関係、日本による琉球処分を採り上げた。歴史的事実については、史実の捏造は見られないものの、ナレーションの印象と使われた映像や音楽を重ね合わせて考えると、近代日本という国家に対するある種の「嫌悪感」がはっきりと伝わってくる。「軍備を持たない」「平和な」琉球国が、清国との「国際交流」もうまくいっていたのに、ある日突然、近代的軍事力を整えた明治日本に制圧されたと言いたいかのようだ。そして、このような歴史認識を、現在の「基地を抱える沖縄」「内地から差別される沖縄」に結びつけ、現代日本の政治状況を批判することに力点を置いているようにも見える。
 だが、東アジアの伝統的秩序である華夷秩序について詳しく説明することもなく、「西洋の衝撃」(Western Impact)について語ることもない。要するに、琉球が近代日本に併合された時点での国際環境の説明が不十分なのである。西欧列強が非西欧世界を次々と植民地化し、その終着の目標が日本だったという、当時の緊迫した国際関係に関する基本認識が欠けている。
 そこを詳しく説明すると、どうしても明治政府が採った「琉球処分」がやむを得ない決断であったことが浮き彫りになってしまうからだろう。あくまでも、小森氏は、現在の「人権」感覚で明治政府を断罪したいようなのだ

 この番組の第3・4回が何故延期になったのかは分からない。上記の延期説明を見る限りでは、何か重大なクレームかトラブルがあったとしか考えられない。ただ、NHKは、どうしてこんな番組ばかりを放送するのだろうか。「JAPAN デビュー」の第1回「アジアの”一等国”」は、今も視聴者による「偏向番組訴訟」が行われている。

 現代中国の歴史観と版図意識によれば、琉球は「中華帝国」の一部であったとされている。まさかと思うが、「護憲運動」を自ら展開する東京大学教授をホストに仕立て上げ、琉球は元来日本ではなかったと中国向けにアピールするのがNHKの目的だったのではないかとさえ思えてくる…。
 戦争を知る世代が少なくなるにつれて、歴史認識もまた曖昧になる。本来であれば、公共放送であるNHKがきちんとした番組作りをしなければならないのに、この体たらく。どういう人がNHKの番組ディレクターなのか、詳しく知りたいものだ。


「みんなの党」 渡辺喜美の化けの皮が剥がれる日

2010年07月12日 17時18分05秒 | 政治

 やっと参議院選挙が終わったというのに、マスメディアは小沢一郎がどう逆襲するかなどという話題で大騒ぎ。
 個人的な感想を言えば、千葉景子法務大臣が落選してよかった。この人は、旧・社会党の残党で、夫婦別姓、外国人参政権の積極的推進派だ。夫婦別姓は、「鈴木家」「田中家」といった「家」の概念を喪失させ、伝統的な日本の家族関係を崩壊させる可能性が高い。在日外国人に対する地方参政権の付与は、外国との互恵関係に立脚しないばかりか、特定の外国人勢力を利する結果となる。護憲派・人権派弁護士である千葉氏の頭には、「国家」「民族」「伝統」という概念がすっぽりと抜け落ちていて、「平和」「グローバル化」などという夢想があるだけだ。

 (菅首相を「空きカン」と言った渡辺喜美)

  ところで、選挙で勝った渡辺喜美がまたまた偉そうなことを言っていた。
「中学生でも分かる経済学の本を”空きカン”総理は分からない」と。こういう駄洒落のような軽口をよくいう渡辺だが、こんなことを言えるほど彼は優秀なのだろうか?
 渡辺が口を開くたびに言うのは、「民間では…」「役人どもが…」の二言。いかにも愚鈍そうな風貌を、眼鏡や髪型で隠したてているが、「中学校の経済学もわからない」ように見えるのは、どう考えても菅直人ではなく、渡辺のほうだ。
 何の怨念か劣等感かは分からないが、渡辺喜美のような物言いをする政治家は到底信用できない。

 (官僚時代の恨みを晴らす?江田憲司)

    「みんなの党」幹事長・江田憲司は、渡辺とは全く対照的に頭脳は明晰そうだが、その性格は相当悪そうだ。あの嫌味なしゃべり方は、かなりの敵を作ったのではないだろうか。自分は優秀で、相手を小馬鹿にするあのしゃべり方。渡辺喜美とよく一緒にやっていけるものだ。きっと、心の底では渡辺喜美をバカにしているのだろうな…と思う。

 胡散臭い「みんなの党」だが、さすがにマスメディアもこの党を持ち上げてばかりはいないだろう。
 伝えられるところでは、渡辺喜美の政治資金問題、江田憲司の女性問題あたりが暴露される日も遠くはないという。

 世襲議員で、いかにも小心者の渡辺喜美が、これほどまでに支持を得たのには、正直驚いた。 

 


 

 


軍艦「三笠」で中国人民解放軍の兵士を見た

2010年07月08日 20時22分10秒 | 歴史

 横須賀に軍艦「三笠」が展示されている。考えてみると私も行ったことがない。そこで思い立ってでかけてみた。

 横須賀は何度も通り過ぎたことがあるが、わざわざ行くのは初めて。きれいな遊歩道を歩いていくと、三笠公園があった。公園には東郷平八郎の銅像が建ち、その向こうに「三笠」が展示されていた。


 
 子供の頃、このあたりを遠足で来たことがあるはずだが、「三笠」に行くことはなかった。いま30~40歳代の人はどうなのだろうか。もしかすると、日教組が子供達に「三笠」は見せないという運動をしていたのではないかと思い至った。戦艦を見せることは、子供達を戦争肯定に導く…愚かな教師が考えそうなことだ。皆さんは遠足で「三笠」に行ったことがありますか?

 艦内の歴史展示だが、実にまっとうなものだった。当時の世界情勢として、①列強のアジア進出、②日清戦争・三国干渉、③日英同盟など、日露戦争の誘因となった史実が語られ、詳細な歴史地図が付せられている。このくらいだったら、普通の中学生が見れば、歴史の面白さが分かるだろう。「平和」はきれいごとではなく、国家、民族の抗争の果てに得られる「一時的安定」だということを実感するに違いない。

 
 下の写真を見てほしい。自衛隊の関係者が外国人を「三笠」に案内していた。二人は米国軍人だったが、他にブラジル海軍の軍人もいた。「李」というネームプレートを付けた女性軍人(写真の右から2番目の制服女性)もいたので、これはどこの人かと思い、後を追ってみた。プレートをよく見ると、何と「中国人民解放軍」と書かれていた!「中華民国海軍」(台湾)ではなく、「中国人民解放軍」なのだ。現実はここまで来ているのかと実感した。

(「三笠」を見学する外国軍人)

 数年前、大連・旅順にいったとき、「203高地」で「日本帝国主義」を糾弾する史跡説明書を見た。「ロシア帝国主義」に対する批判は、実に控え目だったことを思い出した。1945年以降、歴史に懺悔を続ける日本人は、唯一の力の源泉である経済力を失ったとき、日本人でいられるのだろうかと本気で心配になった。


中国人観光客が日本を救うか?

2010年07月06日 02時52分55秒 | 社会

 7月から中国人観光客の旅行制限が緩和されて、年収80万円程度の中国人までが来日できるようになった。
 マスメディアは、中国人観光客が箱根の別荘を買おうとしているとか、オークションで日本の美術工芸品を買い漁っているとか大々的に報道している。まるで、リッチな中国人が日本経済の不況を救うかのような書きようだ。

  (世界を動かす中国人観光客?)

 だが、忘れてはいけないことがある。ひとつは、中国人のマナーの悪さと犯罪。これは説明するまでもないが、中国人観光客と一緒の旅館に泊まったら、同じ風呂に入ろうと思う日本人はいないだろう。それくらい、彼らのマナーは悪いのだ。犯罪に関しては、凶悪犯罪の多くが中国人によるものだという現実を考えると、簡単に旅行者枠を拡大していいのかという疑問に突き当たる。

 もうひとつは、中国人の対日感情を考えると、リピーターになる中国人はそれほど多くないだろうということ。現在、中国人観光客が日本に来て感心するのは、日本人のきめ細やかなサービスと日本製品の優秀さだ。文化遺産や風光明媚な土地を目当てに来るのではないのだ。ということは、もし、中国において日本並みのサービスが実施され、中国製品が日本水準に達すれば、彼らが日本に興味を持つ理由は、ほぼ無くなってしまう。日本からの安易な技術移転が現在の中国の経済的繁栄をもたらした訳だが、ソフト(サービス)面でも中国は急速に日本に追いつこうとしている。4月に敦煌に行ったとき、ホテルのサービスの良さには驚いたので、これは実感でもある。

 観光資源という観点からすると、日本は中国に到底太刀打ちできない。ゴビ砂漠と鳥取砂丘を比較するようなもので、リピーターを引きつける魅力は乏しい。
 そう考えると、中国人観光客の増加は、一時的に日本経済を潤すが、長くは続かないと思われる。
 マスメディアの「媚中」報道に警鐘を鳴らしておこう。 

 

 

 

 


あまりに暗愚な…渡辺喜美(みんなの党)

2010年07月04日 07時52分41秒 | 政治

 今週発売の「週刊文春」によると、「みんなの党」は7議席を獲得し、参議院のキャスティング・ボードを握る勢いだそうだ。
 私の友人の公務員氏が「みんなの党」に投票するというので、「自分の首を絞めることになるよ」と話した。

 (親の仇討ちか、自らの怨念晴らしか…)

 先日、渡辺喜美が秘書に横柄な態度で説教している映像が放送された。その秘書は、先代の渡辺美智雄から仕えてきた年上の人だ。この映像を見て、田中真紀子を連想した視聴者も多かったのではないか。親の威光を傘にして威張り散らす…この二人の共通点だ。

 渡辺喜美の感情的な物言い、ワン・パターンの主張を聴いていると、この人が持つトラウマの深さが気になってくる。
 政治的には憤死したに等しい父親の仇討ちを目指しているのか、秘書時代、官庁で軽くあしらわれた怨念を晴らすためか、いずれにしても、彼の官僚攻撃は異様であり、異常な感じさえする。
 「民間だったら…」「役人どもは…」が彼の常套句。民間会社に一度も勤めたこともなく、国家公務員上級試験に受かるほどの能力も学力もなかったこの男がこの常套句を振りかざすのは、実は自らの劣等感を覆い隠すためではないか? 渡辺美智雄の官僚コンプレックスは今も語り継がれているほどだが、彼にはそれなりの学識・知見があった。その息子・喜美は、世襲議員にありがちな低学歴(親と比べて)と傲慢な性格の持ち主。みかけだけを父親になぞろうとしても、それは無理というものだ。
 
 父親の選挙地盤を引き継いで、何の苦労もなく国会議員になった無能な男が、結局辿り着いたのが、大衆迎合(ポピュリズム)だ。不況の風が吹きすさぶいま、「役人どもは…」と絶叫する渡辺喜美を見ていると、「ユダヤ人の陰謀」を攻撃した無名時代のアドルフ・ヒトラーがだぶって見えてくる。

 アジェンダ(Agenda)などと言い出した渡辺だが、マニフェストとどう違うというのか?コンプレックス丸出しのバカさ加減もいい加減にした方がいい。


 
 

 


「台湾出兵~大日本帝国の開幕劇」(毛利敏彦著)を読む

2010年07月01日 22時14分46秒 | 歴史
1 本書の論点
 「台湾出兵~大日本帝国の開幕劇」(毛利敏彦著 中公新書)を選む。 
 率直に言って本書(「台湾出兵」)が史学界でどういう評価を受けているのか分からない。著者は、琉球藩設置と台湾出兵との関連性は薄く、「明治六年政変」を巡る内政要因が台湾出兵の動機となったと主張する。異論はさまざま存在するのだろうが、著者は大久保利通を中心とする内政要因説に自信を持っているようだ。
 著者の問題提起の中で刺激的だと思うのは、台湾出兵が「…中華皇帝権力体制の存在理由の根幹にでも触れるような深刻な事情が伏在していたのではなかろうか」(「まえがき」p.)という部分だ。この思わせぶりな部分について、著者は次のように解答を出している。「中華皇帝体制なるものには華夷秩序の編成つまり朝貢国の保有を不可欠とするメカニズムが組み込まれているからではないか」「…たとえ一国であれ朝貢国の欠落は、…帝国の存立そのものへの致命的打撃へと通じかねない」(本書p.181)
 当時の国際環境を考えれば、日本が琉球藩設置と台湾出兵をセットにして対外進出を図ったとは考えにくい。日本が最初から「侵略の意図」を持っていたとするこのような史観は、あまりに単純過ぎる。当時、清朝は比類のない超大国だったのに対し、日本は台湾に派兵するだけでも大きな経済的負担となるほどの「小国」だった。ようやく維新を成し遂げた明治政府にとって、清朝中国は依然として巨大な存在だった。
 台湾出兵は、近代国家日本が初めておこなった海外出兵である。それは内政上の理由で引き起こされたとしても、結果として琉球の「両属」状態を解消させ、東アジアの華夷秩序を崩壊させる一撃となった。朝貢国の存在が華夷秩序の維持にとって、極めて重要な要素だとする著者の立場からすれば、台湾出兵の意外な波及効果として、中華皇帝権力の失墜を加速させたことになる。同時に、この台湾出兵の衝撃は、清朝に「日本は仮想敵国」であるという認識をもたらした。
 
2 台湾出兵に見る歴史認識の問題 
 台湾出兵は、漂流した宮古島島民がパイワン族に殺害された事件をきっかけに行われた。だが、出兵の実施は、事件の3年後のことだった。当時の琉球民=宮古島島民が果たして日本国民と言えるのか、またパイワン族が清朝の支配下にある清国民であるのかさえ定かではなかったからだ。西欧近代の所産である万国公法は、非西欧を侵略する道具としても用いられたが、この殺害事件に際して明治政府は、米国人外交官リゼンドルなどの意見を採り入れた。リゼンドルの第四覚書は「琉球民遭難事件を利用して台湾・澎湖島を”拠有”せよ。内政が混乱している清国は日本の”拠有”を阻止できないであろうし、英露対立が激化した結果、関係国はいずれも相手陣営が台湾を領有するのをのぞまないから、列強は中立である日本の”拠有”を黙認するであろう」(p.39-40)という内容であった。現実はこのリゼンドル覚書の思惑どおりには進まず、台湾出兵によって日本は東台湾(生蕃の住む太平洋側地域)を領有することも叶わなかった。しかしながら、明治政府が当時の国際関係を動かす権力政治(Power Politics)の本質を見極め、西洋列強の手法を「習得」したという意味で、この台湾出兵は重要な意味を持つ。
 「一八九五乙未」という台湾映画(2008年制作)がある。日本の台湾接収と「台湾民主国」の崩壊、それに続く客家と原住民の抗日闘争を描いた映画だ。映画には北白川宮親王と森鴎外が登場する。北白川宮親王が率いる台湾接収部隊は、マラリアなどの熱帯病に苦しみ、戦死者の何十倍もの病死者を出す。新竹周辺では客家と原住民の激しい抵抗に出会うが、このとき彼は「ここに真の本島人が現れた。これは戦争だ」とつぶやく。これは、戦わずして大陸に逃げ去った「台湾民主国」の清朝役人を揶揄し、同時に現在の馬英九政権を批判する台詞だと言われている。そこには「台湾は台湾人のもの」という主張が込められている。結局、台湾接収に抵抗した客家を中心に一万4千人もの台湾人が犠牲になる。にもかかわらず、その実行者である北白川宮親王は、自らの職務に忠実で、人道的な感情を持つ近代的人間として描かれている。さらにこの映画自体が、軍医として従軍した森鴎外の日記に従って展開していく。日本・日本人の描写は、あくまで客観的で、「反日」的な感情など全く見られない。李登輝氏以降の台湾では、このような歴史映画が出てきたのだ。 
 台湾出兵、日清戦争、台湾接収そして日本統治時代へと続く台湾の近代史は、「帝国主義」「植民地支配」等の類型的な分析では捉えきれない側面を持つ。「東洋の近代は、ヨーロッパの強制の結果である」という竹内好の言葉(「中国の近代と日本の近代」)がある。この”強いられた近代”にどう立ち向かうかは、それぞれの民族の力量に委ねられた。「西洋の衝撃」を受けた日本国と清国は、「近代」の出発点においてはともに共通の「被害者」でもあったのだ。世界規模でのパワーゲームに否応なく引きずり込まれた日本は、いち早く明治維新を成し遂げ、西洋列強と同列に立つ。それは非西欧に属する近代国家が成し遂げた初めての快挙であり奇跡でもあった。当時の日本にとって、それ以外の選択肢があったなどとは到底信じられないことだ。
 現在の台湾では、日本統治時代が台湾の近代化に大きく寄与した時代であったことが十分に認識されている。それは李登輝氏の功績である。だが、国民党独裁時代の露骨な中国化政策(それは同時に「反日」意識を醸成させる目的もあった)にもかかわらず、台湾人の親日感情は変わらなかったという事実に我々はもっと注目すべきだろう。それは、人口の大多数を占める本省人の日本語世代がずっと「親日感情」を持ち続けたことを意味している。日本統治時代がすべて暗黒だったとしたら、こんなことは起こりえないはずだ。ちなみに「台湾人生」という日本のドキュメンタリー映画には、そうした日本語世代の心情が吐露されている。
 1945年に歴史の断絶を強いられた日本人は、いつのまにか歴史に謝罪する民族となってしまったのだろうか。「未来を見通す鍵は歴史の中にある」と言ったのは、何とNHKの「プロジェクト JAPAN」だった。その言自体は全く正しいのだが、肝心の番組はどこの国の放送局が作ったのかと思われる異様な内容だった。
 この番組のように、「台湾出兵」「日本の台湾統治」などという評価が分かれる史実に直面すると、その内実を確かめることもなくとりあえず「謝罪」して、「平和」「友好」「共生」などという美辞麗句を続けるのが、いつのまにやら普通のこととなってしまった。その昔、親や教師は自らの戦争体験を語り、外地(植民地)での珍しい生活体験を披瀝した。戦争の記憶はまだ身近にあり、言葉には実感が伴っていた。そこには、「今次大戦」で祖国のために戦った死者に対する追悼の気持ちも残っていた。そう思い返すと、「国家」を超越した「個人」の存在などありえないという明確な思いがする。
 台湾はいま、中台・両岸関係の進展によって「国家」のアイデンティティさえ失いかけている。台湾海峡の要衝・澎湖諸島は、今また歴史の荒波に飲み込まれようとしているかのようだ。日本統治時代に皇室関係者の迎賓館だったという「澎湖記念館」を思い出すが、それは、純和風の質実剛健な平屋建てで、これこそ日本という建物。今なお大日本帝国の足跡と日本統治時代の面影を伝えている。その解説文には日本統治時代の歴史が客観的に記されていて、日本を非難する文言などひとつも見られない。一方、何年か前、大連の旧・満鉄本社を訪れた時には、これでもかと思うほど「日本帝国主義の罪状」を見せつけられた。
 歴史認識を巡る日中韓国の確執は、東アジア固有の華夷秩序に由来しているため、その根は深い。個人的に危惧するのは、親日的な台湾が中国に併呑され、あの「澎湖記念館」が「日本帝国主義」の罪状を示す記念館となる日だ。そうならないことを切に願う。
 最後に、少なくとも本書は、台湾出兵を複眼的に分析していて、手垢の付いたイデオロギーで処断してはいないので、信頼に足ると思った。

「海角七号」(日本語字幕)DVDがリリース

2010年07月01日 19時27分52秒 | 音楽・映画

 台湾映画「海角七号」のDVD(日本語字幕版)がリリースされた。
 アマゾンのカスタマー・レビューには、早速、7件もの書き込みがあり、出足好調という感じだ。



 今日(7月1日)、大陸の中国人観光客の来日制限が大幅に緩和されたというニュースが報道されている。また先日、中台自由貿易協定(FTA)が締結され、台湾と中国の経済関係はますます緊密になると予想される。
 政権党である民主党は、外国人参政権、東アジア共同体をマニフェストに掲げ、「日本列島は日本民族のためだけのものではない」(鳩山・前首相)という発言まで飛び出した。
 中国共産党がもくろむのは、「中華思想」「華夷秩序」の復活だ。台湾は当然のこととして、沖縄(琉球)までもが「大一統」の対象となる。このことに気づいている日本の政治家は、どれほどいるのだろうか。

 「海角七号」は、台湾は中国大陸とは別だということを教えてくれる。「中国が歴史上ひとつであったことは一度もない」(衛藤瀋吉) しかし、もしかするとこの映画は、台湾が中国に併呑される直前の「最期の輝き」なのかも知れない。そう思いたくはないが…。

 アマゾンのレビューには、次のような心に残る書き込み※があった。

※ http://www.amazon.co.jp/product-reviews/B003II8B98/ref=cm_cr_dp_all_helpful?ie=UTF8&coliid=&showViewpoints=1&colid=&sortBy=bySubmissionDateDescending

台湾という国を知らない人のために, <NOBR>2010/5/30</NOBR>

「私の意見は少しピントがずれているかも知れません(笑)実は、昨日まで、10日ほど台湾をひとり旅してきました。実は、昨年の5月から数えてもう6回目です。

この映画も、台南市のDVDショップで購入し、台湾語のまま、観ました。でも、日本語が3分の1ほど入っているので、おおよその、あらすじはつかめました。

台湾は世界一の親日国です。世界中を旅行してきた私が言うのですから、間違いはありません。もっと、言えば日本より日本らしいと思います。

老人は、教育勅語を暗記していることを誇りにしています。街を歩けば、いたるところに日式の文字が見られます(日本式による建築・食料品・化粧品等の意味です)つまり、日本による製品は、値段は高くても、人気が高く売れると言うことです)

台北を少し外れて、旅すると、日本人だと言うだけで歓迎されます。新竹と言う街の屋台では、周りの人から大歓迎をうけました。そのとき、不覚にも涙が流れました。
こんな親日国にたいして、日本は冷たい態度をとり続けています。

シナ(正式名称です)の顔色ばかり伺っている政治家たち。シナ人は、道徳心がまったくなく、獣のような人種です。台湾のホテルへ泊まれば、それが良く分かります。
大声で騒ぎ、食事マナーは最低、割り込みはへっちゃら。滅茶苦茶です。

シナは一党独裁国家なのですよ。うそを平気で言い、言葉と心は裏腹なのは当たり前。
台湾人も、このことを嘆いています。

日本統治時代は、戸締りをしなくても、安全だった。今は、泥棒とスリばかり。
経済・衛生・治安・すべての面で日本のほうが勝っていた。
日本語族の老人と話すと、よく聴かれる言葉です。

この、映画は台湾を知らないひとのための入門書といっても良いと思います。
また、一度、台湾の田舎を旅行してみてください。
日本がどんなすばらしい国であるか、再認識できます。 」