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澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

正岡子規の碑文を見に行く~金州(中国遼寧省)

2025年06月02日 11時20分20秒 | 中国

 先日、「旧満洲を巡る旅」に参加したが、初日に訪れたのが大連から30kmほど離れた金州だった。パンレットには次のように書かれている。

日露戦争初期の激戦地「南山古戦場跡」
「金州副都統衛門博物館」
「清朝古街」観光



 大連周水子国際空港に着いたとき、両替の前に並んでいた女性から「どちらに行くんですか?」と尋ねられた。「金州です」と言うと、「わあ、いいですね。あそこは正岡子規の碑がありますよ。行ってみたいところです」という返事。俳句なんて興味ないと内心思っていたら、何とその女性は日本に住み日本文学を学んだ中国人だった。完璧な日本語、しぐさも全く日本人と同じ。異国にある正岡子規の碑文に俄然興味が湧いてきた。

 期待を胸に金州副都統衛門博物館」を訪れると、衝撃的な結末!?が…。


ガーン! ⇧⇧ 何と碑文は白い板に覆われて見ることができない

⇩⇩⇩ 実際の石碑はこちら。 

(⇧⇧ 他から引用したものです)

行く春の酒をたまはる陣屋哉(正岡子規)

 1895年、日清戦争における金州攻略に従軍記者として派遣された正岡子規が詠んだ句。この句碑は、1940年には天后宮にあったが、その後行方不明になり、1998年に建設工事現場で偶然に「発見」されたという。
 思うに、日本人以外はこの句碑に全く興味はない。日本の敗戦によって、打ち捨てられていたが、その後、観光資源として価値があると考え、復元したものだろう。それが今、再び、白い板が貼られている理由は、何なのかと訝しく思った。17年前、大連に来たときは、満鉄本社内部に入り、満鉄総裁室の中まで見学すること(撮影は禁止)ができた。歴代満鉄総裁の写真もそのまま飾られていた。ところが、今回は、満鉄本社も立ち入り禁止。どちらも、日本人だけが参観する場所だということが、引っかかる。日中関係の悪化で日本人観光客が激減しているので、公開することのうま味がなくなったと判断したのだろう。漢文調ならともかく、平仮名混じりの碑文は、中国人には抵抗感がある。

 金州副都統衛門博物館の由来について、ガイドブックでは次のように書かれている。

「旅順港が開かれ大連の町が誕生するまでは金州が遼東半島を代表する町であった。清朝はここ金州に「副統衛門」という役所を設けて遼東半島を治めていた。金州副都統衛門は、二つの門がありその奥に「印務処」と呼ばれる副都統の事務所がある。‥‥副都統公館の裏手に清代の石刻が並び、その中に日本語で書かれた碑も立っている。正岡子規の句”金州城にて”の石碑であった。碑文は”行く春の酒をたまはる陣屋哉”と書き込まれている。‥正岡子規は1895年に新聞「日本」の従軍記者(日清戦争の)として派遣された。その約30日の従軍記者生活の際に詠んだ句のひとつである。従軍記者の生活は大変で満足な食事もできなかったらしい。そんな時に松山藩主久松定ことの宴席に招かれ感激した式が詠んだ句とされている。」(
旅名人ブックス「大連・旅順歴史散歩」2007年)

 清朝は、満洲族の王朝であり、満洲はかれらの祖地であった。金州は、その満洲の遼東半島の中心地であったという。そのため、この副都統衛門の邸宅(現在は博物館)や清朝古街など、数々の歴史遺産が残されている。それならば今、統治者であった満洲人(満洲族)はどこにいるのか?満洲語や満洲文化はどこに残っているのか?という疑問が湧いてくる。伝え聞くところでは、満洲語を母語とする人はほぼ消滅、満洲語を話せる人は数千人だという。これは、今風に言えば民族ジェノサイド(抹殺)とも言えるのではないか?それもこれも、孫文が作り出し、毛沢東が悪用した「中華民族」という概念に由来する。「中華民族の復興」を旗印に、孫文、毛沢東は、満洲、内蒙古、新彊、チベットを併呑してきた。だが、その「中華帝国」を支配するのは、漢民族。つまり、実体は「漢民族の復興」だったに過ぎない。そんなカラクリも知らず、「日中友好」などと呑気にしていると、
そのうち「彼ら」に飲み込まれるかも知れない、とふと思う。


 
⇧⇧⇧ 「金州副都統衛門博物館」

⇩⇩⇩ 清朝古街


 

 



 


お味のほどは? 丹東市の北朝鮮料理と北朝鮮ビール

2025年05月30日 19時18分20秒 | 中国

 先週、大連から丹東へ、新幹線で往復。中朝国境の鴨緑江で遊覧船に乗り、満鉄(南満洲鉄道会社)が建造した二つの橋を見学してきた。
 北朝鮮側に古い煙突が一つ見えたが、後で調べたところ王子製紙の新義州工場だったことがわかった。船から撮った写真には、砂利の採掘工場、材木工場のような施設があったが、これらも日本統治時代に由来するものだろう。北朝鮮は鉱物資源が豊富なので、日本統治時代から工業化が図られてきた。北朝鮮はいま、それらのインフラを”食い尽くそう”としているかのようだ。

 さて、旅行社のパンフレットには「昼食は、北朝鮮料理をご賞味ください」とあった。どんな料理だろうと思ったが、お国柄を考えるとさして期待はできなかった。友人は、「朝鮮歌謡ショーのレストランは急遽閉店となりましたため、お食事のみ北朝鮮料理を提供させていただきます」と追記された部分が恨めしそうだった。

 案内されたレストランは、「品海家宴」という店。入り口には海鮮料理の見本が並んでいて、食欲をそそる感じ。
 出された料理は、特に朝鮮風というわけでもなく、普通に食べられる田舎料理という味だった。特筆すべきは、北朝鮮ビール。二十元(440円)という値段だったが、味は中国ビールには及ばず、香りが全く感じられない。アルコール度が11度もあるので、多分、麦芽以外のアルコールを混ぜていると思われた。


⇩ ⇩ 「品海家宴」の「北朝鮮料理」の数々
 


旅順観光に行く

2025年05月29日 14時20分45秒 | 中国

 旅順と言えば、日露戦争時の二百三高地での戦いが有名。私は17年前に訪れたことがあるので、むしろ、満鉄が残した資産である歴史的建造物を見たいと思った。
 旅行社のパンフレットには、次のような行先が書かれていた。

🔷古き時代にタイムスリップ 「旅順」観光
日露戦争の激戦地「203高地」、難攻不落の旧ロシア軍要塞
東鶏冠山北堡塁
日本が満蒙物産館として建築した「旅順博物館」
乃木将軍の会見場所「水師営会見」
旧関東軍司令部
粛親王一族の邸宅として使用した「川島芳子旧居」
満鉄が経営していた「旅順旧大和ホテル」
南満州の終着駅「「旅順駅」
旧満洲国の玄関口「旅順軍港」

 旅順博物館では、大谷コレクションが展示されていた。建物も昔のままで、過ぎし日の栄光を伝えている。

 膨大な「大谷コレクション」の展示は、このような感じ。


⇩ 旅順博物館の正門の延長線上には、ソ連軍の戦勝記念碑がそびえたつ。
 

 1945年8月、日ソ不可侵条約を破って、満洲国に侵入したソ連軍は、日本人に対し暴虐の限りを尽くした。旅順が中国(中共政権)に返還されたのは、1955年になってのことだった。


 ⇧ これは、関東軍司令部の建物。色彩は当時のものではない。

 
⇧ 東清鉄道の終着駅であった旅順駅。ロシアが建設したもの。 

 一昔前は、満洲と言えば、「日本人が悪いことをした場所」のように一方的に教えられてきたか、あるいは故意にスルーされる地域でもあった。現在ここに至れば、①満洲は本来漢民族の土地ではなく、満州族のものであった。この不都合な事実をかくすために、現在の中国では満州族の歴史・文化は闇の中に葬り去られた、②満鉄(南満洲鉄道株式会社)が満洲において果たした社会開発(近代化)の実績は、輝かしいものだった。1945年の時点において、満州国は中華民国よりもはるかに豊かで近代的だった、このように再確認すべきだろう。

 旅順の日露戦争戦跡に訪れるのは日本人だけ。中国人は全く興味がないという。そのこと自体が、実は満洲は中国人(漢人)の土地ではなかったことを物語っている。自虐史観や皇国史観ではなく、事実をもっと見つめなければとつくづく思う。

 


中朝国境を見に行く(遼寧省丹東市)

2025年05月28日 22時52分19秒 | 中国

 先週、「旧満洲の大連&旅順と北朝鮮国境の街・丹東を訪ねる」というツアーで、日本および日本人が足跡を残した街々を見てきた。

 大連には17年前に訪れたことがあり、その時と比べても、大連と旅順を結ぶ海底トンネルの敷設や林立する高層住宅には目を見張るものがあった。だが、さらに驚いたのは、中国がキャッシュレス社会になってしまったこと。ほとんどの買い物、支払いは、スマホのアプリによる決済。「貴洋」という名前のガイドさんは「中国人はカバンを持ち歩かない。現金を持たないので、スリに遭うこともなくなった。治安はすこぶる良い」と説明。確かに、表面的にはそうなのかも知れないが、政府が国民一人一人の行動を把握していることをも意味するので、何やら空恐ろしい気がする。そういえば、われわれ外国人旅行客は、駅や博物館に入るときでもパスポート提示が義務。

 大連から丹東(291km)までは新幹線で2時間15分。「和諧号」に乗ったが、技術に詳しい友人によれば、日本の新幹線には及ばないという評価だった。「こだま」号のような各駅停車だったためか、時速200kmを超えることは一度もなかった。


 丹東市は、かつて安東と呼ばれ、朝鮮半島と満州国を結ぶ、重要な拠点だった。その面影は、古くからの建物に刻まれている感じ。旧満洲のどこに行っても、日本統治時代をしのばせるというのは、「大日本帝国」がいかに膨大な資本をこの地に投下したかを示すものだ。甘粕大尉の「大博打もともこもなくスッテンテン」という言葉は、どんな戦争でも「完膚なきまでの敗北」は避けるべきという教訓だ。時にはダーティーな手を使ってでも、最終破局だけは避ける。事実、先の世界大戦においてフランスはナチス・ドイツに降伏したが、結局、連合国側に与して「戦勝国」の一員となった。また、イタリアは日本と同じ枢軸国でありながら、戦時中にムッソリーニ政権を打倒した結果、破局的な敗戦は免れた。満州国の悲劇は、こんな芸当ができない日本人の脆弱性に由来している。今の日本の政治家はできるのか?ましてや、石破茂が…。



 鴨緑江の遊覧船乗り場は、中国人の観光客が大はしゃぎという感じ。国境線に対峙しているなどという緊張感はまるでなし。対岸の北朝鮮・新義州は、人ひとり見えず、静まり返っている。
 かつて、鴨緑江を挟んだ安東(現・丹東)と新義州(北朝鮮)は、ともに日本が開発した街だった。
 遊覧船の旅は、あっという間に終了。乗務員のオバサンが大声で北朝鮮紙幣のお土産を売りまくっている。

 続いて、バスで30分くらいの「虎山長城」へ。万里の長城の最東端ということだが、八達嶺のような趣はない。だが、ここには「一歩跨(またぎ)」という場所があって、5mほどの小川を隔てて、北朝鮮との国境線。もちろん、小川の向こうには広大な砂州があって、北朝鮮住民はそこにさえ立ち入ることなどできない。つまるところ、中朝の圧倒的な国力の差を見せつけられた感じがする。豊かな中国側では空前の旅行ブーム、対岸の北朝鮮は文革時代を思わせるような独裁政治が続く。「一歩跨」などという観光スポットを作ってしまう感覚は、中国人の拝金主義、冷酷無情な性格を示しているのかもしれない。

 われわれ10人のツアー客の中には、90歳の一人参加の男性がいた。その体力、気力には敬服したが、ことさら話をすることはなかった。それぞれが何らかの思いを持って、ツアーに参加した。ただ、それだけの一期一会。

⇩ ⇩ 「虎山長城」(万里の長城の最東端)と長城から見た北朝鮮の光景


⇩ ⇩ 鴨緑江河畔と対岸の北朝鮮の光景

 

 

対岸に北朝鮮を臨む鴨緑江の観光船(中国遼寧省丹東市)

 

北朝鮮国境まで5メートル! 「一歩跨(また)ぎ」に行く


大連のレトロ路面電車(1907年日本製造)に乗る

2025年05月27日 09時38分10秒 | 中国

  先週、「旧満洲の大連&旅順と北朝鮮国境の街・丹東を訪ねる」というツアーに参加して、今なお大連市内を走る路面電車に乗ってきた。路面電車はかつて北京、天津でも走っていたらしいが、現在は大連市内を走るのみ。しかも、1907年に日本国内で製造された車両が、満洲国時代、ソ連占領時代、中共政権の現在まで、今も使われ続けている。

 5月23日夜、食事を終えてホテルへの帰路、その車両に乗る機会が訪れた。1907年日本製車両は結構な数走っていて、特に待たされることもなかった。乗車してみると、車内の騒音はかなりのもの、特にブレーキ音がすさまじい。床は木製ではなく、張り替えられていたが、その他はほぼオリジナルのままだろう。

 中国人観光客(?)も珍しそうに乗っていたから、当面は観光用として存続されるのだろうか。大連だけを走る路面電車のために、新たな車両を設計・建造することは、まずありえない。大連市内には、立派な地下鉄網も完備している。

 興味のある方は、ぜひ今のうちに。

大連・長江路を走る1907年日本製路面電車(日航ホテル前)

 

大連のレトロ路面電車(1907年日本製造)に乗る


中国共産党が結党百周年

2021年07月01日 08時56分17秒 | 中国

 今日は中国共産党結党百年の記念日。100年前のきょうの上海、コミンテルン(共産主義インターナショナル)から派遣されたロシア人、ドイツ人のソ連共産党員が見守る中で中共(=中国共産党)の結党が宣言された。参加者は数十名、全くの非合法政党としてのスタートだった。翌年の1922年、全く同様の形で日本共産党が設立されている。中共、日共は、言わば兄弟同士だ。

 中共が政権奪取に成功したのは、日本の敗戦、つまり大日本帝国の崩壊の起因する。毛沢東が訪中した日本人に対し「政権を奪取できたのは、日本のおかげ。日本人に感謝する」という趣旨の「お言葉」を何度も放っている。これは決して皮肉ではなく、むしろ毛の本心だったと思われる。

 つい先日、評論家の石平氏が「中国共産党暗黒の百年史」を出版した。その章立ては次のようになっている。

一章 浸透・乗っ取り・裏切りの中共裏工作史
二章 繰り返される血まみれの大量虐殺史
三章 侵略と虐殺と浄化の少数民族弾圧史
四章 紅軍内大虐殺、陰謀と殺し合いの内ゲバ史
五章 周恩来、美化された「悪魔の化身」の正体
六章 女性と人民を食い物にした党幹部の貪欲・淫乱史
七章 日本人をカモにした対日外交史と反日の系譜
最終章 危険すぎる習近平ファシズム政権の正体と末路

 一昔前だったら、これを見ただけで「右翼の本」と見捨てられたはずだが、今やむしろ中共の実態を鋭く表現していると思えるようになった。新疆ウイグル、チベット、南(内)モンゴルにおける民族浄化政策、香港の民主勢力弾圧を見れば、そのことは明らかだ。

 石平氏は同書を著すにあたって、戦後日本で刊行された中国共産党史関係の書物を調べたが、「当該書籍のほとんどが中国共産党の史観に基づき書かれていた」と言う。
 私の時代は「中国共産党史序説」(宇野重昭著 NHK出版)が出版された頃で、著者による大学での講義を聴講しつつ、教科書としてそれを読んだために、ある程度客観的な史実を知ることができたと思っていた。ところが、この本でさえ、中共の出自とコミンテルンとの関係や少数民族政策については、表面的な記述にとどまっている。中国共産党の本質を衝いた研究書としては、中嶋嶺雄著「現代中国論」が唯一無二だったように思われる。

  八年ほど前、東京外国語大学で「東アジア政治論」の授業を聴講したことがある。中嶋嶺雄の愛弟子である井尻秀憲教授の授業だったが、「中国共産党政権はこの10年以内に崩壊する」という発言を何度か聴いた。遺憾ながら、現実はその逆に推移しているように見える。

 さきほど、小沢一郎、枝野幸男といった政治家が中国共産党百年を祝って、中国政府に祝辞を送ったというニュースが伝えられた。今に至って、まだこういう輩がいるとは驚きだ。中国における人権弾圧を非難する決議が、国会で先送りになったことを合わせて考えると、中共の影響力が日本の中枢を侵食しているように思える。中共党史百年は、石平氏が言うように、まさに暗黒の百年史だった。

 

 

 

【DHC】2021/7/1(木) 有本香×石平×居島一平【虎ノ門ニュース】

暴虐の党「中国共産党」100周年、その始まりはあまりにも「ショボイ」ものだった…!

 

7/1(木) 8:01配信

現代ビジネス

 2021年7月1日、中国共産党は創設100周年を迎える。

 

 当局の公式発表によれば、中国共産党の党員数は2019年末時点で9191万人に達した。中国の総人国14億人から見れば6・5パーセントにすぎないが、実数としてはドイツやフランスの総人口をも上まわり、世界一の巨大政党であることは間違いない。

 

【写真】中国人観光客が、日本の電車・バスに「感動している」意外なワケ

 

 今頃首都の北京では記念式典の準備が慌ただしく進められると同時に、抗議活動やテロに備えた物々しい警備体制も布かれていることだろう。

 

 緊張が漲(みなぎ)るという点では100年前の創設時も同じだったが、1921年に開かれた創設大会を兼ねた第一回全国代表大会には華やかさなど微塵もなかったことはあまり知られていない。なにしろ、そこに参集した国内外代表はわずか13人にすぎなかった。

 

 これまた意外に思われるかもしれないが、創設当時の中国共産党の党員数は国内外を併せても50余人にすぎず、全国政党としては寂し限りの船出だったのである。

 

 今回は、そんな知られざる中国共産党の誕生当時を振り返ってみたい。

 

 

 

慌てて作られた党

 

 当時は社会主義思想が世界的に大流行していたが、中国にも研究サークルがいくつも生まれながら、資金やノウハウの不足など、さまざまな事情から一個の政党を築くまでに至っていなかった。

 

 それらの難題を一気に克服できたのはコミンテルンのおかげだった。コミンテルンの正式名称は共産主義インターナショナル。第三インターナショナルとも呼ばれる。モスクワに本部を置く各国共産主義政党の国際統一組織で、ソビエト連邦(ソ連)を防衛する国際戦略の一環としてシベリアのイルクーツクに極東支局を成立。中国で共産党を設立することが可能かどうか探りを入れるため、副局長のヴォイチンスキーを送り込んだ。

 

 ヴォイチンスキーがまず接触したのは、北京大学図書館主任・北京大学教授にして新文化運動(1917~1921年まで行われた、文学・思想の改革運動)の主要な担い手であった李大○(金篇+刂)で、李の推薦で、次には上海の陳独秀に接触する。新文化運動の先導役を担った雑誌『新青年』の編集責任者で、「思想界の明星」とも称された人物である。

 

 これよりヴォイチンスキーの資金援助と巧みな助言のもと、李・陳両人の人脈を通じた組織化が進められ、1920年8月に上海で結成されたものを皮切りに、国内外に八つの共産主義グループが誕生するが、実のところそのグループの名称がはっきりしない。共産党小組や社会主義小組、あるいは最初から共産党ないしは社会党と呼ばれていたなど、当事者の記憶が一致しないためで、これはある意味当然かもしれない。

 

 新文化運動の当事者たちは、清末以来の立憲君主制や偏狭な漢族至上主義、賢人独裁、聯省自治(アメリカ型の連邦主義)、アナーキズム(無政府主義)などあまたの主義や政党が浮沈を繰り広げる様を直接目にしてきた。

 

 そんな彼らからすれば、新たに立ち上げたグループが従来のものとは別格との確信を抱けずとも無理はなく、中国共産党が歴史に名を刻む超巨大政党になるなど想定外であったはず。となれば、創設大会が特別な行事、創設記念日が特別な日として、記憶に強く刻まれるはずもなかった。

 

 ヴォイチンスキーが来訪してからの進展は目まぐるしかったが、1921年6月3日にコミンテルン中央の代表マーリンが上海に来訪、その直後にヴォイチンスキーの交代要員としてニコルスキーがやって来ると、事態はさらに加速した。

 

 功に逸(はや)る二人は陳独秀が広東に出かけて不在と知っても構わず、留守を与(あずか)る人員たちをせっつき、全国大会の招集と中国共産党の正式な設立を急がせた。これにより創立大会の日程は同年7月20日、場所は上海と定められ、旅費や宿泊費、食事代などはすべてコミンテルンが負担するから、各地の共産主義グループには代表各二名の派遣が要請された。

 

 「代表」と言えば聞こえはよいが、陳独秀は帰還の目途が立たず、李大○も北京を離れられない状況にあった。「南陳北李」と併称された重鎮が二人とも欠席だから、選ばれた者ではなく、都合のついた者が参集したに過ぎなかったのだ。それでも予定の20日には予定の人数が揃わず、23日になってようやく開会となったというのだから驚く。

なぜ7月1日なのか

 ここでまた疑問が浮かぼう。創設大会が開かれたのは7月23日なのに、創設記念日はどうして7月1日なのかと。  答えはあきれるほど単純明快である。1938年に創設17周年を祝おうとした際に、正確な日付がわからなかったからなのだ。そのため、おおよそこのあたりだろうと推測された7月1日が創設記念日になったのである。  これは中国共産党が茨の道を歩み続けたことと関係する。軍閥や中国国民党による外からの弾圧に加え、内部では主導権争いや路線対立が絶えず、1938年7月までに創設大会出席者13人のうち7人が離党、4人が死亡(離党と死亡で重複1人)。  生き残った3人に対しても、創設記念日を確認するためだけに使いを送ったとは常識的には考えにくい。後日、正確な日付(7月23日)が判明したのは、何かについでに聞き出したか、事態が平穏化してから改めて回顧してもらったかのどちらかだろう。  右の13人のうち最年長は45歳、最年少は19歳で、平均年齢は27・8歳と、かなり若い。また、これは世界のどの共産党にもあてはまることだが、草創期の指導層は知識人で、なおかつそれなりの資産を持つ家庭の出身者で占められた。  識字率が非常に低かった当時の中国では、親がそれなりの資産家でなければ高等教育を受けることは非常に難しく、13人のうち確実にプロレタリア(無産者、賃金労働者)出身と言えるのは、湖南の小作農の家に生まれた上海代表の李達ひとりだけだった。  李達が高等教育を受けられたのは、その利発さを気に入った地主が全面的に資金援助をしてくれたからだ。地主と言えば、世界中概(おおむ)ね「土豪劣紳(悪徳地主)」というイメージが強いが、当時の中国の地主が「土豪劣紳」という言葉でくくられる存在でなかったことを示す一例である。

日本への留学生も多かった

 13人の経歴からは、さらに面白いことがいくつかわかる。「秀才」が2人、留学中を含め日本留学経験者が4人いたことだ。「秀才」は王朝時代の官吏登用試験である科挙の一次試験合格者を指し、「生員」とも呼ばれる。2人は科挙廃止直前の1903年にその資格を得ており、合格するためには学問に専念できる環境が不可欠で、その環境を提供できるのは不労生活者を養っていける裕福な家庭に限られた。  また私費での海外留学で欧米を選べたのは富裕層のなかでも上位に位置する家庭出身者に限られ、それ以外の者は近くて生活費も安い日本を選ぶしかなかったが、同じく漢字文化圏というのも大きなメリットとなった。  清末以来の傾向だが、中国への西洋思想の紹介は原典からの翻訳ではなく、日本語訳からの重訳に頼っていた。日本語に習熟していなくとも、漢字の部分だけを見て概略を訳すことができたからで、抄訳や現在で言う超訳に近い。それだけに誤訳がなかったはずはなく、それはのちの路線対立の一因ともなった。  1938年7月23日の大会は上海のフランス租界で極秘に開会された。当時の上海の中心部はフランス租界、英米共同租界(公共租界)、華界の三つに区分され、それぞれ独自の行政・警察権を有していた。共同租界で盗みや殺人を働いてもフランス租界で逮捕されることはなく、華界で指名手配されていても両租界では大手を振るって歩くことができた。  中国共産党の創設大会もこのような事情を汲んで、フランス租界の高級住宅街で行なわれたが、15人もの人間が毎日のように集まっていればさすがにフランス租界警察の注意を引かないはずはなく、7月30日にはとうとうフランス人と中国人からなる計7人の警察官が事情を聴きに訪ねてきた。  その日は型通りの聞き取りで終わってから無事に済んだが、一同は万が一に備え、場所と日にちを改め、未決事項の討議をすることにした。8月3日、上海から南西に約90キロ離れた浙江省嘉興にある南湖の船上で行なわれたのがそれで、ここに創設大会はようやく完結した。このため現在では、創設記念日は7月1日でも、フランス租界に残る洋館に加え、南湖上に再現された屋形船も創設の地として多くの観光客を集めている。
  こうした偶然までも伝説作りに活用するたくましさがあったことが、50人でスタートした共産党を現代の巨大組織に成長させたのかもしれない。

島崎 晋(歴史作家)

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モンゴル語教育廃止の衝撃~中国・内モンゴル自治区

2020年07月20日 05時22分50秒 | 中国
 中国・内モンゴル自治区でモンゴル語教育廃止というニュースが伝えられた。日本のマスメディアは、中共(=中国共産党)政府への忖度か、あるいは「武漢ウイルス」(新型コロナウイルス)騒ぎに紛れてか、ほとんど報道していないようだ、

 本ブログでは、モンゴルに関する話をしばしば取り上げてきた。7年ほど前の一年間、東京外国語大学で「モンゴル近現代史」(二木博史教授)を聴講したことと、故・岡田英弘氏の著作に触発されたからだ。

 中国・内モンゴル自治区は、戦前において満蒙と呼ばれた地域、満洲国と隣接した内蒙古を指す。現在のモンゴル国に相当する地域は「外蒙古」と呼ばれていたから、これらの呼称自体が漢民族の「中華思想」を反映したものとなっている。したがって、中共政権に反対する立場からは、内モンゴルを「南モンゴル」と呼ぶ。「新彊ウイグル自治区」を「東トルキスタン」とするのも、同様の立場からだ。
 
 1949年、中共政権が成立すると、毛沢東は少数民族に対し幅広い自治権を約束した。しかし、中共の謀略によってすべてが反故にされ、逆に漢民族の少数民族地域への居住が進められた。その結果、内モンゴル自治区は、漢民族の人口がモンゴル人を上回り、遊牧地の面積は極端に狭められた。
 その内モンゴルの学校で、これまでモンゴル語で行われてきた授業が廃止され、すべて中国語(普通話)になるというニュース。それは、中共政府の究極の目的が民族浄化にあることを意味する。同時に中共支配の「中華帝国」内において、少数民族居住領域の植民地化を強めようとする意図がうかがわれる。

 内モンゴル自治区で”民族浄化”が企てられたとしても、モンゴル高原にはモンゴル人の独立国家であるモンゴル国が厳然と存在するから、チベットや新彊ウイグルのような強圧的な弾圧は無理だろうと思われる。ただ、習近平にはそんな”常識”も通じないのかも知れない。
 
 
 
中国内モンゴル自治区がモンゴル語教育廃止、抗議広がる
NEWSポストセブン / 2020年7月18日 7時5分                 
 
モンゴル自治区で抗議の輪が広がる                     
 
 中国内モンゴル自治区の通遼市政府は9月1日から始まる小中学校の新学期から、これまでは中国語とモンゴル語の両方で教えていた中国共産党理論や道徳、中国の歴史、政治などの科目を中国語だけで教え、今後はモンゴル語での教育は行わないことを通知したことが分かった。
 これに対して、同市のモンゴル族父兄ら市民数千人は「モンゴル語での教育の廃止はモンゴル族の人々やモンゴルの歴史や伝統などを軽視するものだ」などと抗議。同自治区政府教育局に厳重な抗議書を手渡し、今後もモンゴル語教育を継続するよう強く求める公開書簡も提出した。
 公開書簡は 「中国内の見識ある歴史家や言語学者、北京の中央民族大学などの少数民族機関はモンゴル族を含む少数民族の子弟に対して、それぞれの民族独自の言語を学ぶことは、その民族の伝統や文化を保護・伝承するうえで極めて重要だ」と前置き。そのうえで、「通遼市政府がそのようなモンゴル語を公用語として教えないのは、モンゴル族を軽視していることにほかならない」などと強く抗議している。
 すでに、抗議に賛同する署名は4000人以上に達しているが、当局は公開書簡には返答していないという。
 これらの抗議行動は内モンゴル自治区や北京や上海などの大都市に居住するモンゴル族、あるいはモンゴル国の有識者も参加する姿勢を見せており、今後も抗議行動は内外に拡大しそうな勢いだ。
 中国共産党によるモンゴル統治に反対し、内モンゴル自治区を「南モンゴル」と呼んで、同自治区の独立を目指している「南モンゴル・クリルタイ(議会)」(本部・ドイツ)のシ・ヘミン議長は米政府系報道機関「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」の取材に回答。「漢人(中国人)は中国語で学ぶ権利があり、モンゴル人はモンゴル語で学ぶ権利がある。中国共産党は我々の権利を奪おうとしている。また、彼らはモンゴル人を文化的に虐殺しようとしているが、これは少数民族と漢族の56民族の協和を謳った中華人民共和国憲法に反している」と指摘している。
 RFAは「通遼市市政府教育部のオフィスに電話したが、誰も電話には出なかった」と伝えている。
 中国では新疆ウイグル自治区やチベット自治区でも小中学校などの教育機関での少数民族の言語の使用を禁止し、中国語だけでの授業を実施するなど、2012年の習近平政権発足後、少数民族の伝統・文化をないがしろにする傾向が強まっている

習近平 「武漢肺炎は建国以来最大の危機」

2020年02月24日 11時55分56秒 | 中国

 最新のニュース。中国の習近平・国家主席が「武漢肺炎は建国以来最大の危機」と認めた。

 「中華皇帝」とも呼ばれる習近平が、このような発言をするのは極めて異例。しかも「防ぐのが実に困難」であることも認めた。

 日本では、「武漢肺炎」(華人圏では、この言葉を使っている)をわざわざ「新型肺炎」とか言い換えて、中国へ忖度をしている。

 だが、習近平のこの発言は、もはや国賓来日などありえないことを示した。遅ればせながら、政府・自民党も遠慮なく中国人の入国禁止、東京五輪の再検討まで進んでほしいものだ。

 

 

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武漢肺炎疫情重傷 習近平認了:建國以來最大危機

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新頭殼newtalk |洪翠蓮 綜合報導
<time class="date Fz(13px) Fw(n) D(tbc) Va(m) D(ib)" datetime="2020-02-24T01:56:36.000Z" data-reactid="17">2020年2月24日 上午 10:56</time>
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中國國家領導人習近平23日出席該國防疫會議,指此波武漢肺炎疫情是建國以來最大危機。   圖:翻攝自中國政府網/新華社鞠鵬
 
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中國國家領導人習近平23日出席該國防疫會議,指此波武漢肺炎疫情是建國以來最大危機。   圖:翻攝自中國政府網/新華社鞠鵬
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[新頭殼newtalk] 中國爆發武漢肺炎波及全球數十國家,而中國境內也有近百城市封市,感染人數將近7萬7000人。中國國家領導人習近平23日出席防疫會議時,首度承認此次武漢肺炎「是新中國成立以來,發生的傳播速度最快、感染範圍最廣、防控難度最大的一次重大突發公共衛生事件」。

此次中國的武漢肺炎採取電視電話會議形式召開,根據該國政府官網的新聞稿,會議由該國總理李克強主持,習近平出席會議發表重要講話,出席者包括栗戰書、汪洋、王滬寧、趙樂際、韓正等重要高層。

習近平在會強調,這次武漢肺炎疫情,是新中國成立以來,傳播速度最快、感染範圍最廣、防控難度最大的一次重大突發公共衛生事件。對中國來說,這是一次危機,也是一次大考,他下達7點防疫工作指示,除了要求打好湖北保衛戰、武漢保衛戰,全力保護好北京外,卻不忘搞宣傳,要求提高新聞輿論工作的有效性,指示必須做好黨中央重大決策部署的宣傳解讀。

此外,「復工」也是習近平的重點要求。他聲稱中國經濟長期向好的基本面沒有改變,疫情的衝擊是短期的,做出8點指示,強調要儘快恢復生活生產秩序,更要穩住外資基本盤。

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「エアロゾル感染」というごまかし 「現役医師Dr.林が答えるPCR検査の落とし穴」“陽性率40%”って何?個人も注意!陰性でも安心できない理由(TVが報じない新型コロナの真実)

2020年02月20日 20時29分40秒 | 中国

 国際政治学者・藤井厳喜と医師・林建良の対談を見て驚いたことがある。(下記の映像参照)

 地上波のTVでは、武漢肺炎は「接触感染」「飛沫感染」で広まるとされているが、中国からの情報では「エアロゾル感染」でも伝染することが分かったとしている。

 「飛沫感染」は唾液などを介して感染、「空気感染」はウィルスが空気中を浮遊して感染するので、空気感染であればパンデミックという事態が予想される。現時点では、「飛沫感染」であるので2mの距離を保てば大丈夫だという説明が行われている。しかし、この両者の間に「エアロゾル感染」が登場した。

 危険度から言えば、接触感染<飛沫感染<エアロゾル感染<空気感染と言う順序になるが、林建良医師によれば「エアロゾル感染と空気感染は大差がない」そうだ。だとすれば、満員電車での通勤や、各種イベント、学校行事などは極めて危険だとなってしまう。「注意喚起」の根底が崩れることになる。

 この国では、新たな造語、外来語が頻出するのは、別の何かを誤魔化そうとする意図が働くときだ。だから、エアロゾル感染という言葉も、その意味、概念が明確化されない限り、鵜呑みにはできない。

 東京五輪を強行開催するために、嘘に嘘を重ねるようなことがあれば、それは福島原発事故を上回る「国家犯罪」だと言わなければならないが…。

 

【新型コロナ速報⑤】「現役医師Dr.林が答えるPCR検査の落とし穴」“陽性率40%”って何?個人も注意!陰性でも安心できない理由(TVが報じない新型コロナの真実)


日本がマラソン開催 中国人が驚愕

2020年02月19日 15時20分22秒 | 中国

 先の日曜日(2月16日)、熊本、京都、青梅など、全国で10以上のマラソン大会が開かれた。
 


 武漢肺炎が深刻な様相を呈し始めた時期に、予定通り開催された大会に対して、中国人がSNSに驚きの感想を記しているという。(下記の記事参照)

 中国人のツイートの中には、「なるほど」と得心する内容も多い。一見日本人の美点とされる行動の裏側には、思わぬ落とし穴も潜んでいる。そのことを気づかされる。一度決めたことを規則通り遂行することをよしとし、事態の変化に臨機応変に対応できないのが、日本人の特質ではないだろうか。

 政府は、満員電車の通勤通学、学校行事やイベントに対しても、ごにょごにょと「注意喚起」するばかりで、自らの責任についてはリスクを負わない。上から下まで、一事が万事この調子だから、福島原発事故の時も、古くは日米戦争開戦時も、誰もこの国の運命を背負った決断をする人がいなかった、ということだろう。

 武漢肺炎騒ぎがどのように”収束”するのかは分からないが、市井の身としては、①電車に乗らない、②病院にはなるべく行かない、③外食をしない、④もちろん、手洗いを欠かさない、これぐらいのことは心がけている。

 為政者よ、東京五輪を強行するために、庶民に「おもてなし」や普段通りの「日常生活」をこれ以上強要するなと進言したい。福島原発事故で放射性物質が降り注ぐ中、すなわち2011年3月15日前後、「大したことはない」と言いながら、会社や学校へと「日常生活」を強要した政府のやり口を庶民は忘れてはいない。

 この期に及んで、東京五輪を強行するのなら、それこそ、安倍首相が誇る「美しい国」は一巻の終わりだと思いますがね…。

 

日本がマラソン開催 中国驚き

2/19(水) 10:41

withnews

コロナウィルスなのにマラソンなんて!中国のSNSで「心配の声」続出「武漢よりマズい」「正解捨てた」

withnews5948

新型コロナウイルスの感染が広まる中、中国のSNSでは、週末に日本各地でマラソン大会が開催されたことが注目を集めました。武漢での経験から、「日本はこのままだったら、やばい」といった声も出ています。3月1日開催の東京マラソンでは、一般参加の中止が発表されたばかり。中国のSNSでは、日本の危機管理がどのように見えているのでしょうか。

「日本で50万人がマラソンに参加した」

2月17日に、「日本50万人参加馬拉松(日本で50万人がマラソンに参加した)」という言葉が中国版ツイッター微博にランクインしました。

2月16日の日曜日に日本各地でマラソン大会が開催され、多くの人が参加したことを伝える内容です。2.2億のページビューと1.8万のコメントを集めました。

3月1日に開催される東京マラソンでは一般参加者枠の取りやめが発表されましたが、2月15日と16日にあった熊本や京都などのマラソン大会は、マスク姿のランナーが姿が写真とともに拡散しました。

微博では、そんな日本の状況を心配する声が相次ぎました。

「日本の状況は、最初に新型コロナウィルスが発見されたときの武漢と同じだ」

「日本式の『万家宴』だ。日本はこのままだったら、やばい」
※「万家宴」は春節の前にたくさんの人が集まって食事をする行事。武漢では4万世帯を超える人たちが料理を持ち寄って集まったことで、感染拡大に拍車をかけたとされている。

「日本は中国のように『隔離』することは、ほぼ不可能。日本は高齢化社会ですし、本当に感染拡大したら、中国より大きな問題に発展するでしょう」

「マラソン? これは武漢よりもマズい。すでに完全に正解を捨てた感じ」

「日本はまだ新型コロナウイルスの強さを知らないようです」

「日本政府の気持ちも分かりますよ。今年はオリンピックもあるし、社会の安定を維持させたいし、経済も発展させたい……」

在日華人たちが心配する「マスク」

中国では、日本は中国の次に感染者数が多い国として関心を集めています。感染者数、感染ルート、そしてダイヤモンド・プリンセス号(中国語:鑽石公主号)の検査結果などは、中国メディアも盛んに報道しています。

有名人が参加した聖火リレーの動画や、ドラッグストアの前に列を作ってマスクを買う日本の人々の写真なども微博に投稿されています。

中国版LINEの微信にある在日華人が参加するグループでも、新型コロナウイルスは話題になっています。

筆者が参加するグループでは、以下のような意見が投稿されました。

「(月曜日に通勤してみたら)駅員はみんなマスクしている。しかし乗客はまだ半分ぐらいはマスクをしていない」

「電車にマスクをしない人が多い。おそらくマスクを買えない人たちですね」

「電車にいると、周りは『人間』というより、ひとかたまり、ひとつの群れにように感じてしまいます(涙)」

「日本に長くいると、マスクはある意味でトイレットペーパーのような感覚で、家には備蓄があるはずですね。マスクをかけていない人たちは、普段から緊張感がないかもしれません……」電車の代わりに、電動スクーター?

注目されているマラソンに関しても議論が交わされています。

「東京がすぐ武漢になるのではないか、心配です」

「来月の東京マラソンは参加者人数の縮小案を考えているようですね。東京都知事にとって試練の時が来ました」

そして、華人たちが一番、関心を持っているのは、出勤と子どもの勉強です。

「電車が一番危ない」

「電動スクーターを一緒に買いませんか」という提案には「電動スクーターは高速道路が走れない」という声も。

子どもをもつ母親からは「来週から子どもたちを学校に行かせないことも考えていますが、子どもは2人とも3月に卒業するので、できれば先生やお友達と一緒にいる時間を長くさせたい。かなり悩んでいます。今年の卒業式をどうすればよいのか、まだ分かりません」。

「政府がまだ『休校』のような話を全然していないし、政策があっても、公立学校にしか届かないでしょう……。政府も学校もまだ連絡がないので、保護者も自己判断がしづらいですね」

SNSから伝わる「心配」と「応援」

中国では、国の「命令」で一斉に「在宅隔離」になり、会社も学校も「在宅形式」を取りましたが、日本で同じような対応がとりにくいのも事実です。

新型コロナウイルスを巡っては、日本から中国に支援物資が届けられたことが、ネット上で何度も話題になっています。

中国のSNSからは、日本の状況がわかった上で、「日本を応援したい」という気持ちと心配する声が伝わってきます。

 

 


私は立ち上がって声を上げる 武漢市民の叫び【悲しみ→憤り→覚醒】

2020年02月16日 06時15分31秒 | 中国

 「新唐人テレビ」の最新映像「私は立ち上がって声を上げる 武漢市民の叫び」(下記参照)は、中共(=中国共産党)独裁政権に対する百姓(庶民)の心の叫びか。私はこれを見た途端、魯迅の「狂人日記」を思い出した。

 とにかく衝撃的。ぜひ、見てほしいと思います。

 

私は立ち上がって声を上げる 武漢市民の叫び【悲しみ→憤り→覚醒】


感染者多数「政府から見放された」武漢市「百歩亭団地」からの絶望の叫び

2020年02月15日 13時36分59秒 | 中国

 武漢肺炎に関して「正しく恐れる」などとキレイごとを言っていたマスメディアだが、国内感染者が続々と発生するに及んで、急に「大変だあ」と騒ぎ始めた。

 このプロセスは、福島原発事故時の報道とそっくり。「大したことはない」となだめながら、「実はメルトダウンしていました」と聞かされた時までに、国民は放射性物質が降り注ぐ中、会社へ学校へと「日常生活」を強要されていたわけだ。

 2011.3.11のときと大きく違うのは、SNSが格段と進歩した点。武漢からも市井の一市民がリアル映像を伝えられる時代になった。

 媚中と五輪に狂騒する日本のマスメディアは、決して国民の安全や利益のことなど考えてはいない。故に、この武漢肺炎に関する報道は、全く信用できない。
 
 以下は、「新唐人テレビ」の映像。これは、法輪功系のTV局で、ニューヨークに拠点がある。反中共(中国共産党)系のメディアであるものの、信頼性は高いメディアでもある。

 

感染者多数「政府から見放された」武漢市「百歩亭団地」からの絶望の叫び


春節の中華街は危険か?

2020年01月31日 21時48分58秒 | 中国

    新型コロナ・ウィルス肺炎が広まるにつれて、ようやく政府も本腰を入れて、中国人旅行客の入国制限に乗り出した。
 ここまで政府は、「それほど心配することはない」というニュアンスで情報を周知してきたが、米国が自国民の中国渡航を禁止するに及んで、追随を決めたのだろうか。

 マスク着用、手洗いの徹底、人混みに行かない。これが庶民の対策だそうだが、気になることがいくつかある。そのひとつは、いま「春節」祭りの真っただ中の横浜中華街。新宿や渋谷の人混みよりも、どう考えてもリスクが高い場所ではないのか。

 私は中華街が大好きで、2か月に一度は行く。でも、この騒ぎが鎮まるまでは、当分行かないことにした。
 TVニュースで「ヘイトにならないように正しく(新型肺炎を)恐れよう」というコメントを聴いた。これは、ヘイト=「中国人を差別するな」という部分に重点を置いた愚論、偽善に過ぎない。われわれは、福島原発事故で「有事」には政治指導者の決断こそが国の命運を左右するという事実を十分に学んだはずだ。

 
 もし、武漢肺炎のまん延を心から心配するのなら、中華街に行くときは気をつけようと言うべきではないのか。中国人客が来なくて、儲からないと嘆く映像ばかり伝えるなと言いたい。

 


遠藤誉 「空白の8時間」は何を意味するのか?──習近平の保身が招くパンデミック

2020年01月28日 04時20分02秒 | 中国

 昨日、本ブログでは武漢封鎖と卡子(チャーズ)の記憶」という拙文を載せた。国共内戦時における「長春封鎖」の体験談を記した遠藤誉・筑波大名誉教授の「卡子(チャーズ)」が、今目前にある「武漢封鎖」と結びつき、相も変わらぬ中共(=中国共産党)のやり口に憤慨した。



 昨日の「ニューズウィーク日本版」では、その遠藤誉氏が空白の8時間」は何を意味するのか?──習近平の保身が招くパンデミック」を記していて、「卡子(チャーズ)」の体験についても触れているので、ここに引用させていただく。

私は1947年から48年にかけて、長春において中国共産党軍(八路軍)による食糧封鎖を受けている。封鎖を事前に知らせるどころか、封鎖は気づかれないようにジワジワと迫ってきた。気が付いたら長春市全体が鉄条網で包囲され、市民は長春市から出られないようになっていたことを知った。長春市内にいる国民党の一派(正規軍から差別待遇を受けていた雲南60軍)が共産党軍側に寝返って長春は48年10月に陥落したが、その間に餓死した中国人一般庶民は数十万に及ぶ。」



 遠藤氏は、武漢封鎖が周知され実行されるまでに八時間もの空白があるが、それは習近平がWHO(世界保健機関)による「非常事態宣言」を回避させ、自分の面子を保つためだったと指摘する。保身のために人民の安全を脅かす、この独裁者を、国賓として日本に招いていいのか、と遠藤氏は疑問を呈する。

 手洗いも、マスクも、人混みに行かないことも確かに重要だ。だが、その前提として、共産党独裁国家の中国の素性をもっと知るべきだろう。遠藤氏の記事は、格好のテキストだ。

 

「空白の8時間」は何を意味するのか?──習近平の保身が招くパンデミック

2020年1月27日(月)12時15分

遠藤誉(中国問題グローバル研究所所長)

 

武漢市の封鎖は1月23日10時から始まったが、通告時刻は同日午前2時5分。その間数十万の武漢市民が脱出した。なぜこの時間的ゆとりを与えたのか?解答を追いかけていくうちに、とんでもないことが判明した。

武漢市の封鎖通告時刻と実行とのずれ

「武漢市新型コロナウイルス感染による肺炎流行予防制御指揮部」は、1月23日午前2時5分に武漢人民政府の名において、「市新型コロナウイルス感染による肺炎流行予防制御指揮部(第1号)」を発布した。「長江日報」は中国共産党武漢市委員会の機関紙なので、そのウェイボー(weibo)は権威ある発表となる。但しweiboはこの情報を見た場所の時差を調整して表示するので、1時間の時差がある日本時間「03:05」と表示されている。

念のため、以下に現地時間のweibo情報を貼り付けておこう。

また、「武漢市人民政府」のHPの通告もご紹介しておく。何れの場合も、通告内容は以下の通りである。

 

新型コロナウイルス感染による肺炎の流行を防御することを全面的に遂行し、効果的にウイルスの伝染経路を遮断し、疫病の蔓延を断固阻止し、人民群衆の生命安全と健康を確保するために、ここに以下のことを通告する:

2020年1月23日10時を以て、全市のバス、地下鉄、フェリーボート、長距離旅客輸送を含む公共交通を全て、暫定的に停止する。特殊な原因がない限り、市民は武漢を離れてはならない。武漢から外部に移動する飛行場や列車の駅は暫時封鎖する。いつごろ回復するかは追って通知する。

広大なる市民と旅客の理解と協力を求める!

この通知は22日の夜中、正確には23日の午前2時5分に発布されているので、「封鎖実行」と「封鎖予告」の間には約「8時間」のゆとりがあることになる。

それを証明するかのように、中国政府の通信社である新華社通信の電子版「新華網」も23日の午前「03:15:55」に通告を発布している。こちらには「街の掲示板」による通告も載っている。また、これはweiboではないので、現地で発表された時間(転載された時間)がそのまま表示されている。

「通告」と「実行」の時間差「8時間」は何を意味するのか?

こんな通告を知って、武漢市を逃げ出さない方がおかしいくらいだ。逃げ出せる財力と脱出先のある者は、封鎖される前に逃げ出すに決まっているだろう。ましていわんや春節を控えている。30億人の大移動が始まると中国政府は早くから言っていた。事実、この間に数十万人の武漢市民が武漢市を脱出したと、中国のネットは一時燃え上がった。次々に削除されているが、中国大陸外の中文メディアには「8時間の間に数十万の武漢市民が脱出した」という情報が数多く残っている。

空白の「8時間」を追え!

なぜ武漢市はわざわざ「さあ、脱出するなら今だよ!」というような通告の仕方をしたのか。伝染が拡大するのを本気で防ぎたいと思うのなら、こんなことはしないはずだ。

私は1947年から48年にかけて、長春において中国共産党軍(八路軍)による食糧封鎖を受けている。封鎖を事前に知らせるどころか、封鎖は気づかれないようにジワジワと迫ってきた。気が付いたら長春市全体が鉄条網で包囲され、市民は長春市から出られないようになっていたことを知った。長春市内にいる国民党の一派(正規軍から差別待遇を受けていた雲南60軍)が共産党軍側に寝返って長春は48年10月に陥落したが、その間に餓死した中国人一般庶民は数十万に及ぶ。

長春食糧封鎖という経験と中国政府の事実隠蔽に関して生涯をかけて闘っている私にとって、この「空白の8時間」は「あり得ない措置」なのである。

「なぜだ?」「何があったのか?」を、ここのところほとんど寝ずに追跡した。

おまけに1月24日付のコラム<新型コロナウイルス肺炎、習近平の指示はなぜ遅れたのか?>に書いたように、武漢市レベルの封鎖となったら、中央政府・国務院の決定がある。だからこそ、武漢市政府の通告とほぼ同時に新華網の通知がネットで公開されている。それも真夜中に!

国務院が封鎖の決定を出す際の法律的根拠を、さまざまなケースに分けて明記した情報もある。

1月24日付のコラムで書いた武漢市政府の、あの救いがたいほどの「愚かしさ」のせいかとも思ったが、なぜ武漢市政府がそこまで愚かしいのかを追跡しても「これだ!」と合点するような因果関係には遭遇せず、むしろ今度は「なぜ新華網が真夜中に封鎖通告を発布したのか」という事実に考えが集中した。

そこでハッとしたのがWHO(World Health Organization=世界保健機関)との関係だった。

WHOの緊急委員会開催に時間を合わせていた!

今般の新型コロナウイルス肺炎の発生と流行が「緊急事態に当たるか否か」を協議するため、WHOの緊急委員会が、日本時間の1月22日午後8時頃からスイスのジュネーブで開催されることになっていた。

そのため習近平は1月22日にフランスのマクロン大統領やドイツのメルケル首相などと電話会談し、今般の新型肺炎の対策について、「中国は感染発生以来、予防制御の措置を周到に行い、WHOなどにも速やかに情報を提供している」したがって中国は「国際社会と協力して対策を取る考えである」ことなどを強調している。

これは、「したがって、どうか今般の新型コロナウイルス肺炎の発生と流行に対して"緊急事態宣言"をしないでくれ」と、発言力のある関係国に頼んだことを意味する。

スイスにおける会議の開始時間は日本時間午後8時頃。

武漢と東京の時差は「1時間」。

したがって武漢時間の1月22日午後7時から会議が始まるという計算になる。

22日真夜中に封鎖令を通告しても、もう遅いのだが、フランスのマクロン大統領と習近平国家主席との間の電話でもあったように、おそらく「WHOとは緊密に連絡し合っている」のだろう。だから、もうすぐ封鎖令を出すこともWHO事務局には「情報提供」しているはずだ。会議は長引いたようなので、滑り込みでギリギリ間に合ったのだろう。

結果、習近平はWHOに「緊急事態宣言」をさせないことに成功している。

日本時間の1月23日、WHOのテドロス・アダノム事務局長は「緊急事態判断を保留する」と、記者会見で発表した。つまり「緊急事態宣言」の先延ばしをさせることに習近平は成功したのだ。すなわち、「封鎖令も出して、きちんと新型肺炎の感染を防ぐための予防制御をしていますから緊急事態宣言を出す必要はありません」というシグナル発信が功を奏したことになろうか。

もしもここで「中国は緊急事態にある」などということを宣言されたら、米中覇権争いは中国にとって壊滅的打撃を受けるだろう。それを避けるためにも、習近平は必死で「奥の手」を使ったと推測される。

習近平とWHO事務局長との関係

その相手こそが、このWHOのテドロス・アダノム事務局長だ。

彼はエチオピア人で、習近平政権になってからエチオピアとの蜜月は半端ではない。2013年6月14日、習近平国家主席は訪中したエチオピアのハイレマリアム首相と北京の人民大会堂で会談し、2014年07月9日にはエチオピアの当時のムラトゥ大統領と同じく人民大会堂で会談している2017年5月12日にはやはり人民大会堂でエチオピアのハイレマリアム首相と会見。今日まで李克強のエチオア訪問など枚挙に暇がないが、近くは、2019年に4月24日に習近平国家主席は訪中したエチオピアのアビー・アハメド首相と人民大会堂で会見している

今ではエチオピアへの最大投資国は、言うまでもなく中国である

2017年7月からWHOの事務局長になったテドロス・アダノム氏はそれまで外務大臣を務めていた。習近平との接触は長い。どれだけ懇意にしているか計り知れないほど入魂の仲なのである。そして緊急事態宣言の最終決定権はWHO事務局長の手の中にある。

あの空白の「8時間」は、首の皮一つでWHOによる「緊急事態宣言回避」のためにあったと結論付けていいだろう。23日の朝10時の封鎖令実行と同時か、それ以降に発表したのでは遅かったのである。

パンデミックを招きつつある習近平

しかしその「策略」がもたらした負の影響は、恐るべき結果を招きつつある。

新型コロナウイルス肺炎の潜伏期間は10日間前後で1~14日間くらいの幅があるそうだ。仮に10日間だとして、武漢から脱出した数十万人と推計されている人たちは中国全土あるいは世界のどこかに散らばってしまった。ということはウイルスも同時に拡散しているわけで、「人から人」感染があり、かつ二次感染もあるとのことなので、1月23日以降から最大14日間として2月5日までは爆発的に患者が増えていく危険性をはらんでいる。パンデミック寸前だ。

本日(26日)、中国政府の関係当局は「ウイルスの伝染力が強くなりつつあるかもしれない」と言ったが、それもあるだろうが、急激に広がったのは武漢市民の脱出が関係しているだろう。WHOの「緊急事態宣言」を回避するために「8時間」の空白を生み出したためにウイルスを持っている可能性が高い武漢市民数十万を一気に各地へと分散せてしまったのだから。発生源となっている海鮮市場では大量の新型コロナウイルスが検出されたと北京は発表したばかりだ。

だとすればパンデミックを招きつつある犯人は習近平国家主席だということになる。

1月24日のコラム<新型コロナウイルス肺炎、習近平の指示はなぜ遅れたのか?>では、元凶は地方政府の「北京しか見てない役人根性の愚かさにある」と書いたが、今回は、それを受け止めた北京の「巨大な保身」にあると言っていいだろう。

中国人民の命を守ることが大事なのか、それとも世界に対するメンツを守ることが大事なのか。

全人類に対する責任を重視することが大事なのか、それともWHOからの処罰を一時的に免れることが大事なのか。

たとえ「緊急事態宣言」を受けたとしても、パンデミックを起こさないことの方が遥かに重要だと思うが、それを選択できないところに中国の欺瞞的な構造がある。地方政府の危なさと共に、こういった所に「ポキッと折れるかもしれない」中国の脆弱性が潜んでいるのである。

このような国の国家主席と「責任を共にすると誓い」、国賓として来日させようとしているのが日本の安倍内閣だ。天皇陛下と握手する場面を全世界にばらまかせることによって、習近平政権のやり方に正当性を与えようとしている。

このような状況にあってもなお、習近平を国賓として招聘するなどということが、どれほど恐ろしい未来を日本にそして全世界にもたらすか、安倍内閣は真相を見る目を持つべきだ。

野党も何をしているのか。習近平の国賓来日が、どれほど危険な将来をもたらすか、そのことにも目を向けた大局的な国会議論を望む。

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

[執筆者]遠藤 誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『激突!遠藤vs田原 日中と習近平国賓』(遠藤誉・田原総一朗 1月末出版、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(11月9日出版、毎日新聞出版 )『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『卡子(チャーズ) 中国建国の残火』、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。

 


「三峡ダムは安全」 専門家は疑問視

2019年07月18日 09時22分12秒 | 中国

 長江(揚子江)を堰き止めて造り上げた「三峡ダム」。完成後10年経つが、このところ、その安全性を懸念するニュースが増えている。この7月、中国当局はダム近くの瀑布(滝)の観光を中止したという。これは、三峡ダムの安全性に対する一般市民の危惧を考慮した措置だとも言われている。

 「新唐人TV」はこの三峡ダムの問題をずっと追い続けている。ダム建設に関わる中共(中国共産党)幹部の大汚職、施工工程での技術的欠陥など、信じられないような話が続々と登場。万が一、このダムが決壊したら、その被害は下流の上海まで及び、二億人以上の人が被災すると言う。

 東電の福島原発と同じ運命をたどるのか。そのときが、中共(中国共産党)が政権から下野する日となるだろう。

中国当局「三峡ダムは安全」 専門家は疑問視|三峡大坝|三峽大壩|Sanxia Dam| 新唐人 [parts:eNozsjJkhIPUZENDA6Nks3i3qtDwSi/HUmcDJjMTAyZjMwMmAyYEcHBwAAAHgwjD

 

三峡ダムのゆがみを認めるも「設計の許容範囲内」=中国当局|三峡大坝|三峽大壩|Sanxia Dam