澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ウド・ユルゲンスの「別れの朝」

2014年12月23日 17時01分24秒 | 音楽・映画

 昨日の昼、ZDF(独)のニュースを見ていたら、ウド・ユルゲンスUdo Jürgens の訃報が伝えられた。享年80。ドイツで最も人気があった男性歌手で、日本では「別れの朝」(Was ich dir sagen will)の作曲者としても有名だった。

 1968年、リリース当初の「Was ich dir sagen will」(英語タイトルは、The music played)は、「夕映えのふたり」という邦題がつけられた。



 その3年後、この「夕映えのふたり」をペドロ&カプリシャスが「別れの朝」という曲名に変え、初代ボーカルだった前野曜子が唄い、「週間オリコンチャートではいきなり4週連続で1位を獲得し、シングル売り上げも55.7万枚を記録」(Wikipedia)した。この大ヒットは、なかにし礼の作詞によるところが大きい。

 前野曜子が脱退したあと、ペドロ&カプリシャスのボーカルは高橋真梨子に代わった。今や実力派ナンバーワンになった高橋だが、この「別れの朝」は本来の持ち歌ではないと自覚していて、自分のコンサートでは滅多に歌わない。

 前野曜子がソロで唄う「別れの朝」は、こちら※から。

 ※ https://www.youtube.com/watch?v=9ouwC0B-4rg

 その昔、ウド・ユルゲンスの大ファンで、オープンリールのテープに彼の歌を入れて私に送ってくれた、ドイツの少女は、今やいい歳のオバサンとなった。彼の訃報を耳にして、真っ先にお悔やみのメールを彼女に送ったところ、こんな返事が届いた。

「Thank you very much for your last emails!
Yes, Udo Jürgens was a unique artist. Like many others in our age, I
grew up with the songs of him.

What I admire very much is that he kept singing and composing till the
very last of his days,
a really fulfilled life!」


 彼女の言うとおり、ウド・ユルゲンスは、生涯現役で歌い続けた。若い頃と最晩年の「別れの朝」を見ることで、彼の音楽人生に触れたような気分になった。