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澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

大阪880万人訓練  なぜ東京ではできないのか?

2015年08月29日 22時50分53秒 | 社会

 昨日(9月4日)、大阪では「大阪880万人訓練」が行われた。大阪府・大阪市が共催した大震災発生時の避難訓練で、携帯電話を駆使した情報連絡が注目された。
 
 Mixiの書き込みを見ると、こんなつぶやきに多数の「いいね!」が付けられていた。 

松井、橋下コンビは、このように防災対策を進めているのに、東京は「オリンピック」「おもてなし」ばかり。大阪はエライ!

大地震で、ただでさえ国に金ないのに国立競技場ですもんね(ー ー;)

五輪開催日以前に大震災・噴火が起きれば、五輪は即中止。以後だったら、破滅国家。こんな自明なことを無視して、五輪に走る「意思決定」システムが理解できない。IOCに嵌められたとさえ思えてきますが…。

東京では多数の都民を対象とした訓練・啓発は皆無。この大阪の訓練は、ぜひ首都圏で取り入れるべき。橋下徹を見直したぞ。こういう具体的実践こそ必要なのに、「五輪でおもてなし」ばかり。アホかと思う。  (以上、Mixiより引用)
 
 大阪都構想がとん挫したとはいえ、大阪府と市が連携して、このような大規模訓練が行われたことは、大いに評価されるべきだろう。
 「東京五輪」「おもてなし」「安全安心の日本」などとキャンペーンを続ける政府、東京都は、大阪で行われたような大規模防災訓練を一度も行っていない。

 そもそも、3.11が起きてなお、平然と「東京五輪」招致を続けた政治家、都庁関係者の非常識、不見識が問われるべきなのに、マスメディアは新国立競技場やエンブレムのごたごたを揶揄、非難するばかりで、問題の核心に迫ることはない。

 上記のような「一般人」の声こそ、マトモな神経を持つ人の意見だと思うのだが、どうだろうか。

大阪全域で「880万人訓練」 南海トラフ想定、速やかに避難

産経新聞 9月4日(金)14時57分配信

 南海トラフ巨大地震を想定した「大阪880万人訓練」が4日、大阪府内全域で行われた。府は午前11時すぎに府内にいる人の携帯電話に訓練開始を伝える緊急メールを一斉配信。4回目となった今年は、対応機種が増えたことから、昨年より約1割多い8割程度の携帯電話に通知されたと推計している。

 訓練は午前11時に府内で地震が発生し、大津波警報が発令されたという想定。警報を知らせるメールが配信され、着信音が鳴ると、各地で携帯電話を確認する人の姿が見られたが、機種によってはメールを受信できないこともあった。

 松井一郎知事は、同府忠岡町の町立忠岡小学校を訪れ、児童らとともに避難訓練に参加。松井知事は「足元に気を付けて」「道路状況をよく見て」などと声を掛けながら、4年生約50人と避難先の忠岡中学校に向かった。その後、生徒や地元の自主防災組織のメンバーらが体育館に避難所を開設する訓練を見学した。府の被害想定では、南海トラフ巨大地震が発生すると最大約13万4千人が死亡するとしている。


中国・新華社、天皇陛下に謝罪を要求 「昭和天皇が戦争指揮」

2015年08月28日 00時03分31秒 | 中国

 この『中国・新華社、天皇陛下に謝罪を要求 「昭和天皇が戦争指揮」』(「産経」8月27日)という記事は、いろいろ考えさせられるところが多い。

 7月末、一部の新聞に「1971年、中国国連代表権問題に関して、昭和天皇が佐藤栄作首相に蒋介石支持を指示した」という記事が掲載された。これが事実だとすれば、戦後になっても、昭和天皇は極めて重大な政治的発言をしていたことになり、それでは戦時中はどうだったのか?という疑問が生じるのは当然だ。

 このたびの中国メディアの「天皇の謝罪」要求は、この蒋介石支持発言とは無関係のようだ。というより、下記のように「記事が突然に出てきた背後には、中国内部の問題が関係している可能性も否定できない」との観測もある。

 だが、何はともあれ、中国メディアが昭和天皇の戦争責任に言及したのは事実で、しかもその主張には一理あることは認めねばならない。この八月、われわれはうんざりするほどの「戦争回顧」番組、記事を見せつけられたが、いずれも隔靴掻痒の感があった。何故なら、今やマスメディアでは「天皇に戦争責任はあるのか?」という問いかけはタブー。この問題に関して、絶対多数の日本人が見て見ぬふりをし続けてきた結果だ。
 その意味では、この中国共産党の指摘は傾聴に値するのかもしれない。

 

中国メディアが天皇陛下に「侵略戦争の謝罪要求」

サーチナ 8月27日(木)0時41分配信

 中国共産党中央宣伝部の管理下にある「光明日報」が26日、「だれが日本の侵略戦争の罪の謝罪をすべきか」と題する記事を掲載した。同記事は、昭和天皇の戦争責任を強く主張した。今までの中国からの見解として、極めて珍しい論調だ。

 記事は冒頭で「恨みには相手がいる。借りには借りた主がいる」と主張。1930年代から40年代にかけて日本軍国主義が侵略戦争を発動したのは、軍国主義を支えた天皇と政府、軍、財閥が力を合わせた結果と主張。

 さらに、昭和天皇は日本が対中侵略戦争と太平洋戦争を相次いで画策・指揮した侵略戦争の元凶だったと主張。

 さらに、東条英機、近衛秀麻呂の名以外にも三井、三菱、住友、安田と財閥の名を挙げ、当時の日本の政治、軍事、経済集団の罪行は、中国に対してだけでなく、アジアと世界の人民、日本人民に対する歴史上の罪人と主張した。

 戦後の日本については、在野の党派と民間人が絶えず、戦争の罪を反省しているにもかかわらず、天皇、政府、軍(自衛隊?)、財閥は公開の謝罪を阻んできたと主張。

 東条英機などの戦争犯罪者は極刑に処せられ、歴史に永久の恥辱を刻んだが、「その魂は散じることはなかった」と主張。

 衆議院が安保法案を“強行採決”したことを人々は「失望した」と表現し、「安倍政権は逆流の動きをして、人々の心に背いている」、「日本政治の主要勢力は、70年前の戦争に対する立場と態度を根本的に変えていない」と主張した。

 昭和天皇についてはさらに、「死去するまで一貫して、日本の侵略の被害国と被害国の人民に謝罪しなかった」と主張。一方で、村山元首相は談話によって侵略戦争に対する深刻な反省と謝罪し、日中戦争に加わった「多く」の旧軍人や子孫が「勇敢にも当時の罪行を暴露し、殺害した中国人民に謝罪している」と指摘。

 記事はさらに「日本の自衛隊は必ずや、当時の侵略軍と徹底的に切り離されることを尊重せねばならない」、「日本の財閥集団は、平和発展に積極的な役割を果たし、民族破壊の推進者には2度となってはいけない」などと主張した。

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◆解説◆
 中国はこれまで、昭和天皇を含む天皇や天皇制に対する批判を慎重に避けてきた。今上天皇のお言葉について中国メディアは極めて好意的に報じてきた。昭和天皇の戦争責任に言及する記事は、極めて異例だ。

 中国が天皇陛下の戦争責任への批判を避けてきた最大の理由は、日本人の対中感情の決定的な悪化を懸念したためと考えられる。中国で「権威ある」とされているメディアが、上記のような論説を発表するのは、これまで考えにくいことだった。

 中国では、自国の現政権に対立する上層部勢力が、対日関係で問題を拡大することで、政権に「ゆさぶり」をかけることが、これまでにもあった。上記記事が突然に出てきた背後には、中国内部の問題が関係している可能性も否定できない。(編集担当:如月隼人)


「美食めぐり3日間」でまた体重が…

2015年08月27日 09時27分57秒 | hobby

 先週末、クラブツーリズムの「関西美食めぐり3日間」というツアーに参加、ひつまぶし(名古屋)、近江牛、川床料理(京都・貴船)、フレンチ(京都)などを食べ続け、増えてしまった体重がまだ戻らない。

 天気がよかったので、岐阜城からの眺望、近江八幡・八幡山から見た琵琶湖など十分に楽しんだ。

 クラブツーリズム添乗員のMさんは、とても親切。私がカギを忘れたり、ツアーのバッジを失くしたりしたのを、すかさずフォロー。ジジババの失態は毎度のことなのかもしれないが…。

 旅程・内容、参加者、添乗員、ともに合格点の、十分お奨めできるツアーだった。もう、夏も終わりだけど…。

 


 


「あの時、台湾は日本だった」(BS日テレ「深層NEWS」)

2015年08月20日 11時44分15秒 | マスメディア

  8月18・19日の二夜にわたって放送された「あの時、台湾は日本だった」(BS日テレ「深層NEWS」)は、素晴らしい番組だった。今夏、数々放送された「戦争回顧」番組の中では、ダントツと言えるだろう。

 台湾の日本語世代(日本統治時代、すなわち1895-1945年の間に、日本人として教育を受け、育った台湾人世代)について、これほど詳細に率直に取り上げたTV番組は、おそらく初めてではないか。NHKの悪名高き「アジアの”一等国”」は、この日本語世代を取り上げたものの、意図的な編集、印象操作によって、彼らの心情を著しく傷つける内容となった。今回の深層NEWSは、ごく自然に台湾の日本語世代(八十歳半ばの老人たち)にインタビューし、彼らの心情を描き出した。酒井充子監督の「台湾人生」「台湾アイデンティティ」に習ったかのような作品だった。

 二日間にわたって出演した武見敬三・参議院議員の次のような結語も心に残った。

『戦前から台湾に住んでいた人たちの歴史を掘り起こした、非常に貴重な番組となった。
 私たちが台湾に行っても、今までは戦後台湾を統治してきた国民党政府、すなわち”中国”を標榜する政府のもとでの歴史だけが語られてきたわけですから、こういう戦前から台湾に住んできた台湾の人たちの立場に立った歴史というものは、対象から外されてきた。したがって、「台北大空襲」も全く語られないという時代がずっと続いてきた。
 私が台湾に留学していたとき(注:1974年前後らしい)などに、年配の方からそれぞれのご経験を聴いてまいりましたが、今日の番組を通じて、まとまった形で戦前から台湾に住んで、日本人として生活し、そしてまた生死をともにされ、また戦後改めて敗戦によって、急に「中国人」に戻された人々。そして、その後も実は、統治する国民党政府との間で必ずしも自由に過ごすことができなかった人たち。こういった人たちがいたこと、そしてまた現在もいらして、こうして歴史を育みながら、最後は人生を振り返りながら、平和と言いうものがいかに尊いものであるか教えてくれる。私は、非常にいい重要な指摘をしていただいたと思います。』

 今夏、台湾に関する重要な歴史的事実が明らかにされた。それは、1971年、蒋介石中華民国政府国際連合における「中国代表権」を失いかねない瀬戸際において、昭和天皇が時の佐藤栄作首相に「蒋介石を支持」するように指示したというニュース。ここには、憲法違反に等しい天皇の政治的発言の問題とともに、「わが臣民」であった台湾人本省人)を戦後になっても踏みにじる昭和天皇の行為が記されている。ほとんどのメディアは、このことを採りあげることを避けているが、歴史を見つめなおすとき、極めて重大な問題だと思われる。
 
 ともあれ、「日本であった台湾」をきちんと見つめる報道番組が現れたことは喜ばしい。見逃した方は、次の映像で一部分を見ることができる。

 

 


「戦火のマエストロ・近衛秀麿~ユダヤ人の命を救った音楽家」は本当か?

2015年08月09日 01時29分26秒 | 音楽・映画

  さきほど、BS1スペシャル「戦火のマエストロ・近衛秀麿~ユダヤ人の命を救った音楽家~」が放送された。

 この番組のプロデューサーらしい水野という人が、「番組スタッフから」(下記参照)と題して番組制作の主旨を説明している。「戦後70年という時間を経ていま浮かび上がる意外な真実」が分かるらしいのだが、ざっと見た限りでは、ナレーションがプロジェクトXに酷似(同一人物の声かもしれない)、効果音的な音楽はこけおどしで不愉快な印象。どうしても、件のNHKスペシャル「佐村河内守 魂の旋律 音を失った作曲家 」を連想してしまう。

 近衛秀麿がユダヤ人を助けたという史実は「秀麿が米軍から受けた尋問の調書がアメリカ国立公文書館から発見され、そこに亡命幇助の一端が記されていたのです」というが、それでは彼が「第二の杉原千畝」だとでも言いたいのか?NHKスペシャルのプロデューサー・古賀淳也は詐欺師・佐村河内を「現代のベートーベン」と呼んだのだから、「第二の杉原千畝」もあり得ない話ではない。

 近衛秀麿が知り合いのユダヤ人をナチスの迫害から救ったという史実はあるのかもしれない。だが、彼の立場、経歴からすれば、それは「感動物語」として賞賛されるようなものではなかったはずだ。同様の誇張は、昨日公開された「日本のいちばん長い日」のキャッチコピーにも見られる。「この”ご聖断”が今の日本の平和をつくった」と言うのだが、天皇の”決断”があと一週間早かったら、広島、長崎の40万人もの犠牲者はなかったはずだ。そう思う人も多いだろう。歴史的人物の一行動だけを取り出しても、歴史の真実に触れたことにはならないのだ。

 NHKの劣化は止まらない。戦争体験者が激減したので、些細なエピソードに脚色、演出を施し、大層な「感動物語」に仕立て上げても、「それは違う」と文句が出る心配がなくなった。したがって、番組制作者はやりたい放題というのが現状なのだろう。

 猛暑の今夏。戦争回顧のドキュメンタリー番組に感動して、あとで騙されたことに気づき、臍を噛む。そんなことがないように願いたいものだ。「戦争を終わらせるために戦った男たち」などという、噴飯もののキャッチコピーに騙されてはならない。
 
 
 

 

番組スタッフから

「近衛秀麿という人物がユダヤ人の命を救っていた」という話を始めて聞いたのは、いまから1年半ほど前、秀麿の音楽やその人生を30年近くに渡って追ってきた音楽プロデューサーからでした。最初はにわかに信じられませんでした。なにせ、近衛秀麿といえば、戦争へと向かう日本で首相を務めた近衛文磨の弟。そんな人が果たしてユダヤ人を救うというようなことをするのだろうか?そう思ったからです。
その後、秀麿について書かれた本を読んでみると、指揮者としてベルリンフィルでタクトを振った最初の日本人だったことや、「NHK交響楽団」の前身である「新交響楽団」を設立したこと、アメリカやヨーロッパで活躍していた事などがわかり、音楽家として世界的に活動した人だったということがわかりました。しかし、それでもユダヤ人を救っていたという話はどこにも出てきません。わずかに、本人が書いた自伝に数行だけ「救われたユダヤ人家族は10以上」、「日本大使館のY君が担当した」といった謎めいた記述があるだけです。
これ程度の情報で本当に番組になるのか?不安はありましたが、調べてみる事にしました。すると秀麿が米軍から受けた尋問の調書がアメリカ国立公文書館から発見され、そこに亡命幇助の一端が記されていたのです。しかし、ここから番組ディレクターの苦悩が始まります。証言者を世界中から探さなければならなかったからです。日本、ドイツ、イスラエル、アメリカ、イギリス、ベルギー…1年に渡る執念の調査から何がわかったのか?それは番組を見てのお楽しみですが、「凄い!」ことは間違いありません。

一つだけ、今回の取材を通してわかったことを書きたいと思います。それは、「ユダヤ人を救った」という話は、戦後ながらく日本だけでなく、ヨーロッパでもタブーだったということです。亡命に成功した人たちも「誰のおかげで亡命できたか」また「どうやって逃げたか」などデリケートな話は決して口にしなかったと言います。一方で、亡命を助けた側も同じでした。だからこそ、近衛秀麿の物語も長い間語られる事はなかったのです。
戦後70年という時間を経ていま浮かび上がる意外な真実。ぜひご覧ください!

水野重理(みずの・しげのり) 番組プロデューサー


昭和天皇の戦争責任と「日本のいちばん長い日」

2015年08月08日 08時21分43秒 | 音楽・映画

 季節柄、「戦争回顧番組」のオンパレード。いつのまにか、お盆を迎えるころの風物詩となってしまった。

 戦後70年となる今年、「安保法制」騒ぎや「70年談話」問題が相まって、いつもとは違う雰囲気が漂う。
 いみじくも、映画「日本のいちばん長い日」がきょう公開される。同名の映画は1967年にも制作されていて、そのリメイク版とされるが、昭和天皇がどのように描かれているかが注目されるところだ。映画のCMを見ると、「今の平和は、このご聖断から始まった」というキャッチコピーが流され、凛々しく聡明そうな昭和天皇(本木雅弘)の姿が登場する。「一億玉砕」を主張する「軍部」と昭和天皇を「対置」することによって、「戦争を終わらせるために戦った男たち」を描くのだと言う。これには、昭和天皇の戦争責任を曖昧にする意図を感じる向きも多いだろう。

 最近、「昭和天皇、蒋介石支持を促す」というニュースが伝えられた。1971年、国連で中国代表権が討議され、蒋介石の中華民国(台湾)は国連から追放されかねない危機を迎えた。そのとき昭和天皇は、佐藤栄作首相に対して「蒋介石を支持するように」と指示したという。戦後、しかも1970年代に至って、天皇がこのような政治的発言を繰り返してきた事実は、決して看過できない。

 昭和天皇が本木雅弘が演じるような凛々しい人物ではなく、戦後になっても陰で政治に口出しをしたという事実を知るならば、「ご聖断」への疑問も数々生じるだろう。ここに、1975年10月31日、日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」の映像がある。(下掲)昭和天皇は広島への原爆投下などについて、概ね次のように話されたという。

原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。」   
 戦争責任については、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。

 広島への原爆投下は「やむを得ないこと」とし、戦争責任は「言葉のアヤ、文学方面」だという、この感覚。さらに、日本国憲法下の象徴天皇でありながら、「命の恩人」である蒋介石を助けようとした政治的発言。これらをジグソー・パズルのようにつなぎ合わせれば、昭和天皇の人間性が否応なく浮かび上がってきて、天皇の戦争責任が問われなかったこと自体がおかしい
、という結論が導き出されても何ら不思議はない。

 石原慎太郎や田原総一朗さえも「戦後、天皇は退位されるべきだった」と発言しているそうだ。元首相・木戸幸一の「木戸日記」には「東京裁判終了後、天皇は自発的に退位されるだろう」という記述があるという。

 戦争体験者が激減した現在、この映画のように、当時の状況とはかけ離れた解釈で歴史ドラマやドキュメンタリーを制作しても、クレームがくることはなくなった。だから、現在の 「戦争回顧」番組は、マスメディアのやりたい放題。右からでも左からでも、勝手に「史実」を解釈できる状況になってしまった。「平和」「人権」「民主主義」など、現在の概念で過去の歴史を裁くような記事、番組は要注意だろう、少なくとも、安易に感動したり、同調したりするのは、止めた方がよさそうだ。

 



「玉音放送」が流れるCHTHONICの 「玉砕」

2015年08月04日 06時46分09秒 | 音楽・映画

 折しも「玉音放送」が公開され、「玉音放送」の原盤レコードを「軍部」から守った放送局員(NHK)の手柄話がドラマ化されたりしている。「軍部」(=本土決戦派)と終戦派の対立という安易な図式には毎度うんざりさせられる。

 一方、1971年、中国の国連代表権問題が焦眉となったとき、昭和天皇が佐藤栄作首相に「蒋介石を支持」するように伝えたという史実が明らかにされた。日本国憲法下においてもなお、天皇が総理大臣にこのような政治的指示を与えていたのだとしたら、戦時下において天皇が「軍部」の横暴を阻止しえず、平和の意思を貫けなかったなどという「神話」は根底から覆ってしまうのではないか。

 「玉音放送」と「蒋介石(中華民国総統)」で連想するのが、台湾のロック・グループCHTHONIC(ソニック)の 「玉砕」。この「玉砕」の中には、日本の音楽界ではタブーとされている「玉音放送」が使われている。

 蒋介石=中国国民党によって、抑圧され続けてきた台湾人(本省人)の心情を、神風特攻隊に重ねているかのようなこの曲こそ、ぜひ昭和天皇に聴いていただきたかったと思うのは、私だけだろうか。


「玉音放送」をめぐるNHKの報道姿勢

2015年08月01日 17時31分06秒 | 歴史

 暑い。さきほど、二階で気温を測ったら、何と36度超。これでは、熱中症で死者がでるのも不思議ではない。

 8月に入ると、TV、ラジオ、新聞などでは、あの戦争を回顧する番組、記事が目白押し。今夏、注目されるのは、天皇陛下の「玉音放送」が公開されるというニュース。NHKは今夜、「玉音放送を作った男たち 知られざる真実」というドラマを放送するらしい。

 その前宣伝なのだろうが、今朝の「週刊ニュース深読み」では、さまざまな世代のTV関係者(タレント、コメンテーターなど)を集めて、「玉音放送」についてあれこれ雑談が交わされた。聞き流していたら、MCが「当時の中国」という表現を使った。これは何のことだろうと思って画面を見たら、第二次世界大戦の概念図が表示されていて、連合国、枢軸国の国名と国旗が描かれていた。米国には「星条旗」がつけられているのだが、ひとつだけ国旗が付けられていない国があった。「中華民国」と書かれているだけで、その国旗である青天白日旗は見当たらない。MCは最後まで「中華民国」という国名を使わなかった。

 青天白日旗

 NHKがいかなる屁理屈をつけようと、実在する国家や国旗を「ハナから存在しなかった」として扱う態度は、ジャーナリストとしてあるまじき行為だろう。中華人民共和国政府の威光には逆らえないからとして、青天白日旗を表示しなかったのだ。
 1945年当時、中国共産党(=中共)は「解放区」と自称する山岳地に逃げ込み、漁夫の利を狙っていた。その「当時の中国」とは、言うまでもなく青天白日旗の中華民国のことだった。
 

 くどくどとこんなことを書くのは、今夜放送の「玉音放送を作った男たち 知られざる真実」が全く期待できないからだ。「玉音放送」には「仕掛け人」がいて、戦争遂行を主張する「軍部」に対抗して、「玉音」を首尾よく放送したという、なんとも陳腐で安易なストーリーだ。
 中共の恫喝におびえ、青天白日旗さえ画面に表示できない
NHKスタッフ。そんな連中が、天皇の戦争責任にまで踏み込みかねない、「玉音放送」をめぐる「真実」などに迫れるはずはない。

 この時節、戦争の悲惨さを思い起こし、平和の大切さを知るのは、文句もつけようのない「いいこと」なのだが、実のところ見聞きに値する報道、番組などほとんどない。戦争体験者が激減するとともに、マスメディアが空虚な「平和論」がまき散らしてきたからだ。マスメディアの劣化は止まらない。