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澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

首相居座りの理由が「南海トラフ地震」とは!

2025年07月21日 21時19分20秒 | 政治

 参議院議員選挙の惨敗にもかかわらず、石破首相はぬけぬけと居直りを宣言した。

その理由の一つに、「南海トラフ地震・首都直下地震」の可能性を挙げている。これには、心底驚いた。天変地異の可能性を理由に自己保身を図る首相など、これまで存在しただろうかと。ルーピー鳩山、サイテー首相・菅直人でも、そんなことは理由にしなかったはずだ。

 首相の座についてから、次々と明るみに出る石破の本性。それは、傲慢不遜、無恥と無能を絵にかいたような人物だ。「政治を停滞させない理由」として天変地異の脅威を言うのなら、何故、選挙公約にそれを「大きく掲げ」なかったのか。

 
 まさかまさかとは思うが、この選挙期間中、石破は「南海トラフ地震・首都直下地震」について、何か気になる情報を得たのだろうか?その情報を憂慮して、自らの留任を決めたとか?まさか、石破に限ってそれはないだろう。

 浜崎洋介・京都大学特定准教授(文芸評論家)が石破茂の著書「保守政治家 石破茂」を批評した映像がある。「読みながら手が震えてくる...石破茂、裏切りの人生」だが、これを見ると、私も手が震えてくる思いだ。

読みながら手が震えてくる...石破茂、裏切りの人生(京都大学/文芸批評家:浜崎洋介)

 

 

 

 

 

 


本ブログの引っ越し(移行)について

2025年07月16日 08時57分46秒 | Weblog

 本ブログは、Gooブログサービスの終了にともない、Amebaブログに移行することになりました。ブログのタイトルは、「澎湖島のニガウリ日誌」のままです。

 当面は、GooとAmebaで同時並行的にアップロードします。相変わらず、ご覧いただければ、幸いです。

⇒⇒ https://profile.ameba.jp/me


『高容姫~「金正恩の母」になった在日コリアン」(五味洋治著)を読む

2025年07月14日 23時11分15秒 | 読書

 『高容姫~「金正恩の母」になった在日コリアン」(五味洋治著 文春新書 2025.6)を読む。

 本書の内容については、上記の写真に示されているが、注目されるのが、大阪在住の「金正恩の伯父」へのインタビュー。新たな事実が示されているのだが、特に「衝撃的」なものではなく、物足りないと感じる人も多いだろう。
 このインタビュー以外は、これまでに流布されてきた北朝鮮情報をまとめたもので、新鮮味は薄い。

 
 

 

 


正岡子規の碑文を見に行く~金州(中国遼寧省)

2025年06月02日 11時20分20秒 | 中国

 先日、「旧満洲を巡る旅」に参加したが、初日に訪れたのが大連から30kmほど離れた金州だった。パンレットには次のように書かれている。

日露戦争初期の激戦地「南山古戦場跡」
「金州副都統衛門博物館」
「清朝古街」観光



 大連周水子国際空港に着いたとき、両替の前に並んでいた女性から「どちらに行くんですか?」と尋ねられた。「金州です」と言うと、「わあ、いいですね。あそこは正岡子規の碑がありますよ。行ってみたいところです」という返事。俳句なんて興味ないと内心思っていたら、何とその女性は日本に住み日本文学を学んだ中国人だった。完璧な日本語、しぐさも全く日本人と同じ。異国にある正岡子規の碑文に俄然興味が湧いてきた。

 期待を胸に金州副都統衛門博物館」を訪れると、衝撃的な結末!?が…。


ガーン! ⇧⇧ 何と碑文は白い板に覆われて見ることができない

⇩⇩⇩ 実際の石碑はこちら。 

(⇧⇧ 他から引用したものです)

行く春の酒をたまはる陣屋哉(正岡子規)

 1895年、日清戦争における金州攻略に従軍記者として派遣された正岡子規が詠んだ句。この句碑は、1940年には天后宮にあったが、その後行方不明になり、1998年に建設工事現場で偶然に「発見」されたという。
 思うに、日本人以外はこの句碑に全く興味はない。日本の敗戦によって、打ち捨てられていたが、その後、観光資源として価値があると考え、復元したものだろう。それが今、再び、白い板が貼られている理由は、何なのかと訝しく思った。17年前、大連に来たときは、満鉄本社内部に入り、満鉄総裁室の中まで見学すること(撮影は禁止)ができた。歴代満鉄総裁の写真もそのまま飾られていた。ところが、今回は、満鉄本社も立ち入り禁止。どちらも、日本人だけが参観する場所だということが、引っかかる。日中関係の悪化で日本人観光客が激減しているので、公開することのうま味がなくなったと判断したのだろう。漢文調ならともかく、平仮名混じりの碑文は、中国人には抵抗感がある。

 金州副都統衛門博物館の由来について、ガイドブックでは次のように書かれている。

「旅順港が開かれ大連の町が誕生するまでは金州が遼東半島を代表する町であった。清朝はここ金州に「副統衛門」という役所を設けて遼東半島を治めていた。金州副都統衛門は、二つの門がありその奥に「印務処」と呼ばれる副都統の事務所がある。‥‥副都統公館の裏手に清代の石刻が並び、その中に日本語で書かれた碑も立っている。正岡子規の句”金州城にて”の石碑であった。碑文は”行く春の酒をたまはる陣屋哉”と書き込まれている。‥正岡子規は1895年に新聞「日本」の従軍記者(日清戦争の)として派遣された。その約30日の従軍記者生活の際に詠んだ句のひとつである。従軍記者の生活は大変で満足な食事もできなかったらしい。そんな時に松山藩主久松定ことの宴席に招かれ感激した式が詠んだ句とされている。」(
旅名人ブックス「大連・旅順歴史散歩」2007年)

 清朝は、満洲族の王朝であり、満洲はかれらの祖地であった。金州は、その満洲の遼東半島の中心地であったという。そのため、この副都統衛門の邸宅(現在は博物館)や清朝古街など、数々の歴史遺産が残されている。それならば今、統治者であった満洲人(満洲族)はどこにいるのか?満洲語や満洲文化はどこに残っているのか?という疑問が湧いてくる。伝え聞くところでは、満洲語を母語とする人はほぼ消滅、満洲語を話せる人は数千人だという。これは、今風に言えば民族ジェノサイド(抹殺)とも言えるのではないか?それもこれも、孫文が作り出し、毛沢東が悪用した「中華民族」という概念に由来する。「中華民族の復興」を旗印に、孫文、毛沢東は、満洲、内蒙古、新彊、チベットを併呑してきた。だが、その「中華帝国」を支配するのは、漢民族。つまり、実体は「漢民族の復興」だったに過ぎない。そんなカラクリも知らず、「日中友好」などと呑気にしていると、
そのうち「彼ら」に飲み込まれるかも知れない、とふと思う。


 
⇧⇧⇧ 「金州副都統衛門博物館」

⇩⇩⇩ 清朝古街


 

 



 


お味のほどは? 丹東市の北朝鮮料理と北朝鮮ビール

2025年05月30日 19時18分20秒 | 中国

 先週、大連から丹東へ、新幹線で往復。中朝国境の鴨緑江で遊覧船に乗り、満鉄(南満洲鉄道会社)が建造した二つの橋を見学してきた。
 北朝鮮側に古い煙突が一つ見えたが、後で調べたところ王子製紙の新義州工場だったことがわかった。船から撮った写真には、砂利の採掘工場、材木工場のような施設があったが、これらも日本統治時代に由来するものだろう。北朝鮮は鉱物資源が豊富なので、日本統治時代から工業化が図られてきた。北朝鮮はいま、それらのインフラを”食い尽くそう”としているかのようだ。

 さて、旅行社のパンフレットには「昼食は、北朝鮮料理をご賞味ください」とあった。どんな料理だろうと思ったが、お国柄を考えるとさして期待はできなかった。友人は、「朝鮮歌謡ショーのレストランは急遽閉店となりましたため、お食事のみ北朝鮮料理を提供させていただきます」と追記された部分が恨めしそうだった。

 案内されたレストランは、「品海家宴」という店。入り口には海鮮料理の見本が並んでいて、食欲をそそる感じ。
 出された料理は、特に朝鮮風というわけでもなく、普通に食べられる田舎料理という味だった。特筆すべきは、北朝鮮ビール。二十元(440円)という値段だったが、味は中国ビールには及ばず、香りが全く感じられない。アルコール度が11度もあるので、多分、麦芽以外のアルコールを混ぜていると思われた。


⇩ ⇩ 「品海家宴」の「北朝鮮料理」の数々
 


丹東市散歩~鴨緑江断橋から北朝鮮を臨む

2025年05月30日 11時09分04秒 | 台湾

 先週、大連から新幹線で丹東に行き、丹東市内を散策した。旅行社の日程表には、次のように書かれていた。

朝鮮半島と中国の境街「丹東」観光
万里の長城の最東端「虎山長城」
「一歩跨(またぎ)」(5mほどの小川を挟んで北朝鮮領を眺められるスポット
「鴨緑江国境市遊覧」~国連軍が爆破した「鴨緑江断橋」、北朝鮮を眺望できる「鴨緑江公園」
「中朝友誼大橋」
「旧日本人学校」

 丹東市は満州国時代「安東」と呼ばれ、鴨緑江を挟んで朝鮮半島と満州国を結ぶ要衝だった。
Wikipediaによれば「この橋は欧亜連絡運輸の一部だった。関釜連絡船(下関 - 釜山)、京釜線(京城 - 釜山)、京義線(京城 - 新義州)を経て鴨緑江を渡り、安奉線(安東 - 奉天)、日露講和条約(1905年)により獲得した南満洲鉄道(長春 - 旅順)、東清鉄道シベリア鉄道を通れば日本から欧州まで繋がる。」
 現在は北朝鮮国境の街としてそれなりに栄えているが、満州国時代においては、さらに国際性に富む街だったことだろう。

 鴨緑江に架かる橋は二つあり、両方とも満鉄が架橋したもの。ドイツの鋼材を使って施工された古い橋の方は、朝鮮戦争時にB29の爆撃により破壊され、現在は「鴨緑江断橋」と呼ばれていて、入場料が必要な観光名所になっている。もうひとつの橋は現在でも北朝鮮につながっていて、多少の交通量はあるそうだ。私が見た限りでは、黄色いバスのような車が北朝鮮側から走ってくるのを見ただけだった。

 

⇧⇧ 「鴨緑江断橋」の光景。反対側の橋(中朝友誼橋?)は通行可能だが、交通量はほぼゼロ。  

⇩⇩ 遊覧船から見た北朝鮮側の光景。人が見当たらないのが、ちょっと不気味だった。繁栄する丹東に対抗するためか、映画セットのようなダミーのマンションも散在した。

 ⇩⇩ 船着き場のそばにはこのようなスローガンが…。

 感服せざるを得ない超立派なスローガンだが、少し前まで「毛主席万歳、万寿無窮!」なんて書かれていたことを思い出した。個人崇拝よりは結構だが、「自由平等」「公正法治」「誠信友善」なんて、中国の現実を見れば、ギャグではないかと思えたりする。


旅順観光に行く

2025年05月29日 14時20分45秒 | 中国

 旅順と言えば、日露戦争時の二百三高地での戦いが有名。私は17年前に訪れたことがあるので、むしろ、満鉄が残した資産である歴史的建造物を見たいと思った。
 旅行社のパンフレットには、次のような行先が書かれていた。

🔷古き時代にタイムスリップ 「旅順」観光
日露戦争の激戦地「203高地」、難攻不落の旧ロシア軍要塞
東鶏冠山北堡塁
日本が満蒙物産館として建築した「旅順博物館」
乃木将軍の会見場所「水師営会見」
旧関東軍司令部
粛親王一族の邸宅として使用した「川島芳子旧居」
満鉄が経営していた「旅順旧大和ホテル」
南満州の終着駅「「旅順駅」
旧満洲国の玄関口「旅順軍港」

 旅順博物館では、大谷コレクションが展示されていた。建物も昔のままで、過ぎし日の栄光を伝えている。

 膨大な「大谷コレクション」の展示は、このような感じ。


⇩ 旅順博物館の正門の延長線上には、ソ連軍の戦勝記念碑がそびえたつ。
 

 1945年8月、日ソ不可侵条約を破って、満洲国に侵入したソ連軍は、日本人に対し暴虐の限りを尽くした。旅順が中国(中共政権)に返還されたのは、1955年になってのことだった。


 ⇧ これは、関東軍司令部の建物。色彩は当時のものではない。

 
⇧ 東清鉄道の終着駅であった旅順駅。ロシアが建設したもの。 

 一昔前は、満洲と言えば、「日本人が悪いことをした場所」のように一方的に教えられてきたか、あるいは故意にスルーされる地域でもあった。現在ここに至れば、①満洲は本来漢民族の土地ではなく、満州族のものであった。この不都合な事実をかくすために、現在の中国では満州族の歴史・文化は闇の中に葬り去られた、②満鉄(南満洲鉄道株式会社)が満洲において果たした社会開発(近代化)の実績は、輝かしいものだった。1945年の時点において、満州国は中華民国よりもはるかに豊かで近代的だった、このように再確認すべきだろう。

 旅順の日露戦争戦跡に訪れるのは日本人だけ。中国人は全く興味がないという。そのこと自体が、実は満洲は中国人(漢人)の土地ではなかったことを物語っている。自虐史観や皇国史観ではなく、事実をもっと見つめなければとつくづく思う。

 


中朝国境を見に行く(遼寧省丹東市)

2025年05月28日 22時52分19秒 | 中国

 先週、「旧満洲の大連&旅順と北朝鮮国境の街・丹東を訪ねる」というツアーで、日本および日本人が足跡を残した街々を見てきた。

 大連には17年前に訪れたことがあり、その時と比べても、大連と旅順を結ぶ海底トンネルの敷設や林立する高層住宅には目を見張るものがあった。だが、さらに驚いたのは、中国がキャッシュレス社会になってしまったこと。ほとんどの買い物、支払いは、スマホのアプリによる決済。「貴洋」という名前のガイドさんは「中国人はカバンを持ち歩かない。現金を持たないので、スリに遭うこともなくなった。治安はすこぶる良い」と説明。確かに、表面的にはそうなのかも知れないが、政府が国民一人一人の行動を把握していることをも意味するので、何やら空恐ろしい気がする。そういえば、われわれ外国人旅行客は、駅や博物館に入るときでもパスポート提示が義務。

 大連から丹東(291km)までは新幹線で2時間15分。「和諧号」に乗ったが、技術に詳しい友人によれば、日本の新幹線には及ばないという評価だった。「こだま」号のような各駅停車だったためか、時速200kmを超えることは一度もなかった。


 丹東市は、かつて安東と呼ばれ、朝鮮半島と満州国を結ぶ、重要な拠点だった。その面影は、古くからの建物に刻まれている感じ。旧満洲のどこに行っても、日本統治時代をしのばせるというのは、「大日本帝国」がいかに膨大な資本をこの地に投下したかを示すものだ。甘粕大尉の「大博打もともこもなくスッテンテン」という言葉は、どんな戦争でも「完膚なきまでの敗北」は避けるべきという教訓だ。時にはダーティーな手を使ってでも、最終破局だけは避ける。事実、先の世界大戦においてフランスはナチス・ドイツに降伏したが、結局、連合国側に与して「戦勝国」の一員となった。また、イタリアは日本と同じ枢軸国でありながら、戦時中にムッソリーニ政権を打倒した結果、破局的な敗戦は免れた。満州国の悲劇は、こんな芸当ができない日本人の脆弱性に由来している。今の日本の政治家はできるのか?ましてや、石破茂が…。



 鴨緑江の遊覧船乗り場は、中国人の観光客が大はしゃぎという感じ。国境線に対峙しているなどという緊張感はまるでなし。対岸の北朝鮮・新義州は、人ひとり見えず、静まり返っている。
 かつて、鴨緑江を挟んだ安東(現・丹東)と新義州(北朝鮮)は、ともに日本が開発した街だった。
 遊覧船の旅は、あっという間に終了。乗務員のオバサンが大声で北朝鮮紙幣のお土産を売りまくっている。

 続いて、バスで30分くらいの「虎山長城」へ。万里の長城の最東端ということだが、八達嶺のような趣はない。だが、ここには「一歩跨(またぎ)」という場所があって、5mほどの小川を隔てて、北朝鮮との国境線。もちろん、小川の向こうには広大な砂州があって、北朝鮮住民はそこにさえ立ち入ることなどできない。つまるところ、中朝の圧倒的な国力の差を見せつけられた感じがする。豊かな中国側では空前の旅行ブーム、対岸の北朝鮮は文革時代を思わせるような独裁政治が続く。「一歩跨」などという観光スポットを作ってしまう感覚は、中国人の拝金主義、冷酷無情な性格を示しているのかもしれない。

 われわれ10人のツアー客の中には、90歳の一人参加の男性がいた。その体力、気力には敬服したが、ことさら話をすることはなかった。それぞれが何らかの思いを持って、ツアーに参加した。ただ、それだけの一期一会。

⇩ ⇩ 「虎山長城」(万里の長城の最東端)と長城から見た北朝鮮の光景


⇩ ⇩ 鴨緑江河畔と対岸の北朝鮮の光景

 

 

対岸に北朝鮮を臨む鴨緑江の観光船(中国遼寧省丹東市)

 

北朝鮮国境まで5メートル! 「一歩跨(また)ぎ」に行く


大連のレトロ路面電車(1907年日本製造)に乗る

2025年05月27日 09時38分10秒 | 中国

  先週、「旧満洲の大連&旅順と北朝鮮国境の街・丹東を訪ねる」というツアーに参加して、今なお大連市内を走る路面電車に乗ってきた。路面電車はかつて北京、天津でも走っていたらしいが、現在は大連市内を走るのみ。しかも、1907年に日本国内で製造された車両が、満洲国時代、ソ連占領時代、中共政権の現在まで、今も使われ続けている。

 5月23日夜、食事を終えてホテルへの帰路、その車両に乗る機会が訪れた。1907年日本製車両は結構な数走っていて、特に待たされることもなかった。乗車してみると、車内の騒音はかなりのもの、特にブレーキ音がすさまじい。床は木製ではなく、張り替えられていたが、その他はほぼオリジナルのままだろう。

 中国人観光客(?)も珍しそうに乗っていたから、当面は観光用として存続されるのだろうか。大連だけを走る路面電車のために、新たな車両を設計・建造することは、まずありえない。大連市内には、立派な地下鉄網も完備している。

 興味のある方は、ぜひ今のうちに。

大連・長江路を走る1907年日本製路面電車(日航ホテル前)

 

大連のレトロ路面電車(1907年日本製造)に乗る


植物公園の「バラ展」に行く

2025年05月12日 22時36分03秒 | 散歩

 先週の土曜日(5月10日)、長男夫婦と一緒に植物公園のバラ展にでかけた。午前中は雨模様だったが、公園につく頃は、少し日差しもでて、バラの花に露が光っていた。

 長男のお嫁さんは、バラの香りに詳しいらしく、初めての植物公園を熱心に見て回っていた。バラの花は美しかったが、私はそのあとに「果実屋珈琲」で食べたフルーツパフェが美味だった。禁断の糖分を腹いっぱい食してしまった。


小室山公園、アカオ・フォレストを散歩

2025年05月12日 13時16分32秒 | 散歩

 5月8日、9日、車で熱海方面をドライブした。8日(木)はいい天気に恵まれ、小室山山頂からは、伊豆大島を望むことができた。いつ来ても、壮大な眺めには癒される感じ。

 ホテル・ニューアカオに宿泊後、9日(金)には「アカオ・フォレスト(Acao Forest)」に行く。ここは、以前、ホテル宿泊者は無料で入場できたが、今やひとり2,600円という入場料、それに駐車場料金も。家人の希望で訪れたが、案の定、入場客はまばら。外国人観光客(インバウンド)を想定してオープンしたのだろうが、この日外国人は全く見かけなかった。
 バラが見ごろということだったが、数日後、都立植物公園のバラ展を見てしまうと、アカオのバラが色あせて感じられた。


98歳のヒバクシャ、これは真実、それともフェイク? No One Could Stop Crying: 98-Year-Old Hiroshima Survivors’

2025年04月24日 00時19分08秒 | 音楽・映画

 98歳になる”ヒバクシャ”のデュエット演奏。YouTubeで200万回以上再生されている。この二人の日本人男女は、1945年8月6日広島の学校で被爆し、互いにその安否を知らず、最近になって再開したという。老人男性は英語で「私たちの音楽を聴くのではなく、記憶を聴いてほしい」と語り、バイオリンを手にして、老女の伴奏でメロディを奏で始める。聴衆はみな涙を流し、その演奏に聴き入る。

 そんな番組なのだが、数々の疑問点が浮かび上がる。まず、ヒバクシャ自身の言葉、態様がとても98歳には見えないこと(それよりも若く見える)。演奏者と聴衆、審査員の映像がそれぞれ別個で、決して一緒に映ることはない。また、老女のピアノの指は、明らかに演奏していない。演奏する曲は極めて当代的なポピュラー曲のようなもので、とても98歳の高齢者が演奏できるとは思えない。ざっと挙げても、こんな感じなのだ。

 広島出身をアピールし、非核平和運動の理解者であるような顔をしている「増税メガネ」の岸田・前首相には、ぜひこの映像を見ていただきたいと思う。この映像が、もしフェイク(インチキ番組!)だとしたら、被爆者の非核平和運動を冷笑するような番組ということになる。実のところ、この番組のクレジットをよく見ると、AI Video と記されている。AI Video!!

  つまり、これは広島の悲劇をネタにしたフェイク番組だった!! AI Videoと表記したとしても、やっていいことと悪いことがある。昨年、ノーベル賞(平和賞)を受賞した広島の被爆者団体は、この映像をどう受け止めるのか。日本人として大いに憤慨すべきだと思うのだが…。

 

No One Could Stop Crying: 98-Year-Old Hiroshima Survivors’ Duet SHATTERS Everyone (AI Video)


だるま市に行く

2025年03月05日 22時38分56秒 | 散歩

 毎年3月3日と4日に開催される「だるま市」(東京・深大寺)に出かけた。
 4日(火曜日)の午前、天気が悪くなる前にと考えたのか、大勢の人が集っていた。それでも、例年よりは人出が少ないそうだ。
 家人が小さなだるま一つ購入。言い値は2500円だったそうだが、いきなり1500円に負けてくれたという。私の記憶では、二十年ほど前は300円から500円くらいだったと思う。この三十年、日本人の所得は上がっていないのに、だるまさんだけ値上がりして!などと、温厚ジジイの私は決して言わない。
 「だるま市」は春の到来を告げる風物詩。いつまでも大事にしたい。


石平の国政挑戦宣言

2025年02月11日 09時52分25秒 | 政治

 評論家・石平 (せき・へい)氏が突然、次の参議院選挙に立候補を表明。「ある国政政党から」としか語っていないが、それはどの政党からなのか?

 石平氏は、自らの体験から中国国籍を捨て、日本人となった。その信条は、「反中愛国」であるから、自公、立憲、維新、れいわ等からの推薦はありえない。考えられるのは、日本保守党か参政党か。有本香(日本保守党)と親交があるから、日本保守党が有力だが、現在のゴタゴタを見ていると、それは火中の栗を拾うことになる。

 いま、アテンダー疑惑?の長谷川幸洋が「石平はニチホ(日本保守党)からでるのか?」とか、視聴者数稼ぎを続けている。新聞記者上がりのいやらしさ満開。石平さん、政治の世界なんて止めたほうがいいのでは。

 

石平の国政挑戦宣言


長谷川幸洋が”日本保守党を“まったく評価しない”理由

2025年02月09日 09時23分14秒 | 政治

 日本保守党の「内紛」をめぐって、飯山陽(あかり)側に与するジャーナリスト・長谷川幸洋氏が文芸春秋社のインタビューに応じて持論を述べた。この社会にはいたるところに紛争があるが、その渦中に入って立場を旗幟鮮明にすることは、それなりの勇気が必要だろう。だが、この長谷川幸洋という人物の来歴、言動を見てみると、それほど純粋、純情な人ではない。もしろ常に胡散臭さがつきまとう。
 東京新聞記者時代、自社の新聞を「サヨク新聞」と広言して、会社に逆らったことを自慢しつつ、「ニュース女子」(DHCテレビジョン)という番組では、ダンディ(?)な保守の「オジサマMC」を気取っていた。ところが最近、かつて長谷川本人がフジテレビのAプロデューサー顔負けの「女子上納」をやっていたことが明らかになって、今も火消しに躍起だ。

 今回の日本保守党叩きの発言を見ると、長谷川の自己顕示欲、自惚れ、ブンヤ(新聞記者)の逆張り根性がよくわかる。誰かが言っていたが、女好きの長谷川は飯山陽にぞっこんなのだそうだ。私は、飯山陽、百田尚樹のどちらにも与しない。さもしい人間が争いをネタにして一儲けしようとする姿をもう見たくもないから。

 「文春」の庇護を得て、今や長谷川はウハウハ、日本保守党叩きで一儲け。一方、日本保守党の支持率はさらに低下するだろう。しかし、それもこれも、飯山陽を選んだのは日本保守党であり、つまるところ「放言」「暴言」ばかりの党代表・百田尚樹の責任でもある。まさに自業自得。日本保守党のお粗末。

【なぜ飯山陽氏の告発にいち早く反応したか?】日本保守党を“まったく評価しない”理由|有本香氏のついた「嘘」|百田尚樹氏は「一見強そうに見えるが…」|「批判したらフォロワーが減った」【長谷川幸洋】