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澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

管理監督者の責任とは?

2008年11月27日 18時57分29秒 | 社会

最高裁で注目すべき判決が出た。

部下のミス、課長に賠償責任なし 最高裁で原告逆転敗訴

11月27日(木) 18時14分

共同通信

 静岡県教育委員会の職員のミスで、教職員退職金の源泉所得税が納付されず、延滞税などで損害を県に与えたとして、市民らが起こした訴訟の上告審で、最高裁は27日、当時の財務課長に全額支払いを命じた2審東京高裁判決を破棄、原告逆転敗訴の判決を言い渡した。2審判決は「原因は財務課副主任のミスで、課長の過失と同一視できる」と判断したが、甲斐裁判長は重大な過失を認めなかった。


今回の最高裁判決は、組織上の管理監督者が、部下の不祥事にはずべて責任を負うべきだという2審判決を覆す画期的なものだ。

周知の通り教育委員会という組織は、行政委員会のひとつとして知事部局とは独立している。麻生首相流に言えば、「教員も教育委員会も、世間とはかけはなれた常識を持つ」世界だ。文部科学省が上意下達官庁であると言われるのと同様に、教育委員会は、「通知・通達」や「指針」を学校現場に下達するだけの役所で、決して自ら責任を問おうとはしない。その意味では、今回の裁判自体が、「非常識な人たち同士の争い」という側面は否めない。

私の知る限りでも、教育委員会が身体障害者と精神疾患者の事務職員を学校に配置しながら、その職員のミスをすべて学校長と事務長に押しつけたという事例がある。まともでない職員を押しつけられた現場では、どう対処すればいいのだろうか。

今回の静岡県の事例は、教職員の退職金計算という、極めて実務的なミスを、果たして管理監督者である課長ががチェックできるのかという基本的な問題を指摘している。
問題職員が起こしたミスをすべてチェックするには、膨大な労力と時間を要するのだが、果たして現場にそのような余力があるのだろうか。

今回の判決は、管理監督者の責任を有限とした点において、極めて現実的で妥当な判決と思われる。


歴史を知らない子供たち

2008年11月27日 14時39分50秒 | 歴史
田母神・元航空幕僚長の「日本は侵略国家などではない」という発言が、マスコミの集中砲火を浴びている。「朝日新聞」を筆頭とする”良心的な”マスコミは「村山談話」を政府の統一見解だとして、日本の近現代史を呪縛する愚を犯しているのだが、自ら反省する気配は全くない。

中韓両国は、ことあるごとに日本の「歴史認識」を問題にする。「村山談話」に呪縛された日本は、中韓の「歴史カード」には太刀打ちできず、常に「謝罪が足りない」と言われ放しだ。こんな状況がどれほど子供たちや若者たちに悪影響を与えるのか?

最近、娘に訊いてみた。
「第2次大戦前、アジアの独立国は、どのくらいあったと思う? アフリカの国が独立したのはいつ頃だと思う?」
娘からは、はっきりとした答えはなかった。特に、アフリカ諸国が独立したのが、1960年代だというとびっくりしたようだった。

第2次世界大戦前、インドは英国の植民地であり、現在のインド、パキスタン、バングラデシュを含んでいた。インド独立のときには、宗教の違いからインド各地で凄惨な虐殺が行われた。
「大東亜共栄圏」を掲げる日本が、東南アジアを植民地にしていた欧米列強(米英仏蘭)を駆逐したことによって、東南アジア各国には独立の機運が芽生えた。村山談話では「日本軍国主義がアジアの人々に多大の損害をおかけしたことを謝罪する」と言っているが、それは歴史の一断面に過ぎない。白色人種である欧米列強を駆逐した日本は、植民地化されたアジア諸国民の希望の星だったという、もうひとつの語られない側面があるのだ。

宗教や人種がどれほど歴史を動かす要素になることか、今の若者たちは教えられていない。歴史教育においては「平和」や「国際協力」などといった抽象的な概念ばかりを植え付けるばかりなのだ。
もっと極端に言うと、マイカーもコンビニもなかったつい最近の日本の姿さえも、今の子供たちには思い浮かばないのかもしれない。45年ほど前、夜の町は真っ暗で、冬にアイスクリームを食べることなど夢だったことを思い出した。隣町に行くのが”冒険”のような気分だったのも、その頃だ。

今は何もかも満ち足りて、歴史を思い至ることもない。見知らぬ世界へのあこがれもないので、地理的な座標軸での知識もない。こんな人たちが、大量に育っているのだと実感した。

ゆとり教育の弊害が指摘され、再び理数教育に力を入れようという気運が高まっているが、地理や歴史もびっしりと教えないと、この国はダメになるんじゃないか…。