はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2021年12月)

2021-12-29 06:25:14 | エッセイ・身辺雑記
今月の便り(2021年12月)
 早いもので師走、12月になりました。年賀状など何となく気忙しい月です。とても寒くなりましたが、春の日のような暖かい日があるなど寒暖の差が激しいと年寄りの身には応えます。ただ、このお正月には東京の息子一家が帰省するというのでその日を待っています。
◆比叡山に
 先月29日、地元の老人会のバスツアーで比叡山に行ってきました。大きな観光バスでしたが参加者は27人。ところがコロナのため、座席には一人ということでバスには23人、残る4人は乗用車という苦労。
バスは紅葉真っ盛りの山麓を過ぎ、比叡山ドライブウェイの九十九折。深い谷と険しい山道、信長の比叡山焼き討ちに関わった武士はこの山をどのように登り下りしたのかと思います。駐車場にはたくさんの観光バスと乗用車。賑やか人の声を耳に杖つき老人も坂を登ります。当日は快晴、山の上なのに寒さなどなし。大講堂を過ぎ、急な階段をやっと下りると修理中の延暦寺中入り組んだ鉄骨に波打つ板、張りめぐらされた回廊に隙間から不滅に法灯を拝みました。お昼は山麓、坂本の老舗、鶴喜そば、口にする蕎麦の香りが鼻をくすぐります。店を出て見上げると真っ黄色の銀杏の巨木、その先には日吉神社の桜紅葉の並木。いつもの買い物は琵琶湖大橋
の道の駅。湖周道路から今日登った比叡山を眺めながら出発点の公園に予定時帰着。
 12月8日
 「自分史を作ろう会」の例会。欠席が多く4人だけの例会になりました。女性のIさん(続いているお付き合い)は堂々とした自伝。かつてはたくさん貰えた湿布薬が最近すくなくなったという話から「自分史を作ろう会」に参加して二十年になろうという話。生涯を通じている写真教室のエピソード、三十五年住んでいる町内の様子などを書いていますがそのいずれにも深い感謝の念を添えています。Aさん(ゴルフの思い出 イラン王国、砂漠でのゴルフ)はイランに赴任するまでの経緯の後、イランでもゴルフをしたのだそうです、朝3時に起き100km先のゴルフ場に行き10時になると気温50℃になるので急いで帰るというゴルファー。珍しいテーマでした。男性のIさん(政見放送裏話)はかつてテレビ局の編成部で担当したことにある政見放送のビデオ撮りの様子を紹介していましたが、ある候補者のビデオ撮りのあとその候補者の分を撮り直せということになったそうです。その候補者の胸に喪章がついていたのだそうです。これも珍しいエピソードを知ったエッセイでした。Kさん(男とか女とか)は中学生の時、父親は入院、母親は付きっ切りなり一人で家事全般を取り仕切っていたが弟たちは部活に専念。当時は別にどうとも思っていなかったが今思えばおかしな話という思い出話の端を発し、自助、他助についての考察がくりひろげられていました。しかし、昔はまわりがずいぶん助けてくれたからできたのだろうと結んでいました。
 12月9日
 快無風、まさに春のような暖かい日なので少し早いような気もしましたが、恒例の窓拭き。二階では以前のように身を乗り出して拭くということは出来なくなりましたので手の届く範囲。一階は長いポールの先に雑巾とゴムのヘラが着いた道具で終了。どこのガラスもピカピカときれいになりました。
12月14日
Aさんの好意で買い物に。先ず車で駅まで送ってもらい駅の近くの100円ショップ、大型書店で本を2冊、そこから画材店でペンや紙類、さらにデパートまで行き、豚カツの店で昼食、駅から歩いてホームセンターへ。約束の時間に迎えに来てくれたAさん車で帰宅。大名旅行のような贅沢な一日でした。
 12月24日
 カミさんがアップルパイを作ってメリークリスマスです。ご近所の二人にもおすそ分け。喜んでもらいました。
◆12月30日の未明に東京の息子の家族5人がくることになりました。この時の様子は来月報告します。
[今月の本]
 ちくま文学の森8、悪いやつの物語、筑摩1988年の内、邦人作10編を読みました(再読)。泥棒や殺人者というのはいろいろいるものですね。中でも印象に残ったのは壇一雄の『光る道』でした。御殿の火焚き男の呟きを聞いたお姫様の願いを聞き、負ぶって逃げ出し辿り着いた一軒家。やがて帰ってきた夫婦の内、亭主を殺し、残された女に欲望を感じ、お姫様を・・・・・という恐ろしい話でした。

いよいよ来年のお正月を迎える日になってきました。どうぞ良いお年をお迎えになりますように。では、来年もよろしく。

今月のエッセイ

2021-12-28 06:34:59 | エッセイ・身辺雑記
    比叡山
 地元の高齢者グループのバスツアーは十一月二十九日、比叡山に行くことになりました。夕焼けの雲がたなびく山、麓に雲がなびく雨上がり、雪に染まる冬。あの山に登るのです。
 バスは大津の市街地を過ぎ、近江神宮の先から山麓の紅葉の間をすり抜けて山道。比叡山ドライブウエーのゲートを通ると九十九折り。見下ろす深い谷、それを埋める背の高い木々。この山には織田信長の比叡山焼き討ちという歴史があります。殺戮は麓の坂本、女子供に及んだといわれています。この時、武士たちはどのようにこの深い谷を渡り、この険しい山道を駆け登り、駆け下りたのでしょうか。
 テレビで今朝はいちばんの冷え込みと言っていましたがツアーの当日は快晴無風。高い山の寒さなど感じられません。コロナ禍の終息を迎えたこの頃、自粛に身を潜めていた人達もやっと外出の機会を迎えました。駐車場に並ぶ観光バス、数知れない自家用車。歩き始めた人達の笑い声が聞こえてきます。この人たちに交じって杖つき老人の私も坂をゆるゆると上り始めます。
 最初に見上げたのは大講堂、階段を上がり堂内に座る皆さんはどんな祈りを捧げているのでしょうか。先に進むと大きな鐘楼、誰が打つのか大きな響き。その先には根本中道への道。かなり急な下りの階段が続きますがここまで来ては下りていかなくてはなりません。手すりにつかまりながら下りやっと着いたのは修理中の根本中堂。
 靴を脱いだり履いたり脱ぐ時によろめく足元に民生委員のTさんが手を貸してくれて先に進みます。その大規模な工事、張りめぐらせた鉄骨、屋根になるのか波うつ板、見学者のための手すりつきの回廊。見て回ってもきりがないので入口までバック。
 もう一つの入口をそろそろと進むと入り組んだ工事の資材の間から見え隠れしているのは根本中堂の堂内のようです。その中央に小さい灯が見えます。そばに立つお坊さんが「あれが不滅の法灯です」と教えてくれますので拝んでいると「帽子をお取り下さい」というお叱り。迷路のような通路を抜けて根本中堂見学は終了。
 その前の階段を手すりしがみ付くように階段を登り、上から修理中のお堂を蔽う金属製の巨大な屋根を眺めます。修理がすむのは5年先とか。その屋根を上から望んでいる車椅子の人、そこを駆け下りる元気な男の子。私も若い時なら近くの仏閣を巡り歩いたことでしょうがこの年では無理、来た道を戻らなくてはなりません。
 お昼は三百年の伝統があるという蕎麦屋さん。幹事さんの乾杯の挨拶の後に口にした蕎麦からは蕎麦そのものの香りが鼻をくすぐります。蕎麦通を自称していた友人を思い出したのは旅の途上ならでのことでしょうか。ここの広い庭の光り輝くような真っ赤な紅葉には目を奪われるような思い。
 食事を終えて外へ出て見回すと見上げるばかりの真っ黄色な銀杏の大木、見回すとそこは日吉さんへの参道ではありませんか、紅に染まる桜並木。かつてここで見た華やかな例祭の日を思い出します。
 バスは帰途の道を急ぎます。高速道路から堅田の街。大型商業施設や居並ぶ商店。山の上の日から日々の暮らしに帰ります。
 私達のツアーに必ずつきものショッピングタイム。今回は琵琶湖大橋のたもとにある「道の駅」です。カミさんは買い物に忙しそう。午後3時、最後の乗車です。
 びわ湖大橋を渡って湖のそばの道を走ると、まだ空高い太陽が湖面に砕け散る湖面の向こうに比叡山。今日はあの山の上に立っていたのだという感慨にふける暇もなく出発点の公園。予定時間に帰着です。
 「今日は良いお天気でよかったわね」「暖かくて良かった」と言い交わしながら、満ち足りた心で家路を急ぎ今日のツアーは終わるのです。
2021年1月