はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2020年9月)

2020-09-29 06:22:01 | エッセイ・身辺雑記
今月の便り(2020年9月)
 今年の残暑は厳しく9月に入っても真夏、25℃を越える酷暑の日々でしたが台風9及び10号が過ぎたあとはやや秋の風も。
 9月4日
 オーブンとレンジがほぼ同時に故障。オーブンレンジを買いました。以前かオーブンの不調を訴えていたカミさんは大喜び。早速ミートパイを作りましたが上々の出来。
 9月9日
 「自分史を作ろう」の2か月ぶりの例会。ざっと見たところ取り上げられているテーマは新型コロナウイルスが多く現状を反映しています。Mさん(コロナ コロナ)は7月に書かれた作品ですがコロナのため保護司をはじめ種々のボランティア活動が中止になったこと趣味の社交ダンスの欠席、自身のあちこちの不具合を嘆いていますが文頭と文尾の小学生の明るい声が作品全体を明るい感じにしていました。Nさん(新型コロナと私)はお孫さん誕生のため北海道へ行った時のエピソード。東京での会議のため「すぐ戻る」と言ったら「帰ってこんといて」という返事。東京の会議でも三人がけに一人。昼食も外食はだめというお達し。話によると帰りの新幹線は空席の目立つガラ空きだったといいます。Iさん(コロナ、もう一つの心配)は現在(8月5日)のコロナ感染の現状について述べたあと京都でワインバーを経営している次男の経営不振の様子を書いていますが、京都の飲食店で感染者が多いことが心配で毎朝、新聞を開くと京都の感染者情報を見ているとのこと。身内としての心配は絶えない。早く終息してくれないかなあと結んでいます。Aさん(囲碁の思い出⑨「六段まで認定」は関西棋院が年に一度行う「囲碁棋力認定」の応募したところ「2段」くらいかなあと思っていたところ「98点。6段まで認定」という通知をもらいましたが正式な免状を頂くには免許料21万円とありますがそんな高価な免状は不似合いと認定書だけを大切に保管しているとのこと。Kさん(いつもの月は出る)は月を眺めながらの散歩で見る月とその情景、そしてその今昔。何でもないことを何でもないように書く描写力にはいつもながら感心します。女性のIさん(九十一歳の七月)は人も羨む91歳の誕生会。孫と曾孫で4人の囲まれての楽しい誕生会。その他の娘や孫、曾孫からのお祝いの電話。いつも通っている施設の人からのお祝いのカードや歌声。さらに自分で育てたとうもろこしの生食の美味しさに感激とまことにおめでたい91歳の誕生日でした。
 9月18日
 歯の定期検診、歯ぐきを突いたり歯を削ったりと1時間あまりの苦行。下の歯の下の方が磨けていないとか言います。そして今回は前回よりも手入れができていないとも。
きっちり歯を磨いているつもりなんですがね。
 9月18日
 以前豊中の友人に電話したらトイレで転んで寝てばかりと奥さんから聞いていたのでまた電話したらデイケア施設で倒れ入院、大動脈の動脈剥離であまり希望を持てない状態ということ。数日たったのでどうなったかとまた電話したら娘さんが出てきて一般病室に移り食事もできていて周りからも奇跡の回復と言われていると喜びの声。こちらも興奮の大声。何十年もの友人です。
[今月の本]
 井上ひさし『国語事件殺人辞典』、潮出版社昭和57年
 長編の戯曲というのは初めての経験でしたが面白がって読んでいる間に終幕に着きました。主役は6万枚の単語カードを革のトランクに詰めた老国語学者と弟子の山田氏がいろいろな場所、いろいろな場面で論じて歩くという筋書き。著者自慢の日本語論。駅でのアナウンス「本日予定されていた第三次世界戦争は雨のため中止になりました」には笑ってしまいました。また、この本には戦争にまつわる悲惨な場面の写真がたくさん加えられていますが何故かは分かりません。
 三浦哲郎『「短編集モザイク みちづれ』新潮文庫、新潮社平成11年
 二十四の短編集。各編の対象も背景も異なりますがどの小説も練り練ったという言葉で書かれていてそのことで読者は緩やかに揺れる船に乗っているような快感を与えているように思われます。どの小説もある種の哀愁と同時にかすかなユーモアが含まれていて読書の喜びを感じさせます。特に私はどの文章でも最後を飾る言葉に惹かれました。

 月の半ばころから急に涼しくというよりも寒いような日、秋の本格的の訪れを感じます。各地のコロナ感染者はやや減ってきたようですがまだまだ油断できるところまではきてないそうです。皆さんもご用心の上、この秋をお楽しみになりますように。では、また。


今月のエッセイ(2020年9月)

2020-09-28 06:34:07 | エッセイ・身辺雑記
空を飛べなくなりました
私の体は窓からふわりと浮いていつも歩いている町角や商店街を飛んでいるのです。体は上向き、高さは人の背を越すくらいでしょうか。あちこちを眺め、「いつもと変わらないなあ」と安心して寝床に戻ります。けれど時々はすとんと落ち、そのショックで目が覚め、「何処へ行っていたのかなあ」と再び眠りにつくのです。
年を重ねるに従って眠りが浅くなるのでしょうか、私は夜中に空を飛べなくなりました。良い夢を見なくなりました。
勤めを辞めてずいぶん長くなるのに職場で困っている夢は何度か。たくさんの文献をプリントアウトした分厚いファイルが見つからないとか役所に出す書類をいくら探しても出てこないなど。それも大阪の勤め先のオフィスでの出来事ばかりで二度目の勤め先の滋賀の会社は決して登場しないのも妙ですね。  
 大阪では阪急電車の沿線に住んでいたのですが、帰りに乗った電車が何時間たってもいつも乗り降りする駅に着かないばかりか何時の間にか支線に入っているのです。これも滋賀で十何年も乗った草津線は全く夢に出てきません。これも妙ですねえ。
夢でいつも行く町があります。かなり混みあった商店街が二筋ある町です。雑貨店がどこまでも続きます。食べ物屋さんは隣り合うように建っています。そこでは店先で立ち食いするようなものばかり売っています。二筋とも全く同じものを売っていて私はそこで迷子になっています。
グループで旅行に出かける話も出ていますがいつも私は除け者扱い。出かけてもすぐ私は皆とはぐれ一人で山の中の坂道をとぼとぼ歩いていたりします。などなど、私はここのところ楽しい夢をみたことがありません。
皆さんはどんな夢をみるのでしょう。では、お休みなさい。Have a nice dream.
2020年9月