はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

6月は、こうして

2008-06-27 06:47:34 | エッセイ・身辺雑記
6月2日、草津市コミュニティー事業団の取材に同行しました。話を伺ったのは管理栄養士のYさんですが、[栄養士って何をする人?」とか「管理栄養士ってどうしたらなれるの?」などと余分な質問を続発しましたのにていねいに答えていただいて恐縮しました。雑談の時に脱線で聞いた郷土料理の話が面白かったのですが、残念ながら、詳しいことは忘れました。
11日。町内の高齢者の会で隣の市のバラ・ハーブ園とあじさい園へ行きました。バラの大半はピークを過ぎていましたが、ハーブの温室やベゴニアのための温室では珍しい植物があり、新しく買ったカメラは大活躍です。100種1万株はあるという、あじさい園には赤に近い花の咲く品種、草かと思うような小さな花をつける品種などと実に多種多様なあじさいがあるのに感嘆しました。
19日には龍谷大学のRECホールで展示された「戦時中の学級日誌」を見にいきました。これは大津市瀬田国民学校5年生、女子学級の子何人かが昭和19年4月から昭和20年3月までの1年間に当番で描いた日誌ですが、子どもたちが厳しい戦時中だったのに、自由にのびのびと暮らしていた様子がていねいに描いた絵と共に展示されています。このような記録がたくさん残っていたのにも驚きました。
22日には、市の総合体育館で開催された運動会に出席しました。種々の障害者の人も多かったのですが、体の不自由な人も一生懸命に走ったり、大きな玉を転がしたり。どの人も楽しそうでした。私もパン食いと玉入れに参加しましたが、何十年ぶりだったでしょう。
今月は梅雨。雨の季節ですが、これが終わればまた、暑い夏。どうぞお元気で。では、また。

6月の本

2008-06-26 14:06:12 | エッセイ・身辺雑記
黒井千次の2冊
今月は読み応えのある本に巡り会いました。『日の砦(黒井千次、講談社2004年)』と同じく黒井千次氏の『一日 夢の柵(講談社 2006年)』です。どちらも定年退職した男を主人公とした連作短編で、前者の帯には「郊外で暮らす男の日常と、穏やかな日々の底にひそむ正体の掴めぬ不安に迫る連作小説」とあり、確かにそのような出来事が次々と起こるわけですが、だれでもこれに近いことはあるのではないかと思わせるムードが漂っていました。後者もその続編という感じで、1996年から2005年にかけて文芸誌に発表された12編。退職して奥さんとの二人暮し、郊外の一戸建ての家と似たような環境にある身には親しみを感じますし、奥さんとの会話などわが家で交わされているのとそっくりで、どこも同じなのだと思ってしまいます。
2冊目の本の「影の家」の冒頭部分の「家は外側から成り立っている。道を行く人の目には、屋根や、壁や、窓しか見えない。他人の家の話である。(中略)人が昔住んでいた家を懐かしく思い出すのは、内側から触れていたからではあるまいか。」(前掲書、33ページ)という書き出しは、その結末にも見事につながり、このような短編小説ならでこそと思います。
「ニュートン、2008年2月号」
「タンパク質はこうしてできる-徹底図解 セントラルドグマ」はタイトルどおり、12ページから55ページにわたり実にきれいな、詳しいイラストでタンパク質はとはどういう物質なのか、どのように働くのか、どのように作られるなど、解明されていった歴史を交えた編集に感心しました。かつて勉強して知っていたこと、時代と共に分かるようになった経緯なども興味深く読みました。また、よくここまで詳しいイラストが描けるようになったものだ驚きますし、これほど美しく描ける人がいるのにも感嘆します。
『堂々たる政治(与謝野 馨、新潮新書 2008年)』
政治家の書いた本は広告などで見ても買ってまで読まないものですが、カミさんが知人にもらったのを取り上げて読みました。「30日間だけの官房長官」に始まって安倍総理辞任時の裏話、小泉構造改革とは、自分の生い立ちや政治家になるまでの経緯、出合った政治家の横顔や言動など、読み進む内に興味がかきたてられ、一気に読んでしまいました。また、「薬害は国が救済しろというけれど、それは税金で行うことなので、国民が負担しているのだ」、という議論には納得するところがありました。さらに、これからの社会保障は皆で負担しなくてはならず、消費税も10%を覚悟しなければならないという理屈にもなるほどと思いました。この本を読んでから新聞紙上の氏の名前が目につくようになったのも事実です。

ホタル

2008-06-23 11:56:18 | エッセイ・身辺雑記
どこか遠い所から帰ってきたらしい父親が枕もとに置いたのは、青臭い匂いのする小さい塊でした。「これはホタルの幼虫だよ」と言われて見ると、息をするように青白い光が明滅しています。茨城県に住んでいた時、まだ小学校へも行ってないころでした。その後住むようになった滋賀県の北部にはホタルが多く、夏の夜にはだれが放つのか蚊帳の中でもホタルが光り、それを見ていると眠くなるのでした。
あれから何十年、仕事をしている間は、夏になってもホタルには思いが届きませんでしたが、時間ができるようになってからは、隣の町へ見に行ったり、ツアーに加わったりするようになりました。その内、地元の草津でも見られないものかと思っていたところ、一昨年、付き合いのある草津市コミュニティ事業団からの誘いでホタルを見る会に加えてもらいました。
そこは住宅地を過ぎ、人家の途切れた畑と林の間を流れる川でした。両岸と底をコンクリートで覆うのを三面張りといい、このような川にホタルはすめないといいますが、しばらく上流へ向かって歩いて行くと、「いたぞー」という声、確かに一匹飛んでいます。その後は、あちらに一匹、ここにもという感じで見付かります。底にたまった泥に生えた草、岸に垂れ下がったように茂る草を根城に増えたのでしょうか。群舞とはいきませんが、贅沢は言えません。
この日の参加者は十数人だったでしょうか。その中にいた子どもがホタルを見つけるたびに上げる喜びの声、飛び交う光を追いかけてはしゃぐ声。何とも幸せな風景です。後から聞いた話になるのですが、この時のお母さんはホタルを見たのが初めてだったというので驚きましたが、都会育ちの若いお母さんでは無理からぬ話かもしれません。
この日、案内役をつとめてくれた人がSさん。先日、この人の話を聞く機会がありました。以下はSさんの話です。
私は生まれも育ちも東京・新宿。東京で働くようになってからも、子どもの時によく行った母親の実家、小田原の田舎の自然が忘れられず、修学旅行で初めて見た琵琶湖、その湖、水辺があこがれの地だったので、30歳代で転職し、最初は近江八幡、ついで草津に住むようになりました。そして、この地で退職し、見渡してみると、そこには川が流れ、花が咲くところでした。その内、近所の人とのつながりも生まれ、環境を考える仲間とのグループ学習でいくつもの川を歩いた時、ホタルに詳しい人がいて、「昔はホタルがいた」と言われる川を中心に夜の探索が始まりました。
ある日、近くの葉山川で飛ぶ一匹のホタルを見ました。それは働いていた時には見えていなかった美しさでした。草津の川にホタルを飛ばしたい、そのような自然を守りたい、孫にも伝えたい、という思いから「草津でホタルを楽しむ会」を作ろうと思うに至りました。よくある「守る会」ではなく、「楽しむ会」にしたのは、環境活動は楽しくなければならない、便利なのを辛抱しなくてはならない代わりに楽しいこともあるのを分かってほしいからなのです。
ホタルは私たちが思っているようなか弱い生物ではありません。除草剤がまかれるなど不測の事態も起こりますが、お百姓さんが草という隠れ家を作ってくれます。分かっている人はそれを刈りません。ホタルは人と同様、水のそばで暮らしています。人に寄り添って生きているのです。ホタルは大事にしてくれる人を知っています。自然を守る人を見ています。ホタルは人の暮らしのバロメーターなのです。そして、ホタルは人間が見にきてくれるのを喜んでいるのではないかと思っています、とSさんは話を結びます。
今年、Sさんからメールでホタルの調査報告やホタルを見に行く会の案内などが届くようになりました。それには5月26日に草津周辺の水路でゲンジボタル100匹以上を観察したとあり、6月1日にはSさんのお宅で飼っていた内の一匹が飛び始めたという喜びの声を伝えてきました。今年もSさんの案内で6月12日に毎年行っている川へ行きました。参加したのは30人あまり、ホタルの数より人のほうが多いという声も聞こえましたが、はかないホタルの描く光の軌跡にだれもが夢心地になったにちがいありません。
2008年6月