はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2017年1月)

2017-01-31 09:17:52 | エッセイ・身辺雑記
今月の便り(2017年1月)
 年が明けました。このお正月は暖かくて助かりました。年賀状もたくさんきましたが、思わぬ人もあれば、どうしようかなあという人も。この先、また特に寒い日がくるかとおもうとちょっと憂鬱ですが、こればかりは仕方ありません。
1月8日
 2015年11月2日に始まったという近くの小公園のラジオ体操が1000回を迎えました。私は100回目あたりからの参加ですが、嬉しいものです。市長もお祝いに来てくれて挨拶。その後、みんなで記念写真。ぜんざいや餅が振る舞われてお祝一色に。
1月11日
 公民館のサークルの例会。画家のNさんは篠田桃紅の芸術についての感想。Mさんはこのお正月に過ごした間に考えたこと、今年への決意。79歳を迎えるNさんはこれから先についての期待と不安と複雑な心境。Iさんは退職後に経験した様々の仕事を総括。海外での仕事の多いAさんは初めて行ったマレーシアでのエピソード。Kさんは年賀状にまつわるいろいろな思いお正月らしいテーマが並びました。女性のIさんとNさんは欠席。
1月12日
 『詩と文 春はうらうら』を出版のため印刷・製本を発注。この本のもとになったのは20歳代からノートやスケッチブックの片隅やメモ用紙に書きとめていた詩や文章を最初はワープロに入力、次いでPCの一太郎に変換後再びワードに変換と長い過程の後に手元に残ったもので、われわれ夫婦のダイアモンド婚、私の米寿(数えで)記念として本にすることを決めたのです。
1月14日~16日
 ここ数年あまり降ったことのない雪。私たち滋賀県南部でも十センチほど、妹の住む彦根では三十数センチ積もり、京都でも十数センチの雪だったそうです。日本海側ではいろいろな雪害も出ているとか。
[今月の本]
 先月に引き続き『篠田一士編 谷崎潤一郎随筆集』岩波文庫、2016年(第28刷)、岩波書店
 今月主に読んだのは「恋愛及び色情」「私の見た大阪及び大阪人」「陰翳礼讃」ですが、第一の印象は古風な言い回しや難しい字もありますが、分かり易く本を横に置くのが惜しいようでした。著者の言いたいことがすんなりと伝わってくるのです。前の2編には日本の女性と西欧の女性との比較、大阪の風俗、習慣から食べ物に至るまで東京のそれと比較しているのですが、どちらが良くて正しいということは言わず、極めて正確にまた客観的に観察しているのには好感を覚えました。
 「陰翳礼讃」は有名な作品ですが、日本の美術、文化、演芸、風俗などすべて影の中でこそ光を放つのであるというのが主旨ですがかつての生活に比べるとどこも非常に明るくなっています。
 このような傑出した随筆集にまとまった感想文などとても書けませんが、これらの随筆が心に沁みていつまでも残ることには間違いありません。

 雪がまた少し降りましたが、月末近くには春を思わせる暖かさ。来月にも寒い日がるにちがいありませんが、待望の春が近づいている気配を感じます。どうぞお元気で。では、また。

2017年1月のエッセイ

2017-01-30 08:39:34 | エッセイ・身辺雑記
雪の日

       太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
       二郎をねむらせ、二郎の屋根に雪ふりつむ。
                           三好達治「雪」

 雪が消えても心に残る詩ですが、高齢化に従って生じた限界集落という言葉が出現し、地方都市でさえ買物難民と言われる人々のいる現在、雪深い地方に住む人たちはどのように暮らしているのでしょうか
 かつて北海道に旅行した時、案内してくれた人が道路の両側に立ち、先端が赤く塗られたポールを指さし「これは何だか分かりますか」と聞き、分からないでいると「雪の深い時の路肩を示しているのです」と教えてくれましたので「もしそこから外れたら」と尋ねると「多分見つけてもらえず死ぬことになるでしょう」という答。夏の最中でしたが、雪の積もる土地の厳しさを感じたものです。
 北から南まで細長い日本。北に雪が積もる時期に東京に何センチかの雪が積もった時、どの線が止まっているとか遅れているのか、積もった雪で滑り怪我をした人が何人と報じ、新幹線東京駅の現在、山梨や長野に向かう線の始発駅、新宿駅の人々の中継とNHKのニュースは冒頭から大騒ぎ。NHKは東京のためだけの放送局なのでしょうか。雪で難儀している地方の人はどんな思いで観ているのでしょう。
 私の住む滋賀県南部の雪は多くありませんが、日本海からの風の通り道になる北部は雪の多いところです。三十年ほど前、草津に引っ越して案内状を出したところ、大阪の友人から「雪が降ったら教えて下さい。子どもと遊びにいきますから」と返事をもらったことがあります。出張の多い彼は米原あたりの雪による新幹線の遅延で悩まされていたのでしょう。
 私が甲賀の勤め先への通勤に使うのは草津線でした。始発駅の草津で出発を待っていると、なかなか動こうとしないのでどうしたことかと思っていると、「本線で雪のため、列車が遅延しています。しばらくお待ちくださいと」というアナウンスの後、長浜か米原から来たのか屋根にどんと雪を積んだ電車が入ってくるとようやく出発。
 草津に引っ越した最初の年、昭和60年の12月半ばのことです。勤め先の窓から見ていると絶え間なく雪が降っています。水気の多い雪でしたが、積もるかもしれないなと思っている内にかなりの積雪量。帰りの電車を心配していると、草津から先、瀬田から通っている総務課長が車で送りますというので乗せてもらうと道は大混雑というよりほとんど動いていません。さらに路肩からずり落ちた車があちこち。ようやく走っていると課長さんが「あ、ライトが消えた」というので降りて見てみると、ボンネットの雪がずり落ちてライトにかぶさっていただけでしたが、わが家に着いたのは十時前。いつももの5倍はかかったわけです。地元の人も経験がないという大雪でした。
 こんな雪は二度とはありませんでしたが、雪の日の通勤は辛い思い出。社員はみな車。甲賀駅で降りるのは私一人。駅から陸橋を通って勤め先へ向かうのですが、雪の陸橋を滑り落ちそうになるのを手すりに捉まって怖々渡るのです。たまに東京支店から出張してくる営業の人も冬というと甲賀の怖い陸橋を思い出すと言います。
 私たちは南雪と言っていますが、春先に南岸低気圧が通り過ぎる時に雪が降ることが多いのです。無職の身は雪が降る日に出かける必要はありません。積もった雪を楽しんでいるだけです。
 日が昇ると木の黒い影がくっきりと白く光る芝生に写し出されます。その眩しいようなコントラスト。芝生に立つ木の枝から落ちた雪が小さなくぼみを作ると、そこから雪が融けだします。あちこちの小さい雪の塊も座り込むように形を崩します。道路の隅こそまだ雪は残っていますが、登校する子どもたちの声。やがて春です。
          追記
 ここ数年、積もるほどの雪を見なかったびわ湖の南部ですが、1月14日から16日の日本海側は数年に一度という大雪になり、その雪が流れ込んできて十センチほどの雪が積もりました。妹が住む彦根では30センチ、弟のいる大津では15センチと珍しい雪の日になりました。
2017年1月