はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2014年1月)

2014-01-31 09:13:52 | エッセイ・身辺雑記
 月日の経つのは早く、紅白歌合戦、除夜の鐘も過ぎ、新しい年になりました。最強の寒波襲来とのことで寒い日が続きましたがお元気ですか。
 大晦日の日、息子一家は夜中の12時半に到着。ゆっくり寝たあと、草津の人工の島にある帰帆島公園に。夜は紅白歌合戦、年越しそばと恒例の夜更かし。
1月1日、元日
朝は全員でお雑煮を祝い、息子の一家は映画を見に行きました。やがてどっさりと年賀状。減らそうと言いながら、減るものではなさそうです。暇なのでパソコンに向かいファイルの整理など。
1月2日
 この日も年賀状が来ていて、アドレスの分かる人には年賀のメール。息子の一家はお墓参りを兼ねて弟の家に行き、お昼をご馳走になり、子どもたちはお年玉をもらい大ニコニコ。私は近くの鎮守さま、熊野神社へ初詣に行きましたが、他に参拝客もなく淋しいお参りでした。夜には息子の友人夫妻がきて子どもたちはお年玉に大喜び。
1月3日
 息子一家は夜に東京へ帰ることになっているので一日ダラダラの日だそうですが、息子はサイクリング道を琵琶湖岸まで往復10キロの道をランニング。孫娘は自転車で伴走を。とても暖かい日でよかった。私は昨日に続き、天神社にお参り。一家族来ていましたが、その人たちが帰った後は静かなもの。夜は毎年のように孫娘のリクエストで手巻き寿司。9時過ぎ、帰京しましたが、大渋滞のため東京に着いたのは翌朝7時前。10時間の旅になりました。
1月5日
 退院後、ホームドクターのY先生に転ばないようにと言われ、筋力の回復が完全でないような気がして自重していた自転車に乗ってみたところ、緊張はしましたが、無事に終了。私としてはちょっとしたイベント。翌6日にはカミさんとホームセンターやスーパーへ買い物に行くようなりました。
1月8日
 公民館のサークル「自分史を作ろう会」は今年最初の例会。12月は私の入院のため中止しましたので、皆さんに会うのも久しぶりのような気持ち。会員の一人、Aさんは作品をまとめて本にしました。講師を務める私も嬉しくなりました。今月は作品が少なかったので、雑談しきり。楽しい例会でした。
1月12日
 お正月の恒例になっている写真貼りを始めたところ、アルバムの台紙が不足しているので買いに行き、写真貼りを開始。写真のほとんどはPCに入っているので、あんまりないと思っていたのに結構たくさんありましたが、カミさんがそれぞれ古い封筒に日付を書いて入れておいてくれたお蔭で早く進み、翌19日には終了。去年はこんなことがあったのだと改めて認識した次第。
1月19日
 前の夜から降りだした雪のため、朝はどちらを向いても雪景色。晴れ間も見せましたが、降ったり止んだり、写真を撮り東京の息子にメールで送信。雪は間もなくとけ、30分ほどの散歩に出かけました。このメールには息子からの返信があり、孫娘の「雪いいなあ」という伝言を添えていました。
1月24日
 公民館のサークル「自分史をつくろう会」のNさんが来て自費出版するエッセイ集の「まえがき」を書いてほしいとのこと。先日はAさんが自伝を本にしましたが、こうしてサークルの例会で披露してきた作品を本にするという話はこのサークルを10年以上にわたって共にしてきた私にはこの上なく嬉しいニュースです。さっそくゲラを読んでみましたが、覚えていたのもあれば忘れていたのもあるものです。

こうして今年最初の一か月は何時の間にか過ぎていきました。寒い日が続き、インフルエンザが大流行とのことなのでご用心。では、また。

今月の本(2014年1月)

2014-01-31 09:08:19 | エッセイ・身辺雑記
加藤周一『日本文学史序説 下』、筑摩書房(筑摩書房、昭和55年)
 第十章「第四の転換期」上、下と読み進めています。1800年代の日本には平穏な日は続かず、1830年には400万とも500万人が加わったといわれる「おかげ参り」、1836年には死者10万に達したといわれる「天保の大飢饉」、1866年の農民の一揆や「打ちこわし」は100件を越えたとされ、1867年には「ええじゃないか」で何百万人が踊り狂ったとされています。そして、これらは徳川幕府の終焉を迎える一因にもなったようです。
 1830年前後に生まれたエリートのうち、明治維新まで生き延びられなかったのは坂本竜馬、橋本左内。維新後に権力を握ったのは山県有朋、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通などがいます。ジャーナリストとしては福沢諭吉と中江兆民がいて、福沢諭吉については詳しく述べられていて、現在でも有名な『福翁自伝』『西洋事情』『学問のすすめ』の内容も本書に詳しいのですが、私の興味を引いたのは当時の政府に批判的だった中江兆民。この人の著書には『三酔人経論問答』と『一年有半』があり、本書には後者の一部分が引用され、著者は「この洞察は、今なお一句を訂正する必要のないほど正確だといえるだろう」と述べていますが、私も全く同感ですので、ここに写してみます。
「我邦人之を海外諸国に視るに、極めて事理に明に、暫く時の必要に従ひ推移して、絶て頑固の態無し、是れ我歴史に西洋諸国の如く、悲惨にして愚冥なる宗教の争ひ無き所以也」・・・・これが一面である。その反面は、「「軽佻浮薄」であって、事の両面は密接に係る。「其独造の哲学無く、政治に於いて主義無く、党争に於て継続無き、其因実に此に在り、此一種小怜悧、小功智にして、・・・・極めて常識に富める民也」。
 『一年有半』は中江兆民が喉頭癌のため、医師から余命一年半という宣告を受けたのが1901年4月、その後直ちに執筆を開始、4か月後に脱稿していますが、今から数えれば213年前にこのような洞察を加えた先人の著作には驚きを覚えます。

入院あれこれ

2014-01-30 09:11:13 | エッセイ・身辺雑記
 昨年10月、肺炎のために入院しました。前半は治療専用室で点滴、酸素吸入、心電計の装着、導尿と「管人間」になりましたが、この間のことはよく覚えていません。ただ、若い女性看護師さんの様々な処置をしてくれるテキパキとした立ち振る舞い、体温や血圧を教えてくれる明るい声には力づけられるような気がしました。
 治療が終わりに近づいた頃、寝たきりで立てなくなった私の体重は特殊な体重計のある場所に車椅子で行って測るのですが、車椅子に乗るのも、それを押してもらうのも初めて、何となく気恥ずかしいものです。その後もレントゲン室、皮膚科、眼科などにも車椅子で運んでもらいましたが、いつも走るように行くのは忙しいからでしょうか。いつも走っているからでしょうか。
 治療が終わり一般病室に移ると、看護師さんに代わってよく来るようになるのはヘルパーさんです。朝、ベッドでぐずぐずしていると、「カーテン開けますよ」と入ってくるヘルパーさんに「早いね」と言うと、6時前に家を出ると言うので、どこからと聞くと、隣の大津市からだそうです。
 このヘルパーさんは何でも知っていて、病室のトイレの温水便座のお湯が出ないというと、少し待ってからスイッチを押すのだなどと教えてくれます。また、週に3回のシャワー浴の日には予約をしなさいというメモを配ってくれたり、場所や予約の仕方を教えてくれたりします。このヘルパーさんを廊下で見たことがありますが、布団やシーツの交換の準備に忙しそうに働いていました。
 かつての病院の看護婦詰所、今の言葉ではナースステーションのいちばん偉い人を婦長さんといいましたが、カウンターでパソコンの画面をにらんでいるひげのおじさんが看護師長さんらしく何かを尋ねたり教えてもらったりするのがこの人でした。
 いつだか、この人が何年タバコを吸ったかと聞くので「20歳過ぎから70過ぎまで」と答えたら、「50年タバコを吸った肺と付き合うのかいな」と大げさに嘆いてみせます。導尿を終えてカテーテル(バルーンというようです)を抜いた後、血尿が出た時には病室に見にきて「だれが抜いたんや、マニュアル見たんかいな」といっしょに来た看護師さんに言い、「これをやった子は叱っておきます」とすまなさそうに言います。また、ある日に便秘を訴えると、「水を飲んで、廊下を百回」と言いましたが、その夜には薬が届きました。「ひげ」さんは検査結果の判定もするらしく、退院の前日にレントゲン検査と心電図検査がありましたが、「検査結果に問題なし」、と胸の心電計をぱっぱと取り外します。そして帰ったら風呂に入ってもいいかと聞くと、夜遅くに数枚の書類を持ってきて「これ1万五千円」と置いていきました。それは何かの会合の際に治療を終えた人が退院した時の心得をまとめたものでした。何となくおっかない看護師長さんでしたが、オモロイおじさんでした。
 そして、最後に看護師さん。かつては看護する人は女性で看護婦さんと呼んでいましたが、現在は男性諸君も多く、私のようにリハビリを待っているだけの患者には特別な処置はいらないせいか、私の部屋に来る看護師さんはほとんど若い男性、それも見習い中という感じで、血圧と体温くらいは計りますが、薬や食事を持ってきたり、食後の残りを取り下げにきたりする日が多かったように思います。
 女性看護師さんはみなきっちりと制服を着て、短い髪の毛をしっかりと束ねた姿、マスクをしていても顔には若い女性らしさが溢れています。女性看護師さんの仕事の一つが検査のための採血です。私は血管が細いのか、どこへ行っても採血する人は苦労しています。いつだったか、採血のある日に来たマスクもしない顔に真っ赤なルージュ、ここが病院かと思うような化粧をした背の高い看護師さんは、しばらく腕を触っていましたが、それは諦めたのか踵あたりの血管から採ります。それは初めての経験でしたが、痛くて思わず声を上げました。退院する前に採血した看護師さんも腕のあちこちを触るので、「ぼくが行く泌尿器科の先生は一発で採るよ」と言うと「プレッシャーをかけないで下さい」と笑いますが、いつの間にか採血を終えていました。
 私が4週間いたのは循環器内科の病棟。何かと世話になりましたが、どの女性看護師さんも私のような年寄からすれば、みんな明るい元気な娘(こ)。土曜日も日曜日もなく今日も忙しく働いているのだろうなと思います。
                                2014年1月