はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2019年11月)

2019-11-30 06:37:30 | エッセイ・身辺雑記
今月の便り(2019年11月)
 本格的に秋になったというより寒くなってきました。寒がりの私には辛い季節です。けれど今月は地域の文化祭、老人会のバスツアーと楽しみもいっぱいです。
 11月1日
 高島市安曇川町のY先生宅へお線香を上げに行きました。Y先生は私の学校の先輩ですがその後歯科医になった人です。いろいろ文通などもあり一度はお目に掛かって親しくお話もしたことがあります。私にしては久しぶりの大旅行。湖西線に乗るのも久しぶりですが霧のため楽しみにしていた比良山もびわ湖もあまりよく見えず残念至極ですがやはり旅は良いものです。
 11月10日
 地域の文化祭「東祭り」の日。私達は各人のベストエッセイをまとめた作品と作品をまとめた文集を出展。文集は「毎年楽しみにしている」という人もいて順調に出ていきます。いろいろな人が寄ってくれますが、かつての務め先で知り合った獣医のAさんと長らく話したのが収穫の一つ。周りのいろいろな作品が展示されていますが水墨画のYさんの作品は例年ながら秀逸。午後は小学生の太鼓の演奏、中学生のブラスバンドの演奏などを楽しみましたが、当日は快晴無風、汗ばむ陽気。今年の仕事が一つ終わったという感じです。
 11月13日
 恒例の「自分史を作ろう会」の例会です。Nさん(郁子―むべ)の実を始めて見た感激、食べてみた時の感じ、広辞苑での記載、『近江植物風土記』記載の伝説や現状などを詳細に書いていました。従来の氏のスタイルとは少し異なるエッセイでしたが上々の出来。Iさん(偶然の再会)は写真クラブの展示会の受付をした際、記入された名前と出身地を見て、だれだかは思い出せたが、顔を思い出せなかったというエピソード。老いの嘆きになりそうなところを明るく書いているのはこの人の人柄でしょう。Aさん(囲碁の思い出その③米俵)はかつての農村に行われていた米俵次いで「かます」作りの際の検査官の接待の時、碁を打ち、その間に兄たちが合格印を押していたが、その様子をみた魚の行商人が見かねて検査官と一局。その腕前もたいしたことはなく、その間に兄の自己検査での合格印が次々と押されていたという楽しい物語。すべてが緩やかに流れていた昔の農村風景でもありました。Iさん(関電の原発マネー還流)は関電幹部に3億をこす金品が地元に助役から流れていたという最近のニュースに基づいた一文。Mさん(誕生)出生からの物語。お母さん、お父さんさんについてのエピソードを交えた構成はたとても楽しく、この会には最初に出された作品でしたが次を期待させる出発になっていました。Nさん(台風雑感)は台風襲来で強い風雨の中、作品を国立美術館に搬入するまでの業者とのやり取りに様子という異常な現象が頻発する日本の将来を危惧する文章。Kさん(災害と祭典)は災害で困っている人がたくさんいる日本でオリンピックかと憤慨していましたが。私も同感。ともあれいろいろな話題も出ていた楽しい例会でした。
 11月27日
地元の老人会恒例の秋のバスツアー。今回は今NHKが放映中の朝ドラ「スカーレット」の舞台滋賀県甲賀市の水口の大池寺と信楽の陶芸の森への旅。大池寺では小堀遠州がサツキを刈り込んで作った枯山水を見ました。白砂の中に浮かぶ宝船、それを取り巻く大波小波その後ろに大きな紅葉の木、その後ろの山と不思議な感興を呼び起こす庭でした。信楽では陶芸の森へ。陶芸館(美術館)では北大路魯山人の作品展が開催されていてこの人の多彩な陶芸品や昭和の陶芸巨匠の作品など多数を鑑賞。
11月26日~29日
Aさんと共通のタイの友人Pさんと息子のT君とその彼女が来日。T君たちは京都にショッピング、大阪のUSJへと忙しそうです。26日はコックでもあるT君の料理27日は回転寿司、Pさんを交えてAさん夫妻とわれわれで鍋料理を囲むなど忙しくも楽しい日を過ごしました。29日にはそれぞれ離日。8年ぶりの再会の日々は慌ただしく過ぎていきました。 
[今月の本]
 小山田浩子『穴』新潮文庫、新潮社平成28年
 ネットサーフィンで見つけた本。「仕事を辞め、夫の田舎に移り住んだ私は暑い夏の日、見たこともない黒い獣を追って、土手にあいた胸の深さの穴に落ちた。甘いお香の漂う世羅さん、庭の水撒きに励む寡黙な義祖父に、義兄を名乗る知らない男。出会う人々もどこか奇妙で、見慣れた日常は静かに異界の色を帯びる。芥川受賞の表題作に、農村の古民家で新生活を始めた友人夫婦との不思議な時を描く二編を収載」(本書の裏表紙から)-芥川賞作品というのはどうしてこんなに変な感じがする作品が多いのでしょう。ともかく、読んでいる間は分からないにしても面白かったのは確か。

 今月の前半はこれが秋と思うほど暖かくここにきて急に寒くなった晩秋。11月はいろいろな出来事があったりタイの友人の来日があったりと瞬く間に過ぎていった感があります。そして師走という月も目前。皆さんもお忙しいことでしょうがお元気で。では、また。

今月のエッセイ(2019年11月)

2019-11-29 06:49:56 | エッセイ・身辺雑記
 「痩(やせ)馬(うま)と酒」           
シリーズ『名著復刻日本児童文学館』(ほるぷ出版 昭和四十六年)の一冊、秋田雨雀『太陽と花園』、精華書院(大正十年)より。
著者は昭和三十七年(1962年)に79歳で亡くなった劇作者、詩人、童話作家、社会運動家。戦後には日本児童文学者協会会長として活躍した人です。著者はこの本の前書きで「童話はすべての文学の母であるといっていゝ」と言っています。本書には十編の童話が納められていますが、ちょっと皮肉な感じのある「痩(やせ)馬(うま)と酒」のあらましを紹介します。

一年いっぱい真っ白な雪をいただいている大きな山脈の間から大きな川が流れきてその川岸に一つの温泉場がありました。
十年ばかり前のことです。この村にも大きな飢饉(ききん)がやってきました。この楽園のように思われた美しい温泉場も飢餓(きが)の村になってしまいました。老人や子供は、冬から春にかけて食物が少ないために、いろいろな病気になって死んでいきました。身體(からだ)の丈夫な者は町に働きに行ったり、北海道の方へ稼ぎに行く者もありました。この地方の役人達はどうしたら人民を救う工夫をしてみました。勤勉・・節食・・代食・・忍耐・・と云ったようなことを考え出してみました。これは何時の時代でも、どこの国でも役人の考え出す最上の工夫でした。村の人達は食べられるものは何でも食べようとしました。しかし一番困ったのは村の酒呑の連中でした。
ある日、郡長さんが大勢の役人と一緒に村へやって来ました。そして、村の人達を集めて一場の訓示を述べました。皆さんに集まってもらったのは他のことではない。この大飢饉については県知事閣下を始めとして、我々一同心を悩ましているのだ。差し当たって、皆さんは節倹を旨として、どんなに苦しい目にあっても不平を言ったり、怠けたりしてはいけない。とにかく、心を一にしてこの度の大飢饉(ききん)を免れる工夫をして頂きたいのである。こゝに大切なことは酒を飲むということである。飲酒をするということは大事な米を無駄にすることである。以後絶対に酒を飲まないようにして頂きたいと思う。県知事閣下もそのことについては深く心を悩ましておられる。
さて、この村に三郎という馬方がいました。一日でもお酒がなければ働くことの出来ないような男でありました。三郎夫婦も郡長のお話を聞きに来ていましたが、今日のという今日は全く閉口してしまいました。
ある日、三郎は自分のところの痩(やせ)馬(うま)に炭を八俵ほど積んで町へ売りにいきました。昼頃までには炭をみんな売りつくして四辻の居酒屋の前まで来ると酒の匂いが鼻についてたまりません。なるたけ居酒屋の方を見ないようにしましたが、見まいとすればするほど気になりだして仕方がありません。とうとう決心して居酒屋の中に入りました。三郎は一週間目で酒にありついたので続けて三合ほどの酒を飲み干してしまい、正宗の二号壜を懐に入れて町を出ました。
三郎が自分の家へ入った時はもう夜の七時頃で内儀(おかみ)さんは炉端で裁縫(しごと)をしていました。「どうしたんだね?こんなに遅くなって」内儀さんは怒鳴(どな)りました。
三郎は何も云わず厩(うまや)の方に馬を曳いて行きました。その時はもう酔いも少し醒めていたので正宗の壜を取り出して飲み始めました。内儀(おかみ)さんは三郎の来るのが遅いので厩(うまや)に来てみました。すると三郎はお酒の壜を持ってぼんやりしたような顔をしているので「お前さんまた酒を飲んでるね?」と、すると三郎は吃驚(びっくり)して飛び上がり、壜を口に突っ込んで急に馬の背中に霧を吹きかけました。内儀(おかみ)さんは「お前さん馬に唾をひっかけて、どうするつもりだね?」。すると三郎は「誰が馬に唾をひっかけるものか、これはアルコールというものだ」と云いました。
痩(やせ)馬(うま)は目をぎょろぎょろさせて、二人の問答を聴いていました。
県知事は国中に自分の命令の行われていることを無上の誇りとしました。
                     2019年11月