はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

10月の本

2008-10-29 06:55:22 | エッセイ・身辺雑記
『はじめての文学 山田詠美』文藝春秋、2007年
図書館の児童向き図書の書架にあった一冊です。この人の短編小説集は読んだことがあるので、およその感じは覚えていましたが、私のような年代のものにとっては、これが新しい世代の小説なのかという感慨があるのも確かです。年少の人にセックスについてこれだけ具体的に書いてもいい時代になったのかというのももう一方の感慨です。
『はじめての文学 重松 清』文藝春秋、2007年
この人の小説は初めて読みました。児童文学というのか、登場するのは小学校から中学校にかけての少年です。それぞれ少年らしい悩みを抱えているものの、良い子ばかり。お父さんも暖かく子どもを見守っている様子が伝わってくる短編小説集というのが私の読後感。
著者の重松氏は二人の子どもの父親ということなので、自分の経験もあるのかもしれませんが、少年たちの行動、心理などをここまで詳細に書くにはどのような観察、推察、取材などをするのかと思います。今度、図書館へ行ったら、この人の大人向けの本を借りてこようと思っています。
『はじめての文学 村上 龍』文藝春秋、2006年
この人の芥川受賞作『限りなく透明に近いブルー』は熱狂的なブームを呼び、私も読んだ一人。米軍基地のあった福生に住む青年のドラッグとセックスに明け暮れる生活を描いたものですが、その中に度々現れるジャズの曲名には知っているものが多く、それが嬉しかったのを覚えています。本書も『限りなく・・・・・・』の雰囲気をもつ何編かがありますが、その時代から何十年、今の若者はどのような感想をもつのでしょう。一方、「浦島太郎」や「鶴の恩返し」の結末などは現代の世相を反映したものになっていて、その思いがけない結末には考え込ませるものがあります。
『はじめての文学 宮本 輝』文藝春秋、2007年
大阪へ行くと氏の「泥の河」を、ホタルを見れば「蛍川」の最後の場面を思い出すというように、その感銘は忘れられないものがありますが、本書にも、読み出したら止められない緊迫感に満ちていて、これぞ小説という短編が収められています。「泥の河」と同様、舞台は大阪、いわば底辺に暮らす人の住む町ですが、ここに広げられるドラマには心打つものがあり、著者の暖かい眼差しを感じます。本書は児童向きの本であるためか、少年から若い青年が主人公ですが、ここには人生の本質を垣間見せるものがあります。この本には、かつて文庫本で読んだことがある3編が含まれていましたが、宮本 輝氏のこんな短編に出会えてとても得をしたような気がしました。

忙しかった10月

2008-10-27 17:51:28 | エッセイ・身辺雑記
今年の秋は好天の日が続き、昼は暑いくらいという日が続きましたが、さすが10月、朝晩はちょっと寒いかなあという時期になりました。
8日は公民館のエッセイ教室、11日は障害者の施設での絵画教室と過ぎ、12日には「草津宿を探険しよう」という講座に参加しました。草津宿街道交流館の学芸員の解説が分かりやすく、草津宿本陣跡の発掘の知見など興味深く聞きました。私は屋根の上の桃、兎、鐘馗さん、唐獅子、亀など実に様々なの瓦があるのに驚きました。また、瓦職人の系譜、瓦製造業の消長など、学芸員ならではの話も面白く聞きました。旧草津川の川原でマルバルコウソウの大きな群落、キクイモと珍しい植物を見たのは私だけの収穫。
13日から一泊で、立山黒部アルペンルートというツアーに参加しました。全てをお任せというのは楽ですが、度々の点呼には閉口しました。もっとも長野県からトンネルを通って黒部ダム、そこからも5種類の乗り物に乗るのですから添乗員の気苦労もたいへんなものでしょう。私の家のある草津では終日ひどい雨だったそうですが、山の上は雨上がり後のたいへん見通しのよい日。どこへいっても真っ赤なナナカマドと鮮やかな黄色を見せるダケカンバ、とまさに錦秋の世界。国内ツアーは初めてですが大いに満足しました。
18日は障害者の施設の料理教室。メニューはオムライスとスープ。中で料理すると、湿気と匂いがこもるので施設の前で炒めたり、温めたり。すると、道行く人が覗いて「売り物か」などと聞くので、「宿場祭りや夏祭りの時にはいろいろ並べますから、その時に買って下さいなど」とお断りすることになります。それにしても、ご飯炊き、材料の準備とマネージャーの奥さんの苦労が思いやられます。
今月末は地域のお祭りが二つもあり、その準備で大忙しです。秋の青空が続きますように。お元気で。では、また。

お米

2008-10-26 06:45:11 | エッセイ・身辺雑記
どこから漂ってくるのか、煙の匂いがするのは、秋になったしるし。どこかで籾を燃やしているのです。田んぼへ行ってみると、風に波打っていた稲穂は姿を消し、早くも冬の景色です。コンバインが刈った後には、落穂など見当たらず、細かく刻んだ藁が散らばっているだけ。ひこばえが青々としているのは取入れが早かった田んぼでしょう。
私が勤めていた時に乗っていた草津線、草津と関西本線の柘植を結ぶこの線は田園地帯を通っているので、毎年の稲の生長を眺めるのが楽しみでした。四月中旬あたりから田んぼに水が張られ、五月の連休が終わると、田植えは終わり、電車は湖面を走るように進みます。車窓から見ていても苗の根元にちりばめられる日の光が眩しいようでした。
秋、山裾の小高いところを走る電車から見渡すと、生育の度合いが違うのか、品種の差か、微妙な違いを見せる黄金色の田んぼの幾何学模様が広がります。そして、稲刈りはすみ、畦道に真っ赤なヒガンバナの列が続きますが、それも間もなく消えて寒々としたローカル線沿線の風景が残ります。
滋賀県には、兼業農家の人が多く、一戸当たりの年間収入も多いという話を聞いたことがあります。私の勤めていた会社にも、兼業農家の人は多く、この人たちは5月の連休というと、うんざりという顔を見せます。田植えで忙しいのです。女の人は機械にこそ乗りませんが、田んぼで働く男たちに飲み物や食べるものを届けるのに大忙しなのだそうです。そして、「町の人はいいなあ、いっぺん連休にゆっくりしたいわぁ」と嘆きます。稲刈りは田植えのように一日ですます必要がないのだそうですが、秋のお彼岸の休みも事情は同じだそうです。
同じ課に農家出身の人がいたので、「農家を継がないのか」と聞くと、「あれはオヤジの趣味」とにべもない返事。親も子供を大学へやると、遠くへ行ってしまい、百姓を嫌がって戻ってこないので、高校を卒業したら、地元の企業に就職させ、兼業農家として家を継ぐのを望むのだそうですが、真偽のほどは分かりません。
平成と年号が変わって間もなくのことだったと思います。凶作のため、国内産のお米が払底し、米が輸入され、私たちも外米、タイの細長いお米を食べたことがあります。同時に、米の輸入自由化は可か不可という大議論が巻き起こり、両陣営からの出版も相次ぎました。
まわりの農家出身の人からこの問題についての話題が出ることもなく、消費者の私のほうが関心をもつようになり、輸入容認陣営、絶対反対派からそれぞれ何冊か買って読みました。その中のだれだったかは忘れましたが、「水田は天然のダムとして、自然災害を防いでいる」というのがありましたが、これには同感で、日本の原風景ともいうべき5月の青い空の下、どこまでも広がる湖のような水田、波打つ稲穂がなくなるなど想像することもできません。
草津では、びわ湖の水をポンプで汲み上げて流す逆水というシステムのおかげで水の心配はなく、田植えも稲刈りも機械、薬のおかげで草取りは必要なくなっていて、収穫後も大規模なカントリーエレベーターでの乾燥、保存、籾すりなど、かつてのように労力や手間の要る仕事はなくなっていますが、高齢化、後継者不足のためか、地元の集会所の掲示板には、委託できる農作業の値段が表示されています。
今、米作り農家が直面している問題の多いのも知っていますが、私も日本人の一人、戦中、戦後の一時期、外国へ旅した時以外、ご飯を食べない日はなかったのです。嬉しいことのあった日も、辛かった時期も、毎日ご飯を食べて働いてきたのです。
夕方、台所からご飯を炊く匂いが流れてきます。何と良い匂いでしょう。心が和む匂いです。今日も暮れ、やがて夕食を囲む時間。今年も早くから新米を食べました。滋賀県は米どころですから、この地のお米です。新米で炊いたご飯の旨いこと。ご飯の米粒は立ち、そして光っています。秋の幸せです。
2008年10月