はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2015年9月)

2015-09-30 06:49:57 | エッセイ・身辺雑記
今月の便り(2015年9月)
 秋雨前線による雨ってこんなに続くのかと思い、早く晴れた秋空を望む日の長い9月です。関東や東北では甚大な被害の出ている台風18号ですが、びわ湖南岸にある当地では雨風が一時強かったもののいつの間にか通り過ぎていきました。御地ではいかがでしたでしょうか。
9月9日
 公民館の例会の日ですが台風による雨が強いので車で送り迎えしてもらいました。Aさんはオマーンでの仕事の前の日本での日々。海外から大規模工事を受注するまでの経緯を面白く読みました。Iさんは腸閉塞の手術を受けるまでの経過や術後の日々を息詰まる筆致で書いていましたが、入院中の86歳の誕生日に看護師さんからのメッセージ、孫や曾孫からのお祝いの言葉、ことに幼い曾孫が電話で歌ってくれたハッピーバースデーを聞いた時を綴った部分は緊迫した雰囲気の中に華やか花が咲いたような印象を受けました。Kさんは物忘れによるエピソードをいくつか語っていましたが、川柳作家らしいユーモアに溢れていました。Nさんは母親大会での活動、特に息子や娘の小さかった時の様子など読ませるエッセイ、もう一人のNさんはこの夏の暑い日の出来事、たくさん見た戦後70年記念番組からの感想などを記していました。男性のNさんは検査入院・手術のため作品は休み、Mさんも検査入院中、Iさんは市議選で多忙。8月は例会を休んだので楽しいことこの上なし。
9月15日
 11月のカレンダーに使うレースペーパーを探しに京都へ。久しぶりに乗る電車から見る風景には全く変わっていない所もあれば、新駅が予定されている土地には新しい家がずらり。駅直結の伊勢丹であちこち回り、レースペーパーを見つけましたが、予定していた大きさのものはありませんでしたが、思い切って一回り大きいのを買いました。昼食はホテルと思っていたので行ってみましたが、たっぷり給料をもらっていた時代ならともかく何となく入りそびれて伊勢丹のレストラン街でトンカツという可愛らしさ。
 私の京都への小旅行。大規模なデパートでの買い物や食事、京都駅の鉄骨を組んだ巨大な構造物、忙しそうに行きかう大勢の人々。私の旅情への渇きは十分に満たされました。
9月22日
 今年は珍しくも9月19日(土)~23(水)と5連休。高齢者にはこれといった予定もありませんが、この日は大津の青龍寺にお墓参りに。お彼岸とあってどのお墓のも花が供えられ、お墓参りに来ている人も多く、墓地は賑やか。祖父母、両親、弟、早くに亡くなった良子ちゃんと往時の人たちの思い出にしばらく黙祷。帰りにはかつて賑やかだった商店街に出ましたが、西友は閉店、その周りの商店もシャッターを降ろしていて、行きかう人影も疎ら。昔を顧みれば淋しい思いにかられます。その後、浜大津に出て、高いデッキから一面に広がるびわ湖を眺め、やはりびわ湖は良いなあ、滋賀県は私の故郷と感傷にふけりました。今回の墓参のお土産かも。人通りの少ない大津からたくさんの老若男女の行き交う草津に帰ってほっとしました。
9月某日
 テレビも新聞も関東・東北の水害のニュースで賑やかなことですが、気をつけて見ていたら、水海道や小貝川という名前があるではないですか。小学校3年生の時、水海道では大規模な洪水に遭って小さな舟で高台の学校に避難したことがありました。小貝川は家の近くにあって遊びに行ったこともあり、懐かしい地名を聞いたものだと思いました。水害の跡始末はたいへんなのを子供心に覚えていますので被災地のご苦労はいかばかりかと思っています。
「今月の本」
 今月初め、少し体調を崩して1日横になりましたが、軽い本でも読もうと思い、手に取ったのが星 新一の本です。息子が残していった本棚から取り出しては読んでいる内に止められなくなって何冊も読みました。読んだのは『宇宙のあいさつ』(新潮文庫 昭和56年)、『だれかさんの悪夢』(新潮文庫 昭和56年)、『おかしな先祖』(講談社文庫 1989年)、『これからの出来事』(新潮社985年)の4冊です。いずれも星 新一から始まってとされるショートショートといわれる短文で、眠る前に「ああ面白かった」と2,3編ずつ読んでいました。どれも「またやられた」と思わせる奇想天外な終結を迎えるわけですが、微苦笑あり恐怖ありという膨大な数のアイデアはどこからどのように浮かぶのでしょう。これも星 新一が始めたというSF小説で、確かに異次元や宇宙の彼方からの使者が登場しますが、未来の地球は文明が発達し過ぎて人間性が失われていたり、核戦争の果てに人間が一人もいない荒涼とした世界だったりと明るい未来は描いていません。この他にも悪魔や神(?)も現れますが、人間の欲望の果てにあるものが何であったのかを明かすほろ苦い結末であったりもします。考えさせられること多いショートショート集ではありましたが、楽しい時間を過ごしました。

 酷暑と言われたこの夏は過ぎ、近所の生垣では虫の声がし始め、日を追うようにそれは賑やかになってきました。果物が美味しいばかりか、何もかも美味いなあと思う季節。存分にお楽しみになりますように。では、また。

今月のエッセイ(2015年9月)

2015-09-29 07:14:20 | エッセイ・身辺雑記
        寄り道、道草、回り道(最終回)
        ボランティアとして
        草津市障害者余暇活動支援センター
 無職になって一日中家にいるとカミさん以外だれとも話すことがありません。いつだか新聞に挟んであった社会福祉協議会のチラシに障害者余暇活動支援センターの店番を募集していました。どんなことをするのか分かりませんが、週1回午後の半日ならばできるだろうと応募。
 行ってみると、作業所で作った障害者の作品を売るのが仕事なのですが、客は滅多になく、推進員という年輩の女性とたまに話すくらい。辞めよう辞めようと思いながら、数年が経ってしまいました。
 三代目の推進員になりますと、毎週土曜日には軽度の知的障害者が何人も来るようになりました。全部集まれば十数人になるでしょうか、いつもは十人程度、女性が多く、男性は数人といったところ。気心の知れた仲間の集まりという感じでお互いによくしゃべること、しゃべること。だれも若く見えますが30から40歳代。障害があるのが惜しいようなハンサムボーイ、べっぴんさん揃い。私がセンターに着くと「センセーが来た」と大声で迎えてくれ、一人はいつ病院にはいつ行くのかと聞き、もう一人は図書館には何日に行くのかと聞いてくれます。パソコンに何か話しかけていた一人は、何も見ないでアニメの主人公のみごとなCGを描きます。
3台買い揃えたパソコンを使うパソコン教室の先生はプロの先生、絵画教室には現代美術の作家が来ます。センターのボランティアは生け花の先生ですが、ここではフラワーアレンジメント。その他、絞り染めを教えてくれる人、厚紙で作る額縁を教えてくれるボランティアと多士済々。私は年賀状、暑中見舞い、カレンダーをいっしょに作りました。
4月の宿場祭の日と8月の地蔵盆の日にはセンターの前でかき氷、ビールやラムネ、フランクフルトなどいろいろ売りますが、わが家のカミさんは綿菓子担当です。毎回、かき氷と綿菓子の前には長い列ができるので大忙し。私はカミさんにザラメと割り箸を絶え間なく渡さなくてはなりません。長時間の立ち仕事ですからシンドイこと。終わっても後片付けです。どのような事情があったのか私にはよく分かりませんが、センターは一部の行事を除いて閉鎖されてしまいました。十年近く、たくさんの障害者と家族のような楽しい時間を過ごしていただけに残念でなりません。
       「コミュニティーくさつ」編集ボランティア
「コミュニティーくさつ」というのは草津市コミュニティー事業団の定期刊行物のタイトルです。「市民がつくる」がこの情報誌は看板になっていますので、編集や取材にはボランティアが参加しますが、私も十年ほど前から加わっています。定期的に開かれる編集会議では取り上げるテーマを何にするかを話し合うのですが、談論風発、止まるところを知りません。二時間ほどの雑談が終わるころ、事業団の人がまとめます。その後は事業団が見つけてきた先で取材です。ボランティアは取材に参加し、記事を書くこともありますが。ほとんどは事業団の仕事。
私もびわ湖の漁師さん、ストレッチャーに寝たままカレンダーを作る女性へのインタービューをはじめ、取材には何回も同行しましたが、意外な話が聞けるなど興味深いものがありました。
中でも2006年から7年間、19回行われた「ゆっくり草津 街道物語」がいちばん心に残っており、そのすべてに参加したのを誇りにさえ思っています。この行事は石田さんという観光ボランティアの案内で市内の名所旧跡を徒歩で訪ねるというツアーですが、人形浄瑠璃のヒロイン、梅川のお墓を始め立命館大学の校庭の地下に眠る古代製鉄炉、草津にも残る大きな古墳あるいは古い町の面影が残る路地の祠など草津の隅々まで歩いたような気がします。同行者には植物に詳しい人がいて、花の名前ひいてはブログに載せる絵のモチーフになる花をたくさん教えてもらいました。また、各神社の例祭で行われる祭を知り、祭の多さに驚くとともにこの地への愛郷心を深め、この街が好きになりました。

私たちの世代には年功序列という制度があったおかげで不自由なく暮らせましたが、八十五歳になって振り返ってみると、人に自慢できるような仕事をした覚えはなく、ここまで来てしまっただけという感を強くしています。自分の人生哲学について長々と演説する人もいますが、そのようなものは私には全くなく、何か楽しいことはないかなあとの寄り道、道草、回り道。とりとめのない話、らちもない話に長い間お付き合い頂きありがとうございました。
2015年9月