はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2011年7月)

2011-07-30 18:20:47 | エッセイ・身辺雑記
 梅雨の間は早く終わればと思っていましたが、7月8日に明けてみると猛烈な暑さ。昔は暑いといっても30℃までだったと思います。節電コールのうるさいこの夏、お元気にお過ごしでしょうか。

7月1日
 大腸の内視鏡検査を予約してあった日でしたが、熱っぽく、風邪をひいたようだったのでキャンセルの電話。この風邪の症状は10日ほど続きました。夏風邪というのはシンドイものです。
7月13日
 早くに目が覚めたので、アオバナを見に行きました。アオバナは花の汁を和紙にしみ込ませて乾かしたものを京都に出荷し、京都ではこの紙を水に漬け、出てくる青い汁を友禅の下書きに使います。昔、草津では栽培が盛んだったそうですが、今は一軒だけになりました。
7月13日
 公民館のサークルの例会。朝から暑い日でしたが、会員のIさんは男でも30分以上かかる道を自転車できたのです。Iさんは82歳の女性。現在も世界のあちこちに旅行するアマチュア写真家で、毎月のようにその紀行文を書いています。暑いので休もうかと思ったが、みんなの顔が見たかったと大きな声で笑います。
7月19日
 台風6号が接近し、雨と風の中を病院へ。先日予約をとりなおした大腸の内視鏡検査の日。2リットルの腸の洗浄液をこれで最後にしたいものだと思いながら飲んで検査を受けたところ、1個ながら5ミリのポリープがみつかり、9月末に3日間入院して摘出手術ということになりました。また、あの2リットルの洗浄液をと思うとがっかりです。
7月30日
 いろいろな事情で3ヶ月間閉まっていた障害者支援センターの教室が再開しました。この日は私が講師を務める「暑中見舞いを作ろう」の日です。いつものメンバーは早くから集まっていたそうで、声のかけあい、お喋りなどは尽きようがなく、私の「暑中見舞い作り」は早々と終え、差し入れのあったアイスクリームで大賑わい。いつもの風景が復活しました。私も久しぶりの講師役を無事に終えて一安心です。

 テレビを見ていたら、家の中や夜間にも熱中症の例が多いとのこと。これから盛夏といわれる時期、どうかお元気で。では、また。

今月の本(2011年7月)

2011-07-29 07:46:23 | エッセイ・身辺雑記
米沢 慧『自然死への道』朝日新書277、朝日新聞出版2011年
 本書は「おわりに」にあるように月刊誌『選択』に3年半連載した医事コラムを収録したもので、「老い」「病いる(やまいる)」「明け渡す」の3章にまとめられています。
 生、病、老、死というテーマには極めて広範な問題が含まれていて、読んでいる間はどのエッセイにもそれぞれの感銘を受けたのですが、さて、読後感となると何を取り上げていいものかと悩んでしまいますが、心に残ったエッセイについて書いてみます。
 いろいろ難しい言葉で述べられていますが、私のことばなりに書いてみると、動物は年をとると、動きが鈍くなり、人間も同じように動作が遅くなります。しかし、人間は自分がやろうとしていいることがあっても身体が思うように動かなくなってくるのです。つまり、動物は「老化」するだけですが、人間は「老齢化」するのです。これは自分自身にあてはめてみても、その通りなのでよく分かります(超人間として<老齢>-吉本隆明のことば)より。
 がんにつきものの「痛み」に対するペインコントロールのページでは疼痛ケアには欠かせないモルヒネが取り上げられていますが、モルヒネがおそろしい麻薬であることから日本の医療用モルヒネの消費量は先進国に比べて極めて低く、イギリスの1/8にとどまっているといわれています。
 本書ではわが国の疼痛ケアの第一人者である武田文和医師の著書(『がんの痛みが消えた―モルヒネの奇蹟』)からの引用がありますが、中毒にはならないのか?いつ量を減らすのか?末期だというショックを受けないのか?などという臨床医からの質問に答えていますが、モルヒネによるペインコントロールは十分には理解されていないようで、自分ががんの痛みを経験するようになったらと心配になってきます(モルヒネ、疼痛ケアの思想)より。
 「安楽死」事件についてはいくつもの報道があり、医師の治療の停止に託される要件(横浜地裁1995年)には「いつ死なせるか」についてのコンセンサスがとれていないという指摘に応える形で日本救急医学会が延命治療の中止の指針案が公開されました(2007年)。それには治療中止の判断に必要な「終末期」の定義、治療を中止する方法が列挙されていますが、いずれについても複数の医師による判断が必要なこと、家族への説明、理解、家族による意思決定が必要なことを明示しています。これらの文章を読んで思うのは、死はいつだれによって決められるだろうかということです(終末期の論理―いつ死なせるか)より。
 以上、本書のごく一部を紹介しましたが、問題が多岐にわたり、記述もあまり平易ではなく、印象が散漫になるのは残念です。

三浦哲郎『みちずれ 短編モザイクⅠ』、同『ふなうた 短編モザイクⅡ』新潮文庫み‐6‐14、み‐6―5、新潮社平成11年
 上記の本が考えさせられる問題が多く、少し疲れたので、書架から取り出してきた2冊。
 かなり以前に読んだ本の再読ですので、読んでいる内に記憶の戻ってくる短編もありますが、大半は全く覚えがありませんでした。短編は私の好きなジャンルですが、モザイクという副題のとおり、どれもかなり短いものが多く、枕頭の書としてもってこいです。
 題材はいずれもありふれた風物でありながら人間の心理の機微が網羅されていて、次から次へと誘われます。また、そこにはわれわれの世代には懐かしい匂いが立ち込めていて、まことに快いのです。書架にあるこの人の別の本も読んでみたくなりました。読後感の爽やかな短編集です。
 


高齢者つどい講座

2011-07-28 08:15:40 | エッセイ・身辺雑記
 6月22日の夕方、公民館から電話がかかってきました。電話を受けたカミさんに聞くと、翌々日の講座のことだそうです。集合時間や費用の確認だったようですが、二人ともそれがどんな行事だったかと顔を見合わせるばかりです。その内、四月に市の広報にあったこと、ファックスで申し込んだことなどを思い出しました。
 当日、公民館に行くと、町内会の旅行でいっしょだった人や町内会の役員など、顔見知りの人も数人。バスに乗って早速、近くの人に今日の行事の案内を見せてもらうと、「びわ湖の環境と食を現地で体験!」という「高齢者つどい講座」であったのを知り、皆さんがお年寄りなのを納得した次第。
20人足らずの参加者を乗せた市の福祉バスの座席は半分くらいが空席。バスは湖周道路を走ります。梅雨の曇天ながら広がるびわ湖の水面、対岸の比叡山や比良山系の山々、この風景は他の県の人にも見せたいなあと思っている間に目的の野洲市の菖蒲浜に30分ほどで到着。
湖岸の松林を背にして左手には漁港、右は遠くまで広がる砂浜。遠くにはびわ湖では唯一人の住む沖島。参加者の中には子どもの時にこの浜で泳いだという人、ここには釣りに来ていたと懐かしそうな顔を見せる人もいます。
今日の講師はびわ湖で漁師をして五十年というMさん。最初の「今日のびわ湖は何色に見えますか」という言葉には当惑しましたが、「かつては浜からしばらくはうすい水色、そこから急に濃い青になり、ずっと沖まで続いていたのです」と言われて眺めて見れば鈍い銀色の水面がどこまでも広がっているだけです。「長年びわ湖を相手に漁をしてきた私たちにもこのような変化がどうして起こったが分からない」という話に始まり、びわ湖を取り巻くように道路がつき、橋が架かり、川は改修されて水害はなくなったが、それまでは川を大事にしてきた人たちが、何故か川にゴミを捨てるようになり、かつての川だと雨が降って泥水が流れても、草や広い葦原の間を流れる内に泥は沈み、きれいになった水が湖に注いでいたが、コンクリート張りされた川は発生した泥水をびわ湖に流し込むため湖底に積もるのは泥ばかりでシジミも淡水真珠を採るイケチョウガイもいなくなり漁をしても網にかかってくるのはゴミばかりとMさんの話は続きます。
料理店に移り、席で待っていたのは滋賀県指定民族文化財という湖魚料理です。最初に運ばれてきたのは、えび豆と小鮎の煮物です。えびはもちろん、びわ湖で獲れる「すじえび」です。鮎は他県の川に放流すると大きくなりますが、びわ湖にいると大きくなれないという小鮎です。どちらも売っているもののように硬くはなく、家庭の料理の雰囲気が漂っています。
次は店頭に並ぶことがないので、幻の魚といわれる「ビワマス」の刺身です。ビワマスはびわ湖にしかいない魚(固有種)で、体長50センチほど、刺身を見ると、その肉は他の鱒や鮭のように赤味の強い魚です。続いて登場したのがビワマスの煮付けです。輪切りにした身をしっかり煮てあります。煮魚の好きな私は大喜びです。昔、海辺の釣り宿で出た魚の煮付けもしっかりしていて濃い目の味がよく滲みたものでした。このような煮付けを作るのにはプロの技がいるのでしょうね。
あゆと野菜のてんぷらの次は「あめのうおごはん」としじみの味噌汁です。「あめのうお」とはビワマスのことで、産卵期には大雨の日に群れをなして現れることからこう呼ばれているのだそうです。かつては一匹をご飯の上に乗せて炊き、食べる時に身を外し、ご飯に混ぜて食べていたそうですが、今は炊飯器で炊ける方法になっているそうです。この炊き込みご飯の美味しいこと、あちこちから「お代わり」の声がかかるのが分かります。同席していたMさんは「皆さん、美味しいと言って喜んでくれていますが、どれも昔、ここらの人がいつも食べていたものばかりなのですが・・・・」と目を細めています。
カミさんと参加した公民館の高齢者講座でしたが、めったに行くことのない野洲市の菖蒲浜、珍しい湖魚料理の数々。遠い親戚でごちそうになってきたような「ほっこり」した気分になった小旅行になりました。帰途についたバスでびわ湖の現状や今後にかける思いを熱っぽく語ったMさんの話を思い出しながら眺めると、びわ湖の湖面は午後の遅い陽の光に鈍く光っていました。
2011年7月