はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2019年7月)

2019-07-31 08:44:36 | エッセイ・身辺雑記
今月の便り(2019年7月)
 遅れていた梅雨が7月に入ると一挙に本格化。テレビでは鹿児島県と宮崎県の記録的な大雨について放映していて、前線の上に台風3号が発生し、われわれの地方も通過したようですが、雨も風もなく通過。これから梅雨と思うだけでうんざり。
 7月3日
 「コミュニティーくさつ」の編集会議。事業団から健康、定年後の過ごし方などが提案されていましたが、まず、車の免許更新の際の認知症検査の話で盛り上がり、なかなか前に進みませんでしたが、健康の話題についてはわれわれ地区のラジオ体操は1800回を超えているなどMさんから紹介があり、定年後では野菜作りをする人が多いなども話題に上がっていました。あと話はいろいろ発展しましたが、どんな話題があったのでしょう。よく覚えていません。
 7月10日
 「自分史を作ろう会」の例会。今月は、皆さんどういうわけか作品が少なく4編にとどまりました。Nさん(膝の痛みに苦しむは)われわれの小旅行の幹事さんで膝が悪くて参加できなくなるかと心配していたが杖をついてならば行けそうだと書いていますが、Nさんのひざの痛みは半月板の損傷によるものだそうですが、今までの経過や受診の様子などを述べていましたが、最後に体重が増えたからかもと反省もしていました。Iさん(沖島を訪ねて)は沖島行きの詳細な記録。特に西福寺の幽霊の絵あたりはパンフレットをもらわれたのか実に詳しく、ぼんやりと幽霊の絵を眺めるだけだったのを反省。そのあと、民宿「湖上荘」での昼食、例会の様子、帰りの乗船場にずらりと並んだプラの容器が外来魚だったのにも驚いていました。Aさん(金婚祝旅行)はJRジパングクラブの「鬼無里のミズバショウと残雪の白馬・安曇野の旅」で二泊三日の旅に参加したという紀行文。その様子は実に詳しく、二人の幸せな様子はここに記すことなさそうです。Nさん(古希と人は言うけれど)は古希を迎えたNさんの北海道、東京へと多忙そのもの、これが古希かと驚くかりの日。たくさんの人とあったり忙しく暮らしているのは良いのかなと述べていました。95歳の叔母にはモットーの「生涯現役」贈ろうと結んでいます。最後にわが家のカミさん(臨時参加)の「沖島」は新聞の読者ようのコーナーへの投稿記事(400字)ですが、この島のどこにもゴミ一つ落ちていないのに感心していますが、狭い路地に漂う佃煮のにおい、昼食の出た川魚の料理、お土産に買った特産の川魚の料理とやはり食いしん坊は仕方ないところか。三人が欠席。来月、8月はお休みです。
 7月12日~14日
 息子が大阪に出張ということでわが家にやってきました。土曜日は一日中自分部屋の押し入れの片付けをし、段ボール箱数個の紙屑を置いていきました。到来もののメロンを切りましたが切るのが早かったせいかまだ少し固くてがっかり。来月、8月には全員で来るそうです。友人とびわ湖のそばでバーベキユーをするのだそうです。こちらはいろいろ大変ですが、皆に会えるのが楽しみ。
 7月24日~
 夏休みになった子どもたちとラジオ体操。全部で30人ほどになるそうです。1年生くらいの小さい子から6年生?の大きい子まで元気よく体操をしているのは見ているだけで楽しい。
 7月24日・25日
 昨年より15日、例年にくらべて5日遅く梅雨が明けたとのこと。朝ほんの一声でしたが、セミの声も。
 25日、梅雨明けには雷がなるという言い伝えがあるそうですが。夕方から急に猛烈な雨と風。洗濯ものなど取り入れる暇もなくびしょぬれ。
 7月27日
 今朝早くに三重県南部の上陸した台風6号は東進そあちこちに被害を及ぼしたようですが当地では雨風が一時強かったようですが何時の間にか通り過ぎていきました。
 [今月の本]
 清水由美○文ヨシタケシンスケ○絵『日本語びいき』中公文庫、中央公論新社2019年
 著者は外国人に日本語を教える先生で日本語講師を育てる人。本書で述べているのは日本語は実に理論的にできているので決して難しい言語ではないということです。日本語を読み書き話しているわれわれが読んでも実に興味深々です。まず、英語のa
には様々の読み方があるが「か」はどこまでいっても「か」としか読まないといわれて成程。3章の5段活用の話、飲まー飲み―飲む―飲め―飲もという活用形はどの行に行っても変わらないというのは驚きです。などなど、今の日本語が抱えている問題まで話題は誠に豊富。エッセイを書いている仲間にも読ませてみたい。各章の後にあるコラムもこの章の話題にぴったりで楽しい。どの文章もユーモラスでリズミカル。特筆したいのがヨシタケシンスケ氏の本文の記載にぴったりのエスプリに満ちた挿画です。この本を取り上げてくれた坂巻克己氏に感謝したい。

 梅雨が明け台風が過ぎ去った今、毎日真夏日。予報によれば西日本は例年より暑いとか。十分休養をとって(すでに取りすぎているかも?)この夏をやり過ごすしかありません。では熱中症には気を付けましょう。では、また。お元気で。

今月のエッセイ(2019年7月)

2019-07-30 17:52:17 | エッセイ・身辺雑記
小川未明作『「おとぎばなし集 赤い船』
京文堂書店 明治四十三年十二月十五日発行
『名著復刻日本児童文学館』(ほるぷ出版 昭和四十六年)より
        「赤い船」から
 露子は貧しい家に生まれました。村の小学校へ上がった時、オルガンの音を聞いて世の中には斯様(こんな)好(い)い音のするものがあるのかと驚きました。
 或(ある)日、露子は先生にオルガンは何處(どこ)の国から来たのでせうかと問ひました。すると先生は、はじめは外国から来たのだと言はれました。外国というと何(ど)處(こ)どこでしょうと聞きますと、あの廣(ひろ)い、廣(ひろ)い太平洋の波を越えてその彼方(あちら)にある国から来たのだと先生は言はれました。
 その時、露子はこの好(い)い音のするオルガンは船に乗って来たのかと思ひました。それからというとオルガンの音を聞きますと廣(ひろ)い、廣(ひろ)い海の彼方(かなた)の外国を考えたのであります。
露子の家は貧しかったものですから露子が十一の時、村を出て、東京の或(あ)る家に行くことになりました。その家は立派な家でオルガンの他にピアノや蓄音器などがありました。而(そ)してピアノの音を聞いたり蓄音器に入っている西洋の歌を聞きました時、これらの物も海を越えて、遠い遠い彼方(あちら)の国から来たのだろうかと考えたのです。昔、村の小学校時代にオルガンを見て、懐かしく思ったように、やはり懐かしい、遠い感じがしたのでありました。
 初(はつ)夏(なつ)の或(あ)る日のこと露子はお姉様といっしょに海辺へ遊びに参りました。お姉さまは好(い)い声でうたいながら露子の手を取ってお歩きになりますと露子もきれいな砂を踏んで波打ち際を歩きました。波は可愛らしい声を立てて笑った。
 この時、沖の遥かに赤い筋の入った一艘(そう)の大きな汽船が波を上げて通り過ぎるのが見えました。露子は、ふとこの汽船は遠くの遠くへ行くのではないかと思って見ていますと。お姉さまも胒(じつ)とその船をご覧になりました。
 「お姉様この海は何という海なんでしょう」と聞くと、この海が太平洋といふのですよとお教へ下さいましたので、この海をどこまでも行けば外国へ行かれるのだろうと思いました。
 「あの赤い船は外国へ行くのでせうか」と露子はお姉さまに問ひました。するとお姉さまは「そうねえ」「ああ、きっと外国へ行くんでせうよ」と柔(やさ)しく言はれました。
露子はどうしてもその赤い船の姿を忘れることができません。自分もその船に乗って外国へ行ってみたい。而(そ)してオルガンやピアノの好(い)い音楽を聞いたり習ったりしたいものだと考えていました。見るうちに赤い船はだんだん遠ざかってしまい煙が一筋空に残っていたばかりです。
 明くる日、露子は窓に倚(よ)って、赤い船は今頃どこを航海していようかと思ってゐますと一羽の燕はどこからともなく飛んできました。露子は「お前どこから来たの」と聞きますと燕は可愛らしい頸(くび)を傾(かし)げて露子を昵(じ)っと見てゐましたが「私は南の方の海を渡って杳々(はるばる)と飛んできました」と答へました。「そんなら太平洋を越えてきたの?」と、燕は「それは幾(いく)日となく太平洋の波の上を飛んできました」と答えると「そんならお前は船を見なくて?」と聞くと「それは毎日、幾(いく)艘(そう)となく見ました。あなたのお聞きになりたいのはどんな船ですか」と問ひ返しました。露子は燕に「その船は赤い筋の入った船で三本の高い穡(ほばしら)があること」など聞かせたのです。
 すると、燕は「その船ならよく知ってます。翼を休めるためその上に止る穡(ほばしら)を探していました時、ちょうどその赤い船が太平洋を航海していましたから、早速其(そ)の船の高い穡(ほばしら)に止まりました。ほんとうにその夜は好い月夜で青い波の上が輝きわたって、空は書(ひる)間のように明るくて、静かでありました。そして、その赤い船の甲板では好(よ)い音楽の声がして人々が楽しく打ち群れてゐるのが見えました」と語り聞かして燕はまた何處(どこ)かへ飛び去ってしまいました。
 露子は、今頃その船は何處(どこ)を航海いるのだろうかと考えながら、しばし燕の行方を見守りました。
 紙数が尽きました。ご機嫌よう。では、また。                         中井 徹 
   2019年7月