はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2019年5月)

2019-05-30 06:47:16 | エッセイ・身辺雑記
今月の便り(2019年5月)
 5月になりました。さすがに暖かくやっと初夏という気候になりました。
 5月1日
 平成から令和と新しい時代が到来しました。テレビも新聞も令和一色です。過ぎ去った平成には何をどうしていたのだろうとも思いましたが、やはりこれからの時代には何があるのかと期待もある一方一抹の不安もよぎります。ふと、新聞の日付を見たら令和元年とありました。
 5月3日
 地元のお祭の日です。隣の地区のIさんの前はお旅所になっていて早くからその準備に忙しそうです。しばらくして大人のお神輿の「わっしょい、わっしょい」と賑やかな声が聞こえてきました。私の地区の子ども神輿は2台なので親なども加わって長い列。以前はわが家の前を通っていたのでコース変更があり途中の曲がり角を通るので急いで見に行きましたが、あまりよく見えませんでしたが今年も見られて安堵。
 5月8日
 「自分史をつくろう会」の例会。Nさん(昭和・平成・令和を生きる)は最初に聞いた令和の文字に戸惑いを感じたがやがてその意味するところは分かり愛着を感じたなどと述べていますが、昭和50年。平成30年そして令和を生きる喜びにも触れていました。Iさん(保険金)は先月、台風による被害を書いていましたが、やっと修理もすべてすみ、思いがけなくも保険金が支払われて驚いたのと同時に保険が大切だなあという感想を添えていました。Nさん(古都奈良への旅)は画家のNさんが仲間と奈良博物館で開催されていた藤田美術館展を見ての感想、所蔵品の曜変天目茶碗や菩薩立像などに寄せる思いを綴っていますが、お勤めの時には児童旅行の付き添いの時には感じなかった自然の畏美しさや怖などに改めて気がついたと言います。Aさん(機械式立体駐車所事業部)は海外のプラントで頑張ってきた人ですが、日本に帰ってきて新しい仕事を始めた様子を活き活きと書いています。先ごろまでは海外での奮闘ぶりの様子を読んでいましたが、帰国後の意気込みはどこでも同じだと感服。Nさん(山のようなイベント)は鯖街道に因んだイベント、山菜など使ったイベントなどいくつものイベントに参加したようですが。いろいろな人など協力を得て無事にそして楽しく行った様子が楽しそうです。Kさん(花の力)は体調不調と言いながらいろいろな友人と遠くへ、近くへと花見に行った紀行文、最後に新しい時代への抱負もちょっぴり。なお、幹事さんから来月の小旅行について解説。
 5月22日
 「のんびりの会」のバス旅行。快晴無風という絶好の旅日和。最初に行ったのは草津市立クリーンセンター。大きな建物が何棟も建つ大きな施設です。一行は大きな会場に案内され、大画面の映像で「ゴミ処理」の概要を聞きます。われわれが出す種々のゴミ毎の設備の膨大な設備に先ず感嘆。さらに大画面の映像で詳細な説明があった後、施設の見学に移りますが、可燃性ゴミの搬入場面、焼却炉のモニター室などなど、毎日捨てているゴミにはこのような手間をかけているのかと少し厳粛な気持ち。
中華料理店での昼食後、草津市立水生植物公園みずのもりに移動。ここでは観光ボランティアが案内、説明に当たってくれます。門を入ると一メートルをこえるアリウムやデルフィニウムのコロニーが迎えてくれます。先ずはその種類が日本でいちばん多いというスイレンからスタート、ついで大型温室。ここでは現在いちばんの呼び物の「デビルズハンド」へ。悪魔の手と言うだけあった赤い気味の悪い花で一同びっくり。水槽には水辺の花、周りを取り囲むブーゲンビリアなど南国気分。外にでてそれぞれ名前の付けられたアリアを周遊。水辺では花菖蒲がきれいです。その他いろいろ見て回り、写真もたくさん撮りました。ツアーは予定通り、3時半に帰着、老人向きです。
 5月25日~27日
 私の日記によると最高気温は31~33℃ですが全国どこでも真夏日で熱中症に注意という文字は目に着きます。北海道東部、例えば帯広では39.5℃と記録的な高温でした。28日以降は凌ぎ易い気温というのでほっとしています。
 [今月の本]
森 敦『私家版聊齋志異』P+DBOOKS、小学館2018年
『聊齋志異』は若い時に岩波文庫で読んだことがあり、妖怪、化け物、あの世との交流などと夢中になって読んだので買った本です。やはり面白い話、例えば一目惚れしたきれいな娘は実は狐だったり、賄賂をとる閻魔さんの部下と戦うためにこの世とあの世を行き来したりする男、石を偏愛する男、菊の精との交流などなど毎晩楽しみに読んでいました。しかし、かつての興奮がよみがえってこなかったのも事実。すこし残念です。

真夏のような日のあった5月ですが、後には梅雨が控えています。異常気候が続く近年です。水害による被害のないことを祈ります。そして、人も最も天候不順な季節、お互い体には気をつけましょう、では、また。

今月のエッセイ(2019年5月)

2019-05-29 06:43:36 | エッセイ・身辺雑記
 私たち8人の「自分史をつくろう会」は毎年小旅行を行っています。今年は6月にびわ湖で唯一人の住んでいる沖島に行きますが、昼食後の例会の宿題は短いエッセイをとなっています。今月はその例会に出した2編をお目にかけます。後編は臨時参加の家内のものです。

         ブログ
 今はフェイスブックとかツイッターさらにはインスタグラムなどなどソーシアルネットサービスというのが大流行りですが10年以上前にはブログだけだったような気がします。
 当時、有名人や芸能人のブログには何万人もが見てたくさんのコメントを残しているというのを知り、自分でも開設してみたくなり、無料でできるのを探し、教えられるまま作っていくと何とか形になりました。
 わが家では毎月、たくさんの人にハガキサイズのカレンダーとその月のエッセイと私の描いた絵葉書にカミさんが便りを書いたのを三点セットとして送っています。この絵葉書に短いコメントを加えてブログにアップすることにしてブログのタイトルも「私の絵葉書」としました。
 このブログを始めたのは2007年9月20日ですからもう13年になります。私のブログの訪問者は多かったり少なかったり、止めようかとかと思うほど少なかったこともありましたが今は七十人から百人前後。
 私のブログのしんどいところは毎日更新するところです。一カ月に三十枚の絵葉書を用意しなければならないからです。私の絵葉書の絵はほとんどが花ですが毎月となるとそれほど多くはありません。足らない分は台所でみつけた野菜だったり魚だったりしますがその絵も急いで描いたりだらだら描いたりする日も、よくこんなのを見にきてくれる人があるかと思うと何やら申し訳ないと反省しきり。
 ブログを更新するのは朝ですが、昨日見にきてくれた何人だったかという期待が楽しみで続けているようなものです。また、絵に添えるコメントは二百字程度ですが、即席で短い文を書くのもスリルがあって面白いものです。
 これから先どこまで続けられるか分かりませんが、しばらくは付き合うことでしょう。

        名前にこめられたもの
 新聞のおめでた欄の赤ちゃんの名前には何て読むのかなと思う難しい字もあり子どもたちは書けるのかと心配になります。
 私は妹の名前を付けました。父は姓名判断をしていて兄弟やいとこ達、近所の赤ちゃんにまで名前を付けていました。待望の妹が生まれた時、父は平仮名で「あぐり」にすると言いますが七歳の私は「子」が付いていない名前など嫌だと泣き叫びました。私が憧れていたのは優しくきれいな近くの酒造会社のお姉さまは芳子さん。この名前にしてと父に頼み込み妹の名前を芳子に決めてくれました。
 父は妹の将来などいろいろ考えて付けていたのでしょうからよく私の願いを聞き入れてくれたものだと思います。私の名前はどのように決めたのか知りませんがお転婆な私と大人しく可愛かった妹を並べて姓名判断が当たっていたかどうかを聞くよしもありません。
 名前は一生ついてまわるもの。先日新聞で見た同姓同名の会のメンバーの仕事や暮らしは様々。私や妹と同じ名前の人もたくさんいるに違いありません。その人たちはどんな人でしょう。
                               2019年5月