今月の便り(2019年4月)
東京をはじめ各地から桜の開花を知らせるニュースが放映されますが滋賀県のニュースはさっぱり。彦根の開花は平年より8日遅い4月4日だそうです。
4月3日
老人会というと叱られるので「のんびりの会」の花見は例年どおり鎮守様の熊野神社でということになりました。この日は毎年雨でしたが今回は晴ました。晴と言ってもまだ冬の寒さ。行ってみると境内の中央の大きな桜はほぼ満開でしたが周りの新しいという桜はまだ開花したばかりという風情。
昼食の弁当が届くまでの間と食後の時間にはクイズとボランティアの苦労はたいへんなものでしょう。私はビンゴゲームで何十番目かの賞品をゲット。これで今年の花見は終了か。
4月7日
今朝は大きいほうの公園でラジオ体操。満開の桜の木の下から真っ青な空を見上げてだから最高の気分です、お向かいのはくもくれんや隣の早咲きの桜も散りましたが
海棠が咲きそうです。今日は県議の選挙どうなるでしょう。
4月9日
弟の車で野洲川のほとりにある薄墨桜公園へ行きましたが、残念なことに花の時期は終わっていました。ついでこれも野洲川の堰堤沿いに広がる笠原桜公園へ。ここでは満開の桜並木が果てなく続いていてそのスケールは草津の名所、草津川堤とは段違い大きさです。広場や桜の花の下には家族連れが休んでいます。私たちはここのベンチでお昼を頂きました。桜並木沿いに走り、地球市民の森に寄り道して帰途に。弟のおかげで近ごろにないお花見に大満足です。
4月10日
「自分史」の例会。Nさん(父母の年忌法要)は大事な法要での緊張と法要後の解放感をうまく取り混ぜ巧みな構成。この人の作品は気持ちよくよめるのが身上。Iさん(台風)は昨年の9月4日の台風による被害から今年9月29日に復帰するまでの長い経過を正確に書いていました。Nさん(光風会に出品して)は昭和52年に出品から42回の出品(入選41回)と長い画歴を語っていましたが、その間のご苦労、周りの人の理解などにも感謝し、今後も絵を描き続ける覚悟で述べていました。Aさん(新年号「令和)」は新年号を祝う記念すべきエッセイ、そしてここまでの過去、これからは孫たちの世代だと言います。Iさん(放送局が丸ごと担保に)はお勤めになっていた放送局が闇のフィクサーに乗っ取られ、組合の力、「放送の灯を消すな」のスローガン、地元企業などの応援で正常の会社になる長い年月を回顧していました。Nさん(東京へ)は初めて東京に行った時の緊張、行った先で仲間に会った喜びなどを書いていました。初めて知らないところに行く時の心配は私も同感。
4月10日
コミュニティーくさつ」の編集会議。いつものように様々な話題がでては消えして3時間近くの長丁場。最後に提言のあった「老人とコンピューター」というテーマが面白そうだということでこのテーマで取材先を探そうというところで終了。
4月19日
S君のお墓参りが気になっていましたが、S夫人と京都駅で待ち合わせ大谷本廟へ。広大な境内に大きい立派な建物が並んでいます。本廟で供花、お線香。受付をすませ大きな御堂、読経のもとお焼香。法話があって終了。S君は七回忌も過ぎているとのこと。長らくの宿題を果たせた気分。あとは京都センチュリーホテルの「きざはし」で昼食。東京研究所以来30年以上のお付き合いの人との楽しい時間をすごしました。
4月28日
当地のお祭「宿場祭」の日です。曇ってはいましたが寒くもなく暑くもない良い日でした。駅前のスーパーで弁当を買い、草津川跡地公園へ。けっこうな人で賑わっています。立命館大学のラスターという旗と銃を使ったパーフォーマンスは息の合った踊り。待っていたのは甲西高校吹奏楽部の演奏。ここはマーチングステージ全国大会で優勝という実力のあるグループというだけあって圧巻の演奏。アニソンや昭和時代のヒット曲などいろいろ聞かせます。その後はカントリーで懐かしい曲を聞きましたが、メンバーには歯医者さんやおまわりさんなどもいるとのこと。合気道の実演を見て帰途に。呼び物の時代行列を見逃したのは残念です。
[今月の本]
中橋孝博『日本人の起源 人類誕生から縄文・弥生へ』、講談社学術文庫、講談社2019年
タイトル通り、人類発生までの歴史は長く、現在のホモサピエンスまでには数多くの人類が発生、消滅しているのには感嘆。そして石器時代から日本に住んでいたご先祖さんの物語。縄文人と大陸からの渡来人、稲耕作の広がりそして弥生人の誕生など話はスリルフルにすすみます。これらは全て遺骨の研究から始まっているとのですが。縄文人には抜歯の習慣があったことや弥生人には傷ついた骨が多いことなど。骨の計測結果から推測できる人の身長、顔貌の変化なども興味深く思いました。
平成もいよいよおわりです。五月1日には新しい年号令和の時代が始まります。平和な年月であるように念じています、そしてかつて経験したことのない10連休です(私のような年寄、御同輩には関係ないかもしれませんが)。どうかお楽しみ下さい。では。また。
東京をはじめ各地から桜の開花を知らせるニュースが放映されますが滋賀県のニュースはさっぱり。彦根の開花は平年より8日遅い4月4日だそうです。
4月3日
老人会というと叱られるので「のんびりの会」の花見は例年どおり鎮守様の熊野神社でということになりました。この日は毎年雨でしたが今回は晴ました。晴と言ってもまだ冬の寒さ。行ってみると境内の中央の大きな桜はほぼ満開でしたが周りの新しいという桜はまだ開花したばかりという風情。
昼食の弁当が届くまでの間と食後の時間にはクイズとボランティアの苦労はたいへんなものでしょう。私はビンゴゲームで何十番目かの賞品をゲット。これで今年の花見は終了か。
4月7日
今朝は大きいほうの公園でラジオ体操。満開の桜の木の下から真っ青な空を見上げてだから最高の気分です、お向かいのはくもくれんや隣の早咲きの桜も散りましたが
海棠が咲きそうです。今日は県議の選挙どうなるでしょう。
4月9日
弟の車で野洲川のほとりにある薄墨桜公園へ行きましたが、残念なことに花の時期は終わっていました。ついでこれも野洲川の堰堤沿いに広がる笠原桜公園へ。ここでは満開の桜並木が果てなく続いていてそのスケールは草津の名所、草津川堤とは段違い大きさです。広場や桜の花の下には家族連れが休んでいます。私たちはここのベンチでお昼を頂きました。桜並木沿いに走り、地球市民の森に寄り道して帰途に。弟のおかげで近ごろにないお花見に大満足です。
4月10日
「自分史」の例会。Nさん(父母の年忌法要)は大事な法要での緊張と法要後の解放感をうまく取り混ぜ巧みな構成。この人の作品は気持ちよくよめるのが身上。Iさん(台風)は昨年の9月4日の台風による被害から今年9月29日に復帰するまでの長い経過を正確に書いていました。Nさん(光風会に出品して)は昭和52年に出品から42回の出品(入選41回)と長い画歴を語っていましたが、その間のご苦労、周りの人の理解などにも感謝し、今後も絵を描き続ける覚悟で述べていました。Aさん(新年号「令和)」は新年号を祝う記念すべきエッセイ、そしてここまでの過去、これからは孫たちの世代だと言います。Iさん(放送局が丸ごと担保に)はお勤めになっていた放送局が闇のフィクサーに乗っ取られ、組合の力、「放送の灯を消すな」のスローガン、地元企業などの応援で正常の会社になる長い年月を回顧していました。Nさん(東京へ)は初めて東京に行った時の緊張、行った先で仲間に会った喜びなどを書いていました。初めて知らないところに行く時の心配は私も同感。
4月10日
コミュニティーくさつ」の編集会議。いつものように様々な話題がでては消えして3時間近くの長丁場。最後に提言のあった「老人とコンピューター」というテーマが面白そうだということでこのテーマで取材先を探そうというところで終了。
4月19日
S君のお墓参りが気になっていましたが、S夫人と京都駅で待ち合わせ大谷本廟へ。広大な境内に大きい立派な建物が並んでいます。本廟で供花、お線香。受付をすませ大きな御堂、読経のもとお焼香。法話があって終了。S君は七回忌も過ぎているとのこと。長らくの宿題を果たせた気分。あとは京都センチュリーホテルの「きざはし」で昼食。東京研究所以来30年以上のお付き合いの人との楽しい時間をすごしました。
4月28日
当地のお祭「宿場祭」の日です。曇ってはいましたが寒くもなく暑くもない良い日でした。駅前のスーパーで弁当を買い、草津川跡地公園へ。けっこうな人で賑わっています。立命館大学のラスターという旗と銃を使ったパーフォーマンスは息の合った踊り。待っていたのは甲西高校吹奏楽部の演奏。ここはマーチングステージ全国大会で優勝という実力のあるグループというだけあって圧巻の演奏。アニソンや昭和時代のヒット曲などいろいろ聞かせます。その後はカントリーで懐かしい曲を聞きましたが、メンバーには歯医者さんやおまわりさんなどもいるとのこと。合気道の実演を見て帰途に。呼び物の時代行列を見逃したのは残念です。
[今月の本]
中橋孝博『日本人の起源 人類誕生から縄文・弥生へ』、講談社学術文庫、講談社2019年
タイトル通り、人類発生までの歴史は長く、現在のホモサピエンスまでには数多くの人類が発生、消滅しているのには感嘆。そして石器時代から日本に住んでいたご先祖さんの物語。縄文人と大陸からの渡来人、稲耕作の広がりそして弥生人の誕生など話はスリルフルにすすみます。これらは全て遺骨の研究から始まっているとのですが。縄文人には抜歯の習慣があったことや弥生人には傷ついた骨が多いことなど。骨の計測結果から推測できる人の身長、顔貌の変化なども興味深く思いました。
平成もいよいよおわりです。五月1日には新しい年号令和の時代が始まります。平和な年月であるように念じています、そしてかつて経験したことのない10連休です(私のような年寄、御同輩には関係ないかもしれませんが)。どうかお楽しみ下さい。では。また。