はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2019年4月)

2019-04-30 06:45:40 | エッセイ・身辺雑記
今月の便り(2019年4月)
 東京をはじめ各地から桜の開花を知らせるニュースが放映されますが滋賀県のニュースはさっぱり。彦根の開花は平年より8日遅い4月4日だそうです。
4月3日
 老人会というと叱られるので「のんびりの会」の花見は例年どおり鎮守様の熊野神社でということになりました。この日は毎年雨でしたが今回は晴ました。晴と言ってもまだ冬の寒さ。行ってみると境内の中央の大きな桜はほぼ満開でしたが周りの新しいという桜はまだ開花したばかりという風情。
 昼食の弁当が届くまでの間と食後の時間にはクイズとボランティアの苦労はたいへんなものでしょう。私はビンゴゲームで何十番目かの賞品をゲット。これで今年の花見は終了か。
 4月7日
 今朝は大きいほうの公園でラジオ体操。満開の桜の木の下から真っ青な空を見上げてだから最高の気分です、お向かいのはくもくれんや隣の早咲きの桜も散りましたが
海棠が咲きそうです。今日は県議の選挙どうなるでしょう。
 4月9日
 弟の車で野洲川のほとりにある薄墨桜公園へ行きましたが、残念なことに花の時期は終わっていました。ついでこれも野洲川の堰堤沿いに広がる笠原桜公園へ。ここでは満開の桜並木が果てなく続いていてそのスケールは草津の名所、草津川堤とは段違い大きさです。広場や桜の花の下には家族連れが休んでいます。私たちはここのベンチでお昼を頂きました。桜並木沿いに走り、地球市民の森に寄り道して帰途に。弟のおかげで近ごろにないお花見に大満足です。
 4月10日
 「自分史」の例会。Nさん(父母の年忌法要)は大事な法要での緊張と法要後の解放感をうまく取り混ぜ巧みな構成。この人の作品は気持ちよくよめるのが身上。Iさん(台風)は昨年の9月4日の台風による被害から今年9月29日に復帰するまでの長い経過を正確に書いていました。Nさん(光風会に出品して)は昭和52年に出品から42回の出品(入選41回)と長い画歴を語っていましたが、その間のご苦労、周りの人の理解などにも感謝し、今後も絵を描き続ける覚悟で述べていました。Aさん(新年号「令和)」は新年号を祝う記念すべきエッセイ、そしてここまでの過去、これからは孫たちの世代だと言います。Iさん(放送局が丸ごと担保に)はお勤めになっていた放送局が闇のフィクサーに乗っ取られ、組合の力、「放送の灯を消すな」のスローガン、地元企業などの応援で正常の会社になる長い年月を回顧していました。Nさん(東京へ)は初めて東京に行った時の緊張、行った先で仲間に会った喜びなどを書いていました。初めて知らないところに行く時の心配は私も同感。
 4月10日
 コミュニティーくさつ」の編集会議。いつものように様々な話題がでては消えして3時間近くの長丁場。最後に提言のあった「老人とコンピューター」というテーマが面白そうだということでこのテーマで取材先を探そうというところで終了。
 4月19日
 S君のお墓参りが気になっていましたが、S夫人と京都駅で待ち合わせ大谷本廟へ。広大な境内に大きい立派な建物が並んでいます。本廟で供花、お線香。受付をすませ大きな御堂、読経のもとお焼香。法話があって終了。S君は七回忌も過ぎているとのこと。長らくの宿題を果たせた気分。あとは京都センチュリーホテルの「きざはし」で昼食。東京研究所以来30年以上のお付き合いの人との楽しい時間をすごしました。
 4月28日
 当地のお祭「宿場祭」の日です。曇ってはいましたが寒くもなく暑くもない良い日でした。駅前のスーパーで弁当を買い、草津川跡地公園へ。けっこうな人で賑わっています。立命館大学のラスターという旗と銃を使ったパーフォーマンスは息の合った踊り。待っていたのは甲西高校吹奏楽部の演奏。ここはマーチングステージ全国大会で優勝という実力のあるグループというだけあって圧巻の演奏。アニソンや昭和時代のヒット曲などいろいろ聞かせます。その後はカントリーで懐かしい曲を聞きましたが、メンバーには歯医者さんやおまわりさんなどもいるとのこと。合気道の実演を見て帰途に。呼び物の時代行列を見逃したのは残念です。
 [今月の本]
 中橋孝博『日本人の起源 人類誕生から縄文・弥生へ』、講談社学術文庫、講談社2019年
 タイトル通り、人類発生までの歴史は長く、現在のホモサピエンスまでには数多くの人類が発生、消滅しているのには感嘆。そして石器時代から日本に住んでいたご先祖さんの物語。縄文人と大陸からの渡来人、稲耕作の広がりそして弥生人の誕生など話はスリルフルにすすみます。これらは全て遺骨の研究から始まっているとのですが。縄文人には抜歯の習慣があったことや弥生人には傷ついた骨が多いことなど。骨の計測結果から推測できる人の身長、顔貌の変化なども興味深く思いました。

 平成もいよいよおわりです。五月1日には新しい年号令和の時代が始まります。平和な年月であるように念じています、そしてかつて経験したことのない10連休です(私のような年寄、御同輩には関係ないかもしれませんが)。どうかお楽しみ下さい。では。また。

今月のエッセイ(2019年6月9

2019-04-29 06:48:12 | エッセイ・身辺雑記
     大江小波著 当世少年氣質
少年文學第九(明治二十五年一月十七日出版)
 この本は八編の物語が収められていますが第二話を紹介することにしました。

        (二)十(と)才(お)で神童(しんどう)(抄)
                     自慢(じまん)は知恵(ちえ)の行止(ゆきどまり)
                     海(かい)峯(ほう)小史(しょうし)悔悟(かいご)の事(こと)

 仲(なか)通(どお)りの骨董屋(こっとうや)海野(うんの)太(た)平(へい)の倅(せがれ)は小太郎(こたろう)と云(い)ふ少(せう)年(ねん)。書(しょ)を書(か)くには極(きわて)て巧(たくみ)み。三歳(みっつ)の折(をり)いろはを書いて隣家(となり)の隠(いん)居(きょ)に舌(した)を棬(ま)かせた位(くらい)。小(せう)学(がく)校(かう)へ這(は)入(い)ってからも忽(たちま)ち校(かう)中(ちう)の評判者(ひょうばんもの)となって、やがて神童(しんどう)と云(い)い囃(はや)された。
 天稟(てんひん)備(そな)わる此(これ)程(ほど)の能筆(のうひつ)を批(この)儘(まま)日陰(ひかげ)に置(お)くは如何(いか)にも残念(ざんねん)と親父(おやじ)も其(その)氣(き)になり、或(あ)る時(とき)無心(むしん)の小太郎(こたろう)を書(しょ)画(ぐわ)會(くわい)に連(つ)れて行(ゆ)くと恐(おそ)ろしい筆(ひつ)力(りょく)に見物(けんぶつ)は舌(した)を捲(ま)いて黒山(くろやま)に成(な)って吾(わ)れもわれもと揮毫(きごう)の依頼(いらい)。新聞(しんぶん)の媒介(ばいかい)で世間(せけん)にバット廣(ひろ)まる。
 兼(やが)て貴族(きぞく)院(いん)議員(ぎいん)高山(たかやま)の御前(ごぜん)が此(この)評判(ひょうばん)を聞(きき)て一度(いちど)見(み)たいものじゃとの御(お)聲(こえ)掛(かか)り。小太郎(こたろう)は高慢(こうまん)らしく羽織(はおり)を脱(ぬ)ぎ捨(す)ててそれを親父(おやじ)にたたませ筆(ふで)を口(くち)に咬(く)はえて少(すこ)し濕(し)めし墨(すみ)を充分(じゅうぶん)含(ふく)ませて毛先(けさき)をあらためさらさらと書(か)き出(だ)す様(さま)のいかにも大人(おとな)びて小面(こつら)の憎(にく)いに最初(さいしょ)は可愛(かわい)い奴(やつ)と思(おも)って居(ゐ)た高山(たかやま)も果(は)ては少(すこ)し憎(にく)らしくなり又(また)五月蠅い(うるさい)ほどチヤチヤして云(い)うなり次第(しだい)に働(はた)き吾(わ)が兒(に)を先生(せんせい)扱(あつか)いする親父(おやじ)が苦々(にがにが)しく、成(な)る程(ほど)親(おや)が此(この)風(ふう)では所詮(しょせん)倅(せがれ)も物(もの)にはなるまい、惜し(おし)いことに折角(せっかく)の才(さい)も、もう是(これ)迄(まで)で後戻(あともど)りかと眉(まゆ)を顰(ひそ)めて寧(むし)ろ他(よそ)を見(み)て居(ゐ)た。
 此方(こちら)は一生懸命(いっしょうけんめい)。やがて二枚(にまい)ほど書上(かきあ)げて尚(なお)續(つづ)けて書(か)こうとするのを「もう能(よ)かろう」高山(たかやま)に止められ小太郎(こたろう)は其儘(そのまま)筆(ふで)を置(お)く。太平(たへい)は嬉(うれ)しそうに書(か)いてある紙(かみ)を取(と)って高山(やかやま)に差(さ)し向(む)け褒美の詞(ことば)を待(ま)って居(ゐ)る様(よう)な顔付(かおつ)き。高山(たかやま)は只(ただ)一寸(ちょっと)見(み)た斗(ばか)りで≪フウン≫と鼻(はな)であしらい更(さら)に褒(ほ)める氣(けしき)色も無(な)い。
《時(とき)に太(た)平(へい)!お前(まえ)の倅(せがれ)はまだ十一か十二で此(これ)丈(だけ)立派(りっぱ)に書けるのは如何(いか)にも感心(かんしん)な者(もの)じゃが・・・・まさか書家(しょか)になる心算(つもり)ではあるまいな?》と云(い)うと《何卒(なにとぞ)立派(りっぱ)な書家に致(いた)したいものだと存(ぞん)じまして・・・・》
《フウン・・・・小太郎(こたろう)お前(まえ)も其(その)心算(つもり)か。お父(とう)さんの云(い)う通(とお)り成人(おおきく)なったら書家(しょか)になる氣(き)か》と尋(たず)ねると問(と)うに及(およ)ばずと云う風(ふう)で、造作(ぞうさ)も無(な)く答(こた)えた。
 高山(たかやま)は《・・・人(ひと)の前(まえ)へ出(で)て字(じ)を書(か)いて見(み)せる様(よう)な事(こと)では到底(とうてい)人(ひと)の玩(ぐあん)弄(ろう)物(ぶつ)たるに過(す)ぎん。そんなつまらん事(こと)をするよりもっと氣(き)の利(き)いた事(こと)をして天下(てんか)の為(ため)に盡(つく)しては如何(どう)か》
 高山(たかやま)小太郎(こたろう)の前(まえ)にあった印材(いんざい)を取(と)り上(あ)げ傍(そば)に居(ゐ)る太(た)平(へい)に見(み)せて《太(た)平(へい)!此(この)印(いん)と小太郎(こたろう)と何方(どっち)が愛(を)しいか》と云(い)いながら其(その)印材(いんざい)を突然(とつぜん)間(ま)近(ちか)い御影石(みかげいし)の手(て)水(うず)鉢(ばち)目がけて打(う)ち付(つ)けると印(いん)は直(まつ)二(ふた)つ。
 《これ太(た)平(へい)!今(いま)云(い)うた事(こと)をもう忘(わす)れたか。印材(いんざい)など幾個(いくら)でも代(かはり)は出(で)来(き)る。然(しか)し小太郎(こたろう)に代(かは)りは無(な)いぞ》と厳(きび)しく窘(たしな)められて太(た)平(へい)一(いち)言(ごん)もなし。
 更(さら)に小太郎(こたろう)を見(み)ると何(なに)思(おも)ふたか両手(りょうて)を突(つ)いて平服(へいふく)して居(ゐ)る。高山(たかやま)は其(その)顔(かお)をのぞいて物(もの)和(やわら)かに《如何(どう)じゃ小太郎(こたろう)!私(わたし)の云(い)うことが解(わか)ったか?》と力(ちから)を入(い)れて尋(たず)ねると小太郎(こたろう)は只(ただ)俯(うつ)視(む)いたまま《ハイ・・・・》
 高山(たかやま)は小膝(こひざ)を打って
 《ウン 流石(さすが)!それでこそ神童(しんどう)じゃ。私の云(い)うことが解(わか)ったら印材(いんざい)の代(かは)りに私(わし)が遣(や)る物(もの)がある。》
 云(い)いながら書棚(しょだな)の隅(すみ)から洋綴(ようとじ)の本(ほん)を取(と)り出(だ)して小太郎(こたろう)の前(まえ)へ置(お)いた。頂(いただ)いて其(その)端(はし)を見(み)ると黒革(くろかわ)に金字(きんじ)で
―『西洋(せいよう)立志(りっし)編(へん)』
平成31年4月