はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2020年6月)

2020-06-30 06:36:55 | エッセイ・身辺雑記
今月の便り(2020年6月)
 月の初めに思ったのはもう6月、年の半分まできたのかというのが感想でした。初旬は快晴、暑い日が続きましたがまもなく梅雨。全国的にコロナウイルスの感染者は減り緊急事態宣言が解除になりましたが東京や北九州ではまだ感染者が確認されています。
 10日。関西も梅雨入りしました。梅雨は40日続くとか。
6月10日
 2か月ぶりの「自分史を作ろう会」の例会。Nさんは不調で欠席でしたが。Sさんが新たに加わりました。外出自粛などの後ですから皆さんニコニコ。
 私とAさんを除き、コロナ特集というところ。
Aさん(初孫との一日)大学も決まった初孫との一日を描写。嬉しくて楽しくてを書きつくしたという微笑ましい作品。読むほうも楽しくなります。Iさん(「コロナ」雑感)はコロナ禍の現状を展望。「巣ごもり」の日々を書いていましたがかつてテレビ局で編成をしていたというIさんの目が光ります。Nさん(懐かしい手帳)はコロナのために家にいる時間に始めたアルバムの写真整理の際目に止まった二十年前の手帳を開き、その年の忙しかったことや周りの人との思い出を並べていました。Kさん(いつもの空を)はコロナのための外出自粛の間に行った洋裁でたくさんの作品ができたが何だかいつものように楽しくないと言い、人に会って歌いたい、文章のサークルや句会でなど何時もの出来事がいかに大事だということに気がついたと述べています。そして娘さんとの楽しい交流にも触れていますが「コロナもういいよ」などと楽しい日々が戻ることを願っていました。Nさん(外来カタカナ語)ではコロナの外出自粛で家のこもっていた間に見たテレビや新聞に登場する外来カタカナ語にうんざり。そして外来カタカナ語が許容できるかというアンケートの結果を引用していますが、これからはカタカナ語が重視されるのではないかと言います。Iさん(「マスク」)はまだ病院自動販売機で買ったマスク、十年前のインフルエンザ流行時の旅行の際に手に入れたマスク、自治会からのマスク50枚、包括センターからの15枚のマスの驚いたと書いていますが「安倍マスクはいっ届くのでしょう」と結んでいました。
和やかで楽しい例会。人と会ってお喋りは何よりです。
6月17日:90歳の誕生日、NPOの知的障碍者支援センターで一緒に働いたTさ
夫妻から大きな花束、豪華なお弁当と紅白のお饅頭、友人Mさんからアイスクリー
ムと胡蝶蘭、息子の一家からはお祝いの大きなカードの写真、和歌山のフルーツポン
チ、Kさんからチーズケーキとフルーツヨーグルト、KさんとSさんからお祝いの電
話、弟からお祝いのメールなどたくさんなプレゼントと今までにないハッピーなバー
スデーでした。
 6月22日
 コミュニティー事業団の季刊詩「コミュニティーくさつ」の編集会議。何か月ぶ
りとあってほとんどのメンバーが出席。事務局からこの巣ごもりの間何をしていた
かの質問があって。その答えはいろいろ。畑に専念した人、囲碁の勉強をしたなどの
ほか散髪にいけなかった。歯医者さんにもなどとう苦情も。例によって前号(3月号)
の紙面の解説など。9月号の記事提案などで終了。使用されていた会議室が100人用
といいますが反響が強く聞き取りにくいこと。どんな記事が出来るのでしょう。
[今月の本]
・浅井了意 玄著 江本裕訳『近世怪異小説の傑作 伽婢子(おとぎぼうこ)』、教育
社親書(原本現代語訳)39、教育社
近世初期に刊行された怪異小説集とありますが中国の『剪燈新語』などに想を得た
作品が多く、長い話も多くてあまり面白いとは思いませんでした。しかし、固有名詞の注解が詳しいのが助かります。全体に仏教的な勧善懲罰風の説話が多いようにも思いました。
・福永武彦ほか訳『お伽草子』ちくま文庫、筑摩書房。1991年(第2刷)
 名前は知っていてもこんな長いお話だったのかと感心。内容も今まで読んだり聞い
たりしたのとは少し違っています。でも枕元ですこしずつ読んでいくのは子どもに戻
ったかのような気持ち(現在進行中)。

 こうして2020年の半分は過ぎて行きます。降ったり晴れたりの梅雨の日が続きい
ますがこの夏は例年よりも暑いとか。東京などではまだコロナの感染者が増えていま
すがお元気で。では、また。              

今月のエッセイ(2020年6月)

2020-06-29 06:48:33 | エッセイ・身辺雑記
シリーズ『名著復刻日本児童文学館』(ほるぷ出版 昭和四十六年)の一          「おもちゃの蝙蝠(こうもり)」
冊、佐藤春夫『蝗(いなご)の大旅行』、改造社(大正十五年)より。佐藤春夫(明治25年~昭和39年)は「さんま苦いか塩っぱいか」のフレーズで有名な「秋刀魚の歌」の作者です。本書の一編「おもちゃの蝙蝠(こうもり)」はちょっと可愛いお話です。

あるところに一匹のコーモリがいた。それはオモチャで、ボール紙を切り裂いてその上に紫色のアートペーパーがはりつけてあった。そして小さなゼンマイ仕掛けでバタバタと飛ぶように出来ていた。
ところがある日、このコーモリがこれをこしらえた職人の所に帰って来た。それは街に青い瓦斯(ガス)燈がまたたき出した頃で、職人が一日の仕事を終えて煙草に火をつけて一ぷく吸っている時であった。
その時、職人はむこうの角のほうから地面とすれすれに鳥のようなものがヒラヒラとこちらに飛んで来るのを見た。
しかし職人はすぐそれが自分のこしらえたコーモリであるということに気がついた。はて何か忘れた仕掛けでもあったかな|あんまりゼンマイが弱すぎていたかなあ|と思いながらと見つめているとコーモリは窓から職人の坐っている仕事台の上にコツンと降りた。 
「どうしたんだい?」
職人はやや心配しながら、またいたわるように問(たず)ねた。
するとコーモリの言うには
「天が高うて昇られない。」
「そうか。」と言って職人はやはりゼンマイが弱かったと思いながら新しいゼンマイを取りかえてそれを巻くとコーモリを手に持ったままおさえていた羽根をはなした、パタパタパタ・・・・・と飛んで来た時の元気なさにくらべてヒコーキのように威勢よくそれは羽ばたきを始めた。
「オーライ!」
職人はこう叫んでコーモリを窓から投げ出してやった。するとコーモリはそのままツーとまっすぐに消えて行ってしまった。
ところが次の日の夕方にまたそのコーモリが舞い戻って来て言った。「天が高くて昇られない。」
職人はそうかと気軽に言って今一度、新しい、そして丈夫なゼンマイをとりかえてはなした。今度は、コーモリは前と反対に西の方へ速く飛んで行った。
ところがコーモリはその次の日も同じようにもどって来て、同じことをくりかえした。
「天が高うて上られない。」
やっぱり同じことを言うのである。何と手のやけるコーモリだなあーと職人はいくらか気をくさらせながらもブリキ製の機関車についていた一番強いゼンマイと取りかえてはなしてやった。すると三度目にコーモリはまっすぐ公園の空に向かって大へん元気よく、それこそ矢のように、鳥のように高く昇っていって行ってしまった。パタパタパタ。
そうして次の日も、またその次の日もコーモリは姿を見せなかった。で、職人は今度こそ大丈夫、天に昇ったことだろうと思った。するとその三日目にまたもや舞い戻って来たではないか。
「天が高うて昇られない。」
「もう取りかえてやろうにもゼンマイがないのだ。」職人は何だかいまいましそうにこう言った。それを聞いてオモチャのコーモリは泣いた。

 そのオモチャのコーモリが昨夜、私の窓にヒラリと飛びこんで、
「何事も人だのみでは駄目だ。ほんとうのコーモリになりたい。」
と言って泣いた。  |これでおしまい|
                                              2020年6月