はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2022年1月)

2022-01-30 06:49:05 | エッセイ・身辺雑記
今月の便り(2022年1月)
 今年は寒い年になりました。毎日が西高東低とかで風が強く時たま雪も。また14日には10センチほどの積雪が。いっぱい着込んでも寒いのは年のせいかもしれませんが。
◆今年のお正月
 今年は久しぶりの東京の息子一家が来ました。12月29日、東京を夜の8時に発ちますという電話がありそちらには3時くらいと言っていましたが着いたのは30日朝の5時。30日お昼ごろ起きてきた孫3人を見ると前より背が高くなり見上げるばかり。上二人は大学生でそれなり貫禄が出ています。末の男の子の誕生日は29日なのですが30日にバースデー。ケーキとカミさん手作りのミートパイでお祝い。
31日には5人揃って墓参。弟の家を訪問。息子が古くなった蛍光灯の交換、LEDシーリングライトへの交換などをしてくれたので家中明るくなりました。
元旦には揃ってお雑煮。今日はママの実家、静岡に寄って東京に帰るという慌ただしさ、夜は三人の孫とお別れ。お正月の三日など夢の一瞬です。孫たちも「死なないで」「100歳まで生きてね」などと別れを惜しみます。車を見送ると年寄り二人じゃいつもの暮らしです。
1月12日
「自分史を作ろう会」の例会。女性のIさん(電動車)は知り合いに教えてもらった電動車に並々ならぬ関心を持ち包括センターの世話でやってきた電動車への驚きとその試運転に興奮。自転車で止まる時と電動車での違いに感嘆。しっかり書けたエッセイでした。男性のIさん(家庭菜園の終わり)60歳の定年後20年続けてきた家庭菜園を思わしくない体調のため終わることにしたという一文。中で触れられているエピソードのいくつは知っているため、筆者の寂しさが伝わってきます。しかし収穫物の喜びや畑仲間と交流など楽しかった思い出も蘇るようです。Aさん(ゴルフの思い出 ⑨人の性(さが))みにくいプレイ)は長いゴルフ歴の間で見てきたスコアのごまかし、スコアを上げるための変な行動、そして自分自身をかした嘘などを述べ、勝負事は負けて当たり前、負けて相手に喜びを与えて幸せと言う境地に達したという結びになっていました。Nさん(年末年始の様変わり)は母親から伝わってきた年末年始でのしきたりが詳しく述べられていますがそのしきたりも私から嫁、そして娘にと薄らぎながら続いている様子がきちんとまた要領よくまとめられていました。
[今月の本]
 『ちくま文学の森9 怠けものの話』筑摩書房一九八九年
 再読なのですが何も覚えていないものです。数知れない怠けものの話が登場するのですが、怠けるのには覚悟がいるのか生まれつきなのか分かりませんが、驚くやら呆れるやらの連続でした。どれを上げればいいのかと思いますが、冒頭のO・ヘンリーの「警官と讃美歌」という短編が印象に残りました。以前のこの人の短編集を読み洒落れた作品が多いなあと思った経験があるのかもしれません。
 急速なオミクロン株の蔓延に驚いていますが本県でも感染者の数は膨大。私は3回目のワクチン接種を受けますが何とも恐ろしい状況です。寒さが続きます。コロナの終息を願うしかありませんが。お気をつけて。では、また。


今月のエッセイ

2022-01-29 06:33:23 | エッセイ・身辺雑記
お正月
        今年の年賀状 
 今年92歳になるのでそろそろ「今年で年賀状を欠礼します」というのを出してもいいかなと思ったりしますがなかなか決心は出来ないものです。
 今年もたくさんの賀状を頂きました。市販の年賀状に宛名だけというのもあり、写真や干支の虎の絵などをプリントしたものありと様々ですが、以前のように手の込んだ版画などは見当たらなくなりました。けれど、一行でも添え書きがあるとその人の顔を、その時代の空気を思い出すものです。その言葉で最も多いのが「お元気ですか」かな。「コロナが一日も早く終息していつもの日に戻りたいものです」も多かったように思います。
 具体的に見ていくと一枚目はカオルちゃんからのもの。四十年も前に大阪で働いていた会社の同じ部門で同室だった人。よく気のつく明るい声の女性で男の双生児のお母さん。今は元気なおばあちゃんでしょう。
 第二の勤め先になった会社の二人の年賀状も楽しみの一つ。いろいろ苦労を共にしたかって同室の主任、後に工場長になったTさんの新しい工場での活躍、かつては新入社員、今は専務になったIさんからは新薬の話題などを聞くのもたいへん嬉しいものです。
こういうのもあります。長男はどこに住んでいて、次男はどこの大学、次女はどこで仕事と詳しく書いてあります。また、家族全員やご本人とペットという写真もあります。写真ではありませんが何十年も続いているのが家族全員の似顔絵、近年は夫婦お二人のものになりましたが写真よりも二人のイメージが浮かんでくるのが不思議です。
       七人のお正月
 われわれ二人も息子の一家五人も二度目のワクチン接種がすんだということで何年ぶりになるのかわが家でお正月を祝いましょうとなりました。
 12月29日の夜8時に東京から発ちます、そちらには深夜の3時ごろになりますという電話だったのですがやっと着いたのは5時。後で話を聞くと途中でトンネル内の火事があったためだそうです。
 30日のお昼ごろ起きてきた孫三人を見ると前よりも背が高くなり見上げるばかり。上の男の子には大学生らしい貫禄が見え隠れしていますし、二番目の孫娘も大学生で大人になった感じ。末の男は高校生のあどけなさが残っています。
 末の孫の誕生日は12月29日なのですが30日にバースデーパーティ。近くの洋菓子店に頼んであったケーキとカミさん手作りのミートパイでお祝い。31日には五人揃って隣の大津市へ行き、弟の家を訪問。お墓参りも済ませてくれました。私はお正月にお祖父ちゃん、お祖母ちゃんの家に、ましては叔父さんの家に行ったことがないので羨ましいような気がするのです。
 年寄り二人の家では、あちこちの部屋の古くなった蛍光灯がちかちかしたりするのですが、どうにも手が出ません。息子が来た時の宿題としての残してあったのですが、電球や蛍光灯の交換、LEDシーリングライトとへの交換あるいは工事の手配などをしてくれたので家中が明るくなりました。
 大晦日には恒例の紅白歌合戦があり若い人は熱心に見るのかと思っていましたが上の二人は別の部屋に行き、スマホで映画を見ていたというのは意外でした。私、御老人は早々とご就寝。
 元旦には揃ってお雑煮。今日はママの実家、静岡に寄ってから東京に帰るという慌ただしさ。年末、年始の三日間など夢の一瞬のように過ぎていきます。
 一日の夜は孫三人との別れです。集まった三人とハグ。いよいよ出発です。口々に「死なないでね」「百歳まで生きてね」などと言います。道を曲がるまで車の窓から手を出して振っていたのは誰でしょう。
 五人が帰り、急に広くなったわが家の年寄り二人はいつもの暮らしに戻るのです。
二〇二二年一月