はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月のエッセイ(2018年6月)

2018-06-28 06:56:40 | エッセイ・身辺雑記
   西瓜物語
  小学生だったか中学に入っていたかのことですから昔の話です。
 井戸に吊り下げていたか、井戸水を張ったたらいに入れておいたのかは覚えていませんが、母親が「今日は西瓜よ」と言うと全員が母の手元、切り分けた西瓜を見つめています。西瓜を手にするとみんな猛烈な勢いで種を飛ばしながら食べますので忽ちお八つの時間は終わりで、西瓜の皮が山積みになります。
 いちばん上の私は「この皮は豚にやろうよ」と弟たちを連れて十五分だったか二十分だったか知り合いの家の豚小屋までぞろぞろ。豚はたちまち西瓜の皮を平らげます弟たちはそれを見て大はしゃぎ、帰り道でも「ぶたさん、ぶーぶー」と出まかせの歌に声を張り上げます。
                  
 その後、どこでどんな西瓜を食べたのか覚えていませんが、比良山の山小屋の弟やその仲間たちに西瓜を届けたことがありました。駅からその山小屋までの登り道、手にしただけならそれほど重いものではありませんが長い道、それも山道では肩に食い込む重さなります。私はもう社会人になっていたと思います。
 社会人だった時の西瓜の思い出はこうです。三十歳前後に初めて家を出ました。住んでいたのは会社の寮、所帯のある人もいましたが多くは独身者。朝食と夕食は管理人が作ってくれます。
 ある夏のことです。夕飯に西瓜が一切れついていました。家にいてもあまり食べることの少ない西瓜です。家でも西瓜を食べているのかなあなどとちょっぴり里心が出てきますが管理人の気配りをありがたく頂きました。
                 
 かつて製薬会社の非医薬品部門の食品添加物研究班に在籍していた時、温度と甘味の関係を示した図を見たことがありますが、温度が低くなるほど舌が感じる甘味は弱くなのるので冷たい食品を作る時は充分過ぎるほど甘味料を加えなくてはならないのを知りました。そして今、身の周りを見渡してみると冷たいものならコンビニで買った飲み物がありますし甘いものも身の回りにいくらでもあります。あまり甘くもない西瓜などふり返ってもらえなくなりました。
 スーパーに行くと丸ごとの西瓜は売っていますが、少子高齢化と言われる現在あまり売れないのかずいぶん高い値札がついています。
 西瓜は八分の一または十六分の一のもの、さらにサイコロのような形に切り透明なプラスチック容器に納めたものが並んでいます。わが家ですか。夏に一度は西瓜と言いながら八分の一を買ってきて食べますが、年寄二人でははしゃぐ気にもなれずいつの間にか食べ終わってしまうものです。

 私たちの地区では毎年児童遊園で地蔵盆が開かれます。お地蔵さんの前にはテントが立てられ、近くのお寺の住職さんがお経をあげ子どもたちに法話を聞かせるほかはまさに夏祭り、地区のおじさんやお母さん手作りの焼きそば、五目飯、大福餅などなどなんでもありですが、ハイライトは何といっても西瓜です。
 「おーい、西瓜切るぞ」の声に子どもたちは駈けより息をつめて西瓜を切る手元を見詰めます。包丁が入り二つになると一斉に「おー」とか「わー」。この様子は昔と一つも変わりません。そして切り分けられると八方から手が伸びます。子どもたちはやはり西瓜が好きなのです。子どもたちは汁を流しながら種を吐きだしながら、走り回りながら西瓜を食べます。

何日か後、ラジオ体操にこの児童遊園に行くと、地面一面に何かの芽が無数に出ています。しばらく考えましたが西瓜の芽です。夏祭りの後に降った雨で発芽したのですが、晴れた日が続いて忽ち消えてしまいました。ところが生きのびたのがいたのです。この小公園の入口に近いところにつるを伸ばして葉をつけ、やがて花を咲かせた株があるのです。そのうち実をつけ思いがけない早さで大きくなりました。ただ残念なことに鳥が突っついたのか小さな穴があきました。だれが持ってきたのか金網かごで覆いましたが腐り始めて姿を消しました。
 情けない結末ですが、私の西瓜物語はこれでおしまいです。
 2018年6月


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