私は、幼児から母親から厳しく指導されて育った。
「男の子は獅子の子」に育てる。
それは、母親の思い込みによる幻想のようなものであったのかもしれない。
その私に比べて性格が優しい2歳年上の姉の晶子は、両親に可愛いがられていたのだ。
だが、好き嫌いが激しい晶子は、小学校の給食を完食できず、しばしば残して帰宅していた。
担任の教師から給食を残したことを厳しき指導された晶子は、その後は持参したタオルで残した給食包み自宅へこっそりと持ち帰る。
私5歳の私は、姉が持ち帰る美味しそうな給食の残りを楽しみにした。
姉は幼稚園を卒業したが、私は保育所に預けれた。
母親の洋子は私立の女学校の社会科の教師であり、社会主義者でもあった。
父親の洋三は、大手企業の傘下の企業の経理部の責任者だった。
私は、幼稚園卒業の姉に嫉妬していた。
このため、小学校では、幼稚園出の子ども知り、その子たちをターゲットにいじめに走っていたのである。
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