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最後は勝つ

2019年05月29日 20時19分39秒 | 社会・文化・政治・経済

真に立ち向かうべきは自分自身の諦めの心だ。
人生の劇にどんな波乱があろうとも、最後は勝つ。

奉仕は他者を幸福にし、自身も幸福にする―ガンジーの言葉

真に立ち向かうべきは自分自身の諦めの心だ。

人生の劇にどんな波乱があろうとも、最後は勝つ。

奉仕は他者を幸福にし、自身も幸福にする―ガンジーの言葉

人間はその人の思考の産物にすぎない。 人は思っている通りになる。
もし、過ちを犯す自由がないのならば、自由を持つ価値はない。
「目には目を」という考え方では、世界中の目をつぶしてしまうことになる。
未来は、「今、我々が何を為すか」にかかっている。

平和への道はない。平和こそが道なのだ。

目的を見つけよ。手段は後からついてくる。
強さとは、身体能力ではなく、不屈の精神から生まれるものだ。
あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。

英語の名言・格言【ガンジー】

 

 


Mahatma Gandhi
マハトマ・ガンジー(1869年~1948年)

 

インドの弁護士、宗教家、政治指導者。インド独立の父と称される。


無差別殺人事件

2019年05月29日 18時31分26秒 | 社会・文化・政治・経済

附属池田小事件は、2001年(平成13年)6月8日に大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した小学生無差別殺傷事件である。
本事件の犯人・宅間 守(たくま まもる)元死刑囚は、以降“宅間”と呼称する。
2001年6月8日10時20分ごろ、大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った宅間が侵入し、次々と同校の児童を襲撃した。
結果、児童8名(1年生1名、2年生7名)が殺害され、児童13名・教諭2名が傷害を負った。宅間は、校長や別の教諭にその場で取り押さえられ、現行犯逮捕された。
宅間は最後の一人を刺し終えた瞬間、凶器である出刃包丁を自ら落として、「あーしんど!」と呟いたという。

2005年2月14日 - 大阪府寝屋川市・寝屋川市立中央小学校。
同校OBの男が校内に侵入。
包丁で教師2名に斬り付け1名が死亡、もう1名が負傷。

2005年6月10日 - 山口県光市の高校で、18歳の在校生が手製爆弾を教室に投げ込み、1名の重傷者を含む58名が負傷した。
犯人はいじめを受けていたと発言している。

秋葉原通り魔事件(あきはばら とおりまじけん、英語: Akihabara massacre)とは、2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。7人が死亡、10人が負傷(重軽傷)した。マスメディアや本件に言及した書籍においては秋葉原無差別殺傷事件と呼ばれることが多い。

荒川連続自転車通り魔殺傷事件(あらかわれんぞくじてんしゃとおりまさっしょうじけん)とは、1959年(昭和34年)1月に発生した連続通り魔殺傷事件である。
1974年に犯人特定・逮捕には至らないまま公訴時効が成立し、未解決事件となった。

池袋通り魔殺人事件(いけぶくろとおりまさつじんじけん)は、1999年(平成11年)9月8日に発生した通り魔事件
1999年9月8日午前11時40分頃、東京都豊島区東池袋の東急ハンズ前で当時23歳の男Zが包丁と金槌で通行人を襲い、2人(66歳女性と29歳女性)が死亡し、6人が重軽傷を負った。

茨木市連続ひき逃げ事件(いばらきしれんぞくひきにげじけん)とは、2004年11月18日に大阪府茨木市内で乗用車が暴走し、通行人5名が次々にはねられ死傷した無差別殺人事件。
2004年11月18日午前6時過ぎ、茨木市内中穂積-下穂積の路上で乗用車が暴走し、通りかかった自転車の男女5名を次々とはね、民家の生垣に衝突して停止した。運転していた韓国国籍で新聞販売店従業員の容疑者も意識不明の重体となった。

大阪個室ビデオ店放火事件(おおさかこしつビデオてんほうかじけん)は、2008年(平成20年)10月1日に大阪府大阪市浪速区難波中の個室ビデオ店で発生し、16人が死亡した放火事件である。

大阪此花区パチンコ店放火殺人事件(おおさかこのはなくパチンコてんほうかさつじんじけん)とは、2009年(平成21年)7月5日に大阪府大阪市此花区のパチンコ店が放火され、5人が死亡した殺人事件。

熊野一族7人殺害事件(くまのいちぞくしちにんさつがいじけん)とは、1980年(昭和55年)1月31日夕方に三重県熊野市二木島町の集落で7人が殺害された大量殺人事件。

新宿西口バス放火事件(しんじゅくにしぐちバスほうかじけん)とは、1980年(昭和55年)8月19日夜に東京都新宿区の新宿駅西口バスターミナルで路線バスの車両が放火され6人が死亡・14人が重軽傷を負った事件。

青酸コーラ無差別殺人事件(せいさんコーラむさべつさつじんじけん)とは、1977年(昭和52年)1月4日から2月半ばまで、東京・大阪で起こった無差別殺人事件である。シアン化ナトリウム(青酸ソーダ)入りのコカ・コーラを飲んだ会社員らが死亡した。毒入りコーラ事件とも呼ばれる。

館山市一家4人放火殺人事件(たてやまし いっか4にん ほうかさつじんじけん)とは、2003年(平成15年)12月18日未明、千葉県館山市八幡で民家が放火され、住民の一家4人が死亡した連続放火・殺人事件である。
この事件の犯人の男T(本事件犯行当時40歳の土木作業員、現在は死刑囚)は、本事件から5年前の1998年(平成10年)2月11日にも、同市北条のキャバレーを放火する事件を起こし、男性1人を死亡させていた。

土浦連続殺傷事件(つちうられんぞくさっしょうじけん)とは、2008年(平成20年)3月19日と同23日に、茨城県土浦市で発生した通り魔事件。男K(犯行当時24歳、2013年に死刑執行)が、持っていた刃物で相次いで人を刺し、2人が死亡、7人が重傷を負った。

津山事件(つやまじけん)または津山三十人殺し(つやまさんじゅうにんごろし)は、1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。一般には津山事件と呼ばれ、犯人の姓名を取って都井睦雄事件ともいう。
犯行が行われた2時間足らずの間に28名が即死し、5名が重軽傷を負った(そのうち12時間後までに2名が死亡)。
なお、犯行後に犯人が自殺したため、被疑者死亡で不起訴となった。
横溝正史の小説『八つ墓村』、および西村望の小説『丑三つの村』のモチーフになった事件である。

西鉄バスジャック事件(にしてつバスジャックじけん)は、2000年(平成12年)5月3日に発生した当時17歳の少年によるバス乗っ取り(バスジャック)事件である。本件は西鉄高速バス乗っ取り事件や佐賀バスジャック事件のほかにもインターネット掲示板の2ちゃんねるに犯行予告の書き込みが残されており、その時のハンドルネームからネオむぎ茶事件(ネオ麦茶事件)とも呼ばれた。

西成区麻薬中毒者殺人事件(にしなりくまやくちゅうどくしゃさつじんじけん)とは、1982年(昭和57年)に大阪市西成区で起こった無差別殺人事件である。
1982年2月7日午前9時45分、Hは自宅のアパートで妻A子をめった刺しにして殺害。息子のBも刺して重傷を負わせた。さらにアパートの住人も次々と包丁やハンマーなどで襲い、結果的に5分の凶行で4人が死亡し、3人が重軽傷を負う大惨事となった。その後、Hは路上をうろついていたところを警察に取り押さえられて逮捕される。

八王子通り魔事件(はちおうじとおりまじけん)、または八王子市内ショッピングセンター内における通り魔殺人事件(東京地検による呼称)、八王子市内ショッピングセンター内通り魔殺人事件(法務省法務年鑑による呼称)とは、2008年7月22日に東京都八王子市のショッピングセンター内で発生した通り魔事件。

深川通り魔殺人事件(ふかがわとおりまさつじんじけん)とは、1981年(昭和56年)6月17日午前11時35分頃、東京都江東区森下二丁目の商店街の路上において発生した無差別殺人事件。
茨城県鹿島郡出身の元トラック運転手で寿司職人の経歴を持つ男(当時29歳)が商店街の路上で、主婦や児童らを包丁で刺し、児童1人と乳児1人を含む4人が死亡、2人が怪我を負った。

 


ホストの急性アル中死は「労災」

2019年05月29日 17時35分27秒 | 社会・文化・政治・経済

 大阪地裁、業務との因果関係認める

5/29(水) 産経新聞

大阪・ミナミのホストクラブで平成24年、ホストの男性=当時(21)=が多量の酒を飲まされて急性アルコール中毒で死亡したのは労災だとして、大阪地裁(内藤裕之裁判長)は29日、遺族補償などの給付を認める判決を言い渡した。

遺族が大阪中央労働基準監督署の不支給処分を不服とし、取り消しなどを求めて提訴していた。

 内藤裁判長は判決で、男性が同僚ホストらによる飲酒の強要に対し事実上拒否できない立場であったと認め、「業務と急性アルコール中毒との間には相当の因果関係が認められる」とした。

 男性は24年8月1日朝、勤務先の大阪市中央区心斎橋筋のホストクラブ店内で倒れているのを発見され、その後、急性アルコール中毒で死亡。遺族はホストクラブの経営会社らに8600万円の損害賠償を求めて提訴し、大阪地裁は今年2月、会社の使用者責任を認め、会社側に約7300万円の支払いを命じていた。

 この訴訟の判決理由で、地裁は遺体の解剖結果や客の証言などから、男性が同僚ホストから多量の飲酒を強要され嘔吐(おうと)した後、暴行されてさらに酒を飲まされ、泥酔状態のまま放置され急性アルコール中毒で死亡したと認定。

 一方、店では普段過度の飲酒をしないよう指導していたなどとして、経営者らへの賠償請求は認めなかった。


徹と妹

2019年05月29日 12時58分37秒 | 創作欄

小学生の頃、川辺の岩に座って身を乗り出して、魚を見ていた5歳の妹の由梨が足を滑らせて、約2㍍の水中に沈んだ。
それを徹はじっと見ていた。
その時、徹の目は現実を捉えていたのに、心はあらぬ方向にあった。
妹を救わなくてはならないという当然の感情が起こらなかった。
向こう岸の岩に座る同級生の松江のブルーのワンピースの陰の、白い三角に見えるパンツに目が釘付けになっていたのだ。
徹の友達二人が咄嗟に衣服のまま川にダイビングするのを、徹は他人事のように見詰めていた。
松江の悲鳴に徹は向こう岸を注視した。
妹は一度浮き上がってくると、体を上向にすると両足でバタバタと水面を蹴っていた。
その体は背泳のようにグイグイと川の中央に前進してゆく。
岩場の川幅は10㍍余だった。
妹は泣き叫んでいるようで、水間に口をパクパクさせていた。
口を開ける都度、川の水を飲み込んでいるのだろう。
友達二人は妹の体を両側からつかんだ。
その途端、二人は妹にしがみつかれて、身動きできなくなり、一つの塊となり、浮き沈みしながら下流へ流されて行った。
それはまさに徹にとって悪夢を見るようであった。
そこへ偶然、大人の男性が通りかり、妹を救ってくれた。
必死の妹は小学生の友だちの体から手を離し、体の大きな大人にしがみついたのだった。
徹はしばらく大人の男性と妹が流されてゆくのを小走りで岸に沿って追ってゆくだけだった。

水難事故:助けた人までが死ぬのはなぜか?

溺れた人からしがみつかれて、助けた人まで身動きがとれなくなり共に溺れることが要因。


川柳、俳句、短歌

2019年05月29日 12時11分29秒 | 沼田利根の言いたい放題

思えば、日本人は感性が実に豊だと思う。

皇居で新春恒例の「歌会始の儀」。
世界に類例のない行事であろうか。

また、新聞の読者の投稿を読み、それぞれの思い、意見などに「なるほど、その通り!」と共感し賛辞を贈りたい気持ちにさせられる。
想うに、諸外国の新聞や雑誌に、我が国のような読者の投稿欄はあるのだろうか?
投稿欄をまとめたら、何冊もの書籍となるだろう。


芸術の原点 先祖伝来のDNA

2019年05月29日 11時54分46秒 | 社会・文化・政治・経済

言葉を超える創造の力

AI(人工知能)にはできないが、人間にはできる、人間にしかできないこと。
つまりゼロから何か創造する力。
芸術の原点はそこにあります。
未来を想像し、それに向かってモノを創ってゆく。
人間にしかできない仕事ができる人材を育ててゆく。
日本の漫画の原点と言われるのが「鳥獣戯画」です。
カエルとウサギに相撲を取らせるなど、実にユーモアたっぷりです。
またこれに先んじて「源氏物語」など、想像力と創造性にあふれた小説が書かれ、それを絵巻にして楽しむ文化が生まれた。
英国でシェークスピアが出てくるはるか前の時代ですよ。
絵画を使えば、文章だけでは表現できない人間の心の機微が表現できます。
それが漫画の原点です。
我々日本人の中には、豊かに想像したものを絵画や漫画として表現して楽しむ先祖伝来のDNAが古くから宿ってきたのでしょう。
文星芸術大学 ちばてつやさん


近畿大学生 一気飲みで死亡 一緒にいた12人を書類送検

2019年05月29日 11時32分45秒 | 投稿欄

2019年5月27日 NHK

おととし、近畿大学の20歳の男子学生がサークルの集まりで一気飲みをしたあと意識を失い、その後死亡したことについて、警察は一緒にいた12人が救急車を呼ぶなど適切な措置を取らなかったとして保護責任者遺棄致死の疑いで書類送検しました。

近畿大学の2年生だった登森勇斗さん(20)は、おととし12月に東大阪市の飲食店で開かれたテニスサークルの集まりで、ビールのほかショットグラス20杯分のウオッカを一気飲みしたあと意識を失い、翌日死亡しました。

警察によりますと、急性アルコール中毒の影響で吐いたものがのどに詰まり窒息死したとみられ、登森さんの両親が去年、一緒にいた学生らを刑事告訴していました。

警察によりますと、集まりに参加していた上級生や介抱のために呼ばれた学生ら合わせて12人が、登森さんが泥酔状態で呼びかけに応じなかったのに、すぐに救急車を呼ぶなどの対応を取っていなかったということです。

警察は適切な救護措置を取らなかったとして、保護責任者遺棄致死の疑いで12人を27日、書類送検しました。警察によりますと、このうち一部は「寝ているだけだと思った」などと話し、そのほかは「登森さんの年齢が分からず、未成年だった場合、サークルや自分たちが処分されると思った」などと話しているということです。

近畿大学は「二度と飲酒事故を起こさないよう検証チームを設置し、再発防止に取り組んでいきます」とコメントしています。

過去にも死亡事例

大学生が部活動やサークルの飲み会で、酒を一気飲みして命を落とす事例はこれまでも相次いでいます。

9年前の平成22年には、佐賀大学のラグビー部の送別会で1年生の男子学生がビールや日本酒を一気飲みするなどしたあと体調が急変して急性アルコール中毒で死亡しました。

平成24年には、慶應大学のテニスサークルの懇親会でも学生1人が死亡しています。

息子を亡くした母親は

東京 杉並区の介護ヘルパー村田陽子さん(55)は、7年前の平成24年、一気飲みが原因で長男の英貴さんを亡くしました。

英貴さんは当時立教大学の1年生で、テニスサークルの春合宿の打ち上げに参加した際、一気飲みに加わりました。

サークルのメンバーが作った報告書でその時の状況を知ったという村田さんは、「先輩が少しだけ酒を飲む中、1年生の英貴は日本酒を3合も飲まされ、2合目には吐いていました」と話しました。

その後、部屋に運ばれた英貴さんは、翌朝、布団の中でのどに物を詰まらせた状態で見つかり、病院に運ばれましたが死亡しました。

村田さんは「英貴はやっと大学に入れて晴れ晴れとしていました。一気飲みで命を落とすのはつらく、なくなってほしい」と話していました。

一気飲みの危険性と死亡事例の背景

飲酒に関するさまざまな問題の解決に取り組んでいる東京 中央区のNPO法人「ASK(アスク)」は、一気飲みの危険性について、学生の遺族などと連携して注意を呼びかけています。

「ASK」によりますと、大学の部活動やサークルの飲み会では、これまでの慣例やその場の雰囲気によって、学生たちの間に一気飲みを避けられない事態が長年、続いているといいます。

中には酔いつぶれた学生を介抱する役割や、運び込む部屋が事前に決められているケースもあるということです。

こうした現状について今成知美代表は、「はやしたてて飲ませるなど『一気飲み』が伝統のようになっている団体もある。そうした雰囲気の中では、学生たちが『嫌だ』と言って逃れることはとても難しい」と指摘します。

そのうえで、「飲み会の主催者は、自分たちの代で危険な飲み方を断ち切る勇気を持ってほしい。飲み会に参加した学生も一気飲みをせざるをえない雰囲気があっても、命を守るため断ったり逃げ出したりしてほしい」と呼びかけています。

強制不妊 国の間違いをはっきり認めてほしい

2019年05月29日 08時05分35秒 | 社会・文化・政治・経済

貧困家庭の長女として生まれた「飯塚淳子さん」70代。
弟や妹の世話で学校へ通えなかった。
民生委員に勧められて施設に入れられた。
預けられた先で人間扱いされず、何も知らされないまま16歳の時に不妊手術をされた。
子どもが産めなくする手術だと知り、憤ったが、法律に基づくとは知らなかった。
結婚相手に手術を打ち明けられず、子どもができないと離婚された。
再婚して今度は手術を打ち明けると相手は去った。
「国の間違いをはっきり認めてほしい」と訴える。
しかし、謝罪を求める飯塚さんに、国の担当者は「当時は合法だった」と繰り返した、


強制不妊違憲性どう判断

2019年05月29日 07時40分56秒 | 社会・文化・政治・経済

強制不妊 旧優生保護法の違憲性焦点 「判断避けない」
2019年5月28日 朝日新聞
旧優生保護法の下で知的障害を理由に不妊手術を強いられたのは違法だとして、2人の女性が国に損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、仙台地裁で言い渡される。裁判長は「憲法判断を回避しない」と述べており、法律が違憲だったかどうか、正面から判断をするとみられる。全国7地裁に起こされた同様の訴訟の中で判決は初めてで、判断内容によっては、被害者への国の対応に影響を与える可能性がある。(山本逸生)

強制不妊で初の判決 「違憲」認定の意味は重い
毎日新聞2019年5月29日 
旧優生保護法に基づく強制不妊手術を受けた女性らが国を相手に損害賠償を求めて起こした裁判で、仙台地裁は旧優生保護法について「憲法違反」との初の判断を示した。

 人間が生まれながらに持っている「性と生殖に関する権利(リプロダクティブライツ)」を旧優生保護法が奪ったとして、憲法13条の幸福追求権に違反すると明確に判断した。

 判決は画期的であり、その意味は極めて重い。

 先月国会で成立した救済法は違憲性については触れず、おわびの主語も「我々」とされ、政府や国会の責任はあいまいだった。

 仙台地裁は「一生涯にわたり救いなく心身ともに苦痛を被り続ける。権利侵害は極めて甚大」と述べた。国会は救済法を見直すべきである。
先月国会で成立した救済法は違憲性については触れず、おわびの主語も「我々」とされ、政府や国会の責任はあいまいだった。

 仙台地裁は「一生涯にわたり救いなく心身ともに苦痛を被り続ける。権利侵害は極めて甚大」と述べた。国会は救済法を見直すべきである。

 一方、損害賠償については、原告の訴えは退けられた。不法行為から20年過ぎると損害賠償請求権がなくなる「除斥期間」が定められている。今回の原告は被害から50~60年が過ぎているというのが理由だ。

 しかし、除斥期間を過ぎても「特段の理由」で訴えが認められた判決も過去にはある。旧優生保護法を違憲としながら原告の訴えを認めない判決には疑問が残る。

 国会が長年救済の立法措置を怠ったことについても責任は認められなかった。リプロダクティブライツの法的議論の蓄積が少なく、立法措置をしないことの違憲性に関する司法判断もなかったことが理由だ。
ただ、判決では「手術の情報は個々のプライバシーのうち最も他人に知られたくないものの一つ」「本人が客観的証拠を入手すること自体も相当困難」として、除斥期間内に損賠請求をするのは「現実的には困難」とも認めている。

 被害にあった障害者の多くはもともと判断能力にハンディがあり、すでに高齢にもなっている。何重にもわたって自ら声を上げられない構造の中に放置されてきたのである。

 そうした特殊性を考えれば、政府は積極的に救済措置を取るべきだったと言わざるを得ない。

 現在ほかにも全国6地裁で強制不妊手術をめぐる国賠訴訟が継続中だ。政府と国会が自らの責任を明確に認めない限り、被害者との真の和解は得られないだろう。

 


布川事件(ふかわじけん)

2019年05月29日 05時38分55秒 | 社会・文化・政治・経済

布川事件(ふかわじけん)は、1967年昭和42年)に茨城県で発生した強盗殺人事件である。

犯人として近隣に住む青年2人を逮捕起訴し、無期懲役が確定したが、証拠被告人自白と現場の目撃証言のみで、当初から冤罪の可能性が指摘されており、2009年再審が開始され、2011年5月24日水戸地方裁判所土浦支部にて無罪判決が下された。日本弁護士連合会が支援していた

1967年8月30日の朝、茨城県北相馬郡利根町布川で、独り暮らしだった大工の男性(当時62歳)が、仕事を依頼しに来た近所の人によって自宅8畳間で他殺体で発見された。

茨城県警取手警察署による死体検視と現場検証によれば、男性の死亡推定時間は8月28日の19時から23時頃であるとされた。

男性は両足をタオルワイシャツで縛られており首にはパンツが巻きつけられた上、口にパンツが押し込まれていた。

死因は絞殺による窒息死であると判明した。現場の状況は玄関と窓は施錠されていたが、勝手口はわずかに開いていた。室内は物色した形跡が認められたが、何を盗まれたかは判明しなかった。

ただし、男性は個人的に金貸しを行っており、現金借用書などが盗まれた可能性があった。唯一判明したのは男性が普段使用していた「白い財布」が発見されなかったことである。また、現場からは指紋43点が採集された。

男性の自宅付近で20時頃に不審な2人組の男の目撃情報があり、その情報から1967年10月に2人の男が別件逮捕された。

2人の被疑者

桜井 昌司(さくらい しょうじ)は、1947年1月24日栃木県塩谷郡塩谷村で、役所吏員の父と野菜行商の母との間に生まれた。

茨城県立竜ヶ崎第一高校に入学したが、家庭内不和などから中退し、その後は定職に就かず徒遊生活を送っていた。

桜井は1967年10月10日の深夜、友人のズボン1本を盗んだとの容疑で別件逮捕され、取手署に留置された。

桜井はすぐに窃盗容疑を認めたが、その後も別件と本件合わせて30日間に渡る勾留日数中、本件である強盗殺人についての取調べを受け続けた(窃盗の件は後に不起訴となった)。

そして、10月15日に桜井が行った「杉山と一緒に殺して金を盗った」との自白に基づき、翌16日に桜井の兄の友人である杉山卓男が逮捕された。

杉山 卓男(すぎやま たかお)は、1946年8月23日に地元の利根町で生まれ、役所吏員であった父を亡くしてからは教員であった母に育てられた。

桜井と同じく竜ヶ崎第一高校へ入学したが無免許運転で退学となり、その後は機械工をしていた。

だが、母の死などで生活は荒れ、19歳の時には乱闘騒ぎで保護観察処分を受けていた。

暴力団の抗争にも参加し、恐喝や喧嘩が日常となっていた杉山にとって、16日の逮捕も意外なことではなかったという。

逮捕容疑は同年8月に起こした暴力行為事件についてであったが、やはり桜井と同じくこれは別件逮捕であった。

別件での取調べ後は杉山も本件について引き続き調べを受け、翌17日に強盗殺人を自白した。

有罪の確定

10月23日に2人は本件強盗殺人容疑で逮捕され、12月28日に同容疑で起訴された。

公判で両人は「自白は取手警察署刑事課刑事に強要されたものである」として全面否認したが、1970年10月6日第一審水戸地裁土浦支部は無期懲役とし、1973年12月20日の第二審の東京高裁では「ほかに犯人がいるのではないかと疑わせるものはない」として控訴棄却し、1978年7月3日最高裁上告が棄却され、2人とも無期懲役が確定した。

同日から2人は千葉刑務所へ下獄することとなった。

桜井は刑務所で詩を書いて雑誌に投稿するうち、声楽家の佐藤光政との知遇を得、やがて作詞作曲した歌は佐藤の声でCD化されるまでになった。

後には書き溜めた詩が『語句詩集 壁のうた』と題した詩集にもなった。だが、桜井は服役中の1977年1992年に両親を亡くしてもいる。

杉山は、未決囚として東京拘置所に収監されていた頃は袴田事件袴田巌や、大森勧銀事件の近田才典、金嬉老事件の金嬉老とも交流があったという。

連続ピストル射殺事件永山則夫とは特に親しく、運動時間には必ず会話し、文通も行う仲であったという。

疑問

警察官が取り調べの録音テープの一部を隠す虚偽証言。
さらに、2審で検察官が開示を拒んだ捜査報告書や目撃証言の記録の開示拒否。
これらの違法がなければ、遅くとも1973年12月の2審で、強盗殺人事件について無罪が言い渡された可能性がたかかった。

この事件では犯行を実証する物的証拠が少なく、桜井・杉山の自白と現場の目撃証言が有罪の証拠だった。しかし、その自白は取調官による誘導の結果なされたと弁護側は主張していた。

  • 金銭目的の強盗殺人とされているが、何が実際に盗まれたのかを明確にしていない。被害者の白い財布の件も供述調書で変遷しており、犯行後どのようになったかが明確になっていない。
  • 43点の指紋が採集されたが、桜井・杉山の指紋が現場から出ていない。裁判では指紋は拭き取ったとしているが、物色されたはずの金庫や机から多くの指紋が検出されている矛盾点については説明がなされていない。
  • 被害者宅へ侵入した方法についての自白が不自然である。供述調書によれば、「勝手口の左側ガラス戸を右に開けると、奥の8畳間から顔を出した被害者の顔が見えた」とされているが、現場の勝手口は左ガラス戸の内側に大きな食器棚が置かれていたため、わざわざ障害物がある方の戸を開けるのは不自然である上、そもそも被害者の顔が見えるはずもない。また、反対側の戸は40センチメートル程度は開けられる。
  • 事件現場の家の図面は、取調室内で見せ取調官の誘導で自白調書が取られた。
  • アリバイとなる8月28日に2被告に会った人物の裏を捜査陣が取り、それら全てを8月28日以外のことにした。
  • 自白では「両手で首を絞め」となっていたが、被害者は紐で絞殺されていた。(再審時の新証拠で明らかになる。)

そのため、再審開始決定では「自白の中心部分が死体の客観的状況と矛盾する」とされ、「捜査官の誘導に迎合したと疑われる点が多数存在する」と認定された。他にも、「周囲が暗くなっている当時の状況などから、2人と特定できない」ともされた。

また、検事から証拠として開示された事件当時の取り調べテープに中断(編集)した跡が何か所も見受けられること、女性が犯行現場で被告人以外の人を見ていたことなどが再審請求の時に検察から提出された証拠に含まれていた。

これらの録音テープ、後述の毛髪鑑定書、女性の目撃証言は2度目の再審請求の際に検察が初めて開示した。確定審においては、検察は録音テープの存在を否定していた。

なお、現場では毛髪が8本発見され、この毛髪の鑑定書については検察側が存在を否定していたが、2005年に検察側から弁護側に鑑定書が開示された。

これによると、3本は被害者のものだったが、残り5本の中に被疑者とされた桜井・杉山の毛髪はない。

裁判所はこれらの証拠が裁判時に提出されていたら無罪になっていた可能性を指摘した。

2005年からの刑事訴訟法改正では、検察の証拠開示が明確に制度化されているが、公判前整理手続きがないため、この事件においてはこの制度は適用されていない。

再審請求

収監された2人は1996年11月の仮釈放後も無実を訴え、民間人の有志による「布川事件守る会」が2001年12月6日に第二次再審請求(1回目は収監中の1983年12月23日に行われ棄却された)を水戸地裁土浦支部に申立て、同支部は2005年9月21日に再審開始を決定した。

これに対して検察側が東京高裁に即時抗告するが、2008年7月14日、東京高裁(門野博裁判長)は棄却して再審開始決定を支持する。東京高検鈴木和宏次席検事は「内容を十分検討し、最高検とも協議のうえ適切に対処したい」と述べ、その後、最高裁判所に特別抗告するが、2009年12月15日、最高裁(竹内行夫裁判長)は、検察側の特別抗告を棄却し再審開始が確定。