goo blog サービス終了のお知らせ 

ポストヒューマン 新しい人文学に向けて

2019年05月06日 12時18分57秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
商品の説明

もともとポストヒューマンという概念自体が思想と深く結びついたものである。
そして著者が思想家であることから、なかなか歯ごたえのる一冊となっている。
ポストヒューマンとは、私たち人間がこの地球上で他の生き物などと関係する際、共通の参照項となる基本的単位が何なのかをめぐる問題状況だという。
人類が地球という惑星のすべての生命に影響を与える地質学的な力を持つようになった時代において、これまでの人間中心主義を超えた視点をもたらす有用な視点こそがポストヒューマン。
ポストヒューマン的主体とは、自己と他者、しかも人間以外の他者との相互のかかわりとも表現できる。
従来の人間は単一的かつ、自律的で自己参照的な存在であった。
これに対してポストヒューマン的主体は、非単一的な存在で、かつテクノロジーなどのリソースとかかわりながら他律的で多面的な関係性によって形成れているのである。
もはや人間だけを特権視して研究しても、この地球で起こっていることは完全に解明できないい、、何も解決できないのである。
だからポストヒューマンの視点が求められているのだ。
「私たちが目撃しつつある信じがたい諸々の変容に向き合うためには、共通の参照地点や価値を同定する新しい枠組みが必要nのである」と最後に著者は指摘する。
哲学者・山口大学教授 小川仁志さん評


内容紹介

ポストヒューマン理論入門の決定版! 

近年「思弁的実在論」と並んで盛んに論じられている〈ニュー・マテリアリズム〉の動向の震源地のひとつであり、
ジュディス・バトラー以降のフェミニズム理論を牽引する世界的に著名な理論家、
ロージ・ブライドッティの初邦訳書、待望の刊行。


「人新世」の時代において、そして、テクノロジーに媒介されたグローバル資本主義経済の時代において、
人間たちはかつてと同じ「人間性」を保持しているとみなしうるのか?

ひるがえって、「人新世」の時代においてかつての「人間性」を保持することが望みえないのだとすれば、
どのような新たな「人間性」をアファーマティヴな(=多様な他者に開かれた)ものとして思い描きうるのか?

かつて理想として思い描かれた近代・西洋・白人・男性的な人間像と、
それを支えてきた旧来の人文主義と人間中心主義に異議を突きつけ、
バイオテクノロジー、ロボット工学、軍事技術から、グローバル資本主義や環境問題にいたるまで「ポストヒューマン」の問題系について包括的に議論する。

現代における私たち人間の生について考察し、
新しい人文学(ヒューマニティーズ)のかたちを描き出す
幅広い射程を有する「ポストヒューマン」理論の最重要著作、待望の邦訳。

--------------------------------------------------------

【目次】
謝辞



第一章 ポスト人文主義──自己を越える生
反ヒューマニズム
人間の死、女性の脱構築
ポスト世俗的転回
ポストヒューマンの課題
批判的ポストヒューマニズム

第二章 ポスト人間中心主義──種を越える生
地球警報
動物への生成変化としてのポストヒューマン
代償的ヒューマニズム
地球への生成変化としてのポストヒューマン
機械への生成変化としてのポストヒューマン
非〈一〉の原理としての差異
結論

第三章 非人間的なもの──死を越える生
いくつかの死にかた
生政治を超えて
法医学的社会理論
現代の死‐政治について
死をめぐるポストヒューマン理論
ある主体の死
知覚不可能なものへの生成変化
結論──ポストヒューマンの倫理について

第四章 ポストヒューマン人文学───理論を越える生
不調和の制度的パターン
二一世紀の人文学
ポストヒューマン的批判理論
人文学の「適切」な主題は「人間」ではない
グローバルな「マルチ」ヴァーシティ

結論
ポストヒューマンな主体性
ポストヒューマンの倫理
アファーマティヴな政治
ポストヒューマン的な、あまりにも人間的な

訳注
訳者あとがき
参考文献
索引

内容(「BOOK」データベースより)

人文主義の根幹にある近代・西洋・白人・男性的な人間像に異議を突きつけ、新しい人文学(ヒューマニティーズ)のかたちを描き出す。自己・種・死・理論の先にある新たな生のための、ポストヒューマン理論入門の決定版、新時代の人間論。

著者について

【著者略歴】
ロージ・ブライドッティ(Rosi Braidotti)
1954年イタリア生まれ、オーストラリア育ち。フェミニズム理論家、哲学者。オーストラリア国立大学、ソルボンヌ大学などで学び、1988年よりユトレヒト大学にて、女性研究プログラム創設時メンバーとして教鞭を執る。ユトレヒト大学女性研究オランダ研究学校の創設時ディレクター(1995–2005)、ユトレヒト大学人文学センターの創設時ディレクター(2007–2016)などを歴任。著書として本書の他に『不協和のパターン』(1991)、『ノマド的主体──現代フェミニズム理論における身体化と性的差異』(1994)、『メタモルフォーゼ──生成変化の唯物論的理論に向けて』(2002)、『トランスポジションズ──ノマド的倫理について』(2006)など。

【訳者略歴】
門林岳史(かどばやし・たけし)
1974年生。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。関西大学文学部映像文化専修准教授。専門はメディア論、表象文化論。著書に『ホワッチャドゥーイン、マーシャル・マクルーハン?──感性論的メディア論』(NTT出版、2009)、訳書にマクルーハン、フィオーレ『メディアはマッサージである──影響の目録』(河出文庫、2015)、リピット水田堯『原子の光(影の光学)』(共訳、月曜社、2013)。共著・分担執筆として『身体と親密圏の変容』(大澤真幸編、岩波書店、2015)、『映画とテクノロジー』(塚田幸光編、ミネルヴァ書房、2015)など。

大貫菜穂(おおぬき・なほ)
1982年生。立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程修了、博士(学術)。現在、京都造形芸術大学および神戸松蔭女子学院大学非常勤講師、立命館大学生存学研究センター客員研究員。専門は美学芸術学、身体装飾・改造論、タトゥー論、表象文化論。近著に「無辺のカンヴァスと対峙すること──イレズミにおける身体と彫師の聯絡」『Core Ethics』(第14号、2018)。共著・分担執筆として『傑作浮世絵コレクション 歌川国芳 遊戯と反骨の奇才絵師』(河出書房新社、2014)。

篠木涼(しのぎ・りょう)
1978年生。立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程修了、博士(学術)。団体職員。専門は視覚文化論、心理学史。主な論文として「「送り手」「受け手」の誕生──南博の社会心理学と戦後日本におけるマス・コミュニケーション研究成立の一側面」(『立命館人間科学研究』第37号、2018)、「『時計じかけのオレンジ』によって引き起こされた行動主義をめぐる「イメージ」への影響──1960―70年代における行動主義心理学と行動療法への批判を中心に」(『立命館人間科学研究』第35号、2017)。

唄邦弘(ばい・くにひろ)
1979年生。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了、博士(文学)。現在、京都精華大学特別研究員。専門は芸術学、先史美術。主な論文として「日常のなかのゲーム/ゲームのなかの日常」(『ユリイカ』2017年2月号)、「イメージの生成からアンフォルムな痕跡へ──バタイユのラスコー解釈の可能性」(『美学芸術学論集』第11号、2015)。

福田安佐子(ふくだ・あさこ)
1988年生。京都大学大学院人間・環境学研究科後期博士課程在籍。日本学術振興会特別研究員(DC2)。専門はホラー映画史、表象文化論。主な論文に「ゾンビ映画史再考」(『人間・環境学』第25号、2016)、「ゾンビはいかに眼差すか」(『ディアファネース 芸術と思想』第4号、2017)、「呪いは電波にのって──スティーヴン・キングのゾンビと「見えないもの」」『ユリイカ』(2017年11月号)。

増田展大(ますだ・のぶひろ)
1984年生。神戸大学大学院人文学研究科博士課程退学、博士(文学)。現在、立命館大学映像学部講師。専門は写真史・映像メディア論。主な著書に『科学者の網膜──身体をめぐる映像技術論:1880-1910』(青弓社、2017)、共著・分担執筆として『スクリーン・スタディーズ』(光岡寿郎・大久保遼編著、東京大学出版会、2019)、『インスタグラムと現代視覚文化論』(レフ・マノヴィッチ他著、BNN新社、2018)、『ポケモンGOからの問い』(神田孝治・遠藤英樹・松本健太郎編、新曜社、2018)、『映像文化の社会学』(長谷正人編著、有斐閣、2016)など。

松谷容作(まつたに・ようさく)
1976年生。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了、博士(文学)。國學院大學文学部准教授。専門は美学、映像文化論。主な論文に「環境内存在としてのコンピュータ──コンピュータを介した経験の更新についての一考察」『総合文化研究所紀要』第34号(2017)など。共著・分担執筆として『スクリーン・スタディーズ』(光岡寿郎・大久保遼編、東京大学出版会、2019)、『手と足と眼と耳──地域と映像アーカイブをめぐる実践と研究』(原田健一・水島久光編、学文社、2018)、『映像文化の社会学』(長谷正人編、有斐閣、2016)など。

 
 
 

 

ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超える

2019年05月06日 12時05分28秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
 
商品の説明

内容紹介

2045年......
コンピュータの計算能力が全人類の知能を超えた瞬間、
「特異点」を迎えた人間文明は指数級数的な進化の過程に入る。
人間の脳はリバースエンジニアリングによる解析が終了し、
生物としての人間を超える強いAIが誕生する。
遺伝子工学、ナノテクノロジー、ロボット工学の進化により、
人体は拡張され、ナノボットが体内を駆けめぐり、
われわれは不死の体=身体ver.2.0を手に入れる......。

映画『マトリックス』を超える驚愕の未来予測。
Amazon.com 2005年ベスト・サイエンスブックにして
NHK『未来への提言』でも紹介された
全米で話題沸騰のベストセラー"The Singularity is Near"
ついに邦訳版刊行!

出版社からのコメント

「レイ・カーツワイルはわたしの知る限り、人工知能の未来を
予言しうる最高の人物だ。ITが急速に進化をとげ、人類がついに生物としての
限界を超える未来を、本書は魅惑的に描いている。そのとき、われわれの人生は
想像もつかない大変革を経験するだろう」(ビル・ゲイツ)

内容(「BOOK」データベースより)

進化は加速している―。「生物の限界を超え2045年、人類はついに特異点に到達する」NHK BS特集『未来への提言』で紹介された、世界最高峰の発明家による大胆な未来予測。

著者について

レイ・カーツワイル(Ray Kurzweil)
 1947年ニューヨーク生まれ。世界屈指の発明家、思想家、未来学者であり、こ
の20年間のさまざまな出来事を予言してきた。「眠らない天才」(The Wall
Street Journal)、「究極の思考マシン」(Forbes magazine)と呼ばれ、また
Inc.magazine はカーツワイルを世界トップの起業家のひとりに選び、「トマ
ス・エジソンの正統な相続人」と呼んだ。また、PBS(公共放送サービス)は彼
を「過去2世紀においてアメリカに革命を起こした16人の発明家」のひとりとし
ている。
 アメリカの「発明家の殿堂」に名を連ね、「ナショナル・メダル・オブ・テク
ノロジー」「レメルソン-MIT賞」など優れた発明に贈られる世界最高峰の賞
を数々受賞、12の名誉博士号をもち、3人の米大統領から賞を贈られている。
 著書に Fantastic Voyage: Live Long Enough to Live 
Forever(共著)、The
Age of Intelligent 
Machines、『スピリチュアル・マシーン コンピュータに
魂が宿るとき』(翔泳社)などがある。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

カーツワイル,レイ
1947年ニューヨーク生まれ。世界屈指の発明家、思想家、未来学者であり、この20年間のさまざまな出来事を予言してきた。「眠らない天才」(The Wall Street Journal)、「究極の思考マシン」(Forbes magazine)と呼ばれ、またInc.magazineはカーツワイルを世界トップの起業家のひとりに選び、「トマス・エジソンの正統な相続人」と呼んだ。また、PBS(公共放送サービス)は彼を「過去2世紀においてアメリカに革命を起こした16人の発明家」のひとりとしている。アメリカの「発明家の殿堂」に名を連ね、「ナショナル・メダル・オブ・テクノロジー」「レメルソン‐MIT賞」など優れた発明に贈られる世界最高峰の賞を数々受賞、12の名誉博士号をもち、3人の米大統領から賞を贈られている 

井上/健
東京大学大学院総合文化研究科教授。主たる専攻分野は、比較文学、アメリカ文学、翻訳論など 

小野木/明恵
翻訳家。大阪外国語大学英語学科卒 

野中/香方子
翻訳家。お茶の水女子大学文教育学部卒 

福田/実
翻訳家。東京大学工学部機械工学科卒。松下電器産業株式会社を定年退職後、機械・電気・コンピュータ・通信・品質・規格関連

 

 
 

 
 
 
 
 
 

 


リバタリアニズム-アメリカを揺るがす自由至上主義

2019年05月06日 11時11分55秒 | 社会・文化・政治・経済
 
渡辺 靖 (著)
 

政治的変革を起こす可能性も

公権力を極限まで排除し、自由を最大化しようとする立場は、ケイト研究所によればアメリカの有権者の10~12%の支持を得ているという。
リバタリアンは、各人の切磋琢磨を通して豊かになる場としての自由主義、市民社会の自律と自助を保証する最小国家、他者の自由を侵害しない限り個人の自由を最大限尊重しようとする社会的寛容を重視する。
社会福祉の拡大には反対するなど経済的には保守(共和党寄り)の立場。
一方、中絶や同棲婚に賛成するなど社会的にはリベラル(民主党寄り)。
保守からもリベラルからも批判されるが、既存の二大政党に失望している人々を惹きつけている。
また、軍事同盟に消極的な人もいれば積極的な人もいる。
本書ではありのままの草の根のリバタリニズムを記述している。
その調査はアメリカに限定されているわけではない。
この考えはヨーロッパ流の保守を否定し、自由な市民による政治を国是としてきたアメリカに馴染みがよいが、今日では世界的に広がりつつあるという。
だが、日本はお上への依存度が強く、民営化に対する拒絶感が強い。
著者が接したリバタリアンによると、日本は規制大国。
最も成功した社会主義国の日本。
道徳まで政府主導などと揶揄されそうだ。
伝統的な左右軸にとらわれるのではなく、政府が果たす役割根源的に問い直すためにも、本書は参考となる。

成蹊大学教授(アメリカ政治学)西山隆行さん評(要約)

内容紹介

アメリカ社会、とりわけ若い世代に広がりつつあるリバタリアニズム(自由至上主義)。公権力を極限まで排除し、自由の極大化をめざす立場だ。リベラルのように人工妊娠中絶、同性婚に賛成し、死刑や軍備増強に反対するが、保守のように社会保障費の増額や銃規制に反対するなど、従来の左右対立の枠組みではとらえきれない。著者はトランプ政権誕生後のアメリカ各地を訪れ、実情を報告。未来を支配する思想がここにある。

著者について

渡辺靖 
慶應義塾大学SFC教授。1967年(昭和42年)、札幌市に生まれる。97年ハーバード大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。オクスフォード大学シニア・アソシエート、ケンブリッジ大学フェローなどを経て、99年より慶應義塾大学SFC助教授、2005年より現職。専攻、アメリカ研究、文化政策論。2004年度日本学士院学術奨励賞受賞。著書に『アフター・アメリカ』(サントリー学芸賞・アメリカ学会清水博賞受賞)、『アメリカン・コミュニティ』『アメリカン・センター』『アメリカン・デモクラシーの逆説』『文化と外交』『アメリカのジレンマ』『沈まぬアメリカ』『〈文化〉を捉え直す』など。

 

 

 

9つの脳の不思議な物語

2019年05月06日 10時41分57秒 | 社会・文化・政治・経済
 

商品の説明

「奇妙な脳」の持ち主との出会い。
人の精神活動は、脳に司られている。
だから脳に異変が生じれば、不思議な能力が出現したり奇異な内的体験に遭遇しかねない。
わたしたちは、量的にせよ質的にせよ、いったいどこまで精神は突飛になり得るかを知りたいと思っているのではないだろうか。
そうした知見は人間の可能性や限界を示唆するわけだから、脳の異変に対して好奇心が生じるのは当然だ。
常識を超えた能力や特異な内的体験を持つ人たへ直接会おうと、世界中を飛び回る。
最初に登場するボブ(64)は、幼い頃から現在に至るまで、毎日の出来事をすべて正確に記憶している。
特別なエピソードなどなくても、年月日を指定すれば、その日の詳細を即答できる。

精神科医春日武彦さん評


内容紹介

◎それは奇跡か、それとも病か?◎

かつて大学で脳を研究し、科学ジャーナリストとなった著者。

彼女の趣味は「人とは違う脳」を持った人々について書かれた医学論文を収集し、読み漁ること。

だが、論文を読むだけでは、患者の人となりは全く見えてこない。

ある日、十年間集め続けた論文の山の前で彼女は思った。

「世界中で普通の人々に奇妙な事が起こっている。彼らはどんな生活をしているのだろう?」――それが、「奇妙な脳」の持ち主たちを巡る旅の始ま
りだった。

【目次】

■序 章 「奇妙な脳」を探す旅へ出よう
大学で脳を研究していた私は、卒業後にある衝撃的な論文と出会う。

この世にはどんな命令にも必ず従ってしまう“ジャンパー”と呼ばれる人々がいるというのだ。

彼らの脳では一体何が起きているのか。それがこの旅の始まりだった。

■第1章 完璧な記憶を操る
──過去を一日も忘れない“完全記憶者”ボブ
これまでの人生の全ての日を覚えている。

ごくまれに、そんな記憶力を持つ人々がいる。

その秘密を探るべく、私はボブを訪ねた。

彼に最も古い記憶を尋ねると、なんと生後九ヶ月の時の記憶があると言う。

そんなことはありえるのか。

■第2章 脳内地図の喪失
──自宅で道に迷う“究極の方向音痴”シャロン
方向感覚は脳が生み出す最も高度な能力の一つだ。

では、それを失うと人はどうなるのか。

それを教えてくれるのがシャロンだ。

彼女は自宅のトイレからキッチンへ行こうとして迷子になる。脳内ではどんなエラーが起きているのか。

■第3章 オーラが見える男
──鮮やかな色彩を知る“色盲の共感覚者”ルーベン
特定の数字に色を見たり、特定の音で味を感じる。

こうした共感覚は四%の人に備わっているとされる。

中には特殊なものもあり、ルーベンは出会う人の多くにカラフルなオーラが見えるという。

だが不思議なことに、彼は色盲なのだ。

■第4章 何が性格を決めるのか?
──一夜で人格が入れ替わった“元詐欺師の聖人”トミー
「ドラッグ、窃盗、けんか。全部やったよ」と過去を振り返るトミーは、ある夜を境に虫も殺せない穏やかな性格へと激変し、家族を戸惑わせた。

人の性格は脳が決める。その鍵は左脳と右脳ではなく、上脳と下脳のバランスにあった。

■第5章 脳内iPodが止まらない
──“幻聴を聞く絶対音感保持者”シルビア
幻覚は精神疾患の症状だとされることが多いが、実は誰しもピンポン玉とヘッドフォンを使えば幻覚を体験できる。

なぜ脳は幻覚を生み出すのか。

絶え間ない幻聴に悩まされているシルビアの脳をスキャンすると、答えが見えてきた。

■第6章 狼化妄想症という病
──発作と戦う“トラに変身する男”マター
自分が動物に変身したと思い込む狼化妄想症。

非常に珍しいその患者、マターに会うため、私はUAEへ飛んだ。

医師立ち会いのもとインタビューを始めるも、彼の様子が急変。
低いうなり声をあげ、「全員を襲いたい」と言い出した。

■第7章 この記憶も身体も私じゃない

──孤独を生きる“離人症のママ”ルイーズ
身体から抜け出たように感じ全ての現実感を失う。

一時的にそうした離人症状を経験する人は多いが、ルイーズは何十年もその感覚の中で生きている。

彼女の脳の謎を解くには、意外にも「人工心臓を入れた男」の研究がヒントになる。


■第8章 ある日、自分がゾンビになったら
──“三年間の「死」から生還した中年”グラハム
「私は死んでいる」ある出来事を機に脳がなくなったと感じたグラハムは、そう訴えて周囲を当惑させた。

彼を検査した医師らには衝撃が走る。

起きて生活をしているのに、脳の活動が著しく低下し、ほとんど昏睡状態にあったのだ。

■第9章 人の痛みを肌で感じる
──“他者の触覚とシンクロする医師”ジョエル
他人が経験した触覚や感情を、自分の身体でも感じてしまう。

そんなSFのような人々が実在する。

医師として働くジョエルも、目の前の患者の痛みを身体で感じながら治療に当たる。

なぜ彼の脳は他者と自分を区別できないのか。

■終 章 ジャンピング・フレンチマンを求めて
この旅の始まりとなった不思議な人々“ジャンパー”は全員亡くなったものと考えられていた。

しかし、私は友人から届いた動画に、まさしく“ジャンパー”が映っていることに驚く。

ノルウェイで会社員として働く彼に会いにいった。

内容(「BOOK」データベースより)

かつて大学で脳を研究し、科学ジャーナリストとなった著者。

彼女の趣味は「人とは違う脳」を持った人々について書かれた医学論文を収集し、読み漁ること。

だが、論文を読むだけでは、患者の人となりは全く見えてこない。

ある日、十年間集め続けた論文の山の前で彼女は思った。

「世界中で普通の人々に奇妙な事が起こっている。彼らはどんな生活をしているのだろう?」―それが、「奇妙な脳」の持ち主たちを巡る旅の始まりだった。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

トムスン,ヘレン
ジャーナリスト。ブリストル大学で神経学の学位を取得後、インペリアル・カレッジ・ロンドンでサイエンスコミュニケーションを学ぶ。卒業後は「ニュー・サイエンティスト」誌で8年間編集者を務め、その後フリーに。現在はBBCや「ガーディアン」紙、「ワシントン・ポスト」紙等に出演・寄稿している

仁木/めぐみ
翻訳家。東京都出身(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



 

 

「心の財産(宝)」となる学び

2019年05月06日 10時35分11秒 | 社会・文化・政治・経済

「失ったものを数えるな、残された機能を最大限にいかそう」
パラスポーツは障害者に挑戦や社会参加を促す大きな意義がある。
同時に、選手たちの活躍ぶりは多くの人に勇気と感動を与える。
あらゆる人が個性と能力を発揮して生きらる共生社会への理解を深める大切な機会ともなる。

講義や講演を聞いてその場で感動しても、家へ帰るとすっかり内容を忘れてしまうことがある。
「思いだせない」
「忘れても、忘れても、忘れても、講義を聞いていくと、忘れられない何もかが、命に残っていくはず。その積み重ねがやがて、力になっていく」
本当に大切なものは、その場ですぐに分かってしまうようなものではないだろう。
生命の奥に少しずつ刻まれ、消えることなく、時をへて、大切だったと気付くものものかもしれない。

「心の財産(宝)」となる学び。

自主的な目標の設定が子どもを伸ばす要。


内村鑑三

2019年05月06日 07時57分41秒 | 投稿欄
 

著者は二代にわたる聖書神学の大家。
内村の信仰には学問的に大きな批判もあるのではないか。
批判はあるが、著者の内村への眼差しは根本的に暖かいい。
特に、戦争と震災という二つの「災厄」に立ち向かう著者の目は鋭い。
日清戦争に対する内村の姿勢は、基本的に「義戦」論である。
主として朝鮮を巡る「支那」と日本の争いという観点か、内村は、日本の態度に正義を見ようとする。
この内村の立場は、現在では内外から、強い批判が寄せられていることを、著者は認める。
むしろ内村自身がそれを認めていた、と解する。
しかし、公的な自己批判に及ばない「頑固」さも、重要な意味を認めようとする。
その後自らの言動をもって、「反戦」あるいは「非戦」論へと転じる。村上陽一郎評

内容(「BOOK」データベースより)

戦争と震災。この二つの危機に対し、内村鑑三はどのように立ち向かったのか。

彼の戦争論はいかに変転し、震災論はどこへ行きついたか。

本書は、聖書学の視点から、内村の聖書研究に基づく現実との格闘を、厖大な文章や数々の足跡に寄り添いながら追っていく。そこから浮き上がる思想的可能性と現代的射程とはいかなるものか。

近代日本を代表するキリスト者の地歩を明らかにした、碩学畢生の書。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

関根/清三
1950年、東京生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科倫理学専攻博士課程修了。東京大学より博士(文学)、ミュンヘン大学よりDr.Theol.。東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授を経て、聖学院大学特任教授。東京大学名誉教授。ウィーン大学・放送大学などで客員教授を務める。専門は、旧約聖書学・倫理学。主要著訳書に『旧約における超越と象徴』(和辻哲郎文化賞、日本学士院賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


 
 

社会学史

2019年05月06日 06時45分25秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
商品の説明

マルクス、フロイト、フーコー、ルーマンら現代の理論家まで、知の山脈の全容を明らかにする。
本書の特長の第一に、学者のそれぞれの独創性の核心を的確に掴み切っていること。
第二に、彼らのそう考える必然性を自在な筆致で読者に追体験させること。
第三に、彼らの仕事が合わさって近代社会の全体を包む大きな図柄になるさまま、描きだしていること。
文章も平易で、満点の出来栄えである。
著者は言う、社会学とは<近代社会の自己意識>にほかならない。
なぜこの社会はこうなのか。
キーワードが偶有性である。
不可能(ありえない)でも必然(これしかない)でもなく、たまたまのようであるのが偶有性。
人びとが自由に選び取ったはずの社会が、抑圧的になっているのはなぜか。
その原因を突き止め、よりよい社会を構想するのが社会学だ。
社会学の対象は、社会だ。
ではどういうものなのか。
理想社会を唱えたヴェーバーは言う、社会は行為からなる。
行為には意味がある。
意味はモノとは違い、観察できず、理解するしかない。では意味を科学的に捉えのか。
ヴェーバーもパーオンズも、この問題と格闘した。
それに続く意味学派も試行錯誤したが、結論はみえなかった。
社会学には、物理や経済学なら備わっている、標準理論が見当たらない。
それは社会学が、同時代を丸ごと相手にするという無謀な課題を引き受けているからである。橋爪大三郎評


内容紹介

本物の教養がこんなに頭に染み込んで、ものの見方がすっかり変わる経験をあなたに!マルクスもフロイトもフーコーも、実は社会学者なんです。

「社会学はもちろん、その周辺の学問を理解するためには、どうしても、社会学史全体を知っておく必要があります。それなのに、なぜか、社会学史の本がほとんどないのが現状です。

だから、この仕事に私は、強い社会的な使命感を持っています」――大澤真幸


本物の教養が頭にどんどん染み込んで、ものの見方がすっかり変わる経験をあなたに。

「社会学はもちろん、その周辺の学問を理解するためには、
どうしても、社会学史全体を知っておく必要があります。
それなのに、なぜか、社会学史の本がほとんどないのが現状です。
だから、この仕事に私は、強い社会的な使命感を持っています」――大澤真幸

マルクスもフロイトもフーコーも、実は社会学者なんです。
アリストテレスからカンタン・メイヤスーまで、知の巨人が産み出した思想を、
網羅的に、平易な講義文体で学びましょう!

<本書の目次および登場する主な人物>

序 社会学に固有の主題

第1部 社会学の誕生――近代の自己意識として
1.古代の社会理論 アリストテレス
2.社会契約の思想 社会学前夜
グロティウス/パスカル/ホッブズ/ロック/ルソー/スミス
3.社会科学の誕生
コント/スペンサー
4.マルクス――宗教としての資本主義
エンゲルス/カント/フォイエルバッハ/ヘーゲル/フィヒテ

第2部 社会の発見
1.フロイト――無意識の発見
2.デュルケーム――社会の発見
3.ジンメル――相互行為としての社会
4.ヴェーバー――合理化の逆説

第3部 システムと意味
1.パーソンズ――機能主義の定式化
トマス/パーク/マートン
2.〈意味〉の社会学
ミード/シュッツ/ブルーマー/ガーフィンケル/ゴフマン/ベッカー
3.意味構成的なシステムの理論――ルーマンとフーコー
レヴィ=ストロース/デリダ/ブルデュー/ハーバーマス 
4.社会学の未来に向けて
ボードリヤール/リオタール/ギデンズ/バウマン/トッド/メイヤスー

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

大澤/真幸
1958年生まれの社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。

社会学博士。千葉大学助教授、京都大学教授を歴任する。著書に『ナショナリズムの由来』(講談社、毎日出版文化賞)、『自由という牢獄』(岩波書店、河合隼雄学芸賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 
 

阪神軽症祈る、近本が背中に張り訴え交代

2019年05月06日 05時44分56秒 | 社会・文化・政治・経済

電気治療

5/5(日) 21:57配信日刊スポーツ

<阪神7-5DeNA>◇5日◇甲子園

阪神のドラフト1位、近本光司外野手(24)が5日、DeNA9回戦(甲子園)で背中の強い張りを訴え、6回の守備から途中交代した。

交代後はベンチに姿はなかったが、試合後は病院に行かず電気治療などを受けた。

近本は状態について「大丈夫です」とコメントを残し、6日のヤクルト戦(神宮)に向けてチームとともに東京へ移動した。

矢野監督は「明日は大丈夫かなと思ってるんだけど、明日以降もあるんでね。

そういう部分でちょっと代えました」と大事をとったと説明し、清水ヘッドコーチも「背中に強い張りがあった。明日になってみないと分からない」とした。3連勝で勢いに乗るチームにとっては不安材料が残る格好となった。


DeNA】またサヨナラ負け 阪神戦6連敗

2019年05月06日 05時35分35秒 | 社会・文化・政治・経済

ラミレス監督「残念ながらそうなってしまった」
5/5(日) スポーツ報知
◆阪神7×―5DeNA(5日・甲子園)

 DeNAは今季4度目のサヨナラ負け。敵地で3タテを食らい阪神戦6連敗。借金はワーストの8となった。
2回に相手のミスから先取点を奪ったが、その裏に京山が木浪、近本にタイムリーを許し逆転された。

4回、今季初1番に抜てきされた中井の右前適時打で同点。さらに5回に嶺井の2点適時打などで3点を勝ち越した。
しかし、リードを守れなかった。6回、京山が1点を返され、なおも一、三塁と走者を残し降板。

2番手・石田が2死から北條に左前適時打されて1点差とされた。
7回1死二塁ではエスコバーが大山に同点打を浴び、9回は三嶋が福留にサヨナラ2ランを被弾。

3日の同カードに続きサヨナラ負けを喫した。
これで苦手とする阪神戦は6連敗。ラミレス監督は「残念ながらそうなってしまった。今日は勝つチャンスはあったけど。だからといって諦めるわけにはいかない。次のカードは全く逆になるように。まだシーズンは序盤。

10試合以上阪神戦はあるし、挽回するチャンスはある」と前を向いていた。


居酒屋で交歓

2019年05月06日 03時47分06秒 | 日記・断片

昨日は、友人たちと松戸駅で会って、居酒屋で交歓。
久しぶりで会う友人の一人は、「孫の野球を観戦してから行く」と携帯に電話があったが、その後、「行けなくなったので、皆さんによろしく」と断りの電話がある。
彼は税理関係の仕事で現役である。
個室のようになっている居酒屋で、隣の席とはカーテンで仕切ってある。
従業員が慣れていないのかオシボリを持って来ない。
ビンビールだけ運ばれてきた。
友人の一人がオシボリを要求する。
「おしぼりが来てから、乾杯しよう」と拘る。
運ばれてきたのはタオルの白い丸まったオシボリで、友人の一人は顔を拭う。当方は手を拭う。

「見てもらいたい写真がある」と友人が取り出したのは、清水次郎長の写真などである。
父親のルーツを辿り、伊豆半島から、清水まで行ったのだ。
自転車での旅で、次は箱根駅伝のコースを自転車で走破したいと意気込む。
家の宗派について話題となる。
二人の友人は浄土真宗。
当方の方は禅宗であったが、父の兄の代に天理教となる。
叔父が群馬県長野原の教会長となり、農業は叔母が一人でやっていた。
従兄の一人は、天理の学校を卒業している。
思うに父のルールを調べると言っても、山本 は多すぎる。
友人のように少ない名字とは違う。
母親は牛口なので希少であり、辿れるかと思ってみた。
300年余の古い家屋であり、元禄時代の脇差などもあった。
武士ではないようだ。
先祖は庄屋とも伯母が言っていた、脇差がなぜあったのか。
沼田城は真田の時代もあったが・・・
また友人の一人は両親とも鹿児島であった。
午後4時過ぎに店へ入り、3時間くらい色々飲み食いして語る。