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春が来た

医師・作家「大鐘稔彦氏」に見る、 外科医の魅力(1)

2011年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム
明治、大正、昭和の三代にわたって精力的に活動したジャーナリスト、歴史家、評論家、政治家の「徳富蘇峰」が、ジャーナリストの条件として、「エヴリィシィングについてはサムシィングを知らなければならない」、そして同時にサムシィングすなわち [自分の専門分野については、エヴリィシィングを知らなければならない]と言っている。 一方,大学病院や民間病院で外科医として6000件に及ぶ手術を経験した後、僻地医療に転じた「大鐘稔彦」氏自身も、まず専門である怪我の縫合や小手術など外科的な応急処置から、水虫の診断・治療にいたるまで幅広く対応している。 氏はおっしゃる、「本来、僻地の医師を採用するする際には、外科の手術ができるかどうかを尋ねるべきですが、人手不足の折、どんな医者でも来てもらえれば有難いという訳で、ここの診療所でも耳鼻科医を採用したことがありました」。 

この国では「プライマリーケア」(初期医療・ホームドクター)の専門医を本気で育成しているのだろうか?、僕はかねがね疑問を抱いていたが、大鐘氏はプライマリーケアについても的確に言及する。 プライマリー医の使命として、氏は次の7項目を挙げている。 1)、正確な診断を下す。 2)、レパートリーを広く持つ。 3)、できるだけ通院で治す努力をする。 4)、「送り医者」(自分では血液検査とX線ぐらいしかできず、患者をすぐ大病院などへ送ってしまう医師)にならない。 5)、照会先(2次医療機関)のレベルを良く知ること。 6)最先端の医療を常に把握しておくこと。 7)、紹介した患者を見舞うこと。

あえて8)番目を加えるとしたら、「難しいことを分かり易しく説明できるコメント力」身につけて欲しい。 患者に説明してる内容が相手に通じているのかどうかを、考えながら対応してる医師が、余りにも少ないからだ。 もちろん簡単な外科的処置も必須項目で、こうした専門医が地域に配置されれば患者にとって心強いだけでなく、2次医療に従事する医師にとっても大きな刺激になリ、且つ医療費の抑制にも繋がるはず。 外科医の寿命は短く、大鐘氏によればメスを下ろす平均年齢は55歳前後。 しかし外科医は「潰しがきく」ことは確か、メスの代わりに包丁を持って、しゃぶしゃぶの肉なんか切らしたらったら最高だろうな、などと思うこともあるが、第2の人生はぜひ初期医療の分野でも活躍して欲しい。

第二次世界大戦前夜のパリで亡命者として暮らし、無能な病院長の代わりに麻酔をかけた後に現れ、難しい手術をこなす幽霊医師が、ベルリンの元大病院外科部長で、ユダヤ系オーストリア人の外科医「ラヴィック」。 ストイックで極めて魅力的な一人の外科医の生き方を描いたベストセラー小説 「エーリッヒ・マリア・レマルク」の「凱旋門」は、何度となく読み返した僕の愛読書。 大戦が終わった翌年の1946年に出版されると、世界中で外科医を志望する若者が続出し、彼が愛飲するフランス・ノルマンディー地方の林檎酒 「カルヴァドス」が飛ぶように売れた。  

僕の友人は黄疸症状が出て診察を受けたところ、膵臓癌と診断され、地元の総合病院で「膵頭十二指腸切除」の手術をしたが一年を経ずに他界した。 たいへん難しい大手術と聞いていたが、朝手術室に入り、終わったのが夕方近かった。 ところが大金氏の恩師で故羽生富士夫教授は、最短でも8時間かかる難手術を約半分の時間で終らせ、しかも世界でこの手術を1000例やった2人のうちの1人。 こうした技術は数多く手術を見て盗み取るしかなく、大鐘氏も2週間おきに東京女子医大に通ってこの技術を学んだと言うが、外科医の醍醐味は、即結果が出るところにあるようだ。

 


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