カキぴー

春が来た

世界一孤立した有人島 「トリスタン・ダ・クーニャ」(2)

2011年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム
この島の自冶権は英本国から大幅に認められており、島民の生活は基本的に自給自足で漁業や農業を営む。 しかし平地は北西岸にある僅か5k㎡の土地のみで、すべて公有(コミュニティーの所有)、ここに島で唯一の集落・畑・牧草地がある。 そして永年守られてきた約束事は「平等」。 主食のジャガイモを栽培する畑には風除けの石が積まれ、1区画が1人分で家族の人数によって区画数が割り当てられる。 また放牧地での家畜の数は630頭、「牧草管理」のため厳しく管理され、牛・羊は家族1人当たり2頭の割り当てになるよう飼育が制限される。

また島で1軒のスーパーマーケットには保存食や日用品がケープタウンから送られてくる。 倉庫には船が来ない時に備え必需品がストックされているが、これらも平等に分けられる。 朝6時には、鐘代わりに吊るされた赤い酸素ボンベがハンマーで叩かれ、病人を除く全員での島を支える大事な仕事が始まる。 主な産業は水産加工品(ロブスター)の輸出で、特産の「トリスタン・ロック・ロブスター」は漁獲制限量180トンの内、140トンが日本やアメリカ合衆国に輸出され、税収の60%を支える。 なお工場は島最大の建造物で、島全体への電力供給も担っている。

島には病院が一つ在り、医師一人と看護婦5人ケープタウンから派遣され診療は無料だが、手術や出産が行われることは限られる。 重篤な症状の場合には近くを通過する漁船を無線で呼び寄せ、ケープタウンまで送っていたが、2007年には本国政府や大学病院、関連企業などが協力して 「遠隔地医療通信プロジェクト」を立ち上げ、島の医師が医療的助言を受けながらの治療が可能となった。 しかし人口が少ないため、どうしても「近親婚」による健康・遺伝の問題が深刻で、難しい課題を抱えている。

テレビ放送は2001年まで受信できなかったが、現在は衛星放送によってイギリス軍の放送サービスを受けられるようになった。 電話は各家庭に普及しており、インターネットサーヴィスも利用できる。 教育は初等・中等教育に限られ、島に1つある学校には3歳から15歳までの児童生徒が学ぶ。 また高等教育を希望する生徒には、イギリス本土での教育を受け続けることができる。

50年前の1961年、村落の付近で火山活動が活発化し、10月10日に大規模な噴火が起こった。 当時居住していた住民全員(島民264名と一時滞在者25名)が小船でケープタウンに逃れた後、イギリス本土に避難した。 翌年、王立協会が島の調査を行い被害は少ないとの報告を受け、政府は島民を対象に帰還するかどうかの投票を行ったところ、島民の90%が帰島を希望した。 人口150人、標高5000mの厳しいチベットの高地で、羊を放牧ながら生きる男の言葉を思い出す。 「私たちは豊かでは在りません。 でも貧しくもありません。 今の生活が一番幸せなのです」


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