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春が来た

「アイゼンハワー・マッカーサー・パットン」、米軍3大英雄と、シビリアンコントロール

2012年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム
1993年3月31日、防衛大学の卒業式で祝辞を述べたのがイタリア在住の作家で、歴史小説「ローマ人の物語」の著者「塩野七生」。 これが開校以来の名スピーチで、全生徒のスタンデンィグオベーションで拍手が鳴り止まなかったという。 内容を要約すると、「一級のミリタリー(武官)はイコール一級のシビリアン(文官)である。 あらねばならないではなく、そうでなければ戦争にも勝てない。 武力でしか解決する方法を知らないのは、一級のミリタリーとは言えない。 あなた方がもし明日シビリアンの世界に放り出されても、一級のシビリアンで通用するミリタリーになられよ。 それが古今東西変わらなかった一級のミリタリーになる唯一の道だと思う。」

ところでアメリカ軍の近代史に残る3人の将軍を例にとって、塩野氏の推奨する文武両面でバランス感覚の優れた一級の人物を「上」、ややミリタリー寄りを「中」、根っからのミリタリーを「下」として左から順番に並べてみたのがタイトルの3名である。 陸軍士官学校卒、第2次世界大戦でノルマンディ上陸作戦に始まる欧州大陸への「連合軍最高司令官」として戦勝を飾り、元帥に昇進するとドイツ降伏後の占領軍政トップに就任した 「ドワイド・D・アイゼンハワー」(1890~1969)を、トップランクの「上」に位置ずけてみた。 戦後はコロンビア大学学長、NATO軍初代最高司令官を歴任後、1952年の大統領選選挙に共和党から立候補、圧倒的人気によって第34代合衆国大統領に就任したのはご存知の通りで、愛称は「アイク」。

アイク自身は極めて健全な常識人で、全米を覆ったマッカーシズムの狂気の時代にあっても、中道的立場を維持し、キング牧師率いる黒人解放運動にも理解を示している。 一方で冷戦時代には核兵器配備によるソ連への牽制を強めながら軍事予算を縮小している。 ジョン・F・ケネディとの対比から「何もしなかった大統領」との批判もあったが、近年歴史家の評価も大きく回復している。 GHQの総司令官を解任され羽田に向かう沿道には、「ダグラス・マッカーサー」(1880~1964)との別れを惜しむ20万の日本人が沿道を埋め尽くしたといわれるが、日本統治で彼が見せた政治手腕を評価しつつも僕が彼を「中」としたのは、更迭したトルーマン大統領が危惧したと同じく、朝鮮戦争の終盤で見せたミリタリーの本性とその怖さ。 

第2次大戦中どの世論調査でもマッカーサーは常に、アメリカで最も讃えられている軍人の一人であった。 しかし調査の専門家達が言うように、「文民指導者としての彼の能力を信じている人は、ほんの一握りしかいなかった」。 1948年4月、彼はウイスコン州の大統領予備選挙では共和党候補として登録されたが、6月の共和党大会では1094票中11票しか取れていない。 「文官と軍人を区別する」というアメリカの伝統が読み取れて興味深い。 さて合衆国創設当時から続く由緒正しい軍人一家に生まれ、根っからの戦争好きで、世論を騒がせる失言も多かったが、第1次第2次の世界大戦の現場では機甲部隊を率いて見事な戦いを見せたのが、「ジョージ・パットン」(1885~1945)。 

シビリアンコントロール無しでは何を言い出し、何をし出かすか判らない危険人物なので「下」評価としたが、ドイツのロンメル将軍と並び称される生粋のミリタリアン。 パットンは死ぬほど共産主義を嫌っていたが、アメリカの金融・政界を牛耳りつつあったユダヤ人のことも嫌っており、記者会見で「ナチ党員だった職員をなぜ雇用してるのか?」と言う質問に、「ドイツ国民にとってのナチスは、アメリカ国民にとっての共和党か民主党のようなものだ」 と発言して「書類上の部隊」に更迭される。 その年の12月ヨーロッパ戦線にカムバックした彼は、ナゾの「自動車事故」で首の骨を折り2週間後に死亡、ルクセンブルグのアメリカ軍墓地に埋葬される。 それにしても先の大戦で日本が軍部の暴走を止められなかった悲劇を思うとき、シビリアンコントロールの意義をあらためて考えさせられる。   


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