カキぴー

春が来た

「アリューシャン・ゼロ」と「零戦」の悲運

2011年02月10日 | 乗り物
第2次大戦中に起きたたった一機の不時着機喪失が、海軍航空隊どころか日本国の崩壊すら早める結果になった。 1942年ミッドウエー作戦に連動して、日本海軍はアラスカ南方沖のアリューシャン列島・ウナラスカ島の「ダッチハーバー」を攻撃する。 九九艦爆17機と零戦15機は悪天候をついて空母を発艦、ダッチハーバーの基地、港湾施設を爆撃し帰途に着くため反転したとき零戦隊はダッチハーバーの東方で低空を飛ぶ米海軍PBY飛行艇一機を発見、これを撃墜したが、最後まで攻撃を続けていた零戦一機は、不運にも敵機の旋回銃によって被弾する。 

オイルパイプをやられたパイロットは、母艦への帰投は無理と判断、かねて被弾時不時着の場所として予定されていたアクタン島海岸近くの平坦な草原に向かい着陸姿勢をとった。 不時着が成功すればゼロ戦を焼却した後、海岸に出て救助用の潜水艦で救出される手はずである。 脚を出しフラップを降ろして沈着に行動し、不時着は成功したかに見えたが、草原と見えた不時着地点が湿地帯だったため、機は脚を取られもんどり打って転覆し、パイロットは頭骨を強打して即死する。 

零戦は完全に裏返しとなり、わずかの破損で原形をとどめる。 不運の搭乗員は古賀忠義二等飛行兵曹、古賀機の遭難については米軍もまったく気付いていなかったので、そのまま放置されれば厳しい風雪にさらされ朽ち果ててしまうはずだった。 ところが一ヵ月後上空を飛んだ米軍機によって発見される。 「ほとんど無疵の零戦捕獲」 この報にアメリカの関係者が歓喜したことは言うまでもない、開戦いらい驚異的な高性能で米英の戦闘機をバタバタ撃墜したゼロファイターの全貌と神秘性がこれで掴める・・・。 捕獲した三菱零式艦上戦闘機(製造番号4593)を、米軍は「アリューシャン・ゼロ」(Aleutian・Zero)と呼称する。

古賀機はサンディゴのミラマー空軍基地に運ばれると、完全に復元されて飛行可能の状態となり、テスト飛行の後米戦闘機との空戦実験も繰り返され、当時、米戦闘機搭乗員から悪魔のごとく恐れられていた零戦の全貌が次第に解明されていく。 零戦はすっかり裸にされた。 実戦飛行を行ったパイロット達は次のように証言している、「ゼロ戦はきわめて軽く作られた戦闘機であり、軽量化のため防弾タンク、操縦者を守る防弾装置等をまったく無視し、操縦者の技量と無茶な闘志でゼロ戦の強さは発揮された」。

この証言に対し零戦パイロットの生き残りで200回以上の空戦で敵機64機を撃墜したエース、故坂井三郎氏はこう回顧している。 「日本は戦闘機の開発に当たり石油資源のない小国として、悲しいかな小馬力のエンジンからいかに優れた性能を引き出すか考えざるをえなかった。 その上いつ頃からか『生きて虜囚の辱めを受けず』の思想に誘導されていった」。 「しかし零戦はよく戦ったー。 もし、あの時、零戦が開発されてなかったら、日本海軍は開戦に踏み切らなかったかもしれない」。 


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