カキぴー

春が来た

高峰秀子から学ぶこと

2010年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

僕の友人は、「3つのない」 を生き方の指針としていた。 そしてそのような人生を送った。 彼の生き方を見てて、人はここまで自分の意思を貫けるものかと、感慨をもって接してきたが、彼は決してそれを他人に無理強いするようなことはことはなかった。 彼の言ってる意味が本当に分かったのは、会社を倒産させてからだ。

今さらこんなことを書くのは、斉藤明美著 「高嶺秀子の流儀」を女房から借りて読んでみて、通称 「デコちゃん」の考え方、処し方が、死んだ友人のそれとかなり酷似してたからだ。 彼女は大女優になることの怖さ、有名になることの恐ろしさを本能的に察知しており、友人の彼も、会社のトップとなり、いつの間にか「周りから、自分が変えられていく」怖さを知っていた。

「こだわらない」、「縛られない」、「とらわれない」、これが彼をいつも戒めとしていた 「3つのない」。 この格言を私の反省に置き換えて説明すると、例えばマスコミの怖さだ。 私の会社は、地方のサブコン(専門建設業)で始めて上場したこともあり、日経の記者などががよく取材に来ていた。 タダで自社の宣伝が出来るのと、知名度も上がるので、情報を提供しても損はない、利用したほうがトク、それが私の浅はかさだった。

トップが取材で発言し、記事になるということは、上場会社の場合、選挙の公約にかなり近い。 株主にとってそれは今後の業績や、成長見通しなどの判断材料となり、株価にも影響を及ぼすからだからだ。 従っていつの間にか自分の発言に縛られ、前言にこだわるようになる。 無理をしてでも公約を守ろうと、背伸びをし続けた結果が、破滅に繋がっていった。

デコちゃんは聡明な人だ。 女優を続けていても、必ず終わりがくることを知っていて、平凡な結婚を選択し、結果として幸せな余生を送っている。 ところで友人の彼は、僕の会社が危なくなってきた段階で、多額の第三者割り当てを引き受けてくれ、それをドブに捨ててしまった。 しかし何も言わず、死ぬまで付き合ってくれた。 お金にもとらわれない稀有な人だった。    

  

    


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