カキぴー

春が来た

ショーン・コネリー

2010年03月12日 | 映画

20世紀初頭のモロッコを舞台に、モハメッドの血を引くリフ族の首長 ライズリと、第28代アメリカ合衆国大統領、セオドア・ルーズベルトが激突するストリーは、1975年のアメリカ映画 「風とライオン」。 ライズリの役を演ずるのがショーン・コネリーで、相手役がキャンデス・バーゲン。 二人の組み合わせもベストだったが、 この映画を観て私は、007ジェームズ・ボンドのイメージから、見事に脱却したコネリーを、本当にいい俳優だと、改めて見直した。

彼は1930年、スコットランド・エジンバラのフォンテブリッジに生まれた。本名トーマス・コネリー。 1962年女優のダイアン・シレントと結婚し、息子のジェイソン・コネリーをもうけるが、離婚。 1975年にはゴルフトーナメントで知り合った、フランスの画家ミシュリーヌ・コクブルーンと再婚、おしどり夫婦として知られる。 スコットランド生まれを誇りに思い、故郷のスコットランド支援を続けており、2008年78歳の誕生日に発表した自伝のパーテーには、スコットランド国民党の、アレックス・サモンド党首も出席している。 

彼を一躍有名にしたのは、007シリーズのボンド役だが、当初コネリーが候補に選ばれたとき、原作者のイアン・フレミングが、ボンドらしさがまるでないと猛反対、むしろ友人のデビット・ニブンこそ、ボンド役にふさわしいと考えていた。 しかし3人のプロジューサーは、ある映画に出ていたコネリーに注目する。 長身で頑丈な体格、恐れを知らぬ度胸、優雅な物腰、豹のような歩き方、そして何より異性を惹きつける色気。 何とかフレミングを説き伏せ、第1作 「ドクター・ノオ」 に起用する。 結果は大ヒットではなかったが、コネリーの人気を不動のものにし、フレミングも試写を観終わった後、「彼こそボンドそのものだ」と絶賛したという。

第2作 「ロシアより愛をこめて」 でコネリーの名は世界的になり、「ゴールド・フィンガー」「サンダーボール作戦」 でブームは頂点に達し、世界各国で社会現象となる。 しかしこのころからコネリーはいささかストレスを感じるようになり、その後ついに、ボンド役以外の役をやりたいと降板を表明する。 彼ならば当然の帰着であったと、私は思う。 そして87年 「アンタッチャブル」 では主役のケビン・コスナーを食う形で、アカデミー助演男優賞を受賞する。

2006年、アメリカ映画協会の生涯功労賞を受賞したのを機に、コネリーは引退を宣言する。老いた醜態をさらしたくない、そんな彼の美学が、後押ししたのかもしれない。 惜しまれてならない。


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