今日は、かみさんと子供たちは実家に行っているので、ひとりで仕事中。
昨日から今日にかけての、黒岩山のことを少し。
土曜の午後、気温は33度。
暑い中で支度をするのは大変なので、必要なものを適当に袋につっこんで、車に放り込み、ちょうどやってきた友人を乗せて出発。
牧ノ戸峠にはちょうど1時間で到着。まだメンバーは数人しかいなかった。
気温は25度で、曇っていて風が強いので、薄手のTシャツと短パンでは肌寒さを感じる。
30分ほどの内に大体のメンバーと荷物が揃ったので、背負子にくくりつけて歩き始める。 30kg超だが問題ない。 はずが、背負子のバランスが悪く、フレームが腰に当たって痛いので、ちょっと姿勢を変えて歩くことになり、ちょっときつかった。
重たいのでみんなより少し先に出発したけど、登り10分を残すところで後続に追いつかれ、そこで背負子は交代。 代わりにその人のザックを背負って登るが、小走りで登れるくらい軽く感じてびっくりした。
でも、荷物が肩に食い込む感じは久しぶりで、気持ちよかった。
山頂(本峰じゃなくて、手前の草原ピーク)は風が強く、時々ガスに巻かれることもあるが、晴れ間が出ることもあった。
しばらくは風を避けられて、みんなが座れる場所を探し回った。
木の陰を利用して、さらにタープを、風上側を地面に付けるようにして設営して場所を確保。 夕飯を食べる。
ガスは濃くなっていったが、幸い雨はほとんど降らなかったので助かった。
後続隊も迎えて、夜遅くまで騒いでた。
久しぶりにゆっくり過ごせて楽しかった。
夜の間ずっと吹き付けていたガスは夜半からさらに濃くなり、夜明けには雨混じりになったので、朝は食事なしでとっとと撤収して下山。
牧ノ戸峠に雨は降っていなかった。 山の上だけだったらしい。
峠の駐車場には、沢山の県外ナンバーの車が止まっていて、それぞれ登山の支度をしていたが、ガスが濃いのでどうしようか判断に迷っている人もいた。
その中の一人が話しかけてきたが、こっちとしては「大丈夫ですよ」とはなかなか言えない。 たぶん大丈夫だろうとは思っていても、それを口にはできない。 遠くからやってきて気の毒だが、2,3時間の天候待ちをするか、あきらめるかを勧めた。
実際、久住山頂周辺はガスに囲まれると、いろいろな場所でルートを外しやすい。
おれ自身、数十回登っているが、今年の1月の夜間下山時に久住別れの小屋の前で数メートルだけど道を外した。 たった数メートルだけど、感覚が狂わされたことにはショックを受けた。
久住山からの下りも、ガスに巻かれると、やはり道を外しやすい。 初めて久住に入る人が、そのガスの濃い中に突っ込んでいくのに、「大丈夫」とは言えない。
時々、登山口で「このくらいなら大丈夫だよ」と自分が大丈夫なことを自慢するように人に「助言」する人がいるのを見ると、後から蹴り落としたくなる。 あんたが事故に遭うのは構わないが、人まで巻き込むな、と。
あるいは、自信のないグループ同士が不安をぬぐい合うように「大丈夫だよね」と言い合ってるのを見かけることもある。
不安ならなぜやめない。
不安なら、なぜより安全な策を採ろうとしない。
あきらめるのが嫌なら、ガスに巻かれて道を失っても、晴れるまでの時間を安全に過ごすための工夫をすればいいじゃないか。
考えることをしないのだから事故は減らない。
道具と頭を使うことで、生存率を上げられるじゃないか。
危機を感じて、生き残る選択をしていけば、北海道の事故だって死者を減らすことができたはずだ。
人ばかりを頼るな。 結局歩くのは自分ひとりだ。
以前雪の久住山に登った際、30人ほどの隊列を会員数名でサポートしながら登ったことがあるが、その時に、ある年配の女性が息を少し切らせながら「今はまだ使わないこのアイゼンを持ってもらえますか?」と言われたので、「無事に下りたかったら自分の荷物は自分でもってください」と冷たく答えたのを思い出した。 もう20年近く前かな。 おれも若かった分だけ言い方がきつかったかなと反省はしている。
でも、自分の荷物を自分で持つのは当たり前だと、今でも思っている。
おれがアイゼンを預かったまま、どこかで滑落してしまったらどうなるかを考えるからだ。 おれが遭難することで、その人の事故率まで上げるわけにはいかないからだ。
たかが冬の久住だからそこまで考えなくても、と言う人もいるかもしれないが、久住山系での死傷者数を見てから出直してもらいたい。 街中にある公園と一緒にするなよ。
アイゼンが重くて歩けないなら、そこで引き返せばいいじゃないか。それ以上でも以下でもないよ。
その人を山頂に立たせることが隊の目的なら、荷物どころか、その人自身を背負ってでも登るけどな。
なんで、何度も何度も同じような事故ばかり起きて、何人も山で死ぬのだ。