くまきち

山と旅と家族が大事。
でも激しい物欲が理性と財布のタガを飛ばす
最近は自転車も乗ってる

空と雲

2009-07-30 00:43:50 | 写真


飛行機から見た写真。

上には空と雲。 下にも雲。 考えてみたら地上では見られないめずらしい景色だ。

山の上に行くと、これに近い景色に出逢えることがあるけど、大体それなりの高山に行かないとなかなかお目にかかれない。

北アルプス行きたいなあ。

apache 修正点のメモ

2009-07-29 16:33:59 | SEまわり
- mod_deflate module においてクライアントが通信切断後でも大きなファイルを
圧縮し続け 多大なCPU 処理時間を使いサーバを破壊するという DoS 攻撃を防ぐ
ように修正。
(CVE-2009-1891)
- AllowOverride の Options 指定が、 .htaccess ファイルで有効にならない
不具合を修正。
(CVE-2009-1195)
- reverse proxy 構成の mod_proxy において、無制限に CPU 処理時間を使い
proxy process を破壊するという DoS 攻撃を防ぐように修正。
(CVE-2009-1890)
- mod_proxy_ajp に、おいて以前失敗したリクエストからサーバが誤って別の
ユーザへレスポンスを返す不具合を修正。
(CVE-2009-1191)
- APR-util library の特別な構成などにも影響を及ぼす可能性のある 3 つの
セキュリティ上の問題を修正。
(CVE-2009-0023, CVE-2009-1955, CVE-2009-1956)

「ななせの火群まつり」に行ってきた

2009-07-27 12:11:54 | 地域
 昨夜は仕事が火の車という状況にもかかわらず、夜に近所の祭りに出かけてしまった。

 「ななせの火群まつり」という若い祭りで、火群は「ほむら」と読ませる。 宛て字だ。


 回を重ねる毎に見に来る人が増えてるようで、8時過ぎに行ったら全然駐車場に止められなかったので、いったんかみさんと子供達を近くでおろしてから、遠くに車を置きに行った。

 実は毎回子供が夜店を回るのにつきあって、これまで演し物は見たことがなく、今回が初めて。


 おおざっぱに言うと、火の玉入れをやってた。
 火をつけた布か何かのかたまりにひもをつけて、ぶんぶん回して勢いをつけて、高さ13mの棒の先端についてるかごに放り込む競争。 もちろん早く火が付いた方が勝ち。

 離れて見てると、ちょっとスケールの大きな玉入れ程度だが、13mという高さはかなりのものだ。
 なかなか入らない。

 また、火の付いた塊は、時々大きく外れると観客のところまで飛んでくるので、スリルもある。


 競争が終わった頃から、横の河川敷から打ち上げ花火が上がる。
 割と近くで見られるので、大きくて見応えがある。

 頑張って写真を撮ってみたが、どうもマニュアルフォーカスがへたくそで、きれいに撮れなかった。
 あと、煙が邪魔をして、なんか雷雲を撮影してるようなのも多かった。

 そのうち、煙のでない花火が開発されたりするかもしれないな。 必要は発明の母なので。


 子供達は十分楽しんでくれたようだ。
 ちょうど幼稚園で仲良しの子供のところも来ていて、一緒に見たり遊んだり、店で買い物をしたりして楽しかったみたい。


 次回は三脚と、別のレンズで挑戦しよう

梅雨が長い

2009-07-25 22:42:26 | 雑記
今年の梅雨は長いなあ。

91年の夏も梅雨は明けなかった。

と思ったけど、九州では明けたのかも知れないと思い直した。

91年の夏は7月の20日過ぎに、なかなか発表されない梅雨明けを待てずに、北アルプスに栂池から入山し、白馬まで進んだところで暴風雨にテントを破壊され、緊急下山。 富山で体勢を立て直して、今度は立山に入山したものの、やはり天気は悪いままだった。

結局あの年、北アルプス周辺の梅雨は明けなかった。

翌年はちゃんと晴れてくれて、劔から穂高まで一気に縦走した(キレットの手前で悪天があって2沈したけど)。  懐かしい。

この年は激しくて、2週間の縦走のあと、いったん下山して、そのまま八ヶ岳を巡って、さらにそこで母、姉と合流して再び立山周遊、それが終わって東京に出て企業研修を済ませてから、今度は小川山で遊んでから、また東京。 最後に青春18切符を使って約5000円で熊本まで帰った。 40日ほど旅していた。

楽しかったなあ…




ま、梅雨が明けない、こういう年もあるわな。

九重のナイトハイク中止

2009-07-23 12:04:45 | 山と旅
●交通マナー悪化で中止 来年は距離短縮など検討 九重ナイトハイク
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/110569


 「ひとりでも約束を守れなかったら、全員連帯でアウトです」


 と言うケースは子供の頃からたくさんあったんじゃないかと思うんだが、違うのかな。
 こういう、道路を使うタイプのイベントは、何かあるとすぐ翌年から不許可になってしまうから、企画/実行する人たちは一生懸命対策や周知方法を考えて、その上で警察に届けて、やっと許可をもらえるんだよね。
 大学の時に阿蘇山頂から熊本市まで歩くイベントを毎年やってたけど、それと同じ苦労をしないと行けないはず。

 参加する方にしてみれば、委員におんぶにだっこで、自分たちは楽しく歩くことだけ考えてればいいと言う間隔かもしれないけど、そうは行かない。
 世話役が苦労していることは、当然理解しないといけない。

 そこまで気が回らない人が多いんですかね。。。。


 ちゃんと気がつく人は、今回のイベント中止は残念だろうなあ。
 逆に、気がまわらない人は「あれ?ないの? まあいいか」くらいにしか感じないかもしれない。


 残念な人が多い。

日食

2009-07-22 17:15:06 | 写真
昨日、熊本から進んで鹿児島市内に泊まった。

夜の天気予報で、どうやら梅雨前線が南下するらしいことが分かり、南の方が悪いようなので、方針を変更することにした。

翌朝、朝食を済ませてからすぐに出発して、南ではなくて北に向かった。

9時半過ぎ、日食が始まる時間だが、霧島付近を走行中。 空は曇りどころか時折驟雨が降る状態。 もっと北に、早く北に、と車を走らせた。

10時過ぎ、ようやく雲が厚みを減らし、雲越しに太陽が見えるようになってきたところで、かみさんが助手席から遮光板を使ってみてみると、はっきりと欠けた姿が見えた。

ならば、と言うことで、直近の PA に入った。 緑川PA。

すぐに撮影の支度。
子供たちは観察の支度(メガネ用意するだけ)

なんとか食分最大となる時刻(ほぼ11時)までは観測できたが、その後はほとんどずっと太陽の姿は見られなかった。

でも、見えて良かった。
予定よりも食分は小さいけど、とにかく太陽が欠けた姿をみんなが見えたのが良かった。


写真は、最大食分の時の太陽。



熊本なう

2009-07-21 17:33:03 | 山と旅
熊本インター近くのびっくりドンキーなう

ここまで断続的な雷雨や強雨。

明日は実は北部九州が晴れるという情報もあるけど、迷うのはやめて、予定どおり薩摩半島南部に行く。
 結果見られなくても、後悔はしない。

 もし今回見られなかったら、次は海外でも出向いて見てやる。


黒岩山

2009-07-19 22:07:17 | 山と旅
 今日は、かみさんと子供たちは実家に行っているので、ひとりで仕事中。
 昨日から今日にかけての、黒岩山のことを少し。


 土曜の午後、気温は33度。
 暑い中で支度をするのは大変なので、必要なものを適当に袋につっこんで、車に放り込み、ちょうどやってきた友人を乗せて出発。

 牧ノ戸峠にはちょうど1時間で到着。まだメンバーは数人しかいなかった。
 気温は25度で、曇っていて風が強いので、薄手のTシャツと短パンでは肌寒さを感じる。

 30分ほどの内に大体のメンバーと荷物が揃ったので、背負子にくくりつけて歩き始める。 30kg超だが問題ない。 はずが、背負子のバランスが悪く、フレームが腰に当たって痛いので、ちょっと姿勢を変えて歩くことになり、ちょっときつかった。
 重たいのでみんなより少し先に出発したけど、登り10分を残すところで後続に追いつかれ、そこで背負子は交代。 代わりにその人のザックを背負って登るが、小走りで登れるくらい軽く感じてびっくりした。

 でも、荷物が肩に食い込む感じは久しぶりで、気持ちよかった。


 山頂(本峰じゃなくて、手前の草原ピーク)は風が強く、時々ガスに巻かれることもあるが、晴れ間が出ることもあった。



 しばらくは風を避けられて、みんなが座れる場所を探し回った。

 木の陰を利用して、さらにタープを、風上側を地面に付けるようにして設営して場所を確保。 夕飯を食べる。
 ガスは濃くなっていったが、幸い雨はほとんど降らなかったので助かった。



 後続隊も迎えて、夜遅くまで騒いでた。
 久しぶりにゆっくり過ごせて楽しかった。





 夜の間ずっと吹き付けていたガスは夜半からさらに濃くなり、夜明けには雨混じりになったので、朝は食事なしでとっとと撤収して下山。
 牧ノ戸峠に雨は降っていなかった。 山の上だけだったらしい。


 峠の駐車場には、沢山の県外ナンバーの車が止まっていて、それぞれ登山の支度をしていたが、ガスが濃いのでどうしようか判断に迷っている人もいた。
 その中の一人が話しかけてきたが、こっちとしては「大丈夫ですよ」とはなかなか言えない。 たぶん大丈夫だろうとは思っていても、それを口にはできない。 遠くからやってきて気の毒だが、2,3時間の天候待ちをするか、あきらめるかを勧めた。
 実際、久住山頂周辺はガスに囲まれると、いろいろな場所でルートを外しやすい。
 おれ自身、数十回登っているが、今年の1月の夜間下山時に久住別れの小屋の前で数メートルだけど道を外した。 たった数メートルだけど、感覚が狂わされたことにはショックを受けた。
 久住山からの下りも、ガスに巻かれると、やはり道を外しやすい。 初めて久住に入る人が、そのガスの濃い中に突っ込んでいくのに、「大丈夫」とは言えない。

 時々、登山口で「このくらいなら大丈夫だよ」と自分が大丈夫なことを自慢するように人に「助言」する人がいるのを見ると、後から蹴り落としたくなる。 あんたが事故に遭うのは構わないが、人まで巻き込むな、と。
 あるいは、自信のないグループ同士が不安をぬぐい合うように「大丈夫だよね」と言い合ってるのを見かけることもある。


 不安ならなぜやめない。


 不安なら、なぜより安全な策を採ろうとしない。

 あきらめるのが嫌なら、ガスに巻かれて道を失っても、晴れるまでの時間を安全に過ごすための工夫をすればいいじゃないか。 

 考えることをしないのだから事故は減らない。
 道具と頭を使うことで、生存率を上げられるじゃないか。
 危機を感じて、生き残る選択をしていけば、北海道の事故だって死者を減らすことができたはずだ。
 人ばかりを頼るな。 結局歩くのは自分ひとりだ。

 以前雪の久住山に登った際、30人ほどの隊列を会員数名でサポートしながら登ったことがあるが、その時に、ある年配の女性が息を少し切らせながら「今はまだ使わないこのアイゼンを持ってもらえますか?」と言われたので、「無事に下りたかったら自分の荷物は自分でもってください」と冷たく答えたのを思い出した。 もう20年近く前かな。 おれも若かった分だけ言い方がきつかったかなと反省はしている。

 でも、自分の荷物を自分で持つのは当たり前だと、今でも思っている。
 おれがアイゼンを預かったまま、どこかで滑落してしまったらどうなるかを考えるからだ。 おれが遭難することで、その人の事故率まで上げるわけにはいかないからだ。

 たかが冬の久住だからそこまで考えなくても、と言う人もいるかもしれないが、久住山系での死傷者数を見てから出直してもらいたい。 街中にある公園と一緒にするなよ。

 アイゼンが重くて歩けないなら、そこで引き返せばいいじゃないか。それ以上でも以下でもないよ。
 その人を山頂に立たせることが隊の目的なら、荷物どころか、その人自身を背負ってでも登るけどな。




 なんで、何度も何度も同じような事故ばかり起きて、何人も山で死ぬのだ。