3セメで卒業できると思ったからこそ、破産前に卒業可能だとその大学にこだわった私でしたが、現実はそうではありませんでした。(前回の記事参照)そしてその後、更なる予想外な問題にぶち当たることに。
大きな勘違いであったにしろ、3セメで勉強を終わらすことができるのであれば、なんとか資金が間に合うと考えた私でしたが、それは大学でのバイト収入をも含めてのことでした。コミカレ時代、バイトをしようと思った夏すぐにポジションが得られ、進学先の大学でも学期が始まる前に手を打てば、バイトが見つかるだろうと思っていました。なので進学前の夏、クラス登録で進学先の大学に行ったときに、何かポジションがないかあたってみたところ、まずはFinancial Aidの手続きをしなければならないと言われました。私は留学生で、アメリカ人用援助には無関係のはずでしたが、コミカレでバイトが決まったときも(なぜか)その書類に記入することになったため、大学でも同じ状況なのかと、言われるままFinancial Aidの手続きをすることに。(手続き完了に数週間かかると言われた)
その後アパート探しで進学先の地に何度か行ったとき、その都度大学に寄り、バイト状況を確認してみたのですが、「今はポジションの空きがない」と言われるばかり。そして新学期が始まってからも答えは同じで、そのカレッジでのバイトはほぼ不可能のようでした。3セメで卒業できないことが発覚し(←サマーを取れば可能ですが学費が倍になるのでそれもキツイ)、当てにしていたバイト収入が得られない。自分の金銭的不安は益々高くなることに・・・・。
問題はこれだけではありません。進学先は陸の孤島のごとくの地であった「村」にあり、そしてNYCに近づいたせいか、全体的な物価が高く、家賃をはじめ、食品、日用品、車の保険、全て、以前住んでいたところよりも高いのです。(店はモノポリー化しているともいえる)家賃の高さに関しては承知の上だったとは言え、生活費の足しになるはずだったバイト収入がないということで、家賃の支払いとそのほかの生活費が、その後ずっと続く大きな障害に感じられました。
更なる問題は続きます。そこに住み始めてしばらく経ったころ、その地に移ったことにより、自分の世界が急に狭まったような気に襲われました。それが事実か錯覚かはともかく、とにかく本人はそういう気に襲われたのです。その原因になったのは、その「村」がいわゆる「カレッジ・タウン」だったということ。(タウンではなくビレッジですが)
村にある目立ったものといえばカレッジのみで、村人口の割合は学生がほとんどを占めていました。そしてカレッジのすぐ側には2,3分車で走り抜けたらそこまで、という感じの小さなダウンタウンがありましたが、私はその唯一アメリカのコミュニティーを感じられる場とは反対方向に住む場所を決め、カレッジから家までの道のりは、ひたすらまっすぐの田舎道を10分走るだけというものでした。ですので通学中目にするものは山と草原のみで、カレッジにたどり着けばコミカレに少し色を加えた程度の生徒たちがいるだけ。(←どんなんや) つまりその地で目にするものは、学校、学生、そして大自然。この自分の状況に身を持って気付いたとき、突然陸の孤島に追いやられた気分になってしまったのです。
自分のやりたいことがわからないまま仕事に繋がらない専攻を選び、そのあまりにも幼稚な自分を進学直前に認識したあと、3セメで卒業できないことが発覚したうえ、大学でバイトもできず、物価の高い、個人的にノイローゼになりそうな「陸の孤島」に2年も住むことになった私。コミカレ卒業時から進学してからの1ヶ月ほどの間、自分の愚かな選択と行動を、後悔してもしきれないほど悔やまれる辛い状況でありました。(とにもかくもバカすぎる・・・・)
続く。
大きな勘違いであったにしろ、3セメで勉強を終わらすことができるのであれば、なんとか資金が間に合うと考えた私でしたが、それは大学でのバイト収入をも含めてのことでした。コミカレ時代、バイトをしようと思った夏すぐにポジションが得られ、進学先の大学でも学期が始まる前に手を打てば、バイトが見つかるだろうと思っていました。なので進学前の夏、クラス登録で進学先の大学に行ったときに、何かポジションがないかあたってみたところ、まずはFinancial Aidの手続きをしなければならないと言われました。私は留学生で、アメリカ人用援助には無関係のはずでしたが、コミカレでバイトが決まったときも(なぜか)その書類に記入することになったため、大学でも同じ状況なのかと、言われるままFinancial Aidの手続きをすることに。(手続き完了に数週間かかると言われた)
その後アパート探しで進学先の地に何度か行ったとき、その都度大学に寄り、バイト状況を確認してみたのですが、「今はポジションの空きがない」と言われるばかり。そして新学期が始まってからも答えは同じで、そのカレッジでのバイトはほぼ不可能のようでした。3セメで卒業できないことが発覚し(←サマーを取れば可能ですが学費が倍になるのでそれもキツイ)、当てにしていたバイト収入が得られない。自分の金銭的不安は益々高くなることに・・・・。
問題はこれだけではありません。進学先は陸の孤島のごとくの地であった「村」にあり、そしてNYCに近づいたせいか、全体的な物価が高く、家賃をはじめ、食品、日用品、車の保険、全て、以前住んでいたところよりも高いのです。(店はモノポリー化しているともいえる)家賃の高さに関しては承知の上だったとは言え、生活費の足しになるはずだったバイト収入がないということで、家賃の支払いとそのほかの生活費が、その後ずっと続く大きな障害に感じられました。
更なる問題は続きます。そこに住み始めてしばらく経ったころ、その地に移ったことにより、自分の世界が急に狭まったような気に襲われました。それが事実か錯覚かはともかく、とにかく本人はそういう気に襲われたのです。その原因になったのは、その「村」がいわゆる「カレッジ・タウン」だったということ。(タウンではなくビレッジですが)
村にある目立ったものといえばカレッジのみで、村人口の割合は学生がほとんどを占めていました。そしてカレッジのすぐ側には2,3分車で走り抜けたらそこまで、という感じの小さなダウンタウンがありましたが、私はその唯一アメリカのコミュニティーを感じられる場とは反対方向に住む場所を決め、カレッジから家までの道のりは、ひたすらまっすぐの田舎道を10分走るだけというものでした。ですので通学中目にするものは山と草原のみで、カレッジにたどり着けばコミカレに少し色を加えた程度の生徒たちがいるだけ。(←どんなんや) つまりその地で目にするものは、学校、学生、そして大自然。この自分の状況に身を持って気付いたとき、突然陸の孤島に追いやられた気分になってしまったのです。
自分のやりたいことがわからないまま仕事に繋がらない専攻を選び、そのあまりにも幼稚な自分を進学直前に認識したあと、3セメで卒業できないことが発覚したうえ、大学でバイトもできず、物価の高い、個人的にノイローゼになりそうな「陸の孤島」に2年も住むことになった私。コミカレ卒業時から進学してからの1ヶ月ほどの間、自分の愚かな選択と行動を、後悔してもしきれないほど悔やまれる辛い状況でありました。(とにもかくもバカすぎる・・・・)
続く。
>会社員の厳しさから遠ざかっているので、
そうなんですよ、学生には学生なりの厳しい面があるんですが、社会人生活と比べたら、気持ち楽だと思える部分も多くあるんです。まず勉強って本当にプライベートなことで(グループプロジェクトなどは除く)、社会にいたときほど周りに気を使わなければならないことがないんですよね。勉強を頑張った分だけよい評価として自分にかえってきますけど、でももしイマイチな成績を取ったとしても、自分の成績が落ちるだけで、決して他人の迷惑にはならない。これって仕事で失敗して会社や周りに迷惑をかけるというのと大きく違うところだなと思います。なので、学生(勉強)ってほんと個人的な世界だな~と。