ともの経験談コメントします。
先日ここインドネシアで慰安婦について活動されてるインドネシア人女性(エカさん)の協力を得て、まだ生存してる実際に慰安婦だった方たちとの対談にこられた日本の団体の通訳しました。
寿命の短いインドネシア人なので、慰安婦経験された方が元気でいるのは稀です。
更に日本人、特に男性となぞ口も聞きたくないという方がほとんどの中、貴重な体験でした。
慰安婦に来い!
などと言っても誰もきません。
駐屯所のお手伝いで給料もらえるという事で誘われた方がほとんど。
それも13歳の少女までも。
そして台所で急にレイプされた方もいらっしゃいました。
その後はレイプされ続けたかたも。
子供が産めない身体になった方がほとんどでした。
お金ももらえるという話しだったのに、もらえないどころか、色んな雑用もさせられてました。
勿論場所によって違いはあると思いますが、彼女達の心の傷ははかりしれません。
そして皆一様に言うことが、事実を知って欲しい、認めて欲しいということだけでした。
保障ももらったことないですし、要求もしません。
一人は最近日本にも行ってそのことを訴えてきました。
(この日は、日本にいった衝撃や身体の疲労も想像以上でしたので、お見えになりませんでした)。
この苦しみをなかったことにしないでくれと。
実際にあうと胸がしめつけられました。
でも誰も怒っていませんでした。
それどころか最後に全員に、来てくださってありがとう。
真実をしろうとして下さってありがとうと、かたく手を握られました。
慰安婦の経験を話すことはインドネシア人の女性にとっては大変恥ずかしく封印したいことなのです。
その気質のおかげで、そんなに表に出てないのだと思います。
この時もゆっくりゆっくり丁寧にほぐしていきました。
ソロの街には最初にメディアに慰安婦について語った方の記念碑(墓地)があります。
最近は色んな人が弔いに来るようになってるそうです。
難しい事ではなく、彼女の勇気を讃えるために。
彼女が口を開かなければ今でもインドネシアの慰安婦については闇の中だったかもしれません。
語るために尽力したのが日本人の牧師だと言う事を知り驚きました。
でも1番印象に残ったのは、熱いのはまわりで、本人たちはいたって冷静沈着。
穏やかだったこと。
冷静に周囲を見てました。
インタビューを受けられるような方たちは、皆さん家族に恵まれてるかたなんです。
その事実を受け入れて一緒に乗り越えてくれる家族がいたからです。
子供が産めない身体と知って結婚した旦那様にも支えられてる方がほとんどです。
そうでない方は、家族の恥部だ!と、絶縁されてたり、自殺されてたり、数奇な人生の終わり迎えてます。
それを責める活動でなく、真実を拡げようと活動しているエカさんに、真実を見た気がします。
これだけ彼女達が語ってくれるのは、エカさんを信用してるからなんです。
あつくなると、事実が伝わらない事もあります。
本人たちをそっちのけにしてないですか?
極端なタブー視や色眼鏡でなく知ることが大事なんです。
人を殺すのが最善という狂った戦争中の出来事を今の私たちが善悪を唱えることはできません。
でもあった事実はしらないと。