あじさい寺は北鎌倉の明月院が有名ですが、極楽寺切通しにも
「あじさい寺」
真言宗大覚寺派普明山法立寺成就院があります。
平安時代、弘法大師が諸国巡回の際、この地を訪ねられ、護摩供養の修法とともに虚空蔵求聞持法を修したと江戸時代に書き改めた成就院の縁起に記されています。
縁起とが読まない人間だったのに・・・・。

極楽寺方面からアプローチするとこんなところから入っていきます。
でも、鎌倉の場合には結構、案内表示がされているので安心ですね。

成就院の境内だそうで「西結界」門が迎えてくれます。

山門
空海の護摩壇跡に承久元年(1219)鎌倉幕府三代執権の北条泰時が京都より高僧を招き、本尊に不動明王を祀って普明山法立寺成就院と称したそうです。元弘3年(1333)に新田義貞の鎌倉攻めの時に戦火で寺は焼失し、奥の西ヶ谷に移っていたのを、元禄年中(1688~1703)に祐尊僧正が現地に復興したのだそうです。

弘法大師

「あじさい寺」
真言宗大覚寺派普明山法立寺成就院があります。
平安時代、弘法大師が諸国巡回の際、この地を訪ねられ、護摩供養の修法とともに虚空蔵求聞持法を修したと江戸時代に書き改めた成就院の縁起に記されています。
縁起とが読まない人間だったのに・・・・。

極楽寺方面からアプローチするとこんなところから入っていきます。
でも、鎌倉の場合には結構、案内表示がされているので安心ですね。

成就院の境内だそうで「西結界」門が迎えてくれます。

山門
空海の護摩壇跡に承久元年(1219)鎌倉幕府三代執権の北条泰時が京都より高僧を招き、本尊に不動明王を祀って普明山法立寺成就院と称したそうです。元弘3年(1333)に新田義貞の鎌倉攻めの時に戦火で寺は焼失し、奥の西ヶ谷に移っていたのを、元禄年中(1688~1703)に祐尊僧正が現地に復興したのだそうです。

弘法大師
