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親爺の徒然ぶろぐ

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Lubeck (リューベック)

2008-02-14 | Germany
バスでリューベック駅に到着。
駅は、お堀の外側にある。
ホテルは内側なのでとぼとぼ(ガタガタとスーツケースを転がしながら(嘘))とホテルに向かう。
(実は、ロストバゲッジでスーツケースはなく、ショルダーバッグ一つだったので結構軽快だった(w))
ここで、お勉強コーナー
ハンザ同盟(はんざどうめい)は、中世後期に北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟である。ハンザは、ドイツ語では 「ハンゼ」と(Hanse)呼ばれ、語源は古高ドイツ語で「団体」を意味し、もともと都市の間を交易してまわる商人の組合的団体のことを指した。ハンザ同盟の中核を占める北ドイツの都市は神聖ローマ帝国の中で皇帝に直接忠誠を誓う帝国都市であり、相互に独立性と平等性を保つ緩やかな同盟であったが、経済的連合にとどまらず、時には政治的・軍事的連合として機能した。しかし同盟の中央機構は存在せず、同盟の決定に拘束力も弱かったので、政策においてはそれぞれの都市の利害が優先された。リューベック、ハンブルク、ブレーメンなどかつてのハンザ同盟の中心都市は「自由ハンザ都市」を称して中世以来の都市の自由をうたっており、21世紀の現在もなおハンザ同盟の遺風を残している。冷戦終結後にドイツ、デンマークが中心となり第二次ハンザ同盟を謳ってその復活が試みられた。それは1992年にバルト海沿岸諸国評議会として結実する。第一次ハンザ同盟のような歴史的意義を有するものになるか、注目される。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2008/01/30 12:24)



ホルステン門がリューベックを代表する建造物ですが、工事中。
ハンザ同盟の発祥は12世紀にまで遡ることができる。この頃、ドイツを中心に国際的な都市間交易に従事する交易商人による「ハンザ」があらわれ、団体構成員の交易特権を得るための運動を行った。ハンザ商人たちは自身の所属する都市においては都市参事会などへの参加を通じて政治に参加する有力市民であり、彼らの相互援助の都市間ネットワークを通じて都市間で条約が結ばれることにより、都市のハンザも形成されていった。その中心となったのが、1159年にザクセン公のハインリヒ獅子公によって建設されたリューベックであった。出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2008/01/30 12:24)


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ドイツへ

2008-02-13 | Germany
調子に乗ってヨーロッパシリーズ第2段 
(でも、このネタは古いです^^;)

目的地はリューベック@ドイツ

今回はドイツですからルフトハンザで。

フランクフルト乗り換えでハンブルグまでそこからは地上交通手段でリューベックというのが予定ルート。
成田・フランクフルト間のフライトは偏西風の影響を受けてやや遅れ気味。
しかも、フランクフルト空港に到着するも空港側の受け入れ態勢が整っていないとのことで、さらに待たされる。
気になるのは乗り継ぎ。
前にドイツに入ったのは陸路だったのでなんの手続きも無かったというイメージが残っているが、そうではなかった。
まずは、入国手続きの列に並ばされる。
しかも、セキュリティーの前なんか長蛇の列。

乗り継ぎと言うことで少し優遇して貰いなんとか通り抜けたが、その先のターミナルは遠い。
同じように走っている人たちが数組いる。(w

一部工事中の場所があったり、エレベータが思いの外遅い等、
多少のトラブルを乗り越えなんとか乗り継ぎのターミナルに到着した。

既に搭乗が始まっており休む間もなく乗り込む。

国内便はエコノミーでも皮のシートでいいですねぇ、
なんて話していると直ぐにハンブルグに到着した。

バゲッジクレームに、フランクフルトでの乗り換え時間が1時間程度しかなかったことを考えると当然心配しなくてはいけないことが怒っていた。
いや、怒っていたのは我々で、事件は起こっていた。

バゲッジクレームで待てど暮らせど荷物は出てこない。

同じようにひたすら待っている日本人老夫婦がいたので話しかけてみるとやはり、成田→フランクフルト→ハンブルグということだ。

その夫婦は、外国語は得意ではないとのこと。

直前の渡米でロストバゲッジの憂き目にあった親爺は同じく困っている老夫婦を従えカウンターへ。

気が付けば総勢6名いる。

親爺と同僚、それ老夫婦だけだったはずなのだが、いつのまにかあと二人参加してる(w

窓口では既に何人かの外国人が交渉中。

このようなケースでは、クレームを付けている人はなかなか食い下がらないことが多いのでとりあえずトイレに行ってくる。

帰ってくると私の同僚が辿々しいドイツ語で話しかけていた。
しかし、埒が開かない様子である。

別の担当者が私に英語で話しかけてくる。
さすがに空港だ。

私の英語でも通用し、バッグの形、
宿泊ホテルの登録を登録し、老夫婦にも登録の仕方を教えてあげた。
(同僚談:「英語でよかったんだ」。一同:「(想)バカ野郎」)w


で、ロストバゲッジセットをもらって、娘さん夫婦が迎えに来てくれるはずとの老夫婦を残し、バスの乗り場に向かう。

バスの待ち時間が2時間近くあったはずだが、もうすぐ出発の時間になっている。

ある意味ラッキー?バス乗り場では運転手らしい人がくつろいでいたので、リューベック行であることを確認し、往復のチケットを購入した。

往復チケットというのがなかなか分かって貰えず、最後にはおれは英語は分からないと言われたけれど粘り勝ち。(W



ラジオでは、サッカー中継をやっている。もちろんドイツ語。内容は分からないが、得点が入ったことだけはわかった。(w

2時間ほどで無事、リューベック駅に到着した。

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レオナルド その1

2007-05-23 | Germany
昨日、古いメールを削除しておりましたら、一枚の写真が添付されたメールを見つけました。メールのタイトルが「レオナルド」。一緒にドイツに行った連中には直ぐわかるキーワードです!時はワールドカップが開かれているまさにそのとき、場所はハンザ同盟の世界遺産リューベック。仕事を終え入ったのが「レオナルド」、イタリアンレストランです。パティオに陣取りメニューを眺めます。いきなり、「飲み物は出せるけど、食べ物は出せないかもしれない。」先制パンチです。W確かにそろそろイタリア-オーストラリア戦が始まる時間ではあったのですが、・・・。続きはまた後日。


関連記事のキーワードは「2006年夏」「リューベック」。
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