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トジハジ日記

日記代わり、家族への発信用として利用させていただいてます。内容はいろいろですが登山が趣味で、公開は山行記録がメイン。

2025.4.22 サンノーの高(岐阜県)

2025-04-23 16:03:35 | 日記

小牧山頂上からの”サンノーの高”(左側の山容が冠山に似たピーク)


”サンノーの高” 頂上

わが町の小牧山(史跡、約86m)からは岐阜県と福井県の県境までの美濃、奥美濃の広大な範囲の山々が一望できる。更には南アルプスの一部、中央アルプスほぼ全山、御嶽山、乗鞍岳、槍ヶ岳、白山など、その展望はなかなかのものだ。最近は足跡を残してきたそれらの山々を山頂のベンチに座りのんびりと眺めていろいろな思いにふける時間が増えてきたが、同時にまだ登っていない、特に奥美濃山域のターゲット探しも楽しみになっている。夏季には標高の高い福井県との県境の山々と前衛の山々の区別がぼんやりしてわかりにくいが今の時期は白銀の山々と前衛の山々とのコントラストがはっきりする。そのおかげで最近になって舟伏山の近くに魅力ある山容の山があるのに気が付いた。ピラミダルで槍ヶ岳から南岳をミニチュア化したようなその山容がとても気になり始め、国土地理院の地図で探すと、どうもピークは北山の後方にある標高1107mのようだ。地図には名前が載っていないがいろいろと調べてみると、あの今西銀司氏が名付けたという”サンノーの高”ということが分かった。今ではこの山は藪山にもどりつつあるらしくほとんど人は入らないようだが、今西氏お気に入りの山だったということを知った以上はなんとしても登ってみたい。体調確認を兼ねて出かけることにした。

快晴と思っていたが朝からどんよりとした空模様で乗り気がしないま5時半ころに家をでた。まだ早いので地道でも快調に走ることができ7時過ぎに登山開始予定地に到着。一般の山と違って特に決まった登山口があるわけでもないので円原川沿いの適当なスペースに駐車して7:10頃にスタートした。しかし10分くらい林道を歩くと、道幅をはみ出しそうな伐採用の重機がでんと林道をふさいでいたので、自分の車の駐車方法では重機は通れないと思い、引き返して車を川の土手ギリギリまで移動させた。約30分のロス。
再びスタートしなおして林道を30分ほど進んでから尾根に取りつく。地図から判断してかなりの傾斜であることを覚悟してきたがそれにしても急だ。スリップしたらゴムまりのようにバウンドして谷底にたたきつけられるのは間違いない。慎重に高度を稼いだがこれ以上は危険と判断しダイレクトに降るのは危険なのでトラバース気味に谷底におりて最初の尾根取りつき点まで戻った。気を取り直し今度は撤退した尾根の左にルンぜを挟んで隣の尾根の側面にルートをとった。ここも傾斜がきつく油断できなかったが30分以上登ると尾根にはいあがることができ、そこにはわずかな踏み跡があったのでこの尾根をのぼっていくことにした。しばらく高度を稼いだあと、たまたま尾根の左側を覗いてみたら、偶然にもそこからルンぜの断崖上を水平に横断して更に左の尾根に続くトラバースの道を見つけた。よくこんなところに道を作ったもんだと感心させられたその道はとても信頼できるしっかりしたアンカーが数メートルおきに打ち込まれていて、その穴に太いトラロープが通されている。明らかに登山用ではなく巡視路用でミニ日電歩道版だ。道幅は両靴幅程度しかなく、さらにそこに土砂や落ち葉の堆積でトラロープは半分以上は埋まり、道も傾斜してスリップしやすい状態なのでロープを掘り出しながら慎重に進んだ。誰かが歩いた形跡は全くないので今年はまだ誰も入っていないのだろう。そのトラバースを終えてしばらく水平に進むと送電鉄塔のたっている広場に飛び出た。ここからは比較的明瞭な踏み跡が稜線上までありそうだ。やっと緊張感がほぐれた。

しかし緊張することはなくなったが、ダニに悩まされ始めた。踏み跡はあるとはいえ笹を分けながらの登高なのでズボンにもシャツにもダニがいっぱいついてくる。結局、数分歩いては払い落すという作業の繰り返しが頂上直下まで続くことになる。目で見えない後ろ側はいったいどうなっているのだろうと思うと不安で気が休まらない。10時頃、稜線に到着。県境?の石柱に腰を下ろししつかりとダニを落としながら一休憩。この辺りからガスに巻かれ始めなんだか雨が降りそうな気配になってきた。次のピークにはピンクのリボンが数か所につけられていた。リボンは登下降に使える尾根への下降開始点の印だ。この印が無いととても尾根の始まりとは気が付かない地形だった。更に進むと頂上直下の笹藪帯に突入。踏み跡などはない、背丈ほどの笹蜜集地帯だ。傾斜もあるのでまさに笹地獄状態。笹の茎は頑丈で入交っているので容易には前進できない。巻き付いてくる笹の茎を振りほどきながら少しずつ前進する。もうダニどころではなく、やっと笹藪帯から脱出し広場の中心にある三角点の標柱と木の上の方にかかっている”サンノーの高(たかみ)”と書かれたプレートを見た時は”やっとついたよー”と思わず声をだした。11時13分頂頂上着。ガスに包まれた静寂な頂上は幽玄な雰囲気を醸し出していた。

帰路は先ほど通過したピークからの下降が最短ルートなのだが、とても再び笹藪帯を突破する気になれないので往路と反対側へ下り周回することにした。 ガスで展望は無いので15分ほどの休憩で腰を上げ下山開始。幸いにもあれから笹藪帯は現れなかつたが相変わらず笹が多くダニからは逃げられない。途中にあるピークからほぼ90度左に折れて急下降する。笹で何度もスリップした。下降に使う谷の源頭鞍部に12時頃に到着。ここだけは笹がなく、広々とした緑地帯でダニの心配をせずに休むことができた。火照った体は谷から吹き上げる冷たい風ですぐに冷えてきたので10分ほどの休憩で下降開始。源頭部は溝の中を歩くような感じのところだったが、次第が水流が出始め、下降するにつれてどんどん沢の姿に変わっていった。源頭から歩くと川がができるまでの様子がとてもよくわかる。途中、残雪が2か所残っていた。沢状になってくると右左に流れを飛ぶことが多くなってきたが石がヌメつているので何度も足をとられてドボンを再三やらかした、1回は腰をしたたか打った。そんなことで下降のペースも全く上がらなかったが、なんとか予定通りの14時前に駐車地も戻ることができた。早速、人の気配など全くないので素っ裸になり丹念にダニチェツク。被害が無いことを知ってようやく一安心すると心地よい達成感が湧いてきた。

行動時間: 6時間7分
メモ: 水消費 1.5L丁度(2.5L持参)
    食したもの  パン1.5個、 押し出し羊羹3個、アミノ酸ジェル1個

<写真後日掲載>

2025.3.21 鈴鹿主脈全山細切れ縦走ラストウオーク (高畑山→油日岳)

2025-03-23 16:58:34 | 日記

高畑山頂上から、これから縦走する方面を望む。右奥に中間地点の那須ヶ原山

5年ほど前に年に1回多くて2回、鈴鹿主脈全山縦走を日帰り周回方式の積み重ね達成することをささやかな目標にたてた。そして今回が最後となる高畑山から油日岳への縦走である。ちなみに全山縦走の開始地点には御池岳から更に遠い天狗堂とした。君ヶ畑→天狗堂→サンヤリ→鈴ヶ岳→北鈴ヶ岳→御池岳→T字尾根→君ヶ畑の周回縦走が1回目。それから10回ほどの周回縦走を重ね今回がいよいよ最後の周回縦走となるはずだ。

4時前に自宅を出て6時過ぎに今回のスタート地点の那須ヶ原山登山口に到着。今の時期は営業していない(既に廃業の様子だったが)古びた茶店前に車を駐めた、もっと奥まで入れそうだったが、どうせ周回で戻ってくるのだから無理をせず広々としたこの場所に駐めることにした。ここから坂下峠に向かい坂下峠→溝干山から高畑山へ、そして再び坂下峠に戻ってから少しだけ西に主稜線から外れた那須ヶ原山に寄って油日岳を目指し、登頂後は油日神社側の登山口に下山して、後はのんびりと地道を8kmほど歩いて車のところへ戻る周回コースとした。

6時半ころ、駐車地を出発。天気予報では風は強いが快晴だったが、なぜかどんよりした空模様で雰囲気は寒々としていた。100mも歩かないうちに道の脇に雪が現れてきた。ひょっとしてアイゼンが必要かな思いながらも戻るのが億劫で前に進む。坂下峠近くになると道にも雪がしっかりと出てきた。峠につくとまず高畑山方面の登り口を探したが分からない。とりあえず主尾根に向かって崩れそうな斜面を登り始めた。途中でこのまま登り続けると進退窮まりそうなのであきらめて戻り、峠を少し三重県側に下ってみると坂下峠の標識がたっている場所に出て一安心。ここから溝干山までは意外にも急登で雪でスリップしないように注意させられた。高畑山には駐車地から1時間丁度で登り順調なスタートに満足。高畑山までは安楽峠から一度きているので頂上が懐かしい。前回はすばらしい展望だったが北方面の視界はガスでぼんやりしていた。南方面にはこれから向かう山々が続いて見える。残念ながら最終目的地の油日岳までの視界はなかったが、ほぼ中間地点のまだ雪がべっとりついている堂々とした姿の那須ヶ原山が遠くに確認できた。8時15分、再び坂下峠に戻ったが、帰りは巻き道を使わず(巻き道の入口の見落とし)岩稜を下ったので慎重さを要求された。またチェーンアイゼンを持参しなかったことも失敗だった。

いよいよここから核心部の始まりだ。山と高原の地図には険しいアップダウンが続くと記されているが果たしてどんなところだろうか。不安と期待が入り混じる。
8時26分、坂下峠をスタート。早くも大した傾斜の無い雪の斜面でないのに息が切れ始めた。少し前にトラブルで肺活量と呼吸筋の著しい低下を医師から指摘されたが、やはりその通りだと妙に納得させられた。今まで1時間の歩行の間に立ち休憩をすることはまず無かったが、今回は2回ほどそれをしないと息が続かずいろいろな意味で先が思いやられた。なんとか頑張って10時過ぎ、那須ヶ原山頂上に到着。タイムだけは順調なのだが。頂上は主稜線から離れ少し西側にあった。頂上には思いもよらないコンクリート造りの頑強な小屋が建っていてベンチもあり、立派な大きい標柱もあり、駐車地からも短時間でここまで登れるコースがあるので登山シーズン中は多くのハイカーが訪れるのだろう。雰囲気の良いところだったのでゆっくりと休みたかったが、天気予報に反して冷たい風があり、日も射してこないので寒くてアンパンを一つ食してから腰を上げた。 

ここから油日岳までは地図に記されていた通り険しいアップダウンが続いた。古びたロープが設置された細い尾根や岩場の登下降、トラバースが頻繁に現れ気を休めることができなかった。もう悪場は終わったという雰囲気になりかけた時に両サイドがすっぱり切れ落ちた靴幅リッジとでも名付けたいようなところが現れたに時には思わず ”まじかよー”と口走ってしまって苦笑。そこだけはさすがに転落が絶対に許されない場所で(ここまでもそうだが)真新しいトラロープが張ってあった。しかしそれに頼ると空中に飛び出してしまうようなロープの張り方だったので危険と判断して使用を控えた。そこを冷や冷やしながら通過すると、その後に悪場はなく、まもなく見覚えのある油日岳頂上の社の屋根が樹林の中に見えてきた。12時16分、ついにささやかな目標だった鈴鹿主脈全山細切れ縦走が完成した。

那須ヶ原山~油日岳は間違いなく鈴鹿主脈縦走中、一番険しい区間だった。この区間は主脈中で最も低い標高の山が続くので登山らしさに劣るかもしれないが険しさ故に今回の最後の縦走はしっかり記憶に残り続けると思う(Oops、そんなに長い人生は残っていないぞ!)

頂上からは油日神社方面の登山口に下り、今日歩いてきた山々を見ながらのんびり地道から見ながら駐車地に戻った。


行動時間
駐車地 6:38  溝干山 7:07/7:18 高畑山 7:36/7:45 溝干山 8:01/8:07
坂下峠 8:15/8:26 那須ヶ原山  10:03/10:18 三国山  11:35/11:52
忍者岳 11:54/12:01 加茂岳 12:04/12:12  油日岳  12:16/12:53
油日岳登山口:12:53


まず高畑山往復


坂下峠に戻り那須ヶ原方面へ


油日岳登頂後下山へ


下山後のスタート地点へ戻ったコース

2025.3.14 心震える山、御前岳(岐阜100秀山)

2025-03-15 19:05:42 | 日記

人形山、三ヶ辻山(中央)と金剛堂山、白木峰(右奥)
岐阜100秀山の著者が"心が震える”と評した通り、御前岳はまさしく心震える感動の山だった。

行動時間:12時間44分 (6:00頃スタート、18時40分頃下山)
気温:登山開始時: -5℃   頂上:14時前 2℃
頂上の風速: 感覚で7,8m

7,8カ月ぶりの個人山行に選んだのが岐阜100秀山の一つである御前岳。雪の状態により行動時間にばらつきがあるが10時間後半から11時間後半をを予定した。一向に改善しないヘルニアと喘息の影響がどの程度のものなのか気になるところだが、もうこれ以上、山から遠ざかっているのはつらいので思い切って今回の山を計画した。今回は同行者がいるので足をひっぱらないようにできれば良いのだが。

12日
地元の駅で16時過ぎに待ち合わせ、今日の宿泊地である飛騨白川道の駅へ。道の駅駐車場の建物の風が弱い場所を探してにテントを張った。
13日
6時に登山開始。気温はマイナス5℃。登りは既に営業が廃止された白弓スキー場から1735mのピークを経由する尾根ルートにした。早朝なので雪がしまっており快適に進む。ただ今回は脚力の衰えを考えメルカリで購入したモンベルの軽量のスノースパイク10本爪にしたのだが早くも後悔しはじめた。爪が短いため雪面への食い込み量が少なく、アンチスノープレートが雪面に接してズルズル滑りまくるのだ。これにはこの先ずっと悩まされ続けた。

スキー場上部から尾根にルートをとるのが常道のようだが我々はスキー場からまっすぐに谷状の斜面にルートをとった(このルート選びは大失敗だった)。8:30頃1735mピーク付近を通過、同行者に少しずつ引き離される。ヘルニアで神経が圧迫され左脚は痛みとしびれが続いていてこれ以上ペースを上げるのは不可、不本意だが長丁場なので無理はできない。4時間程度で主稜線近くに達したころ症状が緩和して少し気が楽になった。

1743mピーク付近で遠くの山々まで展望がきき始めた。これ以上は望めない好天に恵まれているので御前岳頂上での山座同定にとても楽しみになる。眼前に白山連峰が大きく見え始めてきた。三の峰から白山、妙法ヶ岳、野谷庄司山、笈ヶ岳、大笠山など足跡を残してきた山々が手に取るように連なっている。主稜線にのると初めて目指す御前岳が三ノ谷を挟んで対岸遠方に聳えているのが確認できた。しかしその遠さに果たして歩き通せるかどうか少々不安に気持ちになる。その御前岳を目指しながらの快適な稜線漫歩がしならく続く。御前岳へは主稜線の途中から300mほど三ノ谷に下降し、谷を渡渉してから再び登るのだが、周囲の景色に見とれながら漫歩していたいたらいつの間にか下降点を通過し別ルートの尾根を下降し始めるという失態をやらかしてしまい苦笑。再び下降開始地点に戻り支尾根を利用して谷底を目指す。傾斜が強く帰りの登り返しを思うと気が重い。遅きに失したが谷底直前で余分な荷物をデポすることにした。ここで余分に水1L入りプラティパスがザックに隠れていることに気付いて余分な体力消費に少々気落ち(トータル4.3L持参)。渡渉を心配していた谷底は完全に雪に埋まっていてなんの苦労もなかった。通常は沢状になって水が流れ渡渉に苦労するパーティーもいるようだが、今年は積雪が豊富なようだ。

13時頃、いよいよ御前岳の斜面に取りつく。急傾斜が続くが1時間はかからないはずなのでマイペースでゆっくり登らせてもらった。樹林帯を抜けるとにわかに風が強くなってきた。まもなく白い大斜面があらわれ頂上手前のピークが見えてきた。そのピークを越えると待ち焦がれた真っ白で広大な御前岳の頂上がついに目の前に姿を現した。”やった”という感動で胸が震えた。頂上の向こう側にはどんな景色が待っているのだろうかと思いながら歩を進める。そしてその白きたおやかな頂上に達した時に目の前に展開している景色に思わず絶句した。まさに360度、何も遮るものが何もない山々の美しさに言葉を無くし心震える瞬間だった。このような感動は本当に久しぶりだった。7時間の苦闘が吹き飛んだ瞬間だった。御前岳よ、ありがとう。そして同行者に感謝。

目の前に過去に足跡を残してきた山々が連なる。眼前にバックカントリーで遊んだ猿ヶ馬場山、その右奥に人形山と三ヶ辻山、更にその右奥には金剛堂山、白木峰と続く。そこから少し右、遠方には毛勝山方面と剣岳から乗鞍岳までの北アルプスの峰々の大パノラマが展開している。更にその右には御嶽とその左裾野に仙丈ヶ岳から塩見岳への山々が確認できた。西側に目を転じると三ノ峰から白山、妙法ヶ岳、野谷庄司山、笈ヶ岳、大笠山までの大伽藍のような障壁が大迫力で迫てくる。御前山頂上はこれ以上はない展望と感動を我々に与えてくれた。

写真を撮りまくったあと、14時頃に去りがたい頂上を後にする。三ノ谷からの登り返し途中でデポ品を回収し、1743mピーク付近で最後の展望を楽しんだ後、長い下降に移り、19時前に駐車地にもどった。

追記:
行動時間が予定より大幅にオーバーした。その理由は以下にある。
2回のルートミス、1回の尾根からスキー場に下るルート選びミス(谷にルートをとったが雪庇崩れのような状態の雪の状態で股まで落ち込む重い雪にペース上がらず)、1回のトラブル(埋没品探し20分ほど)、同行者のアイゼントラブル(4回ほど取り付け直し)など。雪質にも左右されるが順調なら10時間後半から11時間前半で往復可と思う)

<足跡を残してきた山々>

中央:人形山と三ヶ辻山 


金剛堂山と白木峰


BCでも訪れた日照岳、奥に大日岳

妙法ヶ岳、野谷庄司、シリタカ、笈ヶ岳、大笠山


三ノ峰から白山


北アルプスの山々


御前岳頂上でバンザイ


乗鞍岳、御嶽山


御嶽山とその左裾野に南アルプスの仙丈ヶ岳から塩見岳


右奥:BCで遊んだ猿ヶ馬場山



2024.7.7-8 富良野岳~十勝岳 縦走

2024-07-12 18:13:16 | 日記

前十勝岳方面の噴煙(下山後の翌日撮影)

前日の天気予報通り朝からしとしとと雨が降っている。今日は雨の確率が高かったので前日に白銀荘に滞在延長可否を聞いてみたが既に予約で満室だったので、今日は雨の中を今夜のねぐらである上ホロカメトック避難小屋まで行かざるをえない。しかし登山に不要な荷物は置かせていただけるのでそれだけでもありがたかった。始発のバスで登山口の十勝温泉まで行き、準備を終えた7時45分頃に登山を開始した。当初の予定では富良野岳から美瑛岳までの縦走であったが雨の為、富良野へは行かず小屋までの最短コースである上富良野岳へのルートをとる予定だ。
安政の火口との分岐点から富良野岳へ向かうトラバース道に入る。本来は快適な歩きができるが、今日はいたるところに水たまりができていてそれを避けながら進まなければならない。ごろごろとした石の多いルンぜ状の登路になると上富良野岳にほぼ突き上げる最短コース入口も近いが、歩き難いところのK女史の足運びが気になってこのまま最短コースを行くのが躊躇された。また予想される稜線の風速、雨の強さから判断して長時間でも低体温症の可能性もないと判断し、時間はかかるがこのままトラバース道で富良野岳分岐点の稜線まで行くことを提案した。皆も、K女史も同意してくれたのでスムーズに事は運んだ。稜線手前で若干の風を予想して下着の上に一枚着込んだ。超高齢者になった今は気をつけなければならないことがたくさんある。分岐点の稜線にでるとK氏が我々3人組を待っていてくれた。K氏以外の2人は既に富良野岳へ向かったあとだった。4人で相談後、私とK氏は富良野岳へ向かい、T氏とK女史の2人は富良野を断念して避難小屋へ向かうことにした。重荷に喘ぎながらも30分少々?でK氏に遅れて富良野岳頂上に到着。当然のことだが展望はゼロ。長居は無用と3人の後を追うように頂上を離れた。
2人と別れた分岐点と富良野岳の半分くらいまで来たところで突然、前方から悲鳴が聞こえた。と同時に斜面をK氏が転がり落ちていくのが見えた。10mから15mほど転がって止まったが、岩場ではなくお花畑の斜面だったのでクッション効果でほとんど無傷で済んだのは幸いだった。バウンドしながら落ちていく事故は大怪我の可能性大(複数回目撃し搬送したこともある)だが、K氏の転がり落ち方はバウンドすることもなく、全身が一本の丸太棒のように伸びて、緩やかに転がっていくよう見えたので頭さえ打っていなければ最悪の事態は避けられると感じた。いずれにしても転がっていったのがお花畑であったのがが大きく幸いした。お花畑の斜面が緩やかになったところで回転は止まり、K氏が斜面を登り始めるのが見えて全員とりあえず胸を撫でおろしたのもつかの間、その後の彼のメガネ探しが大変だった。メガネが無い実に不自由なのは私も数回経験しているので、彼がこの辺で外れたという記憶に従い急斜面を降りて4人で必死にしらみつぶしに探したがどうしても見つからない。もう一度、落下開始地点に戻って落下ルートを確認しょうとT女史に戻ってもらうと、すぐに彼女から”あった”という喜びの声が聞こえた。何と落下が始まってすぐにメガネは外れていたのだ。道理でいくら探しても見つからないはずだ。チングルマの咲き乱れていたお花畑は、まるで子熊がじゃれあったあとのような(見たことはないが)みじめな状態になってしまった。3、40分程度のメガネ探しだったと思うがとても長く感じられた。その後は三峰山、上富良野岳、上ホロカメトック山と慎重に歩を進め、無事に今夜のねぐらである上ホロ避難小屋に到着した(13:51)。先行した2人も無事に少し前に到着していた。小屋には単独の先客がいた。トムラウシを越えて旭岳まで縦走するとのこと。明後日からは天候が回復する予報なのでトムラウシ山、旭岳間の縦走は素晴らしいものになるだろう。
2日目
相変わらず雨が降っている。身支度を整えて5時過ぎに表に飛び出す。大した雨、風ではないが、事前の取り決めとおり、今日は美瑛岳まで行かず十勝岳から下る。登りは十勝岳だけ、あとは下るだけの楽な行程なので急ぐ必要は全くないのだが、展望がないので淡々と休みなく十勝岳を登らざるをえない。頂上までは大した距離はないので早くも1時間程度で十勝岳頂上に到着。めいめいにガスの中で記念写真をとってからさっさと下る。下りに入ると多くの人と行き交うようになってきた。こんなガスと雨で展望もない時でも登る人は本州などから来た100名山のようなピークハンターがほとんどだろう。8時頃に十勝岳避難小屋を通過。最後の望岳台と吹上温泉の分岐点から吹上温泉へのトラバース道は、以前に歩いた時と随分様子がかわった感じで予想外にに時間がかかった。吹上温泉白銀荘に9時28分頃到着。



忘備録:
1.新品のモンベルバーサライトジャケットは新品にも関わらず撥水性がなかった。またハードな使い方はできないと思わせるほどきゃしゃ。
2.Outdry手袋の防水性はほぼ満足
3.Suunto Baroのキャリブレーションを怠ったらナビの方向と自分の向いている方向が真逆になりミスリードするところだった。
4.赤色LEDヘッドランプが小屋泊ではマスト






2024.7.4-5 北海道、大雪山系トレッキング

2024-07-11 17:37:10 | 日記

2日目の縦走路

1日目
山登り同好会メンバー5名と久しぶりに大雪山系のトレッキングに出かけた。コースは姿見駅→旭岳→北海岳→黒岳→北鎮岳→比布岳→当麻乗越→裾合平→姿見駅で1日目の夜は黒岳石室泊の計画だ。晴天で気分はうきうき。早くも姿見駅周辺では色とりどりの花々が迎えてくれた。前夜に泊まった大雪荘のおかみさんは”チングルマは少し満開には早いかも”と言っていたが、なかなかどうして個人的にはベストタイミングと思われるくらいの咲き方に思えた。これならすばらしい稜線漫歩が期待できそう。お花畑を過ぎるといよいよ本格的な旭岳への登りが始まる。10年ほど前の同じ時期に妻と登っているがガスの中の歩きだったので数十メートル程度の視界しか無くさっさと旭岳だけ登ってさっさと下ったという記憶しかない。今日は平日だが多くの登山者でにぎわっていた。1時間程度登ると少し傾斜がきつくなってきた。登路左側は荒々しい火山の山特有の景色が展開している。そして頭上には金庫岩のような四角い岩がはっきりと確認できるようになってきた。標識と人らしき姿も見えてきたのでそれほど頂上は遠くはないのだが・・・。右の方をみると想い出深いトムラウシ山の頭が見える。まだ雪がたっぷり残っている6月初旬に妻を誘って黒岳から富良野岳までへの縦走を計画したことがある。まだ体力のある時だったのでほぼ2人分の30kg近くのザックを背負っての縦走だったがとても楽しかった。その時は残念ながらキックステップの多用で早くも1日目で妻の両靴のソールが完全に取れてしまい、なんとかトムラウシまで頑張ってもらって東大雪荘へ下山したことを思い出す。そのトムラウシから更に右に目をやると、オプタテシケ山とそれから続く十勝連峰の山々も遠望できる。さて先行する3人はどこかなと目をあげるともう姿が小さくなっていてK,M,Tトリオの元気さにはもうあきれるばかりだ。彼らを頂上で長く待たせることは申し訳ないが、それは少々勘弁してもらって我々T,K,Sスロートリオは牛歩のごとく進むしかない。いよいろ傾斜がよりきつくなってきたころ頂上が見えてきた。9時27分、頂上着。360度の展望を心行くまで楽しむ。明日歩く北鎮岳、比布岳方面の稜線が眼前に展開する。天気が良ければ間違いなく満足度100%の稜線漫歩なのだが明日の天気予報は雨模様。大休止の後、間宮岳、中岳(往復)、北海岳へと向かう。一か所、下りの雪渓が残っていたが踵から大股でリズムカルにひょいひょいと下降できる雪質で快適だった。他人の足跡に合わせてを下ると歩き難いと思う。北海岳からの下りは熊注意地帯だが、糞さえもなく熊のいる形跡は全くなかった。北海沢や北海沢への下りの道は先回来たときは完全に雪の下だったが今回は雪がほとんどなくて沢は川状態になっていて随分と想像と違う様子が変わっていた。北海沢の川を渡り終えて黒岳が目前に聳えてきてやっと今夜の宿、黒岳石室に到着。先行3人組はかなり待っていたことだろう。ビールが待っているが、その前に黒岳に行く5人と別れ、まだ登ったことのない桂月岳を優先して往復した。桂月岳は登り5分、下り5分(YAMAPログ記録より)であっけなく終わってしまったので、登るのを躊躇していた黒岳にも足を伸ばした。先回に来たときの黒岳頂上はまだ雪の下で、頂上には妻と私以外1人だけの静寂な頂上だったが、今回は人、人、人の喧騒の頂上だった。戻った後に晴天と花に恵まれた今日の行程を皆で話し合いながら飲むギンギンに冷えたビールが格別だった。
2日目
昨日の石室管理者の話では今日は朝から曇りから雨との予報だったので恐らくショートカットコースになるだろうという予想で出発は6時と決めてあったが、4時ごろ外に出てみるとほぼ快晴に近いではないか。慌ててまだ寝むそうな皆に5時出発にしようと声をかけた後、お湯を沸かし朝食の準備を急いだ。朝食といってもカップラーメン程度だが。朝のあわただしい準備を終え、結局出発できたのは5時を10分を過ぎたころになった。今日の行程は北鎮岳、比布岳、当麻乗越、裾合平と周遊して姿見の駅に戻るコースである。宿のおかみさんは我々シニアーにはきつそうと心配?してくれたが危険なところもなく大雪山系第一級のトレッキングコースのはずだ。早朝の広大な高山植物が咲き乱れる雲の平の草原の中を歩いていくのは実に気持ちがすがすがしい。気温もほどよく、とにかく気持ちが良い。最初の登りである北鎮岳には雪渓が残っていたがアイゼンは不要だった。先行したK氏の話では外人パーティーがステップをしっかり作っていってくれたとのことだった。頂上に   到着。ニペソツ、石狩岳、ニセカウなど過去に足跡を残してきた山々が見える。天塩岳は雲海の中で確認できなかった。晴れではあったが、展望できる距離はその程度でそれ以上に距離のある山々の山座同定は残念ながら楽しむことはできなかった。再びここからしばらく緩やかな上り下りの稜線歩きが続き、比布岳には   時に到着。ここからピラミダルな愛別岳が右手の近距離に聳えている。往復したいところだが今回は計画にない。特に危険個所などないが安足間岳から当麻乗越まではわかりにくい箇所もあったのでガスに巻かれた時は要注意箇所だと感じた。当麻乗越に11時7分到着。ピクケナイ川の渡渉が大変だと宿のおかみさんに脅されていたのでここから自分一人が先行して様子を見に先を急いだ。幸い水量は少なく、適切な間隔で配置されている飛び石のお蔭でなんの心配もなく渡ることができたが確かに増水している時は間違いなく危険で適切な判断、対応をせまられるであろう。渡り終えてから少し登るといよいよファイナルの姿見駅までの長いトラバースが始まる。標高が下がり、木々も多くなってきて額の汗を拭くようになってきた。裾合平に到着すると今までの静寂な山の世界から突然、ツアーの団体など大勢の人と行き交うにぎやかな観光地の雰囲気に変わった。姿見駅からここまでのトレールは池とお花の散策路なのだろう。少し進むととっくに駅についているはずのN女子が一人待っていてくれた。足が重いというので秘薬を渡すと、それを飲んでから5分くらいしてから飛ぶように走り去っていったのには驚かされた。シャリバテが原因であることは明確なので別に秘薬でなくてもよいのだが。我々3人はN女子から遅れること30分程度?、K氏、T女子から遅れること約1時間でようやく姿見駅に到着した。駅で秘薬のお礼だと言ってN女子がおごってくれたビールが乾いた喉にしみこんでとてもおいしかった。

コースタイム
1日目 姿見駅 6:52 黒岳石室 14:05 / 14:20 桂月岳 14:25 / 14:35 石室 14:40 / 14:42 黒岳 14:57 石室 ? 
2日目 黒岳石室 5:12   姿見駅 13:57

忘備録
持参品: エクソス48、緑シュラフ、シュラフカバー、エバニューマット(腰が痛くて寝れなかった)、ツエルト、ツエルトグランドシート(タイペック)、圧手羽毛服、張綱2本+4本)、着替え(下タイツ、上肌着)、防水手袋、ミズノ手袋、1Lコッヘル、バーナー、ガスカートリッジ、チタンマグ、ハイドレ1セット、ポリ水容器2、ペットボトル(廃液用)、緑クーリングタオル、ラテ、救急セット(テーピングテープ、キズバン、ポイズンリムーバー、オロナインなど)、ナイフ、Sunnto Baro、小物類(浄水器、ラテ、スマホ、モバイルバッテリー、ケーブル3、温度計、方位磁石、タオル2、薬、メガネバンド、ちり紙、ライター、財布など)、ポール1(ツエルト兼用)、 行動着(ファイントラ肌着、ジオライン下着、モンベルメリノウールシャツ、モンベルネットキャップ、ファイントラックソックス、モンベルブリーフ、モンベルパンツ黒)
食糧
ぶっこみ飯、カップヌードル、行動食(いつものことだが多すぎて、無駄に重いので要検討)

1日目 2.5L 2日目 2L (反省:2日とも1.5L使用)、その他の水分(ゼリー類)