トジハジ日記

日記代わり、家族への発信用として利用させていただいてます。内容はいろいろですが登山が趣味で、公開は山行記録がメイン。

2024.5.25 飛騨の天蓋山

2024-05-26 18:58:09 | 日記

天空の牧場最上部からの展望。 薬師岳(左)、寺地山(中央手前)、北ノ股岳(右)

昨日は短時間ながら何のトラブル予兆もなく歩けた。当初の予定では1泊2日のリハビリ登山でのんびりと丸黒山と十二ヶ岳を登り帰るつもりでいたが前日だけでこの2つが登れてしまった。心配していた1ヶ月半のブランクの影響もあまり感じことはなく、ここまで来てこのまま帰宅するのはもったいない気がしてきて、少々離れているが思い切って昨日、所属する山登り同好会のメンバーが登っている奥飛騨の天蓋山まで足を伸ばしていみることにした。天蓋山は若き日に薬師岳、北ノ股岳、寺地山とスキーで上り下りしたルートをこの目で追ってみるには最高のロケーションにあるし、立山からの縦走や冬、春の合宿などで一時はよく通った薬師岳とその周辺の山々を高齢になって高山が登れなくなったら、ここから眺めながら回想に浸りたいと思っていた山でもある。

5時46分、まだ一台も車がとまっていない山之村牧場駐車地をスタート。Yamap新ルートの看板がたっているところからが本格スタート。人気ルートだがさすがにこの時間帯に登山者はいない。静かな早朝の樹林帯は空気が澄んでいて実に気持ちがいい。しばらく水平に近い歩きが続くと白樺階段?と書かれた標識のある急な階段が現れた。まだ体が慣れてないので息がはずむがところどころで傾斜が緩むので何とか立ち休憩をとることもなく順調に歩を進めることができた。このルートは展望のききそうなところがないと何かで読んだ記憶があるが、まさにその通りのようだ。工程の半分ほど来たと思われる地点にYamapのかわいらしい書き込み看板が設置されていた。いかにもYamap新道らしいが、自分には年代の差からくる違和感があった。ようやく天蓋山の頂上があるらしい方向の尾根が時々開き始めると下山ルートがあると思われる尾根に向かってトラバースを開始。このトラバースでは笹の切り口で数回、足を取られバランスを崩すことがあったが、このトラバースの間だけは毎年、シーズン初めに笹刈りの手入れが必要になるだろう。トラバースが終わって尾根にあがると下山ルートに合流した。合流地点には頂上が右方向にあることを示す標識があり、それに従って顔を右に向けると大きく広がった青空に吸い込まれるように幅広い階段が続いていた。階段の終わりが頂上であることを確信し最後の100m?ほどを登ると7時33分、こじんまりとしてこぎれいな頂上に到着した。頂上には田部井さん筆の白ペンキで書かれた天蓋山頂上の標柱があり、その周りを山々の名前が記されたプレートが取り付けられた板の椅子が囲んでいた。360度の展望があるのだが今日は早朝の春霞で北アルプスの山々はみえない。視界さえよければ時間の許す限り滞在したくなるような居心地の良いところだった。1時間もすれば恐らく靄もとれ北アルプスの山々がみえてくると思われたが10分ほど記念写真を撮るとなんとなく下山を開始してしまっていた。下山は山之村キャンプ場へのルートをとった。この下山ルートはYamap新ルートと違い案内標識が少なく、尾根上の所々にある休憩地は展望がすこぶるよい。ルートも変化に富んでいて飽きがこない。などなどなかなかの好ルートとなのだが、Yamapコースより急なので登りの使用は体力に自信の無い人には不向きとおもう。下山口近くにある閉鎖中のキャンプ場は樹林と草原の対比が美しいところだった。昨夜、車中泊した高山大山林道脇にある下山口近くのお店はまだシーズン開業していなかったが、たまたまオーナーがお見えになりしばらく言葉を交わした。店は1か月後ぐらいで開業するといってみえたし、一時閉鎖していたキャンプ場も新たな開業に向けて準備中とのことだった。周辺には立派な藁葺屋根の民家や、天の夕顔の作者の碑など、車で通過した時にはわからなかった気づきも多々あった。林道をはさんだ対面には原則、雪のある時しか登れない岐阜100秀山の一つ桑崎山がある。今回で土地勘ができたので次シーズンには天蓋山と桑崎山をスキーを使って楽しんでみようとおもう。



2024.5.24 丸黒山、十二ヶ岳、国見山(岐阜100秀山)

2024-05-26 14:48:03 | 日記

丸黒山頂上から槍穂高連峰を望む。

今日は所属する山の同好会の例会日だが、体調が相変わららず不調で迷惑をかけるのが気になり参加を辞退し、代わりに短時間で登れる山へマイペースで登って様子をみることにした。実に約1か月半ぶりの山歩きだ。
選んだ先は乗鞍岳近くの岐阜100秀山の中の一つ、丸黒山。Yamapコースタイムでは5時間41分となっている。国立乗鞍青少年交流の家が登山口で、登山道も整備されていそうで何かあっても安心できそうなコースだ。自宅を4時30分頃に出発。経費節約の為、高速は使わず一般道で約3時間後の7時過ぎに登山口付近の駐車地に到着。青少年交流の家は高山スキー場のすぐ先にあり自然豊かな環境の中にある。7時30頃に駐車地をスタート。通常は設置されている登山口の標識が見当たらず、しばらく登うろうろした。広々とした交流の家の裏の丘を進んでいくと林道に合流。さらに進むと登山届のボックスがあり、どこからアクセスするのか不明だが車なら更に奥まで進むことができる。林道終点は広々としており数十台でもとめることができそうなところだった。ここからは山道に入る。しばらく進むと日陰平山との標識のある分岐点に到着。ここまでの途中に一か所、道の脇に熊の糞らしきものがあった。日陰平山はパスしようと思ったが時間に余裕がありそうなので寄ってみることにした。道には笹が覆いかぶさっていたのでダニが心配になり(数年前にマダニに食われ病院でとってもらったことがある)、すぐにズボンの裾を靴下に中に入れ、首に巻いたタオルを肌が露出しないように巻きなおした。真新しい黒色の登山用ズボンは瞬く間に白くなってきた(帰宅して調べたらチビタケナガシクイムシの影響のよう)。7時45分に頂上着。展望もなくピークらしさはゼロ。頂上標識の写真を撮るとすぐに周回する形で元の登山道に戻った。今の時期は新緑の木々が目に優しく実に気持ちが良い。特にブナ林の中の歩きは格別だ。1時間ほど歩くと大きな山小屋が立っている広場に出た。地図で見ると平金乗越という場所らしい。小屋のマークは地図に載ってなかったので小屋の出現は予想外だった。中には入らなかったが立派な造りで、かなりの人数が収容できそうな建物だった。水場はないとおもっていたので2Lの水を持参したが、ここまでに水を補給できる場所は2か所あった。まだ順調そうなので休みを取らず先に進む。少し進んだあたりから急登がところどころ出始め、さすがにヘルニアの影響で心配していた左足が重だるくなってきて自分の足でないように感じ始めてきた。咳も頻繁にでるようになってきてつらくなってきた。暑さも影響も出始め、ついにもう少しで頂上だろうと思われる地点でたまらずダウンし腰を下ろして水分の補給をした。やはり体調は今一つだ。最後の登りに苦労していると突然、コーナーで単独の女性と出くわした。先方は一瞬ドキッとした様子だったが、黒サングラスに黒の覆面だったので表情はまったく計り知れなかった。最近は女性の場合、顔全体近くを覆う人が多いので顔の表情が分かず形だけの挨拶になってしまいがちだ。9時37分、まだかまだかと思っていた頂上にやっと到着した。頂上は広々としていて残雪の槍穂高連峰を見ることができて嬉しかった。帰りに途中にある小屋を少し過ぎたあたりで恐怖のハプニング発生。道脇の笹藪の中から、今にでも襲いかからんとする時のような獣の重量感のある唸り声が聞こえてびっくり。背中から襲いかかられる恐怖を感じながら数メートル過ぎたとき、ガサガサと音がしたので勢いよく振り向くと笹藪が数メートルほど揺れて唸り声の主が後退したのが分かり心底ホッとした。20~30mは意識してゆっくりと歩いた。あの威嚇の唸り声の獣はなんだったのだろう。熊以外には考えつかないのだが。その後は熊の爪痕が残っている木々がないか観察しながら歩いたがその痕跡のある木は見つけれなかった。
PS: この後、まだ日没まで時間がたっぷり残っていたので、同じく岐阜100秀山に挙げられている十二ヶ岳と国見山に立ち寄った。




丸黒山の頂上


十二ヶ岳の頂上から少し進んだ展望地




国見山の頂上


2024.3.14 奥美濃 高丸、烏帽子

2024-05-14 12:27:30 | 日記

烏帽子頂上から高丸を望む。左の尾根が登りのルート。

体調不良でこの3,4か月間、山らしい山へ行っていないし、行く気にもなかなかなれなかったが、所属していた山岳部後輩の若手Y君から”高丸に行きませんか”との電話があった。私の理解では高丸は能郷白山に次ぐ奥美濃第二の高峰だ。にも関わらず国土地理院の地図にはその名がのっていない。すぐ尾根続きで隣にある三周ヶ岳は大人気の山なのだが。以前、三国岳や、笹ヶ峰から見た高丸(別名:黒壁)は堂々としていて私も以前からいつかは登ってみたいと思っていたので行くことを即快諾した。

5時40分頃、高丸に続く尾根の取りつき点近くにある橋に到着。曇天だが時々青空がみえるので気分のよい稜線漫歩と奥美濃の山々の眺望が期待できそうで気持ちがはやる。準備をしているとけたたましいエンジン音の軽トラがすごい勢いで走ってきてすぐそばに止まった。言葉を交わすと我々の逆コースをとるとのこと。このコースを何度も経験されているようだった。途中で会いましょうといって別れ我々はまず高丸に続く林道に向かった。林道から少し進み、尾根に突き上げる斜面の取りつき点に来たが残雪が斜面に無く、恐らく尾根上もブツシュで面倒そうなので林道を終点まで行って、そこから突き上げる尾根にルートをとることにした。林道には数日前に降雪があったせいか雪がしっかり残っており、ズボズボと埋まるのでしばらく歩いてからワカンを装着。ワカンをつけると快適で、はやり装着を面倒くさがってはいけない。体力が持てば烏帽子まで行くので、その時に使う下りの尾根の雪の付き具合などを見ながら林道を進み、7時50分頃に林道終点に到着。ここから主尾根に向かって枝尾根を登った。取りつき付近はブツシュこぎで先が思いやられたがすぐに快適な雪の斜面に変わり、淡々と疎林の中を気持ちよく登高。雪が緩んできて時々踏み抜きなどがあったが10時14分に高丸と烏帽子をつなぐ稜線上に到着。ほとんど休憩もせず、そのまままずは左に折れて高丸に向かう。果たして高丸から見える景色はどんなであろうかと期待が膨らむ。途中でポールが灌木に引っ掛かり強引に進もうとしたらぽっきりと折れてしまった。やはりや安物はいけない。一本しかもってこなかったのでピッケルに変えたがズボズボ埋まって実に歩き難いので、Y君の1本を貸してもらった。11時頃、予定より早く待ち焦がれたの高丸頂上に到着。狭い頂上を予想していたが、予想に反してとてもだだっ広いところだった。しばらくの間、奥美濃の山々の素晴らしい眺望を堪能してから、烏帽子へ向かう。一旦もと来たジャンクションまで下り、そこからアップダウンのあまりない尾根を進む。遠くからみると烏帽子はその名の通り鋭い山容だ。烏帽子側のジャンクションピーク近くまで来ると真っ白な急斜面に小さく動いている黒点が見えた。恐らく今朝、言葉を交わした人だろうが、なんだかえらく急斜面のところを登っているように我々も苦労しそうに思えた。ジャンクションにつくと、烏帽子を登っているいる人のトレースが下から続いていた。ここからトレースはやや複雑についていて、その巧みさに感心するところもあった。烏帽子の登高者が下降し始め、それを目で追いながら進み、我々が烏帽子の斜面に取りつく手前で、下降してきた人に会った。我々は早朝にあった人とすぐにわかったが、先方は我々の進み具合が早かったので、先方はしばらく朝に会った我々とは理解できなかったようだった。ようやくわかっていただき、しばらくの間、奥美濃の山々のことについて話し込んだ。やはり今朝、はやり奥美濃の精通者でいろいろ山座同定に助けていただいた。年齢をお聞きすると71歳とのことだった。私も自分の年齢も言うと少し驚いてみえた。これから高丸に向かうのですかと問うと今からではもう遅いから高丸手前のジャンクションピークから下降するとおっしゃってみえた。いよいよ最後の烏帽子の登りにかかり、13時ころ烏帽子山頂に到着。高丸の往復だけで十分と思っていたので、ここまで来れたことに大満足。頂上からはラッセルで苦労させられた想い出深い蕎麦粒岳や、土倉、大ダワ、横山岳方面の山々の景色を堪能。この頂上で今日、初めて大休止をとり腹ごしらえをした。下山は烏帽子山から少し下ったところにある奥美濃の主が登りに使った尾根にルートをとった。芸術的とも思われる一糸乱れぬワカンのトレースが延々と続いていて、主の技術力、体力に感服させられた。そしてそれを我々の乱れた足取りで崩していくのは実に気が引けた。一か所、慎重さを要求されるよう注意箇所があったが、意外に長かった尾根を16時頃に無事に下り終え駐車地に続く林道に降り立った。16時50分に駐車地到着。奥美濃の主の車はまだそこにあった。我々がその場を去る時、すでに日没が迫っていたが、主は初志貫徹で高丸まで行ってしまったのだろうか。

行動時間: 10時間57分
忘備録: アイゼン未使用。ワカンはほぼ終始使用。雪のある時はテントはどこでも張れそうなので次回はのんびりと三周ヶ岳までいってみたい。