<ツバメ>(Hirundo rustica gutturalis SCOPOLI)(Eastern House-Swallow)
形態:ツバメ科全体で、75種。極地以外の全世界に分布。♂♀同色。飛びながら空中で食餌。嘴は扁平で幅広、三角形。嘴峰7~10mm。翼は長い。翼長105~120mm。尾長68~100mm。脚は小さくて弱い。跗蹠9~11mm。背は光沢のある藍黒色。額・腮・喉は栗色。上胸に黒帯。
生態:ツバメ科ツバメ。夏鳥。冬期は、インド・インドシナ・マレー・オーストラリア北部。近年は越冬するものも。帰巣本能が強い。配偶関係は、維持・組替えが半々。人家の軒で繁殖。
分布:日本全国。
名:燕、玄鳥、社燕、つばくろ、つばくら
関連:初燕、燕来る、朝燕、里燕
歌:杯に泥な落しそむら燕 (芭蕉)
のど赤き玄鳥(つばくらめ)二つ屋梁(はり)に居てたらちねの母は死に給ふなり
(斎藤茂吉)
家はどういう訳か軒にツバメが巣を造らない。隣近所皆巣がある。犬を飼っている所為か商売の影響か?商売は殺生である。豚や鳥の骨などを扱った。皆が毛嫌いする仕事である。そんな家に育って、鳥類学者を目指していた。山階鳥類研究所。夢を聞かれる度にそう答えた。梅雨。ツバメが来て初夏の到来を告げる。1年で1番愉しい時期である。水田の上を軽々と飛び交っているのを見る。白と黒の染め分け色。セキレイであり、ツバメ。今はその風景も失われつつある。幸福を運んで来る鳥。「天国のわたしの庭で、この小鳥が永遠に歌いつづけるようにし、わたしの黄金の町で幸福な王子がわたしを賞めたたえるようにするつもりだから」「幸福の王子」の最後である。「かづけの花環ここにあり、ひとやにはあらぬ花籠を給うあえかの姫君は、フランチェスカの前ならで、まことは「春」のめがみ大神」「海潮音」。「一本の直線…、コンマ、急に行を変える。ギリシャ語やラテン語、煙突の燕どもが空に書くヘブライ語」。ルナ-ル。
ティンバーゲンより。「鳥の生活」(思索社)を見て下さい。
「なぜ鳥を観察するのだろう」
1 何の役に立つか?犬と遊ぶのと同じぐらいたのしみなもの。鳥は美しい、身近、面白い。大自然の中。
2 鳥の数の増減の理由。人間の本能の解明に繋がる。
3 鳥を観察し、その生活についての発見。
<ハシブトガラス>(Corvus levaillantii japonensis Bonaparte)<ハシボソガラス>(Corvus corone orientalis Eversmann)
形態:全身黒色。ハシブトの嘴は太く、カアカアと鳴く。ハシボソは細く、ガアガア。
生態:ハシボソの方が多い。人家近くに住む。雑食性。
分布:日本各地。
歌:
烏飛んで夕日に動く冬木かな (漱石)
あかときの霧よりわける鴉らの連祷の声地球危うし (坪野哲久)
カラスというと、ポーの“大鴉”。恋人の死。その消息をカラスに尋ねる。同じ作者に、“アナベル・リー”。悲哀が最も美しい感情とは、オスカー・ワイルド。ポーの悲劇の生涯。それ自身がロマンの作品。過渡期にあった西洋文明。ロマンからシュールへ。ゴシックロマン・推理小説・精神の深遠を抉る作家。不遇だった。時代に先んじていたから。飲酒癖・不寛容。同じ頃(?)、ロシアの作家、ドストエフスキーがいた。賭博癖・死刑宣告。人間の根源を問う。夕日に動く冬木がポーなら、連祷は、ドストエフスキーの作品群。あかときの霧をよりわけた。あの時、二人の作家が出なかったら、閉塞感の世紀末、滅亡を免れていたのか?ふと思う。幼い時の思い出。一宮の伯父宅へいった。夜、引っ切り無しにカラスが鳴いて、啜り泣きの声がする。隣が危篤とか。不思議を知った。その頃、K.ローレンツが、ノーベル生理学賞を貰った。コクマルガラスの研究。猿のアイちゃんが松沢先生の研究で有名になったが、カラスの知性も話題に。「ソロモンの指輪」が面白い。パブロフの条件反射犬・スキナー箱の犬。われわれの身近な知性的な動物を研究する。今、マウス。ノックアウトの。DNAから行動直への研究へ。カラスを歌って、人間精神の深遠を追求した。カラスを観察して、人間精神の仕組みを解明する。ロマン主義という点で一致した。ノックアウトマウスによる行動の研究者は、生命のもう一つの莫大な多様性発生の仕組みの追及者。ロシアの作家に比する。この閉塞期・混乱期に精神の指針となる人は誰か?カラスが胸像を去らず、影が床に留まって、わたしは動けず…なのか?
2 に留まっていれば良いものを屁理屈。赤と黒。ファッション。そのジクロで着こなす、って一番お洒落。雨傘だかメアリーポピンズだったか、2色の合羽でミュージカルの場面があった気がする。黒を基点として、黄や青と。人生に何を主張しているのか?スタンダールに僧侶と政治の色があった。血の赤。黒は髪と瞳、東洋では。赤と白ならカトリックに象徴がある。東洋で・東南アジアで、赤と黒は何の象徴?嘗てケチャの人形で、赤と黒の衣装が印象的なのを持っていた。社会人になりたてで、縁に恵まれますように、の願いを込めて、横浜中華街で買って来た。幾年も部屋を飾っていた。話し変って、ブラック・ラディエーションとレッド・シフト。量子と相対論。融合が場の理論/超弦理論。学生時代に並木先生と小島先生にそれぞれ習った。当時、流行が4つあった。C*-代数・量子論理・公理主義的場の理論・確率場。ルーニ-を小林先生・益川先生に、ロナウドを南部先生に喩える。それ程、南部先生は偉大だった。中央少し左で、物理を創り・物理を支配した(失礼)。かのアインシュタインすら南部は難解だ、と言ったとか。数学の岡先生がそうだったが、先生の論文の解説を書くだけで食えた。南部先生の解説だけで食えた。経済。日本の政治もそうだが、規制緩和・改革/投資・財政出動の2タイプ(?)。また、マネタリスト/ケインジアン。×で4通り?計画経済と自由主義。兎に角、今、スピードが勝負らしい。緊急を要する。少なくとも雇用は待ったなしだ。黒という名の不況なのか赤なのか、とにかく10人が襲って来る。引っ切り無しに球が飛んで来る。政治というキーパーは、パンチングで防ぐのか、しっかりとボールを受け止めるのか?見極めが難しい。確保したボールも、エリア外でハンド、も有り得る。攻撃に転じて、味方に渡さなければいけない。なるべく遠くがいいのか?近くてもしかっり組み立てる人がいいのか?難しい選択だ。観客が喜ぶプレーは期待されていない。確実に相手ゴールマウスのネットを揺らしてくれるプレー。尤も、ゴールは、相手国でなく、景気である。今、求められるのは、ドリームチームのような中盤であり、点取り屋の集団。何より名将である。安部と三島。日本文学の最高峰2つ。シュールとロマン。現代と古典。「砂の女」と「金閣寺」を。状況の中で・状況に、どう生きたか?砂の中の男女。僧門の孤独。わたしたちの人生を、それらの混交/それらの補間と考える。今日、わたしは孤独だった。砂の中のように/寺の境内のように。そして、人に対した/業に対した。決定的な場面で/守る場面で。わたしの昆虫採集は?わたしの金閣は?わたしの不条理は?わたしの妄念は?パスとドリブル。シュートとカット。落ち来る砂を防ぐ傘のように、相手に体を入れチャージした。吃音を隠すように、トリッキーな動きで相手を制した。そんな空虚な努力の連続。終了してみればやっと0と0。敢然と金閣はあり、依然として砂丘はある。それがスポーツだから。
3 予防医学を見た。NHK6時。冒頭10分。メタボ。食生活指導があった。父は太っていた。80kg近かったと思う。健啖家だった。核酸食(?)を採った。海鼠腸・刺身・豚肉。美食だった訳ではない。仕事維持に必要だった。9時から5時。4t荷の集荷である。しかもそれだけで終らない。5時から午前1時。それを積んで飛ぶ。トラックで走る。隣県の岐阜・山梨・愛知まで往復。山を1つ・2つ越えるなどの表現に足る生易しいものでなかった。今は、中央道があるからいい。50kの積み上げを一日した後、一般道で8時間4tトラックの運転はきつい。そんな仕事を365日維持するためには、当然食生活は菜食主義ではない。それが現実だった。そんな仕事環境に予防医学の入る余地はなかった。今でも無いと思う。労働と厚生が同じ管轄大臣なら、その辺を総合出来ると思う。精神の疾患もそうだ。命の問題である。精神疾患の予防医学は進んでいるのだろうか?鬱の予防検診?無料のカウンセリング。
表紙
「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。」
入祭唱
「主にあって何時も喜べ。重ねて言う、喜べ。主は近づいておられる。」
挨拶
「クリスマス迄10日。気忙しい。心の準備を。第3は、回心・痛悔の中でも「喜べ」
の日。苦しみ・悲しみの中でも、喜びを忘れない。それが信仰。」
第一朗読(イザヤの預言)
「わたしは主によって喜び楽しむ。」
答唱詩編
「1 わたしは、神をあがめ、神の救いに喜びおどる。
2 神のあわれみは代々。神をおそれ敬う人のうえに。」
第二朗読(使徒パウロのテサロニケの教会への手紙)
「主のこられるとき、あなたがたの霊も魂も体も守られるように。」
アレルヤ唱
「神の霊はわたしの上にある。貧しい人に福音を告げるため、神はわたしを
選ばれた。」
福音説教(ヨハネによる、1・6-8、19-28)
「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。」
「降誕節は、心の準備をする期間。第3主日は、喜びの主日。何故?信者は知って
いると思うが、ピンクのストラだった。今は紫。ミサ始まる時の入祭唱に「主にあって
何時も喜べ。」第2朗読に、「何時も喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなこと
にも感謝しなさい。」”be happy.””bejoyful””pray
continually” わたしたちの信仰は簡単な筈だった。でも、難しくしてい
まった。何故か?わたしたちに、それが一番欠けている。何故か?ミサに喜んで与って
いるか?来る時、喜んで来たか?ミサの後、喜んで帰っているか?毎日喜んでいるか?
いない!どうしてそういうことになってしまったか?空しさ。絶望。楽しくない。愉快
でない。屈折した感情が、蔓延っている。「おかしいんじゃないか?」 心の状態が顔
に表れる。暗い。しかめっ面な人が見受けられる。わたしたちの信仰は、喜んでいなさ
い、ではなかったか?そういう信仰じゃなかったのか?第1。「貧しい人に良い知らせ
を伝えさせるために。「打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれてい
る人には解放を告知させるために。」 今、刑務所にいる人のために。2000年前に
は、政府の悪口を言うだけで捕らえられた。現代でも捕らえられている。また、借金が
返せなくて捕らわれる。奴隷状態。毎日の生活の中で、救いをもたらす、我々にとって
嬉しいメッセージ・グッドニュースだった筈。マリア様がお告げを受けて、エリザベス
を訪問した。エリザベス。「あなたは、女の中で祝福された方です。」 マニフィカ
ット。
答唱詩篇。
「わたしは神をあがめ、わたしの心は神の救いに喜びおどる。」 これは、旧約の思
想を反映している。貧しい人・抑圧された人、底辺の人に救いがもたらされるでしょう。
救いがもたらされる。2000年前に救い主が現れ、十字架上で死んでいった。わた
たち、根底から救われた。その喜び。そして、イエスを御父は復活させてくださった。
明日がある。希望。救われた喜びと明日がある希望。無限大の宝物。それが信仰の
確信。何で悲しんでいられるか?こんなに愛され・大切にされているのに、何で悲しん
でいられるのか?本当に救われ、愛されている。明日がある。喜び。祈らずにはいられ
ない。感謝せずにはいられない。祈りとは、神との対話。親子・夫婦・先生と子供。
会話。今、対話が欠けている。親子・家庭で対話が、崩壊している。神に対して祈る。
神との会話・近くの人との会話、親子・近所との会話がない。人に対して心を閉ざして
いると、神にも心を閉ざしてしまう。わたしたちはそんなに器用ではない。人に心を閉
ざしていて、神に心を開くことは出来ない。神との会話、隣人との会話。隣人との会話
も祈り。わたしたちは、何時も感謝して、「有難う」が言えなくなった。どうして言え
なくなったのか?東京で祈りの集まりがあった。従兄弟の家に一泊した。75才。紅葉
マーク。夫婦の会話の中で、「有難う」が自然に出て来た。ジーンと来て感動した。7
5才で。日本人なら照れる。従兄弟は奥さんに自然に使っている。「有難う」とは、相
手が自分にしてくれたことを認めること。言えなくなるのは、相手がしてくれたことを
理解していないから。習慣・奇麗事でなく、心のこもった「有難う」を言えるか?今日
のところは、信仰の核心・座右の銘。これを思い出し、人生の中で生きていく。易しい
ようで難しい。いい人は一生懸命に生きる。幸せな一日でありたい。今日一日、いろい
ろな人に会い、「有難う」と言える毎日でありたい。慎ましい幸せ。ゴージャスでなく、
平凡な毎日。」
共同祈願
「キリストは希望の光。世のやみを照らすかた。」
拝領唱
「人々に告げよ。「恐れることはない、勇気を持て。神はわたしたちを救いに来られ
る。」」
notes
1 信徒会。クリスマスミサについて、他。
2 イブ、18:30~。クリスマス、10:00~。
3 カレンダー。
4 カード販売。