B年.待降節第4主日
表紙
「あなたは身ごもって男の子を産む。」
入祭唱
「天よ、露をしたたらせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ、開いて救い主を生み
出せ。」
挨拶
「ローソク4本。クリスマス。慌しい。クリスマスの意味をもう一度反省する。」
第一朗読(サムエル記)
「ダビデの王国は、ダビデの行く手にとこしえに続く。」
答唱詩編
「神の慈しみを永久に歌い、主の真を代々に告げよう。」
第二朗読(使徒パウロのローマの教会への手紙)
「世々に渡って隠されていた秘められた計画は、今や現された。」
アレルヤ唱
「わたしは主の召し使い。おことば通りになりますように。」
福音説教(ルカによる、1・26~38)
「あなたは身ごもって男の子を産む。」
「クリスマスまで、あと4日。今日の福音。天使からマリアへお告げ。「イエスと
名付けなさい。・・・。」 この場面は、ジオットの絵のイメージでもって広く知られ
ている。ところで、マリア様は、この言葉を理解して受け入れたか?それを考え
てみる。実は今年6月に、教書がバチカンから出され、”ヤ-ベ”を使わないよう
にと伝達された。それを主=アドナイに置き換える。1ヶ月前の11月から日本も
そうなって来た。ヤーべ=神。ユダヤ人の間では、発音してはならないことにな
っている。十戒の第1は、”わたしはあなたの神である。わたしの名をみだりに唱
えてはならない。” だから、神の名を口にすることすら恐れられていた。文字は
ある。母音はなく子音のみ。だからどういう風に発音していたか分からない。ユダ
ヤ人は、ヤーべと言わない。十戒に反することを非常に畏れる。神は絶対的だか
ら。神の言葉に背くことが出来ない。その感覚は日本人には理解できない。神な
んて、か、神は苦しい時のお願い。神頼み。絶対的なお方というより、幸せを叶え
てくれる便利な方程度。ところが、イスラエル人にとって、神は絶対的なお方。神
の名を口にすることさえ憚れる。自分の一番深い所、絶対的な存在。口にするさ
え畏れ多い。マリア様。お告げ受けても、神の子を宿された、はいそうですか、と
受け入れるものでない。一言でも言えば、石殺しの刑。イエス様も、「わたしは神
です。」、で石殺しの刑になるところだった。が、すり抜けて逃れた。神を冒涜する
ことは、絶対的にいけないこと。一言で言えば、マリア様の命はない。石殺しの刑。
神を畏れ敬っていた。神のお望みなら受け入れましょう。主のはしため、神の僕と
して受け入れましょう。命の危険・苦しみ大きい。でも、わたしはあなたのはしため、
あなたの願いを受け入れます。神に対する姿勢。神に対する絶対的な畏れ。神を
絶対的に敬う気持ち。熱い思い。神への重い思い。わたしは主のはしため。お座な
りの軽い言葉でない。絶対永遠の神。「わたしの身になりますように。」とのマリア
の神に対する姿勢は、想像を絶している。ヨゼフは、夢の中でお告げを受けた。夢の
中で、聖霊によって、マリアが身ごもっていることを知った。そこで、密かに離縁しよ
うとした。わたしは、夢は余り見ない。風邪とか胃が重いとき、悪夢を見る。夢をその
通り信じない。でも、マリア様は、夢の中で語られたことも絶対と信じた。絶対的なこ
と。ヨゼフ・マリアの神に対する姿勢。ちゃらんぽらんな軽い気持ちで神に対する、で
はない。絶対的な方。深い信仰で理解していないと。乙女の夢物語ではない。真剣
勝負。その状況で、そのまま受け入れた。神の御旨が、この地上のわたしを通して
実現した。わたしは、はしためです。わたしは、僕です。お言葉通りになりますように。
マリア様はキリスト者の模範。わたしたちも、「神の御旨が、お言葉通りになりますよ
うに。」絶対的な信仰を、マリア様に倣って持っていきたい。」
共同祈願
「神よ、わたしたちとともにいてください。」
拝領唱
「見よ、あとめがみごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
notes
1 クリスマスの駐車場は、警察署の手前側に。或いは、創造館のそれ、ゲート前。
佐々木医院さん。塙さんのところ。
2 時間は、18:30~。パーティーが、20:00~。
3 野菜を買ってください。
4 明日22日にタガログ語ミサ。
表紙
「あなたは身ごもって男の子を産む。」
入祭唱
「天よ、露をしたたらせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ、開いて救い主を生み
出せ。」
挨拶
「ローソク4本。クリスマス。慌しい。クリスマスの意味をもう一度反省する。」
第一朗読(サムエル記)
「ダビデの王国は、ダビデの行く手にとこしえに続く。」
答唱詩編
「神の慈しみを永久に歌い、主の真を代々に告げよう。」
第二朗読(使徒パウロのローマの教会への手紙)
「世々に渡って隠されていた秘められた計画は、今や現された。」
アレルヤ唱
「わたしは主の召し使い。おことば通りになりますように。」
福音説教(ルカによる、1・26~38)
「あなたは身ごもって男の子を産む。」
「クリスマスまで、あと4日。今日の福音。天使からマリアへお告げ。「イエスと
名付けなさい。・・・。」 この場面は、ジオットの絵のイメージでもって広く知られ
ている。ところで、マリア様は、この言葉を理解して受け入れたか?それを考え
てみる。実は今年6月に、教書がバチカンから出され、”ヤ-ベ”を使わないよう
にと伝達された。それを主=アドナイに置き換える。1ヶ月前の11月から日本も
そうなって来た。ヤーべ=神。ユダヤ人の間では、発音してはならないことにな
っている。十戒の第1は、”わたしはあなたの神である。わたしの名をみだりに唱
えてはならない。” だから、神の名を口にすることすら恐れられていた。文字は
ある。母音はなく子音のみ。だからどういう風に発音していたか分からない。ユダ
ヤ人は、ヤーべと言わない。十戒に反することを非常に畏れる。神は絶対的だか
ら。神の言葉に背くことが出来ない。その感覚は日本人には理解できない。神な
んて、か、神は苦しい時のお願い。神頼み。絶対的なお方というより、幸せを叶え
てくれる便利な方程度。ところが、イスラエル人にとって、神は絶対的なお方。神
の名を口にすることさえ憚れる。自分の一番深い所、絶対的な存在。口にするさ
え畏れ多い。マリア様。お告げ受けても、神の子を宿された、はいそうですか、と
受け入れるものでない。一言でも言えば、石殺しの刑。イエス様も、「わたしは神
です。」、で石殺しの刑になるところだった。が、すり抜けて逃れた。神を冒涜する
ことは、絶対的にいけないこと。一言で言えば、マリア様の命はない。石殺しの刑。
神を畏れ敬っていた。神のお望みなら受け入れましょう。主のはしため、神の僕と
して受け入れましょう。命の危険・苦しみ大きい。でも、わたしはあなたのはしため、
あなたの願いを受け入れます。神に対する姿勢。神に対する絶対的な畏れ。神を
絶対的に敬う気持ち。熱い思い。神への重い思い。わたしは主のはしため。お座な
りの軽い言葉でない。絶対永遠の神。「わたしの身になりますように。」とのマリア
の神に対する姿勢は、想像を絶している。ヨゼフは、夢の中でお告げを受けた。夢の
中で、聖霊によって、マリアが身ごもっていることを知った。そこで、密かに離縁しよ
うとした。わたしは、夢は余り見ない。風邪とか胃が重いとき、悪夢を見る。夢をその
通り信じない。でも、マリア様は、夢の中で語られたことも絶対と信じた。絶対的なこ
と。ヨゼフ・マリアの神に対する姿勢。ちゃらんぽらんな軽い気持ちで神に対する、で
はない。絶対的な方。深い信仰で理解していないと。乙女の夢物語ではない。真剣
勝負。その状況で、そのまま受け入れた。神の御旨が、この地上のわたしを通して
実現した。わたしは、はしためです。わたしは、僕です。お言葉通りになりますように。
マリア様はキリスト者の模範。わたしたちも、「神の御旨が、お言葉通りになりますよ
うに。」絶対的な信仰を、マリア様に倣って持っていきたい。」
共同祈願
「神よ、わたしたちとともにいてください。」
拝領唱
「見よ、あとめがみごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
notes
1 クリスマスの駐車場は、警察署の手前側に。或いは、創造館のそれ、ゲート前。
佐々木医院さん。塙さんのところ。
2 時間は、18:30~。パーティーが、20:00~。
3 野菜を買ってください。
4 明日22日にタガログ語ミサ。