St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記

2014-07-15 01:33:38 | Weblog
0 Twitterで、とも思ったが・・・。疲れているので写真前回踏襲。
順番通りの詩の更新のみ。アントニオーニの映画「情事」を見始める。
リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。その中、

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 書く事に事欠いてギャグ3つ。しかも、かなり辛辣な奴。
「ワールドカップ制するなら、サッカー強化の前に、自国から教皇様を出すことを先ず考えた方がいい。ロシアではもうポーランドが優勝候補NO.1とか。」
 「発言の統計的裏付けを示さなければ。裏付けが示されたら、次に「税制に対する国民の不満の表れ」と分析できないか検討しなくては。そうなると経済、先生の出番だ。」
 「今度は埋め合わせに大笑い会見を開くっていうのはどうだろう。」

アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)から。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。3回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正したようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・ “

まるで中弛みの感。「悔恨を補正する」とはどういうことなのだろうか?祈りが「仄か」も・・・

5 「人間精神の名誉のために」(J.デュドネ著;高橋礼司訳;岩波書店)から、ハミルトンの四元数についての引用。前回の続き。(p.139から部分的に引用)

“これらの規則によって、実際四元数a+bi+cj+dkに対する<絶対値の法則>が成り立つ、実際
(a+bi+cj+dk)(x+yi+zj+tk)
=(ax-by-cz-dt)+(ay+bx+ct-dz)i
 +(az-bt+cx+dy)j+(at+bz-ct-dx)k
(a^2+b^2+c^2+d^2)(x^2+y^2+z^2+t^2)
=(ax-by-cz-dt)^2+(ay+bx+ct-dz)^2
 +(az-bt+cx+dy)^2+(at+bz-ct-dx)^2
となる。実はこの恒等式はすでにオイラーによって発見されていたものである。“

“四元数がたとえば群の線型表現とかリー群の構造の理論などに自然に介入してくることが理解されるのは、19世紀の終わり頃になってである。ハミルトンの時代にはこれらの理論は存在すらしていなかったから当然である。”

“6)非可換結合的多元環と非結合的多元環
これらの理論の源は19世紀の中頃にあって、四元数体のように結合的ではあるが非可換な環または結合法則は満たされないのがその分類であるが、さらに別の公理を追加して限定することが多い。これらは<抽象>群論、リー群論、代数的位相幾何学、関数解析学に介入してくる。“

次の“Varadarajan”に進む予定。

6 “大柄に添い寝したるや妻の息”
「一応作りました」というだけの作ですが・・・。 

7 “1939:An error,”today abundantly widespread,is disregard for the law of human solidarity and charity,dictated and imposed both by our common origin and by the eqality in rational nature of all men,whatever nation they belong to.This law is sealed by the sacrifice of redemtion offered by Jesus Christ on the altar of the Cross to his heavenly Father,on behalf of sinful humanity.“
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:Thus one would hope that all those who,to some degree or other,are responsible for ensuring a ”more human life“ for their fellow human beings,whether or not they are inspired by a religious faith,will become fully aware of the urgent need to change the spiritual attitudes which define each individual‘s relationship with self;and all of this in view of higher values such as the common good or,to quote the felicitous expression of the Encyclical Populorum Progressio,the full development ”of the whole individual and of all people.“
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第15月曜日福音朗読。マタイによる第10章から。

“「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」”
“Anyone who welcomes you is welcoming me,and anyone who welcomes me is welcoming the Father who sent me.If you welcomes a prophet as one who speaks for God,you will receive the same reward a prophet gets.And if you welcome good and godly people because of their godliness,you will be given a reward like theirs.And if you give even a cup of cold water to one of the least of my followers,you will surely be rewarded.”
-(平和の君は望むのは一致であり、敵をも赦すこと。赦してこそが平和の礎)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年7月15日
                       乗倉寿明記す


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