St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記

2014-11-19 14:30:27 | Weblog
1 goo blogの記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が自身の参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。OCNさん後継ブログでは成功したので、“どうしても”という方はそちらを見て欲しい。

2 カテキズムの変更のみ。写真は、11/9(日)の松本と11/16(日)の名古屋。アメブロと併せて1週間ブログ更新なしは初めて?ただ、先週はocnさんからの引越しに大童。gooへの引越し、手順通りで上手くいかず。結局、MTデータに落としそれをアップする。“goo”と“はてな”。緊急避難にホッと一息。そういう訳で更新出来ず。もう一つの理由が先週は詩を作ってた。3編。「詩と思想」新人投稿欄に投稿する。今週は、“コスモス”・“コスモス”2歌会・“赤石”・“かばん”に。短歌。今後順番から言うと俳句。少しシナリオを始めようかとも。多忙なので記事はこの位で。目立った更新なしで。先々週読んだのは、「芸術の思想」(矢内原伊作)「グアバの香り」(マルケス)「歌合集」(萩谷朴他)「連歌論集俳論集」(木藤才蔵他)「本居宣長全集第3・6巻」(筑摩書房)「日本の名著本居宣長」(中央公論)、「コーチング」(落合博道)「教育の論点」(文藝春秋)「萩原朔太郎雑志」(富士川英郎)「新基礎化学」(小塩弦也)「現代物理学小事典」(小野周)「トポバイオロジー」(エーデルマン)「ヴァージニアウルフある作家の日記」「労働経済学」(中馬宏之他)“The Geometry and Physics of Knots”“K-Theory”“Geometry of Yang-Mills Fields”(3冊Atiyah)“Mathematics:Frontiers and Perspectives”「百首異見」(香川景樹)、「俳句鑑賞歳時記」(山本健吉)「百年の孤独を歩く」(田村さと子)「戦後代表詩選続」(鮎川信夫他)「詩と思想10月号」“Nixon and Kissinger”(Dallek)“T.S.Eliot Complete”(faber&faber)「にっぽん脚本家クロニクル」(桂千穂)「My Bestよくわかる地理」(中村和郎)「万葉集(上)」「萩原朔太郎詩集」「サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇」(ワイルド)を読み散らかす。先週・今週の読んだ本について報告は次回。多忙!

エンジニアだった頃の想い出。その6。アーキテクチャ。ハードからOS、アプリケーションまで、コンピュータの設計に関わる各層の中で、一番面白いのがアーキテクチャだとは良く聞く。矢張り面白いんだろうなと思いながら、未だ実感出来ないでいる。結局、本物の専門家にはなれなかったのだと思う。「アセンブラプログラミング詳説IBMシステム/360・370(上下)」(ストラブル)「コンピュータ・アーキテクチャの設計」(マイヤーズ)「コンピュータの構成と設計(ⅠⅡ)」(ヒル/ピーターソン)「第5世代コンピュータの計画・文化」(広瀬・渕)「TRONを創る」(坂村健)「コンピュータ・アーキテクチャ」(坂村健)「コンピュータ・アーキテクチャ」(へネシー&パターソン)“IBM Personal XT・AT・System/2 Technical References”(IBM)“Introduction to Computer Architecture”(Stone)、周辺含めてリストしたが、一応一通り読んではいる。その中、例えば、坂村健氏の本では、第2章でアラン・ケイのアーキテクチャ、第3章はLispマシン、第4・5章非ノイマン型、第6章スーパーコンピュータ、第7・8章VLSIなどとなっており、「はじめに」には、(p.から)

“現在(‘84)重要と思われるトピックの多くは、80年代初頭までさかのぼって勉強すれば十分なものが多い。つまり、80年代初期から中期を根気よく勉強すれば、おのずと現代コンピュータの基礎を勉強したことになり、ひいては90年代のシステムを見通せるようになる。本書はそのような意味で80年代初期のコンピュータ・テクノロジーの整理を行ったものとも言える。”

とあるように‘80年代の雰囲気といったものを感じさせる。一方、へネシー&パターソンは、1990年刊。「序」には、(p.より)

“各クラス別の最も代表的なコンピュータを利用し、分析と比較のための基準を確立した。そのコンピュータとは、メインフレームのIBM360,ミニコンピュータのDEC VAX、マイクロコンピュータのIntel80x86である。この基準に従い、より単純なパイプライン・プロセッサ、あよび、並列プロセッサの将来を提示している。これらの新技術は、教育上有用でかつ実現性も高い、著者らが設計したプロセッサDLXタイプのマシンとして示されている。”

とあるが、“今後の方向”の章では、SIMD型・MIMD型コンピュータ、Sequent社のSymmetryマイクロプロセッサなどの紹介がある。付録には、彼らがその“生みの親”であるRISCアーキテクチャに関するサーベイも載っている。アラン・ケイ、Lispマシン、非ノイマン型、VLSI、VAX,80x86,RISCといった言葉が懐かしい。それらの全盛時代にごく些細ではあるが、関われたことは技術者冥利に尽きる。当時、ハード・ハードで、“出来る限りハードに置き換えて”という流れだった気がする。“OSの一定部分も何れハード化されるのでは?”と思っていたわたくしにとって、RICSは将に大きな驚きだった。Workstation。また、出版社の共立で思い出すのが、「bit」というコンピュータ専門誌。小日向にも行ったことがあり、一入思い入れが強い。「インターフェース」とともに2冊、毎月定期購読し勉強したものだ。今、へネシー&パターソンも、書棚にSinger/Bergの2冊本「遺伝子とゲノム(上下)」とともに並んでいる。久しく紐解いてない。機会を見つけて両方読みたいと思ってはいるのだが。上に挙げた言葉一つ一つに、“当時ああだった、こうだった”の思いがある。例えばVAX。パスワードに使ったのが、“サードガール”という漫画の作者の名前。30年経ってここに書いても何ら意味がないが、主人公を課の事務係りの女の子に準えていた。現実は掠りもしなかったが、VAXに“エンターする”ことが密かな恋の告白になっていたのだ。“恋”で思うのだが、“恋愛適正年齢”って何歳くらいまで?と思う。DVD「新約聖書」ばかり見ていた所為もあって、そういう出し方になるかも知れないが、キリストが十字架に架けられた36歳くらいまででは?“36歳を越えたら恋愛も慎みを持って、ある一線まででは?”と思う。“44歳で・・・”って歌を読んだけど、”真似出来ないなあ”と感じてしまう。

マグダラのマリアについて。教会では7月22日を“マグダラのマリア”の記念日に定めています。関連して「毎日のミサの友」「毎日の福音」から抜粋します。なお、マグダラのマリアの取り成しを願う祈りを探したのですが、見つかりません。「マグダラのマリア様、・・・」と祈るか、叙唱の“聖人”「聖なる父、全能永遠の神、聖人を通して示されたあなたの栄光をたたえ、・・・」に従って祈ればいいと思います。

“キリストに従う人たちの一人で、キリストが十字架上で亡くなられたときそばに立ち、三日目の朝早く、復活したイエスと最初に出会った。マグダラのマリアへの崇敬は、特に十二世紀から西方教会に広まった。”
“マグダラのマリアは、「肉に従って」復活のイエスを見ようとしたとき、「イエスだとは分からなかった」。しかし、イエスの「マリア」という呼びかけで、彼女はすべてを理解する。彼女が深く「キリスト」と結ばれていたからである。”
“墓の外に立って泣いていたマグダラのマリアに復活した主が現れる。彼女は復活の喜びを最初に告げる者、使徒たちへの使徒となる。それは彼女のイエスに対するひたむきな愛があったから。”
“マリアにとってイエスは「わたしの主」、「わたしのいのち」でした。女性として信じ、愛し、嘆きに沈むマリアに、イエスは近づき、「マリア」と呼ばれます。イエスはわたしたち一人ひとりを、それぞれの状況、ありのままの状態においてお呼びになります。”

第一朗読は2コリンチャンス第5章。詩篇は第63章、福音朗読はヨハネによる第20章を見てください。もう一つの第一朗読・雅歌からのみ引用します。

“[おとめは歌う。]夜ごと、ふしどに恋いしたう人を求めても/求めても、見つかりません。/起き出して町をめぐり/通りや広場をめぐって/恋い慕う人を求めよう。//求めても、あの人は見つかりません。/わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」/彼らに分かれるとすぐに/恋い慕う人が見つかりました。”

4 去年3月に「詩と思想」新人投稿欄に投稿するも採られなかった詩のシリーズがあります。第2回を何回かに分けて掲載します。選考に落ちてますから一定のレベルには達してません。

“<冬の期待> あっ、あそこのビルは?雨も降り出した。このまま走り続けようかしら。それとも引き返す?どっちも同じって気づいた時にはもう天辺来てた。/(この稿未完)”

天辺とは実は江ノ島。カトリックの教会があります。そこから街を抜け丘へ登ると公園があります。何となく飯田天竜峡を彷彿とさせるので、そこに舞台を設えました。語り口は女性です。日夏先生すみません!

5 “Hamiltonの四次元数”に関し、同じ名前の章が、「数(下)」(エビングハウス他、シュプリンガー)のKoecherとRemmertによる第7章にある。そこからの紹介。名著。読む読まないに関係なく買って一家に一冊備えておくべき書。是非!p.219から。第1回。

“1.複素数x+iyの計算を、順序つき実数対(x,y)に関する操作として正当化した。これは、複素数の和、とりわけR^2上の積の幾何学的な解明が-超複素数(=多元数)の創造か何かによって-われわれの直観の空間R^3においても類似物をもてるのではないか、という問いに対するHamiltonの出発点だった。Hamiltonは、長年の間実数の3つの組に対して良い性質をもった乗法を発見しようと望んでいた。・・・自分の息子にあてて次のように書いている「毎朝朝食に下りてくるとき、お前はよく尋ねたものだった。”ねえ、お父さん、3つ組は掛けられるの?“それにはいつも、悲しく首を横にふりながら、”いや、足したり引いたりできるだけなんだよ“と答えねばならないのだった。」今日では、C=R^2⊂R^3の対(α、β)の乗法を拡張する3つ組(α、β、γ)の空間R^3での乗法が存在しないことを明確にすることはやさしい。すなはち、R^3での標準基底をe=(1,0,0)、i=(0,1,0)、j=(0、0、1)と記すと、ij=ρe+σi+τjと書かねばならない。このことから、i^2=-e,i(ij)=(ij)j=-jとしてみると、-j=ρi-σe+τij=ρi-σe+τ(e+i+j)=(τρ-σ)e+(τσ+ρ)i+τ^2jが出てくるが(e,i,jの一次独立性から)、τ^2=-1、すなはちτはRに属さない。”

6 “木漏れ日の秋の夕日に黒ジョッキ”
これも「何だかなあ」という句だが。背景が。名古屋歌会で「旅先必ずジョッキで生」が話題に上る。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939: Positive signs in the contemporary world are the growing awareness of the solidarity of the poor among themselves,their efforts to support one another,and their public demonstrations on the social scene which,without recourse to violence,present their own needs and rights in the face of the inefficiency or corruption of the public authorities.By virtue of her own evangelical duty the Church feels called to take her stand beside the poor,to discern the justice of their requests,and to help satisfy them,without losing sight of the good of groups in the context of the common good.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第33水曜福音朗読より。ルカによる第19章から。

“「言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打つ殺せ。」”
-(愛は手をこまねいて見ていられない。愛は失敗を恐れない。愛は恐れを締め出す。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年11月19日
                       乗倉寿明記す


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